6.未曾有な事態
日本の厚生年金基金制度は、後世、発足から20年経過しました昭和時代から平成時代へ移行した頃、日本経済の凋落と共に<未曾有な事態>を迎えて大きく変貌したと、必ず言われるようになるでしょう。それまでのファンド形成期から年金給付が本格化し資産運用がままならず積立不足基金が続出し財政悪化が急激に高まった時代でしたと。
あの頃から10年が経過し、基金の積立不足金が危険水域に達して、更に一層変貌の度合いは高まっています。規制緩和も護送船団方式ではあるがゆっくり大きくターンをし始めています。基金の資産運用能力も急激に立ち上がりつつあるし、運用体制、運用インフラも整いつつあり、運用議論も多方面から為されるようになってきています。
一方で万策付き果てました基金が解散に追いやられ、中には給付の削減を図るという安易な手法を取り入れた基金も発生してきました。安易な手法と申しますのも、確定給付型基金の本質(制度を採用した企業と社員の契約)を軽々に判断し、事前に為されるべきであるフレームワークの変更、戦略的絞り込みによる基金経営、資産運用の最大限の効率化、行政の規制を完全撤廃させたり、母体企業財務の財務体質改善を図る等々の懸命な努力が充分に行われているとは見えませんからです。
そのような努力が実を結ばず解散するのはやむを得ませんが、受託者責任の観点から切磋琢磨(並大抵の努力ではないと考えられる、プロになる必要があるのですから)だけは避けて通れない道でしょう。それが出来ないなら、さっさと基金の世界から去るべきなのでしょう。その点で、受給権保護を恣意のままにさせない立法化が緊急の課題になっています。とはいえ、そのような努力を怠る基金は、どちらにしても資本の論理の強権力により市場から追放されるのは時間の問題です。
さて、年金基金は制度創設から30年が経過してファンドの形成が済み、いよいよ制度本来の使命である年金給付が本格化し、制度の成熟期を迎えています。それなのに、積立不足等財政の悪化は<未曾有の事態>を改善できぬまま、問題だけが百出しています。
今、任意にこれらの問題点を拾いだしてみますと以下のような事柄があると考えられます。
1.政治は国民の老後生活についてビジョンを呈示していますか。
(社会状勢の変化を吸収しえているか)
2.法制・税制・行政・教育・金融等のグローバル化の対応は進んでいますか。
3.統制経済手法の官庁単式簿記は破棄されましたか。
4.負の遺産である国民総ゼネラリストのスペシャリスト化による資本の生産
性は向上していますか。
5.年金基金のビジョンは確立されましたか。
6.基金は行政の延長上の事業でしょうか。(社会保険から金融事業へ)
7.受給権保護は確立しましたか。
8.代行制度の民間活力は機能していますか。
9.確定給付型の数理基準は妥当ですか。
10.給付削減か、運用効率引上げか、それとも解散か。
11.基金の事業費は、掛金、運用収益のみなのですか。
12.基金を取り巻くアウトソーシング業界は育成されていますか。
13.基金は金融子会社足りえますか、資産運用能力の点で。
14.確定拠出型年金も選択肢の一つ?
15.退職給付は労働の対価ではなく「功労金」なのか。退職金の年金化はどの
程度進捗しましたか。特に、会計制度の点で。
16.隠れ年金債務は認識され、対応策が打たれましたか。
実にこれらの任意に抽出された問題の根は深いようです。年金の歴史から始まって日本経済の構造改革、国民の高齢化と経済のグローバル化、統制経済から民営化への移行、1200兆円の個人資産の汗水を如何に国民資産として保全するか等々をカバーするような大きなテーマです。ここでは当面の基金制度の目的ー<加入員の老後生活保障>を如何に確保するか、基金の現場で試行錯誤されていることについて述べてみます。
<未曾有な事態>の基金財政の悪化の原因を探っていくと、多岐に渡る複雑に絡み合った事項が取りだされます。
まず始めになんと言っても戦後日本経済の凋落・破綻。日本的経済システムの機能不全、共産主義経済以上の統制経済の蔓延、ビリッケツに集約する護送船団方式の甘えの構造、Other People's Money (人様の金)に巧妙な構造的なカラクリを用いて手をつける政治家・官僚・企業人の詐欺集団、本邦金融インフラの後進国性の露呈、日本経済全体を被う総合職の責任回避システム=暗黙のカルテル体制(小西龍治)、優しさと厳しさを混同して低落した日本人の倫理感覚、そうして、未だにグランド・デザイン、ビジョンを示しえない政府の無能・・・・・・・等々。
それに加えて、国民の超高齢化と少子化に伴う社会保障の危機が出現しています。
このような状況・背景下、国の情報開示・情報発信の点では革命的な前進を示した厚生省の『年金白書』が発行されました。しかし、このたび厚生省の「5つの選択肢」で示されましたように、厚生省は未だ<国の能力=統制経済>への過信を改めるのに充分ではなく、国が<果たすべき約束>(M.N.カーター & W.G.シップマン著『Promises To Keep』副題:社会保障の夢を救う)を見出せずにいるようです。
制度発足30年を経過して基金制度は成熟段階に到達していますが、代行部分を抱える厚生年金基金制度は、統制経済と民間経済との混合体という危うい体質を持っているために厚生年金本体と同じように基金が<果たすべき約束>も揺らぎはじめています。
基金財政悪化の具体的な原因を拾い出せば、業種・業界の退場・リストラによる加入員
減も制度の成熟に伴う年金給付費の急増も原因としては二番手でしょう、なんと言っても
<資産運用の非効率性>が最大の原因ですと断定できましょう。
それは、30年も続いた5.3.3.2資産運用規制、簿価会計、日本一局集中投資、経営観念の希薄な基金事務局、民営化の遅々たる進捗等の弊害が複雑に絡み合って累積されたものです。しかし、なんと言っても5.3.3.2の運用規制の下、日本一局集中投資で行われてきました基金の資産運用は、政府の政策(銀行の不良債権救済の超低金利政策)が全面的なリスクとなり財政悪化をもたらしたということをまず認識すべきでしょう。
その上、国際会計基準の時価導入が数年先に迫ってきて、現行の積立不足金など遥かに凌駕する膨大な「隠れ年金債務」が徐々に明らかになりつつあり、日本経済を更に濡れ真綿で締め付ける事態になってきています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/9a/b22ac4dfa852e27a34fe9e97ab291253.jpg)
それは、30年も続いた5.3.3.2資産運用規制、簿価会計、日本一局集中投資、経営観念の希薄な基金事務局、民営化の遅々たる進捗等の弊害が複雑に絡み合って累積されたものです。しかし、なんと言っても5.3.3.2の運用規制の下、日本一局集中投資で行われてきました基金の資産運用は、政府の政策(銀行の不良債権救済の超低金利政策)が全面的なリスクとなり財政悪化をもたらしたということをまず認識すべきでしょう。
このような認識が無いため、政策のミスマッチングの責任を政府に対して求めるのではなく、ましてや企業に負担させるなど考えもせず加入員に求めて、給付の削減にすり替えるなどという基金に無知な総合職の渡り鳥があちこちに飛び廻っています。
会社が、基金が、約束を果たすために、最初にやるべきことがあるということです。例えば、母体企業の財務体質改善(退職手当引当金の年金化、適格年金の特別法人税回避、退職金の前払い等)、過剰人員・設備のスリム化、社員個々の能力増強、そして戦略の絞り込みによる基金の資産運用能力アップ(10%稼ぎ続ければ大抵のことは解決する)等々。これらのことを実施した上で、給付削減というのであれば理解も得られるのでしょう。
現実に、平成8年度、平成9年度には5.3.3.2規制下で、適用除外を申請してリスク資産配分と言われている日本株・外株・外債の配分を60~70%に高めて、好成績(生保資産を含めました全体資産の修正総合利回り10~8%)を上げた基金も出てきています。
無能基金と優秀基金の利回り格差は7~8%に広がってきています。現況で3~4%しか稼げない基金の常務理事・運用執行理事はレッドカードを与えられて当然でありましょう。
複雑な込み入った事情、金融知識欠如、金融インフラ未整備等、条件は個々の基金ごとに多様ですが、それらを全体的にマネージするのが職責であり、そのマネージの結果が年々の利回りに反映されるのです。結果を出してこそ職責を果たしたことになり、受託者責任にはこのことも含まれているのでしょうし、結果も出さず、給付削減を断行しますなどモラルハザードも極まったということではないでしょうか。
厚生省の受託者責任のガイドラインでは、経過責任だけで結果責任は問われませんが、実際の訴訟の際にはそんな程度で放免されることはまずないでありましょう。引退後、年金生活者になってから過去の結果責任を問われて財産没収・差押えが現実になるでありましょう。そのため、関西の或る基金では、役所の了解を得て裁判に備えて裁判費用のため賠償責任保険を契約したとのことです。
さて、基金の財政悪化を前にして、基金の世界で一般的に何時とは無く誰とは無く言われ始めましたのが、基金の出来る対応策は次ぎの3つですと言われています。
①給付削減
②資産運用効率化
③基金解散
①の<給付削減>は、諸般の事情が重なりあって掛金負担に耐えられなくなった結果、聖域である給付の圧縮を図りましょうと言うものです。②の<資産運用効率化>は、資産運用規制が撤廃されつつある中で、基金の努力次第では効率的運用も可能になってきたことを受けて、一部の基金ではじまった対応です。③の<基金解散>は、文字通り最後に残された選択肢です。
①の<給付削減>を仕掛ける背景には、退職給付を「功労金」と考える経営者が未だに発言権を持っているという現実があることを明らかにしていると考えられます。そうではなく、退職給付は純然たる「労働の対価」であって後払い賃金であり、人を雇用した経営者には租税負担同様に付いて回る債務です。緊急に今、加入員の受給権(特に加算部分)を法制化を含めて如何に確保・保全するかが問われているということです。
②は、超低金利の政策責任(5兆円?)を基金として政府・官僚に求めるだけではなく、基金自らが受託者責任を果たすために所与の条件の戦略的絞り込みを図って最良執行を行うべき性質の問題です。<資産運用効率化>を達成するために為されなければならないことはたくさんあります。 例えば、金単(英単をなぞって金融関係用語)2万語という人もいます。「運用のプロになるためには、2年間の集中学習、10年間の実務経験、2万語の用語の理解が必要」(村田純一)。筆者であれば、金融関係読書500冊、程度としか言えませんが。どちらにしても、基金の資産運用について基金事務局自体が資産運用のプロフェッショナルにならなければ、誰がそれを行うのか。とは言え、日々の基金業務執行の場面で、総合職の渡り鳥(経営者・理事長・常務理事・運用執行理事・事務長等)、つまり金融の知識・経験のないアマチュアが、「上がり感覚」で切磋琢磨の猛烈な学習もしないまま恣意的な判断を繰り返しているのも惨めな現実ではあります。この点は、基金の世界だけではなく、日本全体において、日本人は金融の知識・経験のないアマチュアであるのですが、このことが国家的な損失につながる段階にあり、早急にキャッチ・アップが求められています。
③の<基金解散>は、現実にそうなった基金とそうなりつつある基金が数多いですが、「代行返上論」とか「年金民営化論」とか「年金法」で議論されるようになってきました。最近、紡績業基金裁判の判決が出て、基金は現行の法制解釈から「公共組合」とされ、一部の業務執行行為(解散)が国家賠償法の「公権力の行使」という判断が示されました。
結果、厚生省による代行分の積立不足金補填の道(平成10年7月20日日本経済新聞トップ記事:厚年基金の積み立て不足・公的年金で一部補てん)が担保(対国民、対大蔵省等に対して)されてしまいました。「公権力の行使」という隠れ蓑に、又もや時代に逆行してモラルハザードの温存(総合基金救済)、ハイコスト体質の維持(切磋琢磨不要論)、お上への依存(自己責任の放棄)が白昼堂々とまかり通ることになってしまいました。
つまり、ここから類推すると、現行の日本の法制体系は自己責任にインセンティブを与えるのに逆行するシステムになっているということでしょう。とは言え、資産運用等の「私経済作用」は「公権力の行使」から除外され民法適用でありますから、この点では理事長・常務理事等の責任回避は難しいのでしょう。
どちらにしましても、以上申してきました厚生年金基金の「未曾有な事態」は現象論であるに過ぎないでしょう。
根本的には戦後日本経済の破綻(平成9年と想定する)を機会に、日本の社会・経済構造の改革を視野にグランド・デザインから議論・考究されるべき性質のものでしょう。要するに、問題はミクロではなく、マクロの時代なのでしょう。
日本の厚生年金基金制度は、後世、発足から20年経過しました昭和時代から平成時代へ移行した頃、日本経済の凋落と共に<未曾有な事態>を迎えて大きく変貌したと、必ず言われるようになるでしょう。それまでのファンド形成期から年金給付が本格化し資産運用がままならず積立不足基金が続出し財政悪化が急激に高まった時代でしたと。
あの頃から10年が経過し、基金の積立不足金が危険水域に達して、更に一層変貌の度合いは高まっています。規制緩和も護送船団方式ではあるがゆっくり大きくターンをし始めています。基金の資産運用能力も急激に立ち上がりつつあるし、運用体制、運用インフラも整いつつあり、運用議論も多方面から為されるようになってきています。
一方で万策付き果てました基金が解散に追いやられ、中には給付の削減を図るという安易な手法を取り入れた基金も発生してきました。安易な手法と申しますのも、確定給付型基金の本質(制度を採用した企業と社員の契約)を軽々に判断し、事前に為されるべきであるフレームワークの変更、戦略的絞り込みによる基金経営、資産運用の最大限の効率化、行政の規制を完全撤廃させたり、母体企業財務の財務体質改善を図る等々の懸命な努力が充分に行われているとは見えませんからです。
そのような努力が実を結ばず解散するのはやむを得ませんが、受託者責任の観点から切磋琢磨(並大抵の努力ではないと考えられる、プロになる必要があるのですから)だけは避けて通れない道でしょう。それが出来ないなら、さっさと基金の世界から去るべきなのでしょう。その点で、受給権保護を恣意のままにさせない立法化が緊急の課題になっています。とはいえ、そのような努力を怠る基金は、どちらにしても資本の論理の強権力により市場から追放されるのは時間の問題です。
さて、年金基金は制度創設から30年が経過してファンドの形成が済み、いよいよ制度本来の使命である年金給付が本格化し、制度の成熟期を迎えています。それなのに、積立不足等財政の悪化は<未曾有の事態>を改善できぬまま、問題だけが百出しています。
今、任意にこれらの問題点を拾いだしてみますと以下のような事柄があると考えられます。
1.政治は国民の老後生活についてビジョンを呈示していますか。
(社会状勢の変化を吸収しえているか)
2.法制・税制・行政・教育・金融等のグローバル化の対応は進んでいますか。
3.統制経済手法の官庁単式簿記は破棄されましたか。
4.負の遺産である国民総ゼネラリストのスペシャリスト化による資本の生産
性は向上していますか。
5.年金基金のビジョンは確立されましたか。
6.基金は行政の延長上の事業でしょうか。(社会保険から金融事業へ)
7.受給権保護は確立しましたか。
8.代行制度の民間活力は機能していますか。
9.確定給付型の数理基準は妥当ですか。
10.給付削減か、運用効率引上げか、それとも解散か。
11.基金の事業費は、掛金、運用収益のみなのですか。
12.基金を取り巻くアウトソーシング業界は育成されていますか。
13.基金は金融子会社足りえますか、資産運用能力の点で。
14.確定拠出型年金も選択肢の一つ?
15.退職給付は労働の対価ではなく「功労金」なのか。退職金の年金化はどの
程度進捗しましたか。特に、会計制度の点で。
16.隠れ年金債務は認識され、対応策が打たれましたか。
実にこれらの任意に抽出された問題の根は深いようです。年金の歴史から始まって日本経済の構造改革、国民の高齢化と経済のグローバル化、統制経済から民営化への移行、1200兆円の個人資産の汗水を如何に国民資産として保全するか等々をカバーするような大きなテーマです。ここでは当面の基金制度の目的ー<加入員の老後生活保障>を如何に確保するか、基金の現場で試行錯誤されていることについて述べてみます。
<未曾有な事態>の基金財政の悪化の原因を探っていくと、多岐に渡る複雑に絡み合った事項が取りだされます。
まず始めになんと言っても戦後日本経済の凋落・破綻。日本的経済システムの機能不全、共産主義経済以上の統制経済の蔓延、ビリッケツに集約する護送船団方式の甘えの構造、Other People's Money (人様の金)に巧妙な構造的なカラクリを用いて手をつける政治家・官僚・企業人の詐欺集団、本邦金融インフラの後進国性の露呈、日本経済全体を被う総合職の責任回避システム=暗黙のカルテル体制(小西龍治)、優しさと厳しさを混同して低落した日本人の倫理感覚、そうして、未だにグランド・デザイン、ビジョンを示しえない政府の無能・・・・・・・等々。
それに加えて、国民の超高齢化と少子化に伴う社会保障の危機が出現しています。
このような状況・背景下、国の情報開示・情報発信の点では革命的な前進を示した厚生省の『年金白書』が発行されました。しかし、このたび厚生省の「5つの選択肢」で示されましたように、厚生省は未だ<国の能力=統制経済>への過信を改めるのに充分ではなく、国が<果たすべき約束>(M.N.カーター & W.G.シップマン著『Promises To Keep』副題:社会保障の夢を救う)を見出せずにいるようです。
制度発足30年を経過して基金制度は成熟段階に到達していますが、代行部分を抱える厚生年金基金制度は、統制経済と民間経済との混合体という危うい体質を持っているために厚生年金本体と同じように基金が<果たすべき約束>も揺らぎはじめています。
基金財政悪化の具体的な原因を拾い出せば、業種・業界の退場・リストラによる加入員
減も制度の成熟に伴う年金給付費の急増も原因としては二番手でしょう、なんと言っても
<資産運用の非効率性>が最大の原因ですと断定できましょう。
それは、30年も続いた5.3.3.2資産運用規制、簿価会計、日本一局集中投資、経営観念の希薄な基金事務局、民営化の遅々たる進捗等の弊害が複雑に絡み合って累積されたものです。しかし、なんと言っても5.3.3.2の運用規制の下、日本一局集中投資で行われてきました基金の資産運用は、政府の政策(銀行の不良債権救済の超低金利政策)が全面的なリスクとなり財政悪化をもたらしたということをまず認識すべきでしょう。
その上、国際会計基準の時価導入が数年先に迫ってきて、現行の積立不足金など遥かに凌駕する膨大な「隠れ年金債務」が徐々に明らかになりつつあり、日本経済を更に濡れ真綿で締め付ける事態になってきています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/9a/b22ac4dfa852e27a34fe9e97ab291253.jpg)
それは、30年も続いた5.3.3.2資産運用規制、簿価会計、日本一局集中投資、経営観念の希薄な基金事務局、民営化の遅々たる進捗等の弊害が複雑に絡み合って累積されたものです。しかし、なんと言っても5.3.3.2の運用規制の下、日本一局集中投資で行われてきました基金の資産運用は、政府の政策(銀行の不良債権救済の超低金利政策)が全面的なリスクとなり財政悪化をもたらしたということをまず認識すべきでしょう。
このような認識が無いため、政策のミスマッチングの責任を政府に対して求めるのではなく、ましてや企業に負担させるなど考えもせず加入員に求めて、給付の削減にすり替えるなどという基金に無知な総合職の渡り鳥があちこちに飛び廻っています。
会社が、基金が、約束を果たすために、最初にやるべきことがあるということです。例えば、母体企業の財務体質改善(退職手当引当金の年金化、適格年金の特別法人税回避、退職金の前払い等)、過剰人員・設備のスリム化、社員個々の能力増強、そして戦略の絞り込みによる基金の資産運用能力アップ(10%稼ぎ続ければ大抵のことは解決する)等々。これらのことを実施した上で、給付削減というのであれば理解も得られるのでしょう。
現実に、平成8年度、平成9年度には5.3.3.2規制下で、適用除外を申請してリスク資産配分と言われている日本株・外株・外債の配分を60~70%に高めて、好成績(生保資産を含めました全体資産の修正総合利回り10~8%)を上げた基金も出てきています。
無能基金と優秀基金の利回り格差は7~8%に広がってきています。現況で3~4%しか稼げない基金の常務理事・運用執行理事はレッドカードを与えられて当然でありましょう。
複雑な込み入った事情、金融知識欠如、金融インフラ未整備等、条件は個々の基金ごとに多様ですが、それらを全体的にマネージするのが職責であり、そのマネージの結果が年々の利回りに反映されるのです。結果を出してこそ職責を果たしたことになり、受託者責任にはこのことも含まれているのでしょうし、結果も出さず、給付削減を断行しますなどモラルハザードも極まったということではないでしょうか。
厚生省の受託者責任のガイドラインでは、経過責任だけで結果責任は問われませんが、実際の訴訟の際にはそんな程度で放免されることはまずないでありましょう。引退後、年金生活者になってから過去の結果責任を問われて財産没収・差押えが現実になるでありましょう。そのため、関西の或る基金では、役所の了解を得て裁判に備えて裁判費用のため賠償責任保険を契約したとのことです。
さて、基金の財政悪化を前にして、基金の世界で一般的に何時とは無く誰とは無く言われ始めましたのが、基金の出来る対応策は次ぎの3つですと言われています。
①給付削減
②資産運用効率化
③基金解散
①の<給付削減>は、諸般の事情が重なりあって掛金負担に耐えられなくなった結果、聖域である給付の圧縮を図りましょうと言うものです。②の<資産運用効率化>は、資産運用規制が撤廃されつつある中で、基金の努力次第では効率的運用も可能になってきたことを受けて、一部の基金ではじまった対応です。③の<基金解散>は、文字通り最後に残された選択肢です。
①の<給付削減>を仕掛ける背景には、退職給付を「功労金」と考える経営者が未だに発言権を持っているという現実があることを明らかにしていると考えられます。そうではなく、退職給付は純然たる「労働の対価」であって後払い賃金であり、人を雇用した経営者には租税負担同様に付いて回る債務です。緊急に今、加入員の受給権(特に加算部分)を法制化を含めて如何に確保・保全するかが問われているということです。
②は、超低金利の政策責任(5兆円?)を基金として政府・官僚に求めるだけではなく、基金自らが受託者責任を果たすために所与の条件の戦略的絞り込みを図って最良執行を行うべき性質の問題です。<資産運用効率化>を達成するために為されなければならないことはたくさんあります。 例えば、金単(英単をなぞって金融関係用語)2万語という人もいます。「運用のプロになるためには、2年間の集中学習、10年間の実務経験、2万語の用語の理解が必要」(村田純一)。筆者であれば、金融関係読書500冊、程度としか言えませんが。どちらにしても、基金の資産運用について基金事務局自体が資産運用のプロフェッショナルにならなければ、誰がそれを行うのか。とは言え、日々の基金業務執行の場面で、総合職の渡り鳥(経営者・理事長・常務理事・運用執行理事・事務長等)、つまり金融の知識・経験のないアマチュアが、「上がり感覚」で切磋琢磨の猛烈な学習もしないまま恣意的な判断を繰り返しているのも惨めな現実ではあります。この点は、基金の世界だけではなく、日本全体において、日本人は金融の知識・経験のないアマチュアであるのですが、このことが国家的な損失につながる段階にあり、早急にキャッチ・アップが求められています。
③の<基金解散>は、現実にそうなった基金とそうなりつつある基金が数多いですが、「代行返上論」とか「年金民営化論」とか「年金法」で議論されるようになってきました。最近、紡績業基金裁判の判決が出て、基金は現行の法制解釈から「公共組合」とされ、一部の業務執行行為(解散)が国家賠償法の「公権力の行使」という判断が示されました。
結果、厚生省による代行分の積立不足金補填の道(平成10年7月20日日本経済新聞トップ記事:厚年基金の積み立て不足・公的年金で一部補てん)が担保(対国民、対大蔵省等に対して)されてしまいました。「公権力の行使」という隠れ蓑に、又もや時代に逆行してモラルハザードの温存(総合基金救済)、ハイコスト体質の維持(切磋琢磨不要論)、お上への依存(自己責任の放棄)が白昼堂々とまかり通ることになってしまいました。
つまり、ここから類推すると、現行の日本の法制体系は自己責任にインセンティブを与えるのに逆行するシステムになっているということでしょう。とは言え、資産運用等の「私経済作用」は「公権力の行使」から除外され民法適用でありますから、この点では理事長・常務理事等の責任回避は難しいのでしょう。
どちらにしましても、以上申してきました厚生年金基金の「未曾有な事態」は現象論であるに過ぎないでしょう。
根本的には戦後日本経済の破綻(平成9年と想定する)を機会に、日本の社会・経済構造の改革を視野にグランド・デザインから議論・考究されるべき性質のものでしょう。要するに、問題はミクロではなく、マクロの時代なのでしょう。
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