障害者ママくろちゃんです。♪(v^_^)v

生まれつき手足にまひと、感覚障害を持っています。3歳の娘のママです♪

西成ジャズ♪

2012年12月29日 22時59分32秒 | ACの記憶

皆さま、こんばんは。
冷え込みがちょっとましになって、今日は過ごしやすかったですね。

昨日、家族で天王寺APAホテルのカフェで西成ジャズを聞きに行ってきました。

久しぶりのジャズ。
しかも、臼井優子さんのパワフルボイス♪
昔、ボイトレを習っていました、私。
それは、出来の悪い生徒だったはずです。
ちょっと、話は長くそれます。


当時、数年前かな?
それまで無理をして仕事や生活をしてきたから、身体が悲鳴をあげました。
首が真横のまま固まって、激痛が走って、何も出来なくなりました。仕事も着替えもです。
色んな病院を回ったけれど、原因は分からなかった。


大学病院で左手を使い過ぎた為に、左右の筋肉のバランスが取れなくなる斜傾『シャケイ』ではと診断されました。
病院に入院して、麻酔科で治療しました。固まった首が動くようになるまで、2年位かかったかな。

その時、私のお母さんは近くに住んでいました。
と言うか、私がお母さんの近くに引越しして、お母さんを見守っていたの。


お母さんは、私が障害者の職業訓練校にいた時に、どうやって知ったのか会いにきました。怖くて走って逃げたけれど、お父さんの借金で生活が苦しかった。妹と弟の面倒をみてって話をして、時々会っていました。
お母さんは昔、一緒に逃げた男と住んでいて、女癖と浪費癖の悪いのに良く泣かされては、私に電話して泣き叫んでいた。あんな事をされていたのに、まだ私はお母さんが好きでした。いつか、目を覚ましてくれるって思ってた。

私が婚約していた人に騙されて、風俗の仕事に追い込まれる前もお母さんに相談して断られた。
体が動かなくなって入院して『入院の同意書書いて欲しい。』と電話して頼んだ時に来て『元気やんか!』と、すぐ帰ったっけ。
年末に、入院してる病院からベッドの空きがないからと、先の見通しもないまま他の病院に転院しました。
それまでの貯金を切り崩して、入院費や生活費を払っていた。

けれど、お金もなくなって、またお母さんにも断られて、不安定になって自殺未遂をしました。
そのまま、精神病院に入院した。その時も、ほんとに苦しかったな。

お母さんに何度も見放され、やっぱり私は生きる価値はない人間なんだ。動かない体で、どうする事もできない。
そう思っていた時に、病院のソーシャルワーカーさんに生活保護の手続きをしてもらって、光が見えました。
歌をうたって元気が出ました。

体が回復してきて、だんだん心も回復しました。

けれど、相変わらずお母さんは気まぐれに電話してきて、会う約束をしてはすっぽかされたり、嘘をつかれます。


お母さんは妹とは仲良くしてるのに、なんかおかしかったのです。妹と会うたびに、お姉ちゃんはおかしいと言われます。
そのたびに傷ついて、お酒を浴びるほど飲みました。

それから首も完全に快復して、事務のお仕事につきました。でも、前向きになると必ずお母さんに嫌がらせをされました。

本当に信じられないけれど、この嫌がらせはカウンセリングを受けた、つい最近までありました。
岡田ユキ先生も母親から嫌がらせされた話を聞いて、やっぱりと思いあたりましたよ。

当時、歌をうたって、月1でアマチュアの発表会に出て癒されていました。
その時にボイトレを習ってお世話になったのが、臼井優子さんでした。
お酒を飲んでふらふらしている私は、どう見えていたのかな?
今考えると、ほんとに恥ずかしい!

お母さんのそばにいるのに耐えられなくなって、引越しをして疎遠になって数年後。
泉の国ジャズストリートで再会して、昨日ライブに行かせてもらいました。
変わらない笑顔の先生。


もうひとり、当時お世話になったピアニストのお友達がいます。
昔の私を知っていても、良いお母ちゃんになったね!っと、言ってくれました。

勇気を出すきっかけを作ってくれた、素晴らしいお友達です。
音楽に関わる人は、良い人が多いんだな!

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おいたち

2012年06月25日 15時41分44秒 | ACの記憶

私立の高校を出てから、大阪の障害者職業訓練校の寮に入りました。
何故、寮かと言うと、高3の時に香川県のおばあちゃんの家に引越しをしました。そこで一年間過ごしています。
お母さんが家出をしてから、お父さんは人が変わりました。
毎晩、スナックに行ってお酒を飲んで遊びまくり、夜は家にいませんでした。
兄妹だけで家にいて、すごく寂しかったな。
借金がだんだん膨らんで、住んでいた家を売り、それでも毎日飲み歩いていました。
お父さんのおばあちゃんが香川県にいて、逃げるように引越したのです。
私は高2の終わりに香川に行って、なじめませんでした。

なんというか、引越した田舎では障害者は珍しくて引かれてました。片親で毎晩飲み歩いているお父さんだと、かなり目立ってしまいます。

飲み代にお金を使ってしまって、家は貧乏です。ぼろぼろの借家に(目の前に川があるんだけど、そから、かにが家の壁の穴を通って入ってくるぐらい(笑))住んでエアコンもなかったよ。
お金なくて大学は行けないし、私も荒れて勉強をしないで赤点ばかりだった。
障害を持って就職できるかとても難しそうで、悩んでた。

そんな時に大阪の職業訓練校を知って、家族の食いぶちを減らすつもりもあって、寮に入りました。


6月22日(金)のつぶやき

2012年06月23日 02時31分57秒 | ACの記憶

12:06 from Mobile Web
最近思うこと。幼い頃から叩かれて育った。限界を超えて、健常者みたいに生活してた。子どもを生んで分かる親の気持ち、だけれども強く思う。一番大事なのは子どもの気持ちだ。親は子どものおやなだけ、子どもにはなれない。自分自身に言い聞かせて、今日も頑張ります。

21:56 from Mobile Web
ヤバい!母親に虐待される女の子のお話を電子書籍で読んだ。なんでこんなにそっくりなのか!私も、同じこと考えていた。息が苦しくて涙がでそう。何をされたか思いだせないし、思いだそうとしたら、自分が拒否反応する。ひなちゃんがいてくれて、現実に戻してくれて本当によかった。

by Hinako028Hinako on Twitter


いらいらして

2011年01月22日 13時29分46秒 | ACの記憶

また、ひなちゃんのオムツ変えてうんちゃんまみれ

今日は着替え合わせて1時間かかった

しんどすぎる
いらいらして、ひなちゃんに『なんで、嫌がるの!風邪ひくやろ』って、怒鳴ってしもた。
ひなちゃん、ごめんね。私はだめお母ちゃんやな。
なかなか気持ちの切り替えが出来ないな~