高齢者のひとりごと

 日常の出来事に自分の思いをつづっていくつもり

セミの騒音

2005-08-30 13:35:41 | Weblog
 朝夕はずいぶん涼しくなってきた。 今日も早朝体操で公園に行った。 相変わらずセミの声がうるさいが、鳴いているのはミンミンゼミだ。 芭蕉の岩に染み入ったのは油ゼミだろうが、ミンミンゼミはそれに比べると声に抑揚があり、音楽的だが、同じ音楽を長く聞かされると騒音になる。 体操が始まったとき、草に露がついていたが30分ぐらいしたら露も消えていた。 少し前より早く無くなったような気がする。 晴れていたがそればかりではないようだ。 
  そこで1句。 
        「 秋近し 露も逃げ出す セミの声 」 

スイカの涙

2005-08-28 12:22:27 | Weblog
 早朝体操に行った。 途中の畑にスイカ10数個が取り残されて捨てられ転がっていた。 中玉、小玉で商品価値はないからだろうが、今年もスイカは高かった。 1/4切れのしか買えなかった。 捨てられたスイカは人格じゃないスイカ格は丸つぶれで悔しいと思っているだろうな。 そのスイカを見たら1個につるのところに水滴があった。 そこで1句。 
  「 捨てられた  畑のスイカに  涙露 」  

台風が通過した

2005-08-26 09:37:12 | Weblog
 今朝、台風が通過した。 雨がやんでいたので、早朝体操に行ったら公園の広場は雨上がりで何の跡もなくきれいに整地されたようになっていて気持ちがよかった。 だが、樹木が強風でざわめいていた。 参加者は少なく、風も涼しく、セミもうるさくなっかた。 ただ、小枝や柿の実などが落ちていたから木にとってはこわかったと思う。  
 そこで1句。 
   「 台風過 身振りで恐怖(強風)を 話す木々 」

セミの合唱

2005-08-24 15:22:43 | Weblog
 今日は少し涼しい。 秋は確実に近づいているようだ。 そういえば最近セミの死骸がやたらに目に付く。 昨日、公園に行ったらいくつかの種類のせみが鳴いて大合唱をいたが、中でもにミンミンゼミの声がもそすごい。 これ以上出せない大声で鳴いてよく声がかれないか、敵に襲われないかセミには余計なお世話かもしれないが心配した。 しかし自分の寿命をよく知っているからかもしれない。 セミの合唱は自分の鎮魂歌と夏を惜しんでいるのだと思う。 そこで1句。
 
 「 往く夏に セミは第九を 合唱し 」

ブーン蚊生活

2005-08-22 16:00:49 | Weblog
 先日雨が2日続いた翌日、菜園の雑草が一段と大きくなったので草取りをしたら、蚊も大量発生していた。 家の中には蚊はいなかったので、服装に油断があった。 蚊は雑草の回し者だった。 結局、1時間ほど雑草と蚊を相手に格闘する羽目になった。 そこで1句。
  「 菜園の 雑草(くさ)抜き蚊には 血を抜かれ 」
 しかし、こんな田舎でも5年ぐらい前に下水が完備してから蚊は大幅に少なくなった。 したがってそれ以前はブーン蚊的な生活で、今はそれより文化生活になったということかな。

朝顔の悩み

2005-08-20 14:52:23 | Weblog
 朝顔は今が旬だ。 朝顔にも人知れない悩みがあるんだと思う。 本当は自立したいがそれができないので、仕方なくいやなものでも絡まなくてはならないし、ときには他の朝顔のつるに絡んだり、絡まれたりしなければならないからストレスがたまるだろうな。 そのためかなー。 朝顔の花が午後にはしぼんでしまうのは。 私の頭の毛が薄くなったのもストレスが大きな原因だからな。 同病相哀れむか。 そこで1句。
   「 朝顔は 絡むストレス 早しぼみ 」 

ゴキブリが出た

2005-08-18 15:13:40 | Weblog
 久しく見なかったゴキブリが出た。 ヤマトゴキブリという大きなほうだ。 真っ黒な不気味な体ですばしっこくて。 前回は台所に出て大立ち回りしたが、冷蔵庫の下に逃げられた。それが昨年の7月だ。 なぜ覚えているかって?。 1年の季節は4つだから足掛け5季になるからさ。 今回は風呂場に出たので、隠れるところがなかったから私に軍配が上がった。 ゴキブリって俳句の季語は「夏」なんだってね。 そこで1句。
      「ゴキブリに 5季ぶり会ったが 100年目」
 なんか親の敵に会ったような句になったなー。

セミしぐれ

2005-08-16 15:17:50 | Weblog
 1週間ぐらい前からセミの声がうるさくなっていた。しかし今年は例年に比べ少ないような気がする。  今日散歩中、道路端にセミの死骸があった。
 別に傷は内容なので寿命だと思うが、そばの数本の木から数匹きのセミの声が聞こえてきた。同僚?の死のそばで合唱しているのは弔いと自分の命が短いことを知って自ら勇気付けているのかもしれない。
 そこで1句。   「残命を 張り上げカラオケ セミしぐれ」

戦争体験記(3)

2005-08-14 15:23:08 | Weblog
 明日は60回目の終戦記念日だ当日は夏休み期間中で朝から晴れた暑い日だった。前日に明日の正午のニュースを聞くように村から指示をされていた。その内容はよくわからなっかたが、大人の話から戦争に負けたと知った。空襲はもうないといわれたことが一番うれしかった。それまで板へいた以外なくなり、竹やりの訓練もなくなり学校の名前も変わり、校内にあった神社もこわされるなどものすごく変わったと思った。それに復員などで家族は倍になり食糧難や物乞い、乞食、犯罪などが増加して不安な日々が続き、とても勉強どころではなかった。そのためか小学の高学年になって教師からこのクラスは頭が悪るいなどといつも言われていた。戦争さえなければもっと楽しい、希望のある生活が送れて今より充実した人生になったのに、と今でも思っている。

戦争体験記(2)

2005-08-12 16:11:30 | Weblog
 戦争中は米、鉄などの貴重品は国のためだからと供出させられ、農家でも食べ物は余りなかった。子供の私も人手不足で仕事を手伝わされた。特に印象に残っているのは、桑の木の皮は剥ぎだ。兵隊の服の原料になると、聞かされた。ノートはわら半紙で質は悪く、こするとすぐ穴が開いた。富んでる飛行機はすべてアメリカで、飛行機からビラが落ちてきた。それは降伏を勧めるものでしたが、紙質は今まで見たことがない上質なものだった。当時の生活は今のアフリカの難民の生活とほぼ同じでした。多くの人が栄養失調でしたが餓死者は少なかった。でも2度とあの生活はごめんだ。