美しい本だと思った。
手元にある角川文庫の『日本の面影』の奥付を見ると〈昭和三十三年二月八日 初版発行〉とある。
昭和42年、と鉛筆で記してあるので、私が、この本を初めて読んだのは、その頃だろう。
それから、何度も、読み返してみる本の一冊になった。
私が、小泉八雲という名を知ったのは、小学2年生の時だった。
ある時、担任の女性教師が、『耳なし芳一』の、読み聞かせをしたのである。
平家の亡者が鎧の擦れる音をさせながら、琵琶を弾く芳一の前に、毎夜現れる場面はとても怖くて、夜、私はトイレへ行けなくなった。
縁側のどんつまりにあったトイレに私は2歳年下の妹に、いつも一緒に行ってもらったものだった。
担任教師が、なぜ、小学2年生の児童にむけて、読み聞かせに『耳なし芳一』を選択したのか、いまだに不思議でならないが、その深く刻まれた記憶によって、やがて私が、ラフカディオ・ハーン小泉八雲の本を手に取るきっかけとなったことは間違いない。
翻訳の田代三千稔の日本語が美しいこともあるが、ラフカディオ・ハーンの視点が素晴らしい。
明治政府によって行政上都合が良いように計画的に作られた北海道の街、札幌から、関東平野の中山道沿いの古い宿場町に転居し、まさに、ラフカディオ・ハーンの目に映り心をとらえた日本の風景に、私はハーンと同じぐらい、目を見張り、感動していたかも知れない。
遠くに見える南アルプスの山並みさえも優しげに見え、掘り割りの川に飛んでくるサギの姿、夕暮れ時のコウモリ、土手に咲く春の菜の花、夏の彼岸花、冬の生け垣の山茶花、十字路の角にある菩薩像、白磁の狐が対に置かれた小さな社、家々の屋根は、おかいこを飼っていたころを偲ばせる構造になっており、夏祭りが近づくと、地域の人たちが練習する太鼓や鉦を打つ音が聞こえてくる。
そこには、かつて、私が見たこともない「風景と音」があった。
ラフカディオ・ハーンが、心ときめかして、風景を眺め、自然の音に耳を傾け、日々がおりなす音、例えば下駄や風鈴の音など、そういうことを、綴り続けた気持ちが、分かるような気がするのだ。
そして、昔から語られ続けた物語を書き留めた気持ちも、分かるような気がするのだ。
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