表紙カバーの絵も素敵だが、それを外しても、なかなか凝った絵が現れる。
斎藤洋と、森田みちよは、多分、最高にお互いの世界観を理解し合っているのだろうと思う。
斎藤洋は、仕合わせである。
さて、この『オイレ夫人の深夜画廊』は、作家斎藤洋が後書きで、『ドローセルマイアー人形劇場』(あかね書房)『アルフレートの時計台』(偕成社)とあわせ、「イーデシュタット」を舞台にした物語の三部作としたいと記している。
イーデシュタット(Jede Stadt)という町は、斎藤洋の物語にしかない架空の町である。
不思議な町、なのだ。
『ドローセルマイアーの人形劇場』でも、『アルフレートの時計台』でも、抵抗しがたい吸引力というか、いつのまにか、その文章が織りなす魅力に惹きこまれてしまう。
今回も、目次から、すでに怪しい雰囲気が漂っている、
ドイツ語の飾り文字で書かれているのだ。
まぁ、それは、独文の研究者だった斎藤洋にとっては、朝飯前か。
オイレEuleは、英語のOwlで、フクロウのことである。
フクロウ夫人の本屋兼ギャラリーは、早くて夜の9時頃、大体10時頃に開店するという。
大雪で、イーデシュタットの駅で、ストップしてしまった列車に乗っていた青年フランツは、この町のホテルに泊まることになり、このフクロウ夫人の画廊を訪ねる。
フランツは、時計台の広場を訪ね、アルフレートの描いた絵も、偶然に目にする。
そして、フランツは、子どもとの時に憧れた飛行機乗り、マンフレート・フォン・リヒトホーフェン男爵に出会う。
彼は第一次世界大戦で、八〇機を撃墜させたプロイセンの撃墜王と言われた実在の人である。
このシーンは、秀逸。
そうこなくっちゃね、と読者の私は、思う。
でも、なにかが、足りないのだ。
惹きつけられる吸引力が、前二作とより、ちょっと弱い。
構成は、由としよう。
しかしなぁ、
あの『ドローセルマイアーの人形劇場』と『アルフレートの時計台』で、描かれた、得も知れぬ、なにか心が、みぞみぞするような不思議さが、『オイレ夫人の深夜画廊』には、ないんだなぁ。
斎藤洋の、この世界が、とても魅力的だっただけに、ほんのちょっと、ほんの、ちょっと、心が満たされなかったぞい。
雪で列車が止まる、で、アガサ・クリスティを思い出し、宮崎駿の、空から戦死した飛行機乗りたちが現れるシーンを、彷彿としてしまった、という所為かも知れない。
<追記>
引っ越しのダンボールに入った本の整理もできていないのに、昨日はふらりと立ち寄った昔なじみの本屋さんで、2冊も買ってしまった…。
断捨離中というのに、アホじゃ。
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