吉村順三建築展に行ってきました。
吉村さんの障子も展示されているというので、どうしても行きたかった展示会です。
その他の展示物にはあまり期待していなかったのですが、展示されていた『ことば』にとても感激し、溜め息が出てしまいました。
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「心の豊かさ」
建築は、はじめに造形があるのではなく、はじめに人間の生活があり、心の豊かさを創り出すものでなければならない。そのために、設計は奇をてらわず、単純明快でなければならない。
「よい家」
よいプロポーションでおさまっている家。
単純明快におさまっているシンプルな家などは、たいへん気持ちよいものであるが、
「よい住宅」というのは、形そのものよりもむしろ、その家自体に「たまり」というか重心のある居住空間のある家のことだと思う。
「純粋さ」
建築の純粋さとは何か。
それは、建築材料を正直につかって、構造に必要なものだけで構成するということである。
柱は常に屋根をささえる役割を持ち、障子の桟は、造形的なパターンであるとともにしっかりとした構造的な役割を持っている。
これらの構成は、もっとも簡単で、しかも清楚な美しさを創り出していて、
これが、私は、純粋さということであると思う。
「真の近代性を」
僕らは、やはり現代建築をどんどんやっていかないければ・・・
昔の建築に懐古趣味で住んでいるわけにはいかないわけです。
人間というものは絶えず新しい刺激を受け、新しい発展というものを体得することが楽しいわけですからね。
だけれども、それは建築の基本から出発した近代建築であるべきで、形だけ近代的であっても、そこに何も近代的な精神的要素がなければ、ちっとも近代的じゃないと思うのです。
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どれもこれも、私が思い、このブログでも書いてきたことは、吉村さんのおっしゃっていた事で、かつ実践されてきた事でした。
まぁ、吉村さんの簡素で美しいプロポーションの作品にあこがれ、本なども読んでいたので、当り前といえば、、そうなのかもしれません。
でも、私は私なりに、今までの経験の中で思っていた事でした。吉村さんと同じような事を思っていた・・なんていうのはおこがましいです。ただ、思う事が正しい方向性としてあったということがうれしく、勇気をもらいました。
・・と言っても、吉村さんの流れをくむ人達がたくさん活躍されているんですけどね。。
最後に、入場して最初の壁に書かれていた言葉です。
出る時に気づき、読んでびっくりし、あたたかい気持になりました。
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建築家として、もっともうれしいときは、
建築ができ、そこへ人が入って、そこで生活がおこなわれているのを見ることである。
日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき
家の中に明るい灯がついて、
一家の楽しそうな生活が感じられるとしたら
それが、建築家にとっては、
もっともうれしいときなのではあるまいか
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私も、大きくうなずきました。
そんな暮しを感じられる家がいっぱいあれば、街は豊かなのだと思います。。
そんな家をつくりたい>>>志田建築設計事務所
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