説教でたどるパウロの生涯

 「使徒行伝」などの説教を通して、パウロの生涯を学び、信仰生活の道しるべとします。

目からウロコ

2025-01-24 07:42:49 | パウロの生涯に学ぶ
パウロの生涯(03)


目からウロコ


※以前に掲載したものを改訂して再掲します。

※聖書は特記しない限り、新改訳2017(新日本聖書刊行会)を用いています。

※聖書内でサウロと表記されている場合でも、説教内では便宜上パウロと表記しています。



神様はパウロが働きを始められるように、人を用いられました。

今日は述べませんが、
パウロを探し出して、パウロがクリスチャンの仲間に入って、一緒に伝道できるように執り成したバルナバも、その一人でした。 

今日、取り上げるアナニヤは、
パウロ――この時はまだサウロと呼ばれていますが、便宜上パウロで統一いたします――が視力を回復し、聖霊に満たされて、クリスチャンとしてスタートできるように導きました

神様はパウロがクリスチャンとしてスタートできるようにアナニヤを用い、さらに伝道者としてスタートできるようにバルナバを用いられたのです。


ちなみに「アナニヤ」という名は、ヘブライ語の「ハナヌヤ」のギリシア語形で「主は恵み深い」という意味があります。


また、パウロは後にアナニヤのことを「律法に従う敬虔な人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人たちに評判の良い、アナニアという人が・・・」(使徒 22章 12節)

と言っています。


さて、聖書の物語に入っていきます。

パウロはまばゆいばかりの光を浴び、視力を失いました。
そして地に倒れたパウロは、人々に手を引かれて、ダマスコにいるユダという人の家に入って、そこに滞在していました。

それから3日経った頃、同じダマスコにアナニヤというユダヤ主義クリスチャンがいました。

ユダヤ主義者というのは、クリスチャンになってからも、律法を厳格に守るユダヤ人キリスト者のことです。

ここでもイエス様が主導権を握られます。


主(イエス様)は、幻の中でアナニヤに現れ、彼にパウロのところに行くように命じられました。

しかし、それを聴いたアナニヤは驚き、激しく動揺しました。 

そしてアナニヤはまず自分が恐れていることを包み隠さず、そのままイエス様に申し上げます。
「主よ。私は多くの人たちから、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。
彼はここでも、あなたの名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから与えられています。」(使徒 9:13〜14)
アナニヤはそう言って、断ろうとしました。



祈って打ち明けること

心の中に恐れや不安があるなら、それを包み隠さず、あるがままをイエス様に申し上げることが大切です。

子どもが不安に思っていたら、親は打ち明けてほしいと思うし、また親が解決できることはしてあげたり、また解決方法をアドバイスしたりできます。

私たちと神様(イエス様)とも関係もそれと同じです。

私たちが神様に心の中にある心配事などを包み隠さず、あるがままを打ち明けるなら、神様がそれを聴いてくださり、動いてくださるのです。


さて、イエス様はそんなアナニヤと論争することも、彼を説得することもしないで、ただ
「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。
彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示します。」 (使徒9:15〜16)
と言われました。


イエス様が主導権を握られ、
イエス様が中心となって働かれると、あらゆる危惧や恐れは消えてなくなります。


祈るパウロ

「ユダの家にいるサウロという名のタルソ人を訪ねなさい。彼はそこで祈っています。」(11節)
・・・そこでアナニアは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いて言った。
「兄弟サウロ。あなたが来る途中であなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」
するとただちに、サウロの目から鱗のような物が落ちて、目が見えるようになった。(17〜18節)


アナニヤがパウロのもとに行くと、パウロは祈っていました。 
そしてアナニヤがパウロの頭に手を置くと、目が見えるようになりました。

ここで、もう一つ着目しておきたいことは、パウロが祈っていたということです。


聖書を読む時の読み方の1つに、
神様(キリスト)以外の登場人物になりきってみるというのがあります。

ここでパウロになってみましょう。
パウロはイエス様から「なぜわたしを迫害するのか。わたしはあなたが迫害しているイエス様である。」
というイエス様のことばを聴き、
自分が神様を迫害していた、神様の御事業の妨害をしていたということを知りました。

今まで自分は正しいと思ってやって来たのに、それが間違いであったということが示され、罪の意識にさいなまれたことでしょう。

それと同時に、これからどうしたらいいのか分からなかったということもあったと思います。

それでパウロは、断食をして、必死に、懸命に祈リました。

そして、イエス様はそんなパウロのためにアナニヤを遣わして、パウロに聖霊を注ぎ、彼に神の怒りではなく、神様の御計画が見えるようになさったのです。



祈る私たち

私たちも時には罪の意識にさいなまれたり、これからどうしたらいいのか分からないということがあります。

そのような時にはまずパウロのように祈ることです。
そうすれば、イエス様は私たちに聖霊を注いでくださり、また牧師の説教や聖書のことばを通して、ゆるしの確信を与えてくださいます。

また、時には神様はアナニヤのようなアドバイスをしてくれる人(牧師など)を与えてくださったりして、
神様の御心にかなった正しい道に導いてくださいます。












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