お昼時に京都御所の周りを歩いた。
目的があったわけではなく、少しの時間があり、近くに京都御所があったので立ち寄ってみただけ。御所の中には入れないので、御所の塀にそって砂利道を少し歩いた。
はっきりいって何も見るものはない。
「平安時代からここを人が歩いてたんやな」とか、「応仁の乱の時にはこの辺でたくさんの人が死んだはずやから、霊がこのへんにはうようよしてるんかな」とか、「他にも歩いている人がいるけど何を考えてあるいてるんかな、楽しいんかな」とか考えながらぶらぶら歩いた。
でもやっぱり退屈な道なので、少し塀沿いの道から外れて松林を通る道を歩き始めた。周りには人影がなくなりさびしい雰囲気。まさに幽霊でもでてきそうなワクワクする感じと、「幽霊でんといて」という気持ちが交錯する。
しばらく歩くと、道が開け売店らしきものが見えてきた。『讃岐うどん』という幟も見える。おなかもすいてきたし、昼にしようと店に入ったが、荷物と一緒にさいふは別のところにおいたまま散歩にでかけたことを思い出した。
注文する前でよかったというラッキーな気持ちと、讃岐うどんがたべれない気持ちを抱えながらまた歩きだした。
目的があったわけではなく、少しの時間があり、近くに京都御所があったので立ち寄ってみただけ。御所の中には入れないので、御所の塀にそって砂利道を少し歩いた。
はっきりいって何も見るものはない。
「平安時代からここを人が歩いてたんやな」とか、「応仁の乱の時にはこの辺でたくさんの人が死んだはずやから、霊がこのへんにはうようよしてるんかな」とか、「他にも歩いている人がいるけど何を考えてあるいてるんかな、楽しいんかな」とか考えながらぶらぶら歩いた。
でもやっぱり退屈な道なので、少し塀沿いの道から外れて松林を通る道を歩き始めた。周りには人影がなくなりさびしい雰囲気。まさに幽霊でもでてきそうなワクワクする感じと、「幽霊でんといて」という気持ちが交錯する。
しばらく歩くと、道が開け売店らしきものが見えてきた。『讃岐うどん』という幟も見える。おなかもすいてきたし、昼にしようと店に入ったが、荷物と一緒にさいふは別のところにおいたまま散歩にでかけたことを思い出した。
注文する前でよかったというラッキーな気持ちと、讃岐うどんがたべれない気持ちを抱えながらまた歩きだした。