みんなまずしかった。。でも今はなくしてしまった何かがあった。
「家」という面で、今は「なくしてしまった何か」は何なんだろうか・・・
私は「密度と抜け」だと思います。
「菊次郎とさきの家」の間取りをみてもらうとわかるのですが、家は畳の部屋で構成されフスマで仕切られています。それは、昔の家は「多機能性」があったと言われる事なのですが、もう1つの意味としてどこにでも自由に行けるという事があります。ドラマの中で子供(たけし)は母親(きく)におこられ追い掛けられ、ぐるぐる家の中を逃げ回ります。
さらに、家には「縁側」があります。これは「外と内の中間領域」と解説されますが、私は、家の中のものが外にに飛び出す「抜け口」であり、また「外のもの」を受け入れる「受け口」だと思うのです。「さき」に追い掛けられた「たけし」は、ここからさっさと飛び出して行ってしまいます。
「玄関」というものは「あらたまった」場所で、「縁側」というものは、もっと気楽に外との関係を持つ場所でした。「菊次郎とさきの家」でも気心知れた人達は縁側から出入りしていました。
小さな家で大家族が暮すという「高密度」ゆえ、そこでは家族同志のぶつかりあいは当然あるわけで、その中では、当然お互いを思いやるマナーは必然的に身に付くのだと思います。しかし、それでも限界になれば、それは追い詰められる事なく「外にに飛び出していけた」のです。
しかも、そんな様子は縁側をとうして近所は感じ、おおげんかでも始まれば「おいおいどうした」といってご近所さんが割って入ってくるわけです。ドラマではそうでしたが、実際の当時の人達がどうだったかわかりませんが、少なくても今みたいに無関心ではなかったと思います。それも、家の内部の高まったエネルギーを「抜く」しくみだったのかもしれません。
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みんな、そんな家を、暮しを、好きではなかったのかもしれません。
アメリカのあこがれと、みんなが少しづつ豊になっていく中で、個人の確立が必要で、そのためには子供に個室を与えなくてならないという事で「昭和30年代の家」は淘汰されました。
「個室」という逃げ場を得た私達は、さっさと「家族との関係」からも逃げてしまいました。
「菊次郎とさきの家」から約40年、私達の家は「デザイン的」にも「空間的」にもすばらしいものになりました。しかし、その反面、「追い詰められる子供」「追い詰められる親」「追い詰められる家族」が増えています。
今の家のつくりが、「追い詰められた」ものが逃げれるようになっていないのです。
いや、最近の家は、家中オープンになる傾向にあります。これからまた変わっていくのでしょうか。。
とは言っても、時代が変わり、おちおち家に「抜け口」を作る事はできなくなってしまいましたが・・
ますます多様化する個人や家族の考え方がある中で「これが正しい」というモデルなど作れません。
ただ「菊次郎とさきの家」を「あるモデル」として、家の大きさや作りや家族の関係の仕方を考えてみることは、大切な事のように思います。
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昭和30年代
みんなまずしかった。だからモノもなかった。
今は
モノはたくさんある。でも豊かなのだろうか・・
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