Senkaku Library 尖閣ライブラリー

尖閣諸島は日本の領土である動かぬ証拠

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籌海図編

2012-11-14 | 中国側の古文書・地図


明朝蕭崇業使琉球錄中琉球過海圖除了釣魚台也畫小琉球等島嶼。


籌海図編 1562年





這就是保釣團體宣稱釣魚台納入明朝版圖的鐵證,明朝浙江提督胡宗憲組織編纂的《籌海圖編》一書中的「沿海山沙圖」。可是裡面也有雞籠山(台灣),但明朝當時並未將台灣納入版圖啊!

中国側は、鄭若曽の『籌海図編』巻一の「福建沿海山沙図」をもち出して、その中に釣魚台などの見出されることをもって、これらが中国領の島嶼とみなされていたとされる。しかし、『籌海図編』のような沿海図は、自国の領土だけでなく、その付近にある島々や地域を含めるもので、ここに記載されているからといって、明朝の領土であったという解釈は成り立たない。




『日本一鑑』 「小東の小嶼」は「台湾の附属島嶼」ではなく、「小東洋(日本近海の海)の小島」

2012-11-14 | 中国側の古文書・地図
《地圖考證》(地図考証)


明朝鄭舜功「日本一鑑」根本就把小琉球(台灣)看成另一個國家大惠國。

『日本一鑑』は、1555年、倭寇対策のために明朝の浙江巡撫の命により日本に派遣された鄭舜功が、九州滞在3年の後に帰国して著作した書物である。同書の第三部に当る「日本一鑑桴海図経」に、中国の広東から日本の九州にいたる航路を説明した、「万里長歌」がある。その中に「或自梅花東山麓 鶏籠上開釣魚目」という一句があり、それに鄭自身が注釈を加えている。大意は福州の梅花所の東山から出航して、「小東島之鶏籠嶼」(台湾の基隆港外の小島)を目標に航海し、それより釣魚嶼に向うというのであるが、その注解文中に、 「梅花より澎湖の小東に渡る」、「釣魚嶼は小東の小嶼也」とある。


「尖閣は中国の領土」と主張する日本人学者、井上清氏は、『釣魚嶼の史的解明』の中で次のように述べている。
小東島の小嶼という記述を確認し小躍りしている。

一五 いくつかの補遺

 釣魚諸島が無主地でなく中国領であったということが確認されれば、いかなる「先占」論も一挙に全面的に崩壊する。(中略)私見をさらに補強する史料が、前記の雑誌『学粋』に出ている。それは、方豪という人の「『日本一鑑』和所記釣魚嶼」という論文である。
(中略)同書の第三部に当る「日本一鑑桴海図経」に、中国の広東から日本の九州にいたる航路を説明した、「万里長歌」がある。その中に「或自梅花東山麓 鶏籠上開釣魚目」という一句があり、それに鄭自身が注釈を加えている。大意は福州の梅花所の東山から出航して、「小東島之鶏籠嶼」(台湾の基隆港外の小島)を目標に航海し、それより釣魚嶼に向うというのであるが、その注解文中に、「梅花ヨリ澎湖ノ小東ニ渡ル」、「釣魚嶼ハ小東ノ小嶼也」とある。この当時は小東(台湾)には明朝の統治は現実には及んでおらず、基隆とその付近は海賊の巣になっていたとはいえ、領有権からいえば、台湾は古くからの中国領土であり、明朝の行政管轄では、福建省の管内に澎湖島があり、澎湖島巡検司が台湾をも管轄することになっていた。その台湾の付属の小島が釣魚嶼であると、鄭舜功は明記しているのである。釣魚島の中国領であることは、これによってもまったく明確である。こういう史料は、中国の歴史地理の専門家は、さらに多く発見できるにちがいない。

(井上清『釣魚嶼の史的解明』より)
(太字・赤字は筆者)



「小東」とは台湾のことであると、井上清氏は断定しているが、「小東」とは台湾のことではなく、マテオ・リッチが命名した日本の東方海中の「小東洋」という海域のことである可能性が高い。

マテオ・リッチが作成した「坤輿万国全図」(明、万暦三十年・1602年)という地図には、赤道よりやや北、現在のハワイ付近の海中に「大東洋」としるされ、赤道の南の大洋洲の海中に「寧海」と誌してあり、日本の東方海中に「小東洋」、ポルトガルの西方海中に「大西洋」、インド西方海中に「小西洋」と誌してある。小東洋とは西洋人の伝えた概念で、明代から清代に至るまで使われた概念である。

『日本一鑑』の著者である鄭舜功は中国人であり、日本に3年滞在したに過ぎない。
船の中で「小東洋の小嶼」(=日本近海の小島)という言葉を聞き、「小東」は「小琉球(台湾)」と同じ意味を表すと誤解してしまった可能性も指摘されている。




偽物の西太后詔書

2012-11-14 | 中国側の古文書・地図
如果發現命名、經過能作為領土依據,那世界各國紛紛根據古代海圖、遊記主張領土,最吃香的恐怕是西班牙、荷蘭..等探險風氣興盛的國家。而且在正史《後漢書》書中,可清楚記載了「羿請無死之藥於西王母,姮娥(嫦娥)竊之以奔月。」

如果這些白痴的邏輯成立,其實月球也是中國的固有領土,且登載於二千年前的後漢書。中國趕快為了美國侵犯中國固有領土,去跟美國開戰吧!
可笑的是慈禧太后賜釣魚台給盛宣懷的聖旨早就被拆穿一場騙局了,保釣人士居然還把它當寶貝!!


偽造された西太后詔書

【慈禧太后將釣魚台賞給盛宣懷的諭旨】




(以下、茂木弘道 「尖閣諸島は日本固有の領土である」より転載)


西太后の詔書は偽物と断定できる。光緒19年(1893年)清朝大官盛宣懐が釣魚島・黄尾嶼・赤尾嶼の三島へ薬草の海芙蓉を採取に赴き、その浄財を慈禧太后に進呈したところ、その薬効から、西太后はこの三島をその者に与えるとの詔書を下されたというのである。

この詔書が偽物である理由は、以下のとおりである。

赤嶼(せきしょ)は草一本生えない岩山であり、久場島や魚釣島はこの時期には古賀氏が開拓経営していたが、そのような採取をした中国人がいたなどとは全く言われていなかったし、また、薬草が算出された記録はない。

清国が当時、これらの島を自国領と見ていたのなら、明治初期から28年に至る間、度重なる日本側の探査、調査、地図上の日本領との記載、そして28年の領有にたいして何故まったく抗議がなされなかったのか。そのようなことはあり得ない。

この詔書は通例の形式ではない。10月とだけあり、日付がない。また、玉爾(ぎょくじ)も違っている。盛宣懐は光緒19年当時、詔書に記載されている「太常寺正」ではなかったことも確認されている。ニセ詔書作りにチョンボがあったということだ。残念ながら、これだけで100%捏造ものと結論づけられる。

この記述は、「清朝実録」「東華録」「東華統録」にも見当たらない。領地を与えておきながら記録に皆無というのは、ほとんどあり得ない。