そういえばアノ日も金曜日だったな…
11年前の3月11日。
高崎市はそれほど被害大きくはなかったですが会社でその時を迎えました。今までに経験したことのない大きな揺れ。慌てて倒れそうな書棚を押さえ、出口を確保しました。
咄嗟にはそれしかできない状況でした。
揺れが小さくなり外に出ると電柱は大きく揺れ電線は縄跳びの縄のように踊る。
「これは大変なことになったな」
と理解するまでにそれほど大きな時間は要りませんでした。家族に電話しても携帯は繋がらないのでとりあえずは仕事をほっぽり出して帰宅を急ぐことにしました。
ところが道路は大渋滞。信号機は切れ、踏切は誤作動で遮断機が降りたまま。やっとの思いで家に帰ると、当時小学生だった子供たちは校庭に避難した上ばきのまま下校させられて家に帰っていました。
そのあと、何日にもかけて状況が分かればわかるほど深刻さは増していくのです。
東北の状況、津波、そして原発事故…
「日本はもう終わったな」
とさえ当時は思いました。ガソリンの供給が止まりスタンドに長蛇の列、電力不測での計画停電…毎日の放射線数値を見るのが日課に。
被害は少なかったとはいえ今でも忘れられない事です。
11年…早いもんですね。ほんとうに後世に語り継いでいくべき災害だったですね。
もっと大きな被害に遭われた方々、大切なご家族を亡くされた全ての方々、改めてお悔やみ申し上げます。
そんな11年後はこんなコロナ禍に、なんてことも想像もできなかったです。
こんなコロナ禍もやはり、あの時は…なんて思い出す時期は来るものなんでしょうか❓
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