0010110 足は大地に、理想は高く、心には愛を!

安心リラックスのんびり明るくいい気分、ワクワク実行を意識して生活します。地球文明もあと5年

思考を刺激してください・・

2016-03-21 19:27:06 | 愛と感謝
ミナミさんのブログより、アシュタールのメッセージを転載します。

http://ameblo.jp/kuni-isle/entry-12141571586.html



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「ヘラジカの贈物」という本と出会いました。

まだ読み始めたばかりですが・・・^^;

この著者は、文化人類学者さんで大学で教鞭をとっている方なんですが・・

大学生の時にたった一人で北米先住民「カスカ族」の集落に飛び込み弟子入りを

した方です。女性です。

そこで狩猟の仕方を教えてもらったそうです。

ある時大きなヘラジカを獲ったそうです。

その時に猟を教えてくれていた古老が

「あのときのヘラジカは、食べられにきてくれたんだよ。」と教えてくれたそうです。

私はこの言葉を読んだ時に鳥肌が立つほどの感情を覚えました。

動物は、自分を欲しがっている(狩りたがっている)人間のもとに、自分をプレゼント

してくれると言うんです。

そういえば、以前読んだ「ミュータントメッセージ」という本の中でも、オーストラリアの

原住民族であるアボリジニの人たちも同じようなことを言っていたことを思い出しました。

鳥をとる時は、鳥の方から私を食べてくださいって言ってくるんだって。

だからその鳥をとって、失礼のないように最後までしっかりと食べるんだって。


アシュタールも、動物たちの狩りの話を聞いたときに、お互いエネルギー場で了承している

から一方的に狩ってるわけではありません・・と教えてくれたことがあります。

やっぱりそうだったんだぁ~~って、いろんな話がつながりました。


その人類学者さんのインタビュー記事があります。

すごく面白いですので、ご興味のある方は是非お読みになってくださいね。

「食べられ」に来るヘラジカ?カスカ族に弟子入りした文化人類学者 山口未花子さんに聞く
「贈与」と「共有」の食文化|KitchHikeインタビュー第10弾[前編]

文化人類学者 山口未花子さんに聞く!カスカ族の「贈与文化」に学ぶ、
お金やモノに支配されない暮らし|KitchHikeインタビュー第10弾[後編]


今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね



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「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。

なるべくあなたの生活の習慣と違う人たちと交流を持ってください。

出来るだけ違う人たちの考え方、価値観に触れてみてください。

それは物理的な距離だけではなく、考え方、価値観の距離です。


もし、自分でそのような人たちと交流出来ないのであれば、その人達と交流した

人の体験談を教えてもらってください。

本でも、インターネットでもいいです。

とにかく、いろんなたくさんの違った考え方、価値観に触れるようにしてください。


何が言いたいかというと・・

あなた達は生まれて育ったところの考え方、価値観が常識になってしまうからです。

ずっとそこにいることによって、そこにしか世界はないと思い込んでしまうからです。

他に違う考え方、価値観はない・・ここしかないと思ってしまうと、何も見えなく

なってしまいます。

ある意味刺激がないと、思考停止で考えなくなってしまうのです。


自分達と違う習慣、考え方、価値観、常識、倫理観、道徳に触れることで、

自分達のそれを考えることが出来るようになるのです。

いい悪いを判断するためにではなく、こんな考え方、価値観などで生きている人もいる・・

と視野を広めることが出来るからです。

視野が広がれば、自分たちの価値観などに疑問を持つことが出来るようになります。


とにかく、自分の考え方とまるっきり違う考え方と触れることによって、止まっていた

思考が動きだすのです。

それには、似たり寄ったりのところではなく、出来るだけ違うところと触れてください。

あなたの思考の壁が崩れ、新しい風が入って来るようになります。


世界はあなたの社会だけではありません。

まったく違う文明も存在するのです。

その人達の生き方もとても大きな刺激となります。

刺激は、あなたの思考を動かしてくれます。

同じところばかり見続けていれば、思考は動かなくなり停止します。


自分と違うものに興味を持ってください。

次にどういう世界を創造していくかの大きなヒントになります。

いまの社会はもう行き詰っています。

いま、あなた達に求められているのは新しい世界へのビジョンなのです。

次に創造する社会のイメージなのです。

出来る限り、具体的なイメージなのです。


そのためには、思考を刺激してください。

自分達でオリジナルな社会を創造するためには、新しい風に触れることが大切なのです。

風通しが良くないと、淀んでしまいます。


自分達と違う考え方、価値観を排除するのではなく、新しい世界の創造のためのヒント

として、受け入れてみてください。

そのまま同じことをする必要はありません。

その情報を自分たちでかみ砕き、そこから新しくオリジナルをつくっていくのです。


あなたには想像するという素晴らしい力があります。

想像できるから、創造することが出来るのです。

楽しんでどんどんイメージを膨らましていってください。


小さな世界、小さな常識、小さな価値観、ちいさな制限のなかの自由で満足せず、

視野を広め、小さな世界から飛び出してください。


あなたに愛と感謝 そして平和の光を送ります。」


ありがとう アシュタール!

私たちからもあなたに愛と感謝 そして平和の光を送ります。




(転載終了)



小保方氏の研究が正しかったことが証明

2016-03-21 10:13:29 | 愛と感謝
「STAP現象、米国研究者Gが発表…小保方晴子氏の研究が正しかったことが証明 」


http://www.excite.co.jp/News/column_g/20160319/Bizjournal_mixi201603_post-5775.html
(記事より、一部転載します)


・・・・・・・・小保方氏は、この論文を元に博士論文を書き早稲田大学に提出し、
11年3月に学位を授与されたが、誤って草稿論文を提出してしまい「不正に学位の
授与を受けた」として学位を剥奪される事態となった。

早大は、15年11月2日に学位取り扱いについての記者会見を開き、小保方氏の学位
取り消しを正式に公表した。

これにより、小保方氏は最終学歴が早大卒、早大大学院後期退学扱いとなった。

学位授与当時の小保方氏の研究は「身体のなかにもともと存在する万能細胞を発見
すること」だったが、STAP細胞実験は「刺激を与えて万能細胞をつくり出すこと」
にチャレンジしたものだ。



●フロンティア精神を萎縮させる「研究不正認定」


小保方氏は理研から「研究不正」の認定を受けた。

それは実験部分ではなく、論文構成上のミスである。

データの切り貼りなどは、論文に付記されるデータ画像を見やすくするためのもの
で、実験結果のねつ造ではなかった


画像の「不正引用」とされるものは、本人の学位論文からの引用で、他人のデータを
論文に持ち込んだのではない。

早大の学位論文は「コピペ、盗用を多用」と報道されたが、それは誤って提出した
論文の下書き、草稿のことであり、本稿への評価ではなかった。

早大は草稿の評価を「調査報告書」で公開したのだ。

 
STAP細胞問題は、どこかで、小保方さんの論文構成上のミスを「実験ねつ造」や
「研究不正の常習犯」として論点のすり替えが行われたような気がしてならない。

大切なのは発見であり、その可能性へのチャレンジだ。

メディアを含めた世間は、細かな書類上のミスにこだわり、発見や可能性への出発点
を握り潰していたのではないだろうか。

 
「iMuSCs」発見により、「体細胞の刺激による初期化」への小保方氏のチャレンジは
正しかったことが証明された。

この研究の進歩より、万能細胞で再生医療の新たな領域が開かれるかもしれない。

いつでも再生医療が受けられるように、自分の細胞を特殊なカプセルに入れて持ち
歩く時代が来るかもしれないのだ。

 

現代では当たり前になっている「血液型」は、1900年にオーストリアのウィーン大学の
病理学者カール・ラントシュタイナー博士によって発見された。

博士が発見したのは、今日で言うABO型までだったが、その発見より前に
「血液には4種類のタイプがあり、輸血で混ぜると最悪の場合は死んでしまう」
と言っても誰も信じてくれなかっただろう。

今回のキンガ博士の報告を受けて、我々はもう一度、このSTAP細胞問題を立ち止まって
考えることが必要なのではないだろうか。

(文=上田眞実/ジャーナリスト)



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これまで、多大な社会貢献をするであろう大発見が、闇に葬られてきました。

その理由はただひとつ、「誰か」にとっての利益を阻害するから。
その支配下に在るマスコミが、思考停止な大多数の国民を洗脳・誘導し、闇に葬る。
つまり、マスコミや一部だけでなく、この一連の騒ぎに乗じて批判したすべての国民が
こういう結果に至らしめた。
「知らなかったから」「マスコミのせいだろ」などと、自らの思考停止を認められない
以上、今後も何も変わらないでしょう。
だからもう、誰かの責任だ、とか言ってる場合じゃない。

もうアタリマエになってきていると思うけれど、大いなる発見によって助かる命や、
幸せになれる人々のことよりも「誰か」にとって利益を生むかどうか、それが数千年の
長きに渡って優先されてきたのが、僕らがいまもこうして生きている、この社会の
姿です。

なんて幼稚な社会でしょうか。
未開で、野蛮で、幼稚で、それにも気付いてないとくればもう・・・・


いまだに「陰謀論」とか言ってるひとって、どれだけ居るのかな?

呑気かつ、無責任もはなはだしい。

ここは、本当に狂った社会なのです。