説教でたどるパウロの生涯

 「使徒行伝」などの説教を通して、パウロの生涯を学び、信仰生活の道しるべとします。

アンティオキア教会とバルナバ

2025-01-24 13:07:30 | パウロの生涯に学ぶ
 
パウロの生涯(05)


※聖書は特記しない限り、新改訳2017(新日本聖書刊行会)を用いています。

※聖書内でサウロと表記されている場合でも、説教内では便宜上パウロと表記しています。

※今回は説教というより、聖書の学び(解説)が中心になります。



"さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。
ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。
そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。(使徒11章19〜21節)


アンティオキアは、ローマ帝国では、ローマ、アレキサンドリアに次ぐ大都市であり、
また異邦人(ギリシア人など)も多く、港が近く、広く地中海に開かれていました。
そういった開かれた環境は、まさに世界宣教の本拠地としてふさわしかったのです。


キプロスクレネ(アフリカ北部のリビアにある港湾都市。ギリシア人の都市。イエスの十字架の横木を背負ったクレネ人シモンの出身地。)には、
ユダヤから各地に離散していったユダヤ人がたくさん住んでいました。

彼らは、ユダヤ教のお祭りの時にはエルサレムにやってきていましたが、彼らの中には、ペンテコステの日(あるいはそれ以降)にクリスチャンになった人たちも多くいました。


しかし、ステパノの殉教後、迫害が激しくなって、彼らは難民のようになって、フェニキア、キプロス、アンティオキアなどに移住していきました。

彼らは各地(行く先々)でユダヤ人たちに福音を宣べ伝えていましたが、
アンティオキアに来たユダヤ人クリスチャンたちは、ユダヤ教徒ではないギリシア人(異邦人)たちにも福音を宣べ伝え始めたのです。

しかも、「主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。(21節)」というのです。



無名の信徒たちによる伝道

アンティオキア教会を創り上げて行ったのは、キプロスやクレネ出身の無名の信徒たちでした。


現代でも同じではないかと思います。
神様は現代でも、このような無名のクリスチャンたちを備えておられるのではないでしょうか。

ここで大切なことは、21節の「主の御手が彼らとともにあったので」ということです。

主の御手が、無名のクリスチャン一人ひとりの上に置かれている。
言い換えれば、聖霊が無名のクリスチャン一人ひとりに注がれ、聖霊が働かれて、主に用いられる器になるということです。

小さな者でも、神様の御手の中にすべてをゆだねるとき、神様はその人を豊かに用いてくださいます。


バルナバの働き

この知らせがエルサレムにある教会の耳に入ったので、彼らはバルナバをアンティオキアに遣わした。
バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。
彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大勢の人たちが主に導かれた。
それから、バルナバはサウロを捜しにタルソに行き、
彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。
 使徒の働き 11章 22〜26節


大都市アンティオキアにもキリスト教会ができたということは、すぐにエルサレム教会にも伝わりました。

エルサレム教会は早速バルナバをアンティオキアに派遣し、調査しました。

バルナバは元々はキプロス出身のユダヤ教徒で、「レビ人」としてエルサレムの神殿で仕えていました。
バルナバは本名ではなく、「慰めの子」という意味のニックネームで、本名はヨセフでした。
また彼は、マルコと呼ばれたヨハネの従兄弟でもありました。

また、24節では「彼(バルナバ)は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。」とも書いてあります。

バルナバの働きは大きく分けて2つありました。

1.新しく信徒になった人たちを励ます

23節には、
「心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。」
と書いてあります。

新しく教会員になった人の中には、一時的な流行やムードで入った人もいたかもしれません。
また家族などから反対されて教会から離れ、キリストから離れてしまうこともあるでしょう。

そのような人たちが教会から離れ、キリストから離れてしまわないように、心を堅くして、主に留まり、信仰に留まっているように励ます人がどうしても必要なのです。


現代の教会でも、教会に来ても受洗まで至らないで、教会に来なくなったり、また受洗しても教会から離れてしまう人がいます。

そのような信仰の弱い人たちのためには、パウロのようなリーダーシップを取る牧師だけでなく、
バルナバのように、地味だけど、友だちのようになってくれる人も必要なのではないでしょうか。



2.パウロのために人々に執り成した。

使徒9:26〜27では、
「"エルサレムに着いて、サウロは弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みな、彼が弟子であるとは信じず、彼を恐れていた。
しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に語られたこと、また彼がダマスコでイエスの名によって大胆に語った様子を彼らに説明した。」
と書いてあります。


サウロ(=パウロ)は、クリスチャンたちを迫害していたので、教会の人たちからは恐れられていました。

バルナバは、そんなサウロがキリスト教会に受け入れてもらえるように、サウロの身柄を引き受け、使徒たちに会わせ、彼が回心した経緯を説明したのです。


そして11章に入ると、バルナバは、
アンティオキア教会の維持と発展、さらに世界宣教のために、どうしてもパウロの力が必要だと思い、
パウロの生まれ故郷のタルソに彼を探しに行きました。
そしてようやくのことでパウロを見つけ、彼をアンティオキアに連れて戻ったのです。


一度目はパウロがキリスト教会に入ることができるように使徒たちに執り成し、
2度目は世界宣教の器として、わざわざパウロを探しに出かけて連れ帰る。
そしてアンティオキア教会に受け入れてもらえるように1年間、一緒に教会生活を行いました。

バルナバは本当に世話好きな人でした。そして何よりもバルナバの働きなしにはパウロはいなかったと思います。

 
信徒の数が爆発的に激増したアンティオキア教会には、強力なリーダーシップを持った人材が必要であること、そしてバルナバは自分にはそんなリーダーシップは持っていない。けれどもパウロだったらアンティオキア教会を引っ張っていける。そう感じて、実行に移したのです。

パウロのような強力なリーダーシップを発揮する人、
バルナバのように世話好きな人、
どちらも教会には必要なのです。

そして神様がそのような人を備えてくださるように、祈りましょう。
 
 

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