ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◇『北の街にて』 阿部謹也 講談社

阿部謹也のドイツ中世史関係の著書では、本当に沢山、勉強をさせて頂いた。
特に『ハーメルンの笛吹き男』や『中世の窓から』は、私の中で眠っていた感覚を、覚醒してくれた本だった。
このブログのプロフィールの写真は、ハーメルン市の実際にこのステンドグラスが嵌められているマルクト教会で、撮ってきたものである。

 

札幌へ戻ってからは、とにかく私が死んだ後、子どもの手を患わせたくないと思い、折に触れ、書籍などをはじめ、身の回りを整理している。

さて、この『北の街にて』である。   
断捨離の箱から出たり入ったりを繰り返している。

処分前に、ちょっと興味が湧いてというか、書かれている内容を思い出して、ページを開いてしまうと、これが釘付けになる。
何度も読んだにもかかわらずである。

今回は、『ティル・オイレン・シュピーゲル』が、もう楽しくて、好奇心にアドレナリンがガンガン増えて、どんどん読んでしまう。

読み進んでいくと、章が変わった。
さっきまでの、ドイツのゲッティンゲン大学での、時間を惜しむような中世ドイツ語を読み、更にその時代の書体を覚え、まさに、研究没頭の日々だったのが、突然、小樽商大に赴任後の人間への観察視点になる。つまり、読み手としては、阿部謹也の愚痴、ルサンチマンの縷々を読むのである。

他の著作でも、この時代の愚痴は散々、書いており、「おっ!始まったな」という感じで私は、ニヤニヤしながら読む。
研究者の名前も実名、さらに出版社も実名、編集者も実名、当事者にとっては、嬉しくなることばかり、書いているわけではない。
かなりな、屈折阿部謹也を、知る。

その後、一橋大の学長になるのだが、当時の研究者(私は実名は書かないぞ)が、安倍学長の偏屈、気むずかしさには、散々、苦労させられたと言っていた。
私は、なんとなく、ニヤリと笑ってしまう。

そんな人間性も含めて、私は、阿部謹也が書いた著作が、好きだ。

研究者たる者、アカデミックな論文ではない限り、岩波や講談社という出版社から出版する以上は、世間の読者が、しっかり内容は深く、そしてそれを把握できる文章表現をするべきだと思っている。
それが、全うにできる研究者なのである。

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