真っ赤に燃える山の紅葉 あるいは黄金に輝く稲穂の波
いずれもくさぐさの想いが貫かれたところで見られます
世界は全て、いつもくさぐさに始まるに違いない。
そのような自然のままの美しさを詠んでみました。
きはめ : 極め
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いずれもくさぐさの想いが貫かれたところで見られます
世界は全て、いつもくさぐさに始まるに違いない。
そのような自然のままの美しさを詠んでみました。
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鬼っ子 : 親に似ないイヤな子
どの子も大地の子‥
心を籠めて育てなければどんな子も風邪をひく
同じ枯れるなら草紅葉のように枯らせたいもの
それには好く育つ環境を用意してあげたいなあ
そういった気持ちを詠んでみました
どの子も大地の子‥
心を籠めて育てなければどんな子も風邪をひく
同じ枯れるなら草紅葉のように枯らせたいもの
それには好く育つ環境を用意してあげたいなあ
そういった気持ちを詠んでみました
柵を越えなければ広い世界に出られないが
柵がしがらみになって人は囚われるばかり
明日は秋分の日、今日(の柵)を越えた瞬間、明らかな日になっている
しかし、これが中々に難しい。
読み : しがらみをこゆればそこにたかきそら
柵がしがらみになって人は囚われるばかり
明日は秋分の日、今日(の柵)を越えた瞬間、明らかな日になっている
しかし、これが中々に難しい。
読み : しがらみをこゆればそこにたかきそら
蛇が先か、蛍が先かと考えた
蛇に涙する私は蛍をも吾がことと想えた
蛇は犠牲者、蛍は自由・気まま、
自由に飛んで一生を終える蛍は幸せもの
犠牲者は弔われなければならない
弔われてこそ居場所にやっと戻れるのだ
私が係わった犠牲者は私が弔う
弔うとはその存在を最高に崇めることだ
崇められて傷ついた命は慰められる
崇める存在はどうしても無くてはならない命だ
崇めるべきを祟ってはどうして救われるだろう
人は往々、崇めるべきを祟る言動をくりかえす。
蛇に涙する私は蛍をも吾がことと想えた
蛇は犠牲者、蛍は自由・気まま、
自由に飛んで一生を終える蛍は幸せもの
犠牲者は弔われなければならない
弔われてこそ居場所にやっと戻れるのだ
私が係わった犠牲者は私が弔う
弔うとはその存在を最高に崇めることだ
崇められて傷ついた命は慰められる
崇める存在はどうしても無くてはならない命だ
崇めるべきを祟ってはどうして救われるだろう
人は往々、崇めるべきを祟る言動をくりかえす。
私は宮沢賢治を過たず評価したい
人間性を侮蔑して詩を誉めたって駄目だ
そう想えない人が賢治に唾を吐いている
祟ることは祟られること
崇めることは崇められること
己の心の置きようで結果は決まる
それが世界の方程式、だれを恨むこともない
己の結果は己が導きだすのだから‥
そういったこと、私は今年の賢治忌に学んだ。
私が賢治忌にあたって書くべきは書いた積り
あと、少しだけ補足して終わりとしたい。
人間性を侮蔑して詩を誉めたって駄目だ
そう想えない人が賢治に唾を吐いている
祟ることは祟られること
崇めることは崇められること
己の心の置きようで結果は決まる
それが世界の方程式、だれを恨むこともない
己の結果は己が導きだすのだから‥
そういったこと、私は今年の賢治忌に学んだ。
私が賢治忌にあたって書くべきは書いた積り
あと、少しだけ補足して終わりとしたい。
秋は蟲の季節だなあ、
そんなことを賢治の忌に想ってしまいます。
采采 : 采がいっぱい、美的である。
句意 : いっぱいの蟲が鳴き、人は好い気持ち。
太宰治は月見草に関して「采年」と述べましたね。
そんなことを賢治の忌に想ってしまいます。
采采 : 采がいっぱい、美的である。
句意 : いっぱいの蟲が鳴き、人は好い気持ち。
太宰治は月見草に関して「采年」と述べましたね。
9月21日、明日は宮沢賢治の命日
追悼のつもりで賢治忌を詠んでみました
闇に暮る : 日が暮れて闇になる、心乱れて悲しみに暮れる
追悼のつもりで賢治忌を詠んでみました
闇に暮る : 日が暮れて闇になる、心乱れて悲しみに暮れる
今日9月19日は子規の命日・子規忌
とまれかくまれ、私も子規に因んで形だけですけど‥、
句意を強いて述べれば
・子規の季節はとにかく永遠に盛んに続くだろう
・子規の忌の式典・行事はあっちこっちで盛んだなあ
詩心が私たちから失われないかぎり俳句は意気軒高でしょう。
とまれかくまれ、私も子規に因んで形だけですけど‥、
句意を強いて述べれば
・子規の季節はとにかく永遠に盛んに続くだろう
・子規の忌の式典・行事はあっちこっちで盛んだなあ
詩心が私たちから失われないかぎり俳句は意気軒高でしょう。
もう扇風機いらないだろうし、汚れファンはお掃除‥
今日、「片す」が普通語で通るのもTVのお陰か・所為かな
片す(かたす) : (東北・関東方言)かたづける。しまう。
団扇置く‥日本の秋らしい季語ですね。
今日、「片す」が普通語で通るのもTVのお陰か・所為かな
片す(かたす) : (東北・関東方言)かたづける。しまう。
団扇置く‥日本の秋らしい季語ですね。
病葉は夏の季語であり
この句は秋と合せて二つの季語が入る季重なり
しかも夏と秋の季違いになって問題視されそうで、
それでこの句の場合どうなの? 許される? 許されない?
お目に留まったなら御教授お願いしてみよう
そんなつもりでの掲載(ツイートも)に及びました。
よろしければお願いします。
いや、それよりも意味が通じていないかも知れませんが アセ
病葉 : 落ちる時期でないのに虫に食われたりで落ちた葉
なれや : 「‥だろうか、いやそうではない」の意
秋ゆきゆく:秋はどんどん先へ行ってるよ
この句は秋と合せて二つの季語が入る季重なり
しかも夏と秋の季違いになって問題視されそうで、
それでこの句の場合どうなの? 許される? 許されない?
お目に留まったなら御教授お願いしてみよう
そんなつもりでの掲載(ツイートも)に及びました。
よろしければお願いします。
いや、それよりも意味が通じていないかも知れませんが アセ
病葉 : 落ちる時期でないのに虫に食われたりで落ちた葉
なれや : 「‥だろうか、いやそうではない」の意
秋ゆきゆく:秋はどんどん先へ行ってるよ