明治時代-9
(明治・大正・昭和)
与謝野 鉄幹(よさの てっかん)
1873年(明治6年)~1935年(昭和10年)
京都市岡崎に生まれ。本名寛。短歌の革新を唱え、明治27(1894)年に歌論「亡国の音」を発表。明治32(1899)年に「新詩社」を設立し、翌年にはその機関誌である「明星」を創刊し、日本浪漫主義運動を主導しながら北原白秋や石川啄木などの逸材を世に送り出しました。1901年(明治34年)晶子と再婚し六男六女の子宝に恵まれた。作風は質実剛健で、「ますらおぶり」として知られています。後に慶應義塾大学教授。文化学院学監。
鉄幹の代表的な作品
与謝野晶子(よさのあきこ)
(明治11年)1878年~(昭和17年)1942年(63歳)
大阪府出身 歌人でもあり、作家でもあり、思想家でもあった。
与謝野鉄幹の歌風にひかれて「明星」に参加。のち、鉄幹と結婚。6男6女の子供を設けている。
代表作に「みだれ髪」があり、その中の一首
やわ肌のあつき血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君
与謝野晶子と言えば、弟のことを思って読んだ有名な
「 君死にたまふことなかれ」ですね。
あゝおとうとよ、君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
これが1番とすれば、5番まである長い詩です。若い時この詩に感銘を受け、暗記したりもしました。
今日も見ていただいて有難うございました。
では又~~
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