この宇宙の、絶対的要素!
「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」
「すべては、いま、ここに在る!」
こんにちは。
僕等の住むこの「相対的世界」では、
「Aはいいけど、Bはダメ」 的な判断をしがちです。
(自己観点)
Aは賛成してくれたからありがとう、Bは批判的だから、あっちに行け!
(エコ観点)
水力発電はいいけど、原子力発電はダメ!
(常識観点)
自然死はいいけど、自殺はダメ・・・(これはいずれまた、掘り下げようと
思います)
といった具合にね。
でも、気を付けてほしいのは、たとえば
「原発を批判しない」 ということは、決して
「原発に賛成してる」 ってことではないのです。
賛成しないからって、それを必ずしも批判しなきゃいけないってことは、
実はないんだ。
そんな必要は、ないのです。
相対的感覚の世界に生きる僕らは、ここを勘違いし、短絡的に物事を考えて
しまう。
「賛成じゃないなら、反対なんだな!じゃあ批判しろ!」
そうやって「批判」をエネルギーとし、その対象を駆逐し、不安を消そうと
する。
ここにも「戦いこそ、唯一、変化の方法」という、とんでもない思い込みが
ある。まあ、この世界では常識ですが。
「状況」を、空間的に例えてみます。
ある状況を批判し、駆逐できたとしても、その空間には、ぽっかり穴が開いて
しまう。欠落してしまう。
そうなったら、早々に「その空間」を埋め立てなければ、またしても似たような
状況が、そこに入り込む。
批判で開けた空間(穴)には、同じ性質のものが当てはまりやすいから。
(☆型の穴には、☆型のピースしかはまらないよね?)
これまでは、その繰り返しの歴史だったんだ。
戦い・排除の歴史は、それを繰り返すしかない。
なので、「賛成できないもの」がそこにあるなら、それを批判・駆逐するまえ
に、まず「代替案」を考えなきゃ!
ぽっかり「穴」を空けることなく、その「賛成できないこと」と、「代替案」
を入れ替える。
(まあ、単純に書くと、ですが^^;)
「それに自分は、賛成していない。だから、今度からはこういうやり方はどう
だろう?」
で、良くない?それで十分じゃないかい?
それに、なににつけ「最高に良質な代替案」というのは、これまでやってきた
ことに対しても、感謝することで、思いつくものなんだ。
実は、Aも、Bも、そしてAもBも両方ともの、「いいところ」を認めること
で、より良く前に進める。
まずはこれまですべての、「いいとも!」な部分を認めるのが肝心なんだ。
こころを広く持とう。
時間という概念を受け入れたこの世界では、後戻りすることなく、良い方向に、
僕ら自身を、そして社会を進めていくしかないんだからね。
☆
「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」
「すべては、いま、ここに在る!」
こんにちは。
僕等の住むこの「相対的世界」では、
「Aはいいけど、Bはダメ」 的な判断をしがちです。
(自己観点)
Aは賛成してくれたからありがとう、Bは批判的だから、あっちに行け!
(エコ観点)
水力発電はいいけど、原子力発電はダメ!
(常識観点)
自然死はいいけど、自殺はダメ・・・(これはいずれまた、掘り下げようと
思います)
といった具合にね。
でも、気を付けてほしいのは、たとえば
「原発を批判しない」 ということは、決して
「原発に賛成してる」 ってことではないのです。
賛成しないからって、それを必ずしも批判しなきゃいけないってことは、
実はないんだ。
そんな必要は、ないのです。
相対的感覚の世界に生きる僕らは、ここを勘違いし、短絡的に物事を考えて
しまう。
「賛成じゃないなら、反対なんだな!じゃあ批判しろ!」
そうやって「批判」をエネルギーとし、その対象を駆逐し、不安を消そうと
する。
ここにも「戦いこそ、唯一、変化の方法」という、とんでもない思い込みが
ある。まあ、この世界では常識ですが。
「状況」を、空間的に例えてみます。
ある状況を批判し、駆逐できたとしても、その空間には、ぽっかり穴が開いて
しまう。欠落してしまう。
そうなったら、早々に「その空間」を埋め立てなければ、またしても似たような
状況が、そこに入り込む。
批判で開けた空間(穴)には、同じ性質のものが当てはまりやすいから。
(☆型の穴には、☆型のピースしかはまらないよね?)
これまでは、その繰り返しの歴史だったんだ。
戦い・排除の歴史は、それを繰り返すしかない。
なので、「賛成できないもの」がそこにあるなら、それを批判・駆逐するまえ
に、まず「代替案」を考えなきゃ!
ぽっかり「穴」を空けることなく、その「賛成できないこと」と、「代替案」
を入れ替える。
(まあ、単純に書くと、ですが^^;)
「それに自分は、賛成していない。だから、今度からはこういうやり方はどう
だろう?」
で、良くない?それで十分じゃないかい?
それに、なににつけ「最高に良質な代替案」というのは、これまでやってきた
ことに対しても、感謝することで、思いつくものなんだ。
実は、Aも、Bも、そしてAもBも両方ともの、「いいところ」を認めること
で、より良く前に進める。
まずはこれまですべての、「いいとも!」な部分を認めるのが肝心なんだ。
こころを広く持とう。
時間という概念を受け入れたこの世界では、後戻りすることなく、良い方向に、
僕ら自身を、そして社会を進めていくしかないんだからね。
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