近代建築の三要素、鉄・コンクリート・ガラス、この3つのおかげで近代建築は飛躍的に発展を遂げたといわれています。
普段から、あたりまえに思っているこの素材、無かったころは何がその代替えをはたしていたのか気になるところですが、中でも「ガラス」これの代替えにちょっと興味をもちました。
今では部屋には、窓から光を取り入れ、開放すれば風を取り入れる「サッシ」なるものがあるのがあたりまえで、そこには何の違和感もない。機能もさまざまで、アルミ、樹脂、複層ガラス、更には遮熱高断熱ガラス(Low-e)とかまで、その発展は留まるところをしらず発展していっています!
でも昔は、アルミや鉄もないけれど、もちろんガラスがありません。だから、透明な氷のような板を窓や戸にはめこむ発想もなく、木の枠に、紙を張った「障子」が普及することになります。
今考えれば、そんな弱々しい窓で、雨・風に大丈夫なのか?とか防犯上は大丈夫なのか、と気になるところですが、四季のある日本の風土に合わせ、軒を出す(ひさし)ことで障子を風雨から守り、それ以上の風雨には「雨戸」を設けることで障子を保護し、それと同時に防犯上にも役立てました。広く開放できる障子は早くも平安時代から普及していたとか。
いまだに、少なからず和室で見られる(内障子としてですが)障子もその機能は違えど、形として近代建築の中に残っているのは、やっぱりその風情を求めてなんだろうなぁ!
サッシメーカーのCMとかで見るけど、暖房でぬくぬくした室内から、ガラス越しに眺める雪景色・・・そういうもいいけど、何だか風情は無い気がします。紙を通したやわらかな光の外の気温を感じ、寒さに震えながら火鉢などおこしつつ、「もしや雪なんて降っているのか?」と摺りあげ障子をあげ、その隙間からしんしんと降る、雪景色を楽しんだり(そういう障子を雪見障子っていいます)するのって、なんとも風情ありますよね。
近代建築は、強固で便利でデザインも豊富!そりゃそうだ。鉄・コンクリート・ガラスがありますからね。その結果、風情とか季節との一体感とかみたいなのが薄れていっているようにも思います。
何でもないことだけど、夏の夕立、人のうちの軒先で、ちょっと雨宿り・・・先客がいて「まいったねぇ」「すぐやむでしょう」なんて知らない人同士の会話・・・なんていうのも風流ですよね。だけれど、そういう季節折々の風情を今の建築にも残していきたいなぁ、って思います。
枕草子の春はあけぼの・・・じゃないけど「いとをかしい」建築でありたいな、と。
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