俳句とは、何ぞや?
俳句の意味は、俳人ごと・句会ごとに、解釈は異なるかも知れない。
だけど、俳句は詩の心で詠うのが一番好いって誰しも思うでしょう。
そう理解した上で、俳句をもう一歩・深く突っ込んで考えてみたい。
俳句の「句」の意味を「節」と解釈したら好いのじゃないかと思う。
いくつかの節がつながり・伸びていって、一本の竹が出来るように、
幾つかの節がつながって、俳句が出来上って好いのじゃないかしら。
詠むのは楽しいし、読むのも楽しい、皆で詠んでも・読んでも好い。
『蛙飛こむ水のおと』って詠んだら、上の句(節)を皆で出し合う。
詠んで競い合うのも楽しいし、それを読んで批評し合うのも楽しい。
「蛙飛こむ水のおと」に反応して、皆はお好みの場所に遊びに行く。
基角は京の井手の「かはづ」の里にすぐに飛んでいって遊んだんだ。
帰ってきて、井出の山吹や「かはづ」の鳴き声の美しさを自慢する。
座の人たちは井出・山吹の里へ行って河鹿を見たいと思ったのです。
座の人たちは、噂に井出の良さを知っていたかも知れないでしょう。
けど、行ったことがない井出の里をどうして想像できるでしょうか。
食べたことがない料理に採点をつけるに等しい不可能な作業でした。
一方、芭蕉が古池に飛んだのは大概の現代人も御承知のとおりです。
芭蕉の古池の話は素朴で・艶やかさなど無かったのは、確かでした。
だけど、蛙が棲んでいるような古池なら座の誰もが知っていました。
座の皆はそれぞれに古池に飛んでいって、寛ぎ・遊んで帰ってきた。
皆でワイワイ言いながら、愈々・節と節をつなぐことになりました。
「蛙飛こむ水のおと」の節に上五の節をつなぐなら、どれが好いか。
知らない節は繋ぎようがないけれど、知っている節は繋げますよね。
俳句の意味は、俳人ごと・句会ごとに、解釈は異なるかも知れない。
だけど、俳句は詩の心で詠うのが一番好いって誰しも思うでしょう。
そう理解した上で、俳句をもう一歩・深く突っ込んで考えてみたい。
俳句の「句」の意味を「節」と解釈したら好いのじゃないかと思う。
いくつかの節がつながり・伸びていって、一本の竹が出来るように、
幾つかの節がつながって、俳句が出来上って好いのじゃないかしら。
詠むのは楽しいし、読むのも楽しい、皆で詠んでも・読んでも好い。
『蛙飛こむ水のおと』って詠んだら、上の句(節)を皆で出し合う。
詠んで競い合うのも楽しいし、それを読んで批評し合うのも楽しい。
「蛙飛こむ水のおと」に反応して、皆はお好みの場所に遊びに行く。
基角は京の井手の「かはづ」の里にすぐに飛んでいって遊んだんだ。
帰ってきて、井出の山吹や「かはづ」の鳴き声の美しさを自慢する。
座の人たちは井出・山吹の里へ行って河鹿を見たいと思ったのです。
座の人たちは、噂に井出の良さを知っていたかも知れないでしょう。
けど、行ったことがない井出の里をどうして想像できるでしょうか。
食べたことがない料理に採点をつけるに等しい不可能な作業でした。
一方、芭蕉が古池に飛んだのは大概の現代人も御承知のとおりです。
芭蕉の古池の話は素朴で・艶やかさなど無かったのは、確かでした。
だけど、蛙が棲んでいるような古池なら座の誰もが知っていました。
座の皆はそれぞれに古池に飛んでいって、寛ぎ・遊んで帰ってきた。
皆でワイワイ言いながら、愈々・節と節をつなぐことになりました。
「蛙飛こむ水のおと」の節に上五の節をつなぐなら、どれが好いか。
知らない節は繋ぎようがないけれど、知っている節は繋げますよね。