5.基金の見た日本の資産運用環境
この国の資産運用環境に遅れて参加した厚生年金基金は、大蔵省の産業資本調達システムと化している統制市場と風説の流布等により賭場と化している投機市場、<人様のお金>を業者にかっさらうがままにさせている政府・国民の拙劣な資産運用文化の後進性を見せられることになりました。
併せて、基金自体の資産運用文化の度合いを振り返ってみることにもなり、丸投げとも言われる全面的な「お任せ運用」の実態に愕然とすることになりました。
どちらにしても、資産運用に関しては日本全体が0からのスタートであることは変わらないのです。資産運用すべき元手がない<肉体労働>の汗水時代が長く続いてきて、突然、金が積み上がって来たのです。それなのに、政府も行政も学会も金融機関も企業も個人も、そして厚生年金基金も、<資産運用>についてはまったくのド素人であり、プロフェッショナルがいない状態なのです。
厚生省管轄の厚生年金基金制度の中に資産運用という省をまたぐ問題がクローズアップされ、監督当局が縦割り行政の弊害で二つになり、行政の整合性がはかりがたくなっていました(直近ではこれが4省問題になっています)。それが図らずも具現されたのが、先般の紡績業裁判での司法当局の判例と厚生省が推し進めている受託者責任の考え方の相違であります。国の指針のこうも明らかな相違は政治の明確なビジョンが確立していません混迷期特有の試行錯誤の一つかと見るにはお粗末に過ぎやしないでしょうか。法制・行政サイドにも、不勉強な経験のない偏差値秀才しかいなくて、プロと呼べる頑健な者が育成されていない実態が明らかになってしまいました。
さらに、制度発足以来、基金の世界では、信託・生保を資産運用のプロと位置付けてきましたのは、昭和時代の終り頃まででありましたろうか。今にして思えば、基金自体のド素人程度から推し量り相対的にプロでありますと、基金が勝手に責任を押しつける意味で使っていたのであり、護送船団体制の中でぬくぬくと生きてきた者逹の化けの皮が剥がれてみると、ド素人より質の悪い全て金太郎飴のゼネラリストのゴマスリ集団にしか過ぎなかったのです。
一方、年金基金の資産運用を担う役職員はどうかと言えば、行政サイドや金融機関等と同様に単独・連合設立基金では基金事務所の位置付けさえ一般企業ゼネラリストのキャリアの2~3年の通過セクションでしかなく、悪くすればゼネラリストの墓場となっていましたし、総合設立基金の天下り役職員に至っては社会保険行政経験者ではあっても複式簿記すら知らず、ましてや資産運用業務など夢の又夢のような仕事でありました。
つまり、戦後、日本全体が総じてゼネラリストと化していて専門職を育成しなかったのです。ゼネラリストの金太郎飴集団だけで足りるような統制を実行してきました結果、得たものは統制によって囲い込まれた巨額な金融資産と、それに反比例して国民の全体主義的封じ込み、国民の子羊化をもたらしてしまったのです。
このような環境の中で、基金の資産運用能力も行政サイドに封じ込められていて何もない状態でありました。基金経営の観念も資産運用という哲学も金融の実務も、ましてや経営指針も運用方針も運用体制も、さらに戦術的に重要なノウハウ(マネージヤー・セレクション、カレンシー・オーバーレイ、アクティブ・ヘッジ等)もない、まったくのゼロ状態でした。
図表8 厚生年金基金の修正総合利回り
* 修正総合利回り(%)=(収益受入金+当年度末評価損益-前年度末評価損益)÷(元本平均残高+前年度末評価損益+前年度末未収収益)×100
この国の資産運用環境に遅れて参加した厚生年金基金は、大蔵省の産業資本調達システムと化している統制市場と風説の流布等により賭場と化している投機市場、<人様のお金>を業者にかっさらうがままにさせている政府・国民の拙劣な資産運用文化の後進性を見せられることになりました。
併せて、基金自体の資産運用文化の度合いを振り返ってみることにもなり、丸投げとも言われる全面的な「お任せ運用」の実態に愕然とすることになりました。
どちらにしても、資産運用に関しては日本全体が0からのスタートであることは変わらないのです。資産運用すべき元手がない<肉体労働>の汗水時代が長く続いてきて、突然、金が積み上がって来たのです。それなのに、政府も行政も学会も金融機関も企業も個人も、そして厚生年金基金も、<資産運用>についてはまったくのド素人であり、プロフェッショナルがいない状態なのです。
厚生省管轄の厚生年金基金制度の中に資産運用という省をまたぐ問題がクローズアップされ、監督当局が縦割り行政の弊害で二つになり、行政の整合性がはかりがたくなっていました(直近ではこれが4省問題になっています)。それが図らずも具現されたのが、先般の紡績業裁判での司法当局の判例と厚生省が推し進めている受託者責任の考え方の相違であります。国の指針のこうも明らかな相違は政治の明確なビジョンが確立していません混迷期特有の試行錯誤の一つかと見るにはお粗末に過ぎやしないでしょうか。法制・行政サイドにも、不勉強な経験のない偏差値秀才しかいなくて、プロと呼べる頑健な者が育成されていない実態が明らかになってしまいました。
さらに、制度発足以来、基金の世界では、信託・生保を資産運用のプロと位置付けてきましたのは、昭和時代の終り頃まででありましたろうか。今にして思えば、基金自体のド素人程度から推し量り相対的にプロでありますと、基金が勝手に責任を押しつける意味で使っていたのであり、護送船団体制の中でぬくぬくと生きてきた者逹の化けの皮が剥がれてみると、ド素人より質の悪い全て金太郎飴のゼネラリストのゴマスリ集団にしか過ぎなかったのです。
一方、年金基金の資産運用を担う役職員はどうかと言えば、行政サイドや金融機関等と同様に単独・連合設立基金では基金事務所の位置付けさえ一般企業ゼネラリストのキャリアの2~3年の通過セクションでしかなく、悪くすればゼネラリストの墓場となっていましたし、総合設立基金の天下り役職員に至っては社会保険行政経験者ではあっても複式簿記すら知らず、ましてや資産運用業務など夢の又夢のような仕事でありました。
つまり、戦後、日本全体が総じてゼネラリストと化していて専門職を育成しなかったのです。ゼネラリストの金太郎飴集団だけで足りるような統制を実行してきました結果、得たものは統制によって囲い込まれた巨額な金融資産と、それに反比例して国民の全体主義的封じ込み、国民の子羊化をもたらしてしまったのです。
このような環境の中で、基金の資産運用能力も行政サイドに封じ込められていて何もない状態でありました。基金経営の観念も資産運用という哲学も金融の実務も、ましてや経営指針も運用方針も運用体制も、さらに戦術的に重要なノウハウ(マネージヤー・セレクション、カレンシー・オーバーレイ、アクティブ・ヘッジ等)もない、まったくのゼロ状態でした。
図表8 厚生年金基金の修正総合利回り
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* 修正総合利回り(%)=(収益受入金+当年度末評価損益-前年度末評価損益)÷(元本平均残高+前年度末評価損益+前年度末未収収益)×100
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