若い時に読んだ『図書』の書き手は、みんな年上で、いわゆる“ 岩波知識人 ” と言われる人たちが、執筆していた。当時は、知らない書き手を知り、おおよそ接点のなかったジャンルに興味を持ったものだった。
解剖学者だったり、昆虫学者だったり、回虫学者だったり、谷根千のミニコミ誌主宰者だったり、多分、『図書』を読んでいなかったら知り得なかった人たちだったろう。
いつの間にか、執筆者は私より若くなって、こちらが老けた分、昂揚するような文章に出会わなくなって久しい。
しかし、この8月号のページ、オヤオヤと、一気に読んでしまった。
「あの頃 ー『寺山修司からの手紙』を読んで」いう原稿を、石崎和子という人が書いている。
この女性、実は、山田太一の妻だという。
ここには、執筆者の早稲田大学生時代、同期入学の寺山修司との関わりについて書いているのだが、それによると入学早々、寺山修司は、石崎和子女史に一目惚れをしたらしい。それを裏付ける書簡が、遺っているようなのだ。
山田太一氏は、まだご存命なのかと思い、私は、ウキペディアで、確認してしまった。
やはり、まだご存命であった。
山田太一氏の心中、いかばかりかと詮索もしたくなるが、我が身を押して慮ると、さほどの感慨もなく、多分に、記憶の妄想化が進行した故かと、思うほどだろうか。
文末には〈いしざきかずこ・山田太一の妻〉とある。
「山田太一の妻」、これは意外な表記と感じたが、いやいや、実は、これほど、己の立ち位置を明確にし、その上で、主張をするという手法こそ、彼女のもっとも拘るところだったのかも知れない。
女が、遠い昔の思い出を語る時、その度胸の据わり方には、夫であったり恋人であったりする男が、どんな文筆家でも、叶わないかも知れない。
ほとんどの書店で、『図書』を、サービスで頂けるので、興味を持っていただけたら、手に取って読んでみるのも一興。
それにしても、『図書』の表紙や、石崎氏のページを写メで撮っている私自身の、この在りようも、ちょっと異様かも、なんぞと思いつつの作業である。(^_^;)
石崎とは、立ち位置、問題意識はまったく異なるが、高橋和巳が亡くなったとき、高橋たか子が、新聞や、雑誌、はたまた単行本として、生前の高橋和巳について書いた文章は、ことごとく、埴谷雄高や、川西正明、坂本一亀などから、不快を表明されたものだった。
高橋和巳に傾倒した者たちにとって、未だに嫌われている高橋たか子の著書。
先日も、せっかくの隅田の花火を、友人の家の、植木鉢が並ぶ物干し台テラスから眺めもせずに、銘酒に酔うほどに、散々かつての青年たちと、高橋たか子への悪口雑言を言ってきたばかりである。
女が、かつて関わった男を書くのは、かくのごとき難しい。
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