パウロの生涯(02)
パウロの回心――神のチャレンジ
※以前に掲載したものを改訂して再掲します。
※聖書は特記しない限り、新改訳2017(新日本聖書刊行会)を用いています。
※聖書にはサウロと書かれている場合でも、説教内では、便宜上、パウロと表記しています。
「さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅かして殺害しようと息巻き、大祭司のところに行って、
ダマスコの諸会堂宛ての手紙を求めた。それは、この道の者であれば男でも女でも見つけ出し、縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。」
使徒の働き 9章 1〜2節
熱心なユダヤ教徒であったサウロ(=パウロのこと。サウロはユダヤ名)は、ダマスコの会堂にキリスト者たちが集まっていることをかぎつけて、逮捕し、エルサレムに連行しようと思いました。
しかし、気を付けてほしいことが2つあります。
まず1つは、
パウロはならず者ではないので、
大祭司のもとに行き、正式に逮捕状をもらって、正規の手続きを経て、捕縛していたということです。
また、死刑にする場合も、律法の規定に従っていました。
もう一つは、
聖書には書かれていませんが、
パウロが捕縛していたのは、主に異邦人や地中海全域に離散して、ユダヤに戻って来た帰還ユダヤ人のように、
割礼や律法を守らない人たちです。
ステパノもそのうちの一人でした。
クリスチャンであっても、
割礼を受け、律法を守っているユダヤ主義者たちは捕縛の対象ではありませんでした。
パウロは「自分は正しい。律法を守らない人たちは間違っている。」 そう思っていました。
「あんな人は居てはいけない。居るべきではない。」そう思っていました。
私たちへの適用
私たちはどうでしょうか?
考え方や性格が自分と合わない人に対して、
また、自分たちとは違った教義を持つ教派や教団に対して、
「自分たちが正しい。あの人たちは間違っている。」
「あんな人たちはいないほうがいい」
そう思うことはないでしょうか?
しかし、そんな私たちにも、イエス様は「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」(使徒9:5)
とおっしゃっておられるのです。
また、ルカの福音書では、悪霊祓いをしていた他の集団に対して、イエス様は「やめさせてはいけません。あなたがたに反対しない人は、あなたがたの味方です。」(ルカ9:50)
とも言っておられます。
キリスト教は、そして何よりもイエス様は、異端でない限り、多様性を認めているのです。
「あの人もここにいていい、この人もここにいていいのです。」
イエス様との出会い
さて、聖書の箇所に戻りますが、
パウロは、キリスト者たちを捕縛するために、ダマスコに入って行こうとしていました。
すると突然、まばゆいばかりの強い光に照らされて、乗っていた馬も驚いて、パウロは落馬してしまいました。
その時、天から声が聞こえてきました。それが先ほど触れました
「「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」・・・「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」
使徒の働き 9章 4〜5節
という、イエス様のみことばでした。
よみがえって今も生きている復活のキリストが、主イエス様が、パウロに直接、語りかけられたのです。
その時は訳が分からなかったと思いますが、パウロは自分が間違っていたことに気づかされ、イエス様を受け入れたのです。
神のほうから近づく
この聖書の箇所から教えられるもう一つのことは、
神様のほうからのパウロに近づいてきてくださったということです。
自分の正義感から、クリスチャンを迫害し、抹殺しようとしていたパウロに、イエス様のほうから近づき、語りかけて、彼の過ちを示されたのです。
これは本当に神様の一方的な恵みです。パウロに対する神様の憐れみです。
現代への適用
パウロと出会ってくださり、パウロを救ってくださったイエス様は、今も生きておられます。
そして今もイエス様を信じていない人たちに出会いたいと願っておられます。
神様(イエス様)は、このブログを通して、また私はやっていませんが、YOUTUBEなどを通して、
時にはバッハなどの音楽を通して、
色んな方法を使って、
神様の方から近づいて来られ、ご自身を現してくださいます。
伝道はそのような神様の働きに参与させていただくものです。
私たちは、パウロの例を通して、
「あんな人は救われないだろう、教会には来ないだろう」と勝手に決めつけてしまわないで、
神様のほうから出会ってくださるように祈り、また聖霊の導きを祈り求めつつ、自分にできる方法で、また相手に伝わりやすい方法で、伝道の業にも参与させていただきましょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます