障害者ママくろちゃんです。♪(v^_^)v

生まれつき手足にまひと、感覚障害を持っています。3歳の娘のママです♪

私の障害について

2012年06月26日 12時09分41秒 | 虐待された記憶

大阪の職訓校に入学してびっくりしたのは、こんなにたくさん私と同じ身体に障害を持っている人がいるんだっていうこと。

私の障害の話をすると、私は母親のお腹にいる8ヶ月の時に、切迫流産になり母子ともに危ない状態になったそうだ。
私はもう助からないと母体を助けようとして、私の手を引っ張ったか、ヘソのおが首に巻きついたかして(親に聞いてもばらばらな事言って、分からないと話をしたがらないから詳しくは分からないまま)で、首の骨が神経を圧迫して両手に麻痺がある。
障害名は両上肢分娩麻痺です。
死んだと思って寝かされたままの私を、親戚の叔父さんがお医者さんに、何度も「もう一回だけ処置してやってくれ!」と言って、そしたら息を吹き返したそうです。
体重は800gしかなくて、手のひらにちょこんと乗っていた私。
体は弱く、何度も生死をさまよって、小児喘息でずっと入退院を繰り返してました。
両親は私を普通のこどもにさせようとしました。
保育所の入所に優先的にできるからと手帳を取ったのでした。
色んなお医者さんに見せて、治らないと言われたと言ってたな。
保育所からずっと普通の学校に通っていて、それは本当に大変でした。
学校で着替えとかできないから、何するのも遅くていつもひとりだった。
パンツを上げる力と下ろす力がなくて、お漏らしばかりでした。いつもトイレの前で『なんでできないの!』って、お母さんに叩かれました。「ごめんなさい!」って泣きながら一生懸命パンツをあげようとするけどできなくて。できるまで動くな!ってほっとかれて、隣の部屋の家族の笑い声をずっと泣きながら聞いてた。
妹と弟に汚いとか変って、よくばかにされたな。
お父さんは関わるのを避けてたみたい
でも、椅子で殴られ続けた時はかばってくれたな。

27才の時に周りの人のアドバイスで、自分で障害を調べてみて、重度の障害だったのが分かりました。
分娩マヒという障害名はこどもにつけることが多くて、リハビリをしていくとだんだん治っていくらしいです。
私は脳性麻痺に近いのではと、認定医師に聞きました。
小学校では、家に帰るのがいやで、ひとりぼっちだったけど学校に行きました。叩かれないし、給食がでるから良かった。ばかにされないし、泣いても誰も叩かないもの。
通信簿に先生が『制服がいつも汚れています。洗濯してあげて下さい。』って書いてくれて、すごく嬉しかったのを覚えています。
お母さんが悪く思われたくなくて、自分で制服を洗いました。ご飯を食べるのが遅くて、ご飯を下げられてたからいつもお腹が空いてた。
お風呂もなかなか入れなくて、臭くて自分が嫌でした。
臭いのがばれないように、人が近づいてきたら離れました。
こんなに臭くて手が悪くて、なにもできない私だから、お母さんは私を嫌いなんだ。お母さんが好きになってくれるように、頑張ろう!
いつだったか、パンツを壁を使ってがんばって履けた時に、お母さんに言ったら『遅い!』って叩かれて、絶望して息ができなかった。


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