ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◆『たけくらべ』 樋口一葉 著 岩波文庫

 

 私が、社会の低下層の人々に興味を抱いたのは、網野善彦の諸々の著書によるが、更に、踏み込むきっかけとなったのは、一葉の『たけくらべ』である。
 『たけくらべ』のなかほどに、
 「去年は仁和賀の台引きに出しより、友達いやしがりて万年町の呼名今に残れども、三五郎といえば」(岩波文庫 1927年 7月10日第1刷発行 1961年9月5日第43刷改版発行 P.58 7行目)の記述である。
 明治中期の当時、まだ行われていた吉原の祭り、仁和賀(にわか)の台、つまり山車であろう、それを引くのは、万年町から来る人々だったという。それを竜泉寺町界隈の遊び友達の三五郎が、仁和賀の台を引いたことによって、万年町という卑しい呼び名がついてしまったのだという。
 私は、万年町という町に興味を持った。
 日本古来からの被差別という問題の認識が極めて希薄な北海道に生まれ成長した私にとって、まったく同じ民族に於ける被差別の問題は、実感として理解をすることは、少々困難だった。差別とは、民族、宗教、皮膚の色などによるものだという認識が私にはあった。

 さらに73ページには、万年町、山伏町、新谷町あたりをねぐらにしている、一能一術の芸人、よかよか飴、軽業師、人形つかい、大神楽、住吉おどり、角兵衛獅子など、五人十人一組の大たむろから、一人寂しく三味線を抱えて行く者もあり、五つ六つの女の子に赤たすきをさせ踊らせている、と一葉は綴っている。この記述は興味深い。

 このような芸能の人たちは、これはみな郭のお客のなぐさみ、女郎の憂き晴らしだったと一葉は記している。
 作家一葉の観察眼が、竜泉町そして吉原の隅々にまで行き渡るのは、多分、他所から棲み着いた者だったことにも所以するのかも知れない。

 そして読んだ本の一部が、これらである。 
 本って、いい。知りたいことを、本さえ手に入れれさえすれば、ほんとに手っ取り早く知ることができるのだから。
 本屋さんに行くと、子どものようにワクワクしてしまう。

 一葉自身、本郷菊坂の家から、竜泉町に転居する際、母親が、上野のお山の向こうは厭だと言って、なかなか転居を承知しなかったと日記に書いている。
 そして、やがて一葉は、本郷、丸山福山町へ転居する。福山というのはあの福山藩の福山で、幕末動乱期に老中阿部正弘の江戸藩邸があることから福山町という名がついている。その藩邸のすぐそばの借家に住んだのである。
 ついでに書けば、時を経て、あの平塚雷鳥と心中事件を起こした漱石門下の森田草平が、その一葉が住み亡くなった丸山福山町の同じ家に偶然のこと住むようになり、写真まで撮っている。そのお陰で、今も一葉がどのような家に住んでいたかを知ることができる。

 そういう時代のなかの日常のありように、惹かれて、或いは違和感を感じて、本を読んでいるようなものかも知れない。

 

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