座右の銘は「明日やろうはバカヤロー!」。その日にできることは、その日のうちにするように心がけています。きっちりスケジュールを立て、時間は大切に使っています。今朝も外出する予定時間まで10分あったので、水回りの掃除をしました。休みの日、ヘアサロンに行くにも、そこまでの所要時間は何分かかるとか、計算しながら行動します。だけど、人生設計に関しては……。

「私は人生に対して目標がない」。高校生の頃、母によくこぼしていました。日々の時間にはきちょう面ですが、将来にやりたいことが思い描けず、人生のスケジュールはずっと白紙でした。そんな私に母は目標をもたせようとしました。こっそりAKB48のオーディションに応募していたのです。ある日、母から渋谷に買い物に行こうよと誘われ、出かけました。渋谷に着くと、母から「今日はこれからオーディションよ」と告げられました。

「えっ」と驚きましたが、エントリーされているので、行かないわけにはいかないと思いました。アイドルに憧れていたわけではなく、AKB48のことも詳しくありませんでした。さっそく母と雑誌を見て予習。「これがあっちゃん(前田敦子)で、これがたかみな(高橋みなみ)……」と詰め込みますが、ほとんど時間はなく、「楽しんできなさい」と母に見送られて会場へ。そこには同世代の女の子たちがたくさんいましたが、張り詰めた雰囲気でした。

オーディションは面接。最初に「1分間スピーチ」を求められました。ほかの女の子たちが「お芝居に出たことがあります」とか「前田敦子さんに憧れています」と、アピールする姿に驚くばかり。私には何も伝えることがなく、頭は真っ白でした。「永尾まりやです。よろしくお願いします」。1分どころか、たった一言で終わりました。ところが、結果は合格。不思議でした。

最終審査の日はバドミントン部の試合と重なっていました。「どっちに行けばいい」。母に聞くと、「まりやが決めなさい」。ダブルスでペアを組む女の子に相談することに。迷惑がかかるならやめようと思いましたが、「行かなかったら、後悔するよ」とすすめられたので、受けることにしました。

最終オーディションは歌唱審査。今度はちゃんと練習してきました。ところが、ほかの女の子は審査員の方を見ながら、振り付きで歌っていたので、あせりました。振りのことまでは頭にありませんでした。歌ったのはaikoさんの「二人」。私の視線は審査員の方たちでなく、カラオケの画面に釘付け。歌詞を見ながら歌ったのに、途中で何度もつまずいて……。今度こそ落ちたと思いましたが、合格しました。母も驚いていました。まさか合格するとは思っていなかったみたいです。

合格後もAKB48に入るかどうか迷いました。そこで、相談したのは同じ学校に通う親友の女の子です。明るくて行動的。一緒にいると、うるさいくらいで、いつもハグをしてきます。反対に私はおとなしいタイプでしたが、とても気が合いました。演劇が好きで、ミュージカルの女優を志していました。「忙しくても、やったほうがいい。人前に立つことは楽しいことだよ。私の夢だから」。その一言に私の心が動きました。どんな世界なのか知りたくなったんです。AKB48に入ってからも支えてくれました。私はダンスが苦手。レッスンでは先生から「まず、前を向きなさい」と言われました。できなくて下ばかり向いていたんです。その子に「全然できない」と相談すると、「ダンスのコツは、自分にはできる、と自信をもつこと」と言ってくれました。急に自信がもてるわけでもあがりませんでしたが、とても励みになりました。
もうひとり支えになった存在は、ぱるる(島崎遥香)です。同期で年齢も同じ。ぱるると私はいつも居残り組。帰り道では、お互いにいつも「やめたい」と話をしました。私が「ぱるるがやめたら私もやめる」と話したら、ぱるるは「まりやがやめたら私もやめる」。お互いがやめられない状況をつくっていたんです。だから、「がんばるしかない」という気持ちになりました。
そのうちに同期の研究生たちは、ひとりまたひとりと公演デビューをしていきましたが、私はなかなかチャンスがなく、ついにひとりだけ取り残されてしまいました。同期たちが「MCどうしようか」と話していても、「MCって何?」とついていけませんでした。
あせりもありましたが、むしろ、「もうすぐ自分も舞台に出なくちゃいけないのか」と怖い気持ちのほうが勝っていました。出たいけど、出たくない、という心境。だから、がんばりきれず、ひとりだけ巣立ちができませんでした。そんなとき、先輩の大家志津香さんからメールが届きました。
「私も何年も研究生をしたけれど、がんばっていたら、いつかは出られるから」。そう書いてありました。その優しさに応えようと、改めてがんばるようになりました。学校が終わってから毎日、自宅でも練習を繰り返しました。そして、数週間後には、私も無事に公演デビューすることができました。
AKB48で活動をする中で、ひとつの目標ができました。モデルになることです。AKB48ではアイドル雑誌やグラビアに出る機会をいただくことが多いのですが、自分は写真を撮られることが好きだ、と気づいたんです。人生で初めて夢が見つかりました。最初はポージングのパターンが限られていましたが、学校に通って勉強しました。シャッターが切られるごとに、表情を変えられるようになりました。撮影のたびに違った自分を表現できると楽しいです。もちろん、実力をつけるために日ごろからウォーキングなどのレッスンもしています。
ファッション誌のモデルのお仕事もいただけるようになりました。人生の大きな目標は見つかっていないのですが、まずはモデルとして一人前になってから、また、次の目標を見つけ、一歩ずつ進んでいきたいと思っています。
私の背中を押してくれた親友は、高校卒業後、アメリカに渡り、ミュージカルの女優になりました。今年、日本各地の公演で来日。外国人の囲まれて、ただ一人日本人で活躍している姿には刺激を受けました。彼女に出会えて良かったと思っています。
ほかにも、オーディションに応募してくれた母、励まし合ったぱるるや大家さん……。思えば、みんなが道を切りひらいてくれたような気がします。人生のスケジュールは思うままにいかないけど、その時々でのめぐり合いは大切にしていきたいと思っています。
■番記者から
永尾まりやは、ソーシャル・ネットワーキング・サービス「Google+(グーグルプラス)」で、自分の第一印象を募集したことがあった。
「かわいい、ギャル、クール……。ファンの方によって、印象がまったく違うことがわかりました。本当の自分が自分でもわかりません。人それぞれにカラーがあると言われますけど、自分ではカラーがまだできていないように思っています」。最近、そのときの服装や髪形で、自分自身の気持ちが変化することに気がついた。
「かわいい系の服を着ているときは、表情や振る舞いを愛想よくしようとしていますし、ロック調のときは、ちょっと無愛想なくらいにしています。劇場公演では、髪形をよく変えていますが、ツインテールのときはどうすればかわいく見せられるか考えます。編み込んでビシッとしたときは格好良く見せたいと思っています」。役者のように工夫しているわけだ。一見、クールな印象はあるが、取材をしてみると、受け答えは気さく。性格もまじめだ。AKB48をしながらも、出来る限り、学校の授業に出席していた。
同期の9期生の中で公演デビューは最後になった。AKB48の曲の中では、研究生の心情をつづった「初日」が好きという。「ライバルが輝いて見えた、という部分の歌詞が好きです。自分の経験と同じなので、心にしみました」
現在は苦手だったダンスも好きになった。「正規メンバーになって、チーム4で活動を始めたくらいから、ファンのみなさんに私のダンスをもっと見て欲しいと思えるようになりました」。現在は公演のほか、グラビアやファッション誌のモデルとしても活躍している。
「AKB48に入れたことは、本当によかった。目標を見つけることができましたから」。今回の取材で興味深かったのは、極秘でAKB48オーディションに応募されていたお母さんだが、今も一生懸命応援されているようだ。「母はすごいんです。私よりも早くコンサートのDVDや雑誌を購入して、報告してくれるんです。最近、モデルの仕事が増えたことも喜んでくれています」