戦争中は米、鉄などの貴重品は国のためだからと供出させられ、農家でも食べ物は余りなかった。子供の私も人手不足で仕事を手伝わされた。特に印象に残っているのは、桑の木の皮は剥ぎだ。兵隊の服の原料になると、聞かされた。ノートはわら半紙で質は悪く、こするとすぐ穴が開いた。富んでる飛行機はすべてアメリカで、飛行機からビラが落ちてきた。それは降伏を勧めるものでしたが、紙質は今まで見たことがない上質なものだった。当時の生活は今のアフリカの難民の生活とほぼ同じでした。多くの人が栄養失調でしたが餓死者は少なかった。でも2度とあの生活はごめんだ。