ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◇ ベルリン駅と、ブランデブルグ門、ベルリン・フンボルト大学(2015年)

ベルリン駅へ着いたら、いきなりネオナチの集会!!
ネオナチの集団にイスラエルの国旗を発見して驚いた。
なんとイスラエルにも
ネオナチが存在するのだという。信じられないけれど事実。現実。

駅前広場がこの状態。
ベルリンHbfから徒歩3分の予約してある駅近ホテルには、この封鎖状態で、行けない!
でも、この際、野次馬になるしかない! 好奇心発動!!
じわじわっと駅前広場は、やがて完全封鎖。
写真じゃよく分からないけれど、広場はパトカー、機動隊車両でがっつり包囲。

ドイツのポリツァイは、ガタイがでかい!!
結構、威圧的、なカンジ?
写真を撮るのも、チョイ、ビビる。(因みにこれはズームで撮った。)

で、この面々の配置、そしてポージング、まるで映画のワンシーンみたいで、
かっこよさでも、『シカゴPD』明らかに負けてる。(^_^;)

 

 

実は、正直に言うと、もっとこの状況の写真を撮りたかったけれど、カメラやスマホを向けるのは、なぜかヤバイ、そんな雰囲気ではないぞと思ってしまい、ひょっとしてカメラを没収されるかも……という心理状態になってしまったのです。(こちらの勝手な思い込みです。)
ああ、ナチの怖さ、シュタージの怖さ、文字でしか把握していないけれど、イザとなったら、つくづく感じるんだなーと思いました。(これも一種の差別感ですよね)

壁が崩壊したとき、オランダではドイツが再び大きな権力を行使するようになるのではという懸念が、市民の間に囁かれ、わき上がりましたが、その時はそんなことあるはずもないと、外国人で日本人の私はそう思ったのですが、こういう場に遭遇して、ある種、その空気感を実感した次第です。

実際に経験した訳でもないのに、人間の脳に記憶したイメージというものは、なかなか払拭できないのだということも、如実に実感し自覚した次第です。

おそらく、日本人に対しても、私が感じたような感覚を、諸外国の、特に日本に占領された国々、民族の方々は、持っているに違いないと思いました。

EUが、凄いなと思うのは、互いに脳に記憶されている恐怖感を、知性や理性で克服し連帯しようというところです。
それは、ドイツ側にも言えます。
壁の崩壊後、それは特に感じます。
元西ドイツ大統領のワイツゼッカーもそうでしたが、東ベルリン出身のメルケル首相はドイツ人の、「良心」を代表しているのだという自覚があるように思います。

 

 

 

なんだかんだ、あってホテルに荷物を置いてSバーンで、ブランデブルグ門へ行く。

 

ベルリンの壁の跡を示す敷石とプレート。

 

壁を越えられずに射殺された人たちの十字架
壁崩壊の一ヵ月前に射殺された人の十字架もあった。


 

 

ベルリン・フンボルト大学へ行く。

 

リンデバウムの木に実が成っていた。

 

1933年5月10日 焚書が行われた場所。
硝子の下は、空になってしまった書架を現している。

 

 

"Das war ein Vorspiel nur, dort wo man Bücher verbrennt, verbrennt man am Ende auch Menschen" 
『焚書は序章に過ぎない。本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる 』
ハイネの戯曲『アルマンゾル』から。

 

当時の焚書の状況。

 

2015年8月中旬から9月にかけて、ドイツ、チェコ、ハンガリーへ、約一ヶ月間の旅でした。
プラハでも、ブタペストでも、民衆が弾圧され抹殺された場所が、あった。

 

 

 

 

 

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