今日、仕事で行ったのは高崎市東国分町(旧群馬町)。
目の前に、上野国分寺跡、という広大な敷地の史跡があるので、ちょっくら散歩してみることにしました。
ふむふむ・・・国分寺とは、奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された僧寺(お坊さんのお寺)ですね。ここは、上野国国分寺の寺院跡だそうです。そーいえば昔そんなことを勉強したような気が・・・(すっかり忘れていますが)
国分寺は国府(奈良時代の行政庁のようなもの?)の近く、また国分尼寺(尼さんのお寺)の鐘の音の聞えるところにおかれたそうです。そういえばこのあたり「国府」って名前は今でも残る地域です。国府小学校、とか国府白菜とかのブランド野菜も。
ちょと調べてみると尼寺跡も国分寺の東方にあるらしいので、奈良時代、このあたり一帯は広く栄えていた場所なんでしょう。
この国分寺、今から1200年以上も前に作られたそうで、本尊の釈迦像を祭る金堂と高さ60.5メートル(今でいう10階建ての建物くらいの大きさ)を誇る七重の塔が建てられていたそうです。
現存すれば国内最大級なんでしょうが、現在では残念ながらその建物を目にすることはできません。ただ、復元された塔の基壇や金堂の基壇は目にすることができ、現在もこの史跡は広範囲に発掘調査中のようです。また、付近もきれいに整備されつつあり、その敷地を取り囲むように復元された築垣も見ることができます。この築垣は東日本では初の本格的な復元だそうで、付近の様相はまさに歴史ロマン、京都・奈良のような雰囲気です。
もう少し紅葉が色づいたら、もっといい雰囲気かも。「そーだ、京都行こう!」って思ってもなかなか遠いしね・・・。ここら辺で史跡めぐりの散歩するのも悪くないかもですよ!
付近はまだ発掘調査中のようですね。
金堂の基壇。本尊の釈迦像ってどれくらいあったのかな?奥は復元された築垣です。
ここに七重の塔がね・・・。想像してみて!ほら、なんだか見えてこないですか!
目の前に、上野国分寺跡、という広大な敷地の史跡があるので、ちょっくら散歩してみることにしました。
ふむふむ・・・国分寺とは、奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された僧寺(お坊さんのお寺)ですね。ここは、上野国国分寺の寺院跡だそうです。そーいえば昔そんなことを勉強したような気が・・・(すっかり忘れていますが)
国分寺は国府(奈良時代の行政庁のようなもの?)の近く、また国分尼寺(尼さんのお寺)の鐘の音の聞えるところにおかれたそうです。そういえばこのあたり「国府」って名前は今でも残る地域です。国府小学校、とか国府白菜とかのブランド野菜も。
ちょと調べてみると尼寺跡も国分寺の東方にあるらしいので、奈良時代、このあたり一帯は広く栄えていた場所なんでしょう。
この国分寺、今から1200年以上も前に作られたそうで、本尊の釈迦像を祭る金堂と高さ60.5メートル(今でいう10階建ての建物くらいの大きさ)を誇る七重の塔が建てられていたそうです。
現存すれば国内最大級なんでしょうが、現在では残念ながらその建物を目にすることはできません。ただ、復元された塔の基壇や金堂の基壇は目にすることができ、現在もこの史跡は広範囲に発掘調査中のようです。また、付近もきれいに整備されつつあり、その敷地を取り囲むように復元された築垣も見ることができます。この築垣は東日本では初の本格的な復元だそうで、付近の様相はまさに歴史ロマン、京都・奈良のような雰囲気です。
もう少し紅葉が色づいたら、もっといい雰囲気かも。「そーだ、京都行こう!」って思ってもなかなか遠いしね・・・。ここら辺で史跡めぐりの散歩するのも悪くないかもですよ!
付近はまだ発掘調査中のようですね。
金堂の基壇。本尊の釈迦像ってどれくらいあったのかな?奥は復元された築垣です。
ここに七重の塔がね・・・。想像してみて!ほら、なんだか見えてこないですか!
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