安らぎの里・お絵描き、写真、時々古典

次男の絵・ワードでお絵かき・街の鳥、花、景色の切取・時々古典文学・いろいろ発信しています。

昭和ー7

2018-05-19 13:29:24 | 古典

 

昭和ー7

(明治・大正・昭和)

 

 

種田 山頭火(たねだ さんとうか)

1882年(明治15年)1940年(昭和15年)58歳没

山口県生まれの俳人。「山頭火」とだけ呼ばれることが多かった。

 

代表作

 この道しかない春の雪ふる

 

うしろすがたのしぐれてゆくか

 

 

 

 

石坂 洋次郎(いしざか ようじろう)

  1990年(明治33年)~ 1986年(昭和61年)小説家。

  青森県生れ 満86歳没

戦前戦後の流行作家。代表作である『青い山脈』は何度も映画化、ドラマ化された。

『陽のあたる坂道』『若い人』『あいつと私』、『あじさいの歌』は石原裕次郎主演で映画化、大ヒットした。 

他にも、女の顔・丘は花ざかり・白い橋・山と川のある町

ある日わたしは・寒い朝等。

 

 

今日は風が強いです。。($・・)/~~~

今日も見ていただいて有難うございました。

 

 

 

 

 

では又~~  


ユズリハ(譲葉)  花と詩

2018-05-18 19:08:17 | 古典

 

譲葉(ユズリハ)

 

ユズリハ(譲葉)  トウダイグサ科 花期:晩春~初冬

 大きな葉が枝の先に放射状につく。新しい葉が出て古い葉と入れ替わるのでこの名前になった。子どもが成長して大人になり親がその代を譲ることにたとえて,新年を迎える縁起のよい木とされる。
 若葉が出るときに新しい葉の付け根あたりに花がつく。雌雄異株で,上の写真の緑色っぽいのが雌花,下の写真の茶色っぽく見えるのが雄花。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※私が「ユズリハ」を知ったのは、今は遠い30代の頃、子供も小学校に上がり、好きだった朗読のサークルに入り、先生をお招きし、朗読のお勉強をしていた時、河井酔茗の「ゆずりは」を練習しました。結構長い詩です。

少しだけ紹介・・・・

 

河井酔茗(かわい すいめい)1874年(明治7年)~1965年(昭和40年)

 詩人。大阪府生まれ   代表作(譲葉)ゆずりは

 

子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わってふるい葉が落ちてしまうのです。

こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずって――。

子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです。
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。

・・・・・・

 

これで約3/1です。

 

 

 

今日は蒸し暑い一日でした。午前中はパソコンの授業。昼からは市の検診に行きました。家に帰り、どっと疲れ・・ひと寝入りしました。

 

今日も見ていただいて有難うございました。

 

では又~~    

 

 


昭和ー6

2018-05-16 20:22:00 | 古典

昭和ー6

(明治・大正・昭和)

吉川英治(よしかわ えいじ)

 1892年(明治25年)~ 1962年(昭和37年)70歳没 

神奈川県生まれ。 小説家。様々な職についたのち作家活動に入り、

『鳴門秘帖』などで人気作家となる。分野は歴史小説 、時代小説。

 1935年(昭和10年)より連載が始まった『宮本武蔵』は広範囲な読者を獲得し、大衆小説の代表的な作品となった。戦後は『新・平家物語』、『私本太平記』などの大作を執筆。幅広い読者層を獲得し、「国民文学作家」といわれる。

代表作

 『宮本武蔵』『三国志』『新書太閤記』『新・平家物語』『私本太平記』

『親鸞』

小説はもちろん、映画化やドラマ化されたもの100本近くあり、莫大な数で、いかに多くの人々に愛されたかがわかる。

 

 

 

 

 

堀口大学ほりぐち だいがく)

 

 1892年(明治25年)~1981年(昭和56年)

 

明治から昭和にかけての詩人、歌人、フランス文学者。

 

訳詩書は三百点を超え、日本の近代詩に多大な影響を与えた。

『月光とピエロ』(1908年)
『月下の一群』(1925年、訳詩集)
『夕の虹』(1958年)

 

 

 

 

 

今日は強い風で、蒸し暑く、いやな一日でした

 

 

 

 

今日も見ていただいて有難うございました。 

 

 

 

 

 

 

では又~~   


昭和ー5

2018-05-13 15:05:53 | 古典

 

昭和ー5

(明治・大正・昭和)

 

中原中也(なかはら ちゅうや)

 

1907年(明治40年)~ 1937年(昭和12年)30歳病死

 

山口県出身 詩人、歌人、翻訳家。

 

代々開業医である名家の長男として生まれ、跡取りとして医者になることを期待され、小学校時代は学業成績もよく神童とも呼ばれたが、8歳の時、弟がかぜにより病死したことで文学に目覚めた。中也は30歳の若さで死去したが、生涯で350篇以上の詩を残した。

 

代表作 『山羊の歌』(1934年)『在りし日の歌』(1938年)

 

汚れっちまった悲しみに・・・「山羊の歌」より

 

汚れっちまった悲しみに

 

きょうも小雪の降りかかる

 

汚れっちまった悲しみに

 

きょうも風さへ吹きすぎる

 

・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

三吉(とうげ さんきち)1917年(大正6年)~ 1953年(昭和28年)

                36歳没  詩人。

 

峠三吉は28歳の時、爆心地から3km離れた翠町の自宅で被爆しました。戦後、青年運動・文化運動を通じ次第に平和運動の先頭に立つようになり、原爆反対、平和擁護の作品を数多く発表しました。日本共産党員であった三吉は、占領軍の弾圧に屈せず、最期まで活動を続けた。1953(昭和28)年3月10日、国立広島療養所で手術中に死去。享年36歳でした。仲間は、そんな三吉の勇気と平和への熱意をたたえるとともに、彼の遺志を継ぎ、核兵器廃絶の決意を新たにする。

 

峠三吉の代表作であり、原爆をテーマにした詩の中で名作の1つとされているのは『序』であるが、詩の中での記述から『にんげんをかえせ』という題でも広く認知されている。

 

 

 

原爆詩集『序』

 

 

 

ちちをかえせ ははをかえせ

 

としよりをかえせ

 

こどもをかえせ

 

わたしをかえせ わたしにつながる

 

にんげんをかえせ

 

にんげんの にんげんのよのあるかぎり

 

くずれぬへいわを

 

へいわをかえせ

 

 

 

 

今日は雨や風、鬱陶し天気です。☂☂ 

 

 

今日も見ていただいて有難うございました。

 

 

 

 では又~~  

 


昭和―4

2018-05-10 21:50:10 | 古典

 

 

昭和―4

(明治・大正・昭和)

 

 

草野心平(くさの しんぺい)

1903年(明治36年)~ 1988年(昭和63年)85歳没

福島県出身 詩人。

心平は「蛙」をはじめ「富士山」「天」「石」等を主題にして詩を書きましたが、その根底には「すべてのものと共に生きる」という独特の共生感がありました。高村光太郎、中原中也らをはじめ、そこに心平の広範な交友関係を垣間見ることもできます。それらが渾然一体となって心平の魅力を生み出していると言えるでしょう。1988年11月12日、1,400篇余の詩を残し、心平は生涯を終えました。

1998(平成10)年7月19日、心平の故郷である福島県いわき市小川町に、

草野心平記念文学館が開館しました。

心平は小、中、高等学校、そして大学の校歌を作詞し、その数は100校を超えます。

※心平の詩は、「カエル」を扱ったのがたくさんあります。ある人の批評によると心平は「カエル男」という人も・・カエルを題材とした作品を多数つくり、「蛙の詩人」とも呼ばれた。

「春のうた」にあるように、1行、1行全て「。」で収められています。

それに、ひらがなとカタカナで出来ています。この「春のうた」は小学校の国語の教科書に載っていました。朗読の勉強の教材にもなっています。「草野心平」という名前に親近感を覚えます。

代表作 春のうた 

 

 

 

 

今日も見ていただいて有難うございました。

 

では又~~