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人様のお金-厚生年金基金は何になるのか No.4

2010年09月09日 | 厚生年金基金
第3章 厚生年金基金の資産運用方法

(1)それとも資産運用で稼ぐか

日本全体が未曾有な事態を迎えているという認識は一般的になってきましたが、その原因・背景については国民のコンセンサスとまではなってはいないようです。しかし、グロー
バーリゼィションの進展・ボーダレスの蔓延が繰り広げられており、そして日本特有のこととして三種の神器(終身雇用・年功序列・企業内組合)の崩壊が現象する事態となっていることは認識されて来たようです。

これにつれて、日本の年金の世界、とくに年金基金の現場では積立金不足の事態から「掛金増か、給付減か、解散か。」が議論・実行されています。そんな中で、最後の選択肢として資産運用の規制緩和・撤廃を受けて「資産運用で稼ぐ」というシンプルな方法を取り出した基金も現われてきています。当然、現実の基金経営の場面では、これらのどれか一つだけの対処で足りるとは誰も考えてはいなくて、これらの幾つかの現実的な組み合わせを模索することになるのでありましょう。

積立不足金の実態を細分化してみるだけでも、低金利政策による代行分の政治的ロスの穴埋めを大蔵省に求めたり、免除料率不足による不足金は厚生省に請求書をだすべきものですし、数理的不足金分は制度を採用した企業の当然の負担ですとか、プロを冠に商売する資産運用機関には定性・定量両面において実績が実現出来ないのであれば、例え企業サイドの株式持合いとか政策運用がまかりとおる事態であっても、シェア・ダウン、または解約で立ち向かうのは当然の行為でしょう。






とはいえ、これら全てのガバナンスの失敗は、最終的に基金事務局の責任ということは言い逃れ出来ませんが、<試行錯誤の切磋琢磨>という道だけは避けて通れないのです。

要するに、ここにきてガバナンスが一層重要になってきている現状、行政サイドは5.3.3.2規制を撤廃する大転換をおこなってきて事後監視型行政に移行しつつあるとは言え、圧倒的に基金のガバナンスは官僚の手に握られており、依然独立法人としての態を無さない状態にあります。基金のガバナンスを考えるうえで、この点が最大のネックですし、ターゲットは明確にここに定まってきたということです。

とはいえ、ガバナンスというものは遺産相続のように贈与されるものではなく、さらに年金基金の世界によく見られる所与の条件で運営していれば足りるなどという発想とは革命的に異なり、新たに作りだすもの、イメージするもの、起業するものです。予定利率5.5%という指標ひとつにしても、厚生省お墨付きの長期国債の5年平均を使うか、或いは逆に基金の必要経費率を、一例として「短期は6.0%、長期は9.0%」の利回りに集約してターゲットとして定め、関係者のインセンティブを鼓舞する仕掛けを内在させるか。これは、経営判断でしょう。

とは言え、一般的に基金はオーナ経営ではないので、組織の中で経営判断の場所として資産運用委員会を機動的に使うことになるのでしょう。その点で、現状では組織に基金問題をオーソライズするには、事務局の指導力というより推進力発揮は不可欠であるし、そのために高度な裏情報も含めた情報収集能力が必要であるし、代替としてコンサルタント等の力も借りなければならないでしょう。




                            ロッキィーズ物語

2 恐怖のアメリカン・ノック

子供たちが尋ねた。「Oコーチ、今度は何?」 「何?」
「アメリカン・ノック!」 「ええっ、アメリカンですか」 「アメリカン!」
子供たちには<恐怖のアメリカン>ではあったが、遊び心と挑戦心で喜々として
センターに走っていった。
ホームベース上から地を這うノック・ボールが、次から次へとレフトとライトへ
飛んでいく。時には、不規則になり、フライも混ざって飛んでいくボールを選手た
ちは取り逃すまいとセンターから懸命に走る。捕球したら、即座にワン・バゥンド
でキャッチャーに返球する。これが、なかなかうまく行かず、30分もやると全員
フラフラとなる。
最後は、捕球した者から順次上がるのだが、息を弾ませて、ホームベースに戻っ
てくる純白の立ち襟ユニフォームの紅顔の野球少年たちの、おお、なんと凛々しい
ことよ! ピュアなことよ!




平成10年になって、日本発の世界同時株安不安、株式と債券の異様な相関性(過去30年ほどの統計では必ず逆の動き方をしていた)などという、これまでの金融常識では考えられない事態が生じて現代金融理論(MPT)等の成果である「国際分散投資」に疑問符が冠せられる事態となり、そこから従来のカントリーによる分散からテーマによる分散、ベンチマーク無意味論、それに「非相関運用」等が脚光を浴び始めてきています。

それなのに、この国の金融インフラ・ノウハウは「国際分散投資」にさえキャッチアップ出来ず、一部の本邦系信託銀行では外物のカストディを外資系信託銀行に手放さざるを得ない事態を迎えています。従来の護送船団体制では、そのようなことは外聞が悪いからとハイコストで利益にならないことでも負担してきたようですが、コスト意識の点では現実認識が進んだということで評価できることではありますが、グローバリゼーションの進展のなか一歩も二歩も後退ではないのでしょうか。というより、本邦系金融機関の実力が「総提携化」に走らざるを得ないほどのレベルであることを認識されたいということなのでしょうか。
このようなグローバルな金融動向と国内金融事情の大幅な乖離の中で、日本の年金基金の資産運用をどのように構築していったら良いのか、ここは各基金とも更に一層切磋琢磨の時ですということでしょう。



マクロ的に見ると、家計の支出は住宅投資を含めても、所得の枠内に収まるが、
法人部門では所得の二倍以上の設備投資をしている。
経済環境にダイナミックに反応する企業にメリットを与える(保険方式から税法
式へ)ことで、年金財源の変更という、一見ゼロサムの政策が「有」を生む可能性
がある・・・・・・・

猿山純夫「基礎年金改革ー税法式、マクロ改善効果も」
日本経済新聞:経済教室 1999.8.13




(2)基金の見た日本の資産運用環境

この国の資産運用環境に遅れて参加した年金基金は、大蔵省の産業資本調達システムと化している統制市場と風説の流布等により賭場と化している投機市場、<人様のお金>を業者にかっさらうがままにさせている政府・国民の拙劣な資産運用文化の後進性を見せられることになりました。併せて、基金自体の資産運用文化の度合いを振り返ってみることにもなり、丸投げとも言われる全面的な「お任せ運用」の実態に愕然とすることになりました。

どちらにしても、資産運用に関しては日本全体が0からのスタートであることは変わらないのです。資産運用すべき元手がない<肉体労働>の汗水時代が長く続いてきて、突然、金が積み上がって来たのです。それなのに、政府も行政も学会も金融機関も企業も個人も、そして年金基金も、<資産運用>についてはまったくのド素人であり、プロフェッショナルがいない状態なのです。

厚生省管轄の厚生年金基金制度の中に資産運用という省をまたぐ問題がクローズアップされ、監督当局が縦割り行政の弊害で二つになり、行政の整合性がはかりがたくなっていました(直近ではこれが4省問題になっています)。それが図らずも具現されたのが、先般の紡績業裁判での司法当局の判例と厚生省が推し進めている受託者責任の考え方の相違であります。国の指針のこうも明らかな相違は政治の明確なビジョンが確立していません混迷期特有の試行錯誤の一つかと見るにはお粗末に過ぎやしないでしょうか。法制・行政サイドにも、不勉強な経験のない偏差値秀才しかいなくてプロと呼べる頑健な者が育成されていない実態が明らかになってしまいました。

さらに、制度発足以来、基金の世界では、信託・生保を資産運用のプロと位置付けてきましたのは、昭和時代の終り頃まででありましたろうか。今にして思えば、基金自体のド素人程度から推し量り相対的にプロでありますと、基金が勝手に責任を押しつける意味で使っていたのであり、護送船団体制の中でぬくぬくと生きてきた者逹の化けの皮が剥がれてみると、ド素人より質の悪い全て金太郎飴のゼネラリストのゴマスリ集団にしか過ぎなかったのです。

 一方、年金基金の資産運用を担う役職員はどうかと言えば、行政サイドや金融機関等と同様に単独・連合設立基金では基金事務所の位置付けさえ一般企業ゼネラリストのキャリアの2~3年の通過セクションでしかなく、悪くすればゼネラリストの墓場となっていましたし、総合設立基金の天下り役職員に至っては社会保険行政経験者ではあっても複式簿記すら知らず、ましてや資産運用業務など夢の又夢のような仕事でありました。

つまり、戦後、日本全体が総じてゼネラリストと化していて専門職を育成しなかったのです。ゼネラリストの金太郎飴集団だけで足りるような統制を実行してきました結果、得たものは統制によって囲い込まれた巨額な金融資産と、それに反比例して国民の全体主義的封じ込み、国民の子羊化をもたらしてしまったのです。

このような環境の中で、基金の資産運用能力も行政サイドに封じ込められていて何もない状態でありました。基金経営の観念も資産運用という哲学も金融の実務も、ましてや経営指針も運用方針も運用体制も、さらに戦術的に重要なノウハウ(マネージヤー・セレクション、カレンシー・オーバーレイ、アクティブ・ヘッジ等)もない、ゼロ状態でしたのです。


(3)世界の資産運用環境

運河の国オランダの郊外はこんもりとした森の多い国で、1990年に地方小都市の基金事務所を訪問したとき、調査団のバス(UDにあらずベンツ)が訪問先の事務所が森の中で分からなくなってしまい、しばし立ち往生。街角の花屋のガーベラ咲き誇る店先で。

事務所からの迎えの車に先導され森の中の街路をしばらく行くと、敷地を示す簡素な門を入って森の中の点在する木々の下の芝生が見事に養生された中の曲がりくねった道を5分も走っただろうか、3階建ての事務所の前にバスは止まった。見れば、事務所わきの小屋の前に「PENSIONENFONDS PGGM」とシンプルに記されていました。

ほとんどが森の広大な敷地の中央に3階建ての独立ビルを構えたこの年金基金事務所は加入員数36万人、年金受給者6万3千人というオランダの病院および福祉事業従事者を対象とした基金で、オランダで二番手の大きさの基金とのこと、職員数は600人である。

部屋を薄暗くして行われたプレゼンテーションで印象的だったのは、年金をインフレからまもって保証することを基金の目的にしていること、35年という長期展望のもとに計画をたてていること、分散投資に注力していること、不動産投資で極東・日本にまで投資しているとのこと等々でした。1990年当時の日本の厚生年金基金レベルとは天と地の開きの有る現実に、調査団一同ただただ呆然とするばかり。叩きのめされたようなインパクト!

あれからほぼ10年、グローバルな金融の世界ではいろんなことがあったし、本邦金融機
関にも未曾有な事態が押し寄せ、日本の基金サイドの研究・情報収集も進み、資産運用規制もほとんどなくなり運用体制も徐々に整ってきました。資産運用環境の激変はかってないスピードと量で行われています。マネーの論理は、ついにソビエトの統制経済をも打ちのめしてしまいました。ロンドンには金融のウィンブルトン現象が発生し、東京には純然たる本邦金融機関は無くなりすっかり外資系金融機関と提携するに至りました。ベアリング、米国大和證券、住専、日産生命、山一、託銀、長銀、大蔵省等々、明らかになるのは<旧来組織の疲弊>ばかりです。ブレ幅の大きくなったボラティリティ増大のデリバティブ市場にβの資本資産評価モデルあり、投機に特化した莫迦なヘッジファンドあり、非相関運用あり、世界同時株安で怪しくなってきました国際分散投資理論ありで、市場環境はグローバルでボーダーレス化し、運用技術の多様化・高度化につれ瞬時性を高め、次々と規制・統制を破壊しつつあり、それに連れてリスクは高まる一方です。



統計的データとその定量的分析はカントリーリスク評価における重要な役割をに
なっているが、この問題が複雑なだけに、主観的な判断もまた決定的重要性をもっ
ている。
(チャータード銀行)

カントリーリスク評価は、しょせん科学というより芸術である。
(チェイス銀行、マリン・ミツドランド銀行)

渡辺長雄『カントリーリスク』



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