タイトルにあるように、アンネ・フランク一家とともに、同じ家に隠れていた人たちの一人、ペーター少年を主人公に描かれた小説。
アンネの初恋の少年である。
『アンネの日記』や、関係書をとてもよく読んでいて、ページをめくるたびに、そこに描かれるペーターは、アンネのように、まるで日記でも遺したような気がしてくる。
なによりも、表紙の絵に見入った。
装画は、漆原冬児
装丁は、中嶋香織
この二人の仕事だろう。
出版は、いつだったのだろうと、奥付をみると2010年だった。
私が、2009年に、アムステルダムの〈アンネ・フランクの家〉を訪れた時は、まだ窓から、この表紙のように、外の風景が眺められ、赤い屋根に、橡の木の巨木が見えた。
アンネは、密かに屋根裏部屋から、ペーターと一緒にこの風景を眺めていたのだと思うと、感慨深いものがあった。
当時は、〈アンネ・フランクの家〉のチケット売り場のカウンターには、ボランティア風のおばさんが二人いて、息子に「あなた、英語、できる? 学生?」と問い、息子が「はい」と答えると、「学生割引があるわよ。それにパンフレットをあげるから、これを良く読んでね。入り口はあっちだからね。しっかり見るのよ」と、いろいろ親切に教えてくれたものだった。
壁にアンネが貼ったハリウッドの映画女優の切り抜きやプロマイドも、保護のプラスチックに覆われていず、そのままを、見ることができた。
日記も、台の上に、覆う物なく、展示されていた。
ショップは、現在の半分以下の規模で、『アンネの日記』の各国の翻訳が、並んでいた。
まず、なによりも、見学者の行列は、まったくなく、すぐに入館でき、見学者は現在のように混雑しておらず、ぱらぱらと、まばらであった。
それから、時が経って2013年に、〈アンネ・フランクの家〉を訪れると、すでに、すっかり窓からの陽光は遮断されていた。多分、それは、展示物の保護のためだろう。しかし、実際にも、アンネはこのように、いつも陽光を遮断されていた世界にいたのだと、思った。展示物は、すべて、プラスチックで覆われていた。
すでに、見学者の行列ができていて、私は思わず、「この列は、アンネの家に行くための列ですか?」と並んでいる人に訊いてしまったほどだ。
アンネの家から、西教会をぐるりと回るほどの人が並んでいた。
それで、開館早々に行くと、まだ行列は少ないかもしれないと、思って訪ねてみたが、列の規模は、期待したほど、少ない人数ではなかった。
そして、2015年の冬に、訪れると、展示物の音声サービスがあり、さらに、VTRで、アンネに関係あった人たちのインタビューなども流されていた。
勿論、長蛇の行列を、予想して、冬ということもあるので、閉館1時間前に行ってみた。するとさすが、長蛇というほどでもなく、30分ほどで、入ることができた。
アンネとペーターが、密かに眺めた屋根裏部屋からの風景は、もう、その窓から、眺めることはできないんだと思うと、この本が、妙に愛おしい。
<追記>
アンネは、日記の中で、ペーターを、時としてピーテルと表記してみたりして楽しんでいるんですよね。ペーターはドイツ語の発音で、同じ綴りでも、オランダ語の発音では、ピーテルになるのです。
アンネは、ドイツからオランダへナチスを逃れて転居してきたので、家族間のベースの言語はドイツ語だったようです。
因みに、英語ではピーターラビットのピーター。ロシア語ではあの皇帝の名、ピョートルとなります。
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