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ひなちゃんを救う会

2013-02-27 12:00:30 | ニュースとか
川崎市の小学生・浜崎陽菜ちゃん(8)が、昨年9月に米国での心臓移植を終え帰国し療養中だったが、今月23日に退院し、25日に川崎市役所で御礼会見、「うれしい、学校で体育がしたい」と元気な姿を披露。
ひなちゃんを救う会で集めた寄付金は1億3773万円に上り、両親は「一個人では集められない額。感謝以外の言葉は無い」と謝辞を述べた。
以降、ひなちゃんを救う会は活動を停止し陽菜ちゃんの回復具合を見ながら、残金を同様の問題を抱える他の児童に寄付して解散する、としている。
まぁ個人的には先天性疾患で最初から「長くは生きられないよ」と宣告されてるはずの子を他人の善意にすがりながら延命することにどんな意味があるんだろう…とか思ったり。
移植してハイ全快!ってもんでもなく、今後ずっとメンテナンスが必要だし。
別にどっかに同様の子が居て、救う会が発足して募金活動するのも咎める気も無いし、それに協力して募金する人にもどうこう言うつもりも無いけどね。
アタクシ個人は絶対に募金なんてしないよって思ってるだけで。
まぁネットでは死ぬ死ぬ詐欺だとか、金にもの言わせて外国で移植の順番待ちに割り込む行為とか、不明瞭な会計で焼け太ってんじゃないかって批判されてるケースもあるけどね。
アタクシもちょっと前まではそんな風に思っていたこともあって募金自体に否定的な意見に寄ってたんだけれど、結局の所、すべて「エゴ」の一言で片付いてしまうことに気がついてからはそんなに目くじら立てる必要も無いかなぁって気になってきたわけで。
遠くの知らないどっかの誰かが死んでもなんの感慨もないけど、飼ってたペットが死んだら悲しいわけで、救う会で活動する連中にとっては遠くの外国人の子供と知り合いの子供を天秤にかけたら知り合いの子供のほうを優先するのは当然のこと。
押しのけたっていうけど、別に日本人だけが押しのけられる特権を持ってるわけじゃ無いんだよな。
押しのけられたほうは現状に悲観し救う会の連中みたいになりふり構わず他人の情に訴え善意にすがる行動を起こさなかっただけって見方も出来るわけで。
身近な人を優先したいのもエゴだし、悲観して諦めたのに金の力で割り込んできたことを呪うのもエゴ。
一方で余った募金をどうするかってのも別に貰った方が好きにすればいいと思う。
募金したほうは「俺っていいことしたよなぁ」って偽善の充足感に満たされているんだからwin-winの関係じゃないの。
焼け太りの余剰金にして欲しくなければ、募金する前に必要な金額と集まった金額や余剰となった場合の使途を明確にさせた上で募金するかどうか判断するべきなんだし。
制度的なものに対して個人的見解を言うとすれば、個人や個人を対象とした救う会への個別募金は禁止して、基金作って募金や寄付金については原則、基金に対してのみ受け付けてるべきだと思うんだよね。
で、基金が希望者に無利子貸し付けする。
それでもなお個人を助けたいのであれば、きちんと贈与という枠組で税金払って対応するべき。
通常必要な医療費は保険とか医療還付とか色々制度があるんだから、それ以上のことを望むにはやはり個人の負担にすべきで、そこを募金で他人に負担させようとするんだから優遇しなきゃならない理由が無い、無いどころが逆にそこは贈与としてきちんときりわけなきゃいけない部分。
「治療に使ったお金については、どこまで返済できるかわからないが、毎月500円でも1000円でも返せるだけ返したい」と言うのであればアタクシだって献金することはやぶさかでは無いんだがね。


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