Takekida's log

千里の道も一歩から

ウェブ人間論

2008-05-31 23:08:38 | Books
雨⇔晴れの周期が速くなっていて梅雨が近いことを感じさせてくれます。
今日は明日が大会のため練習は午前中に走った程度でゆっくりと過ごしました。

ウェブ人間論 (新潮新書)
梅田 望夫,平野 啓一郎
新潮社

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「ウェブ時代をゆく」の梅田望夫さんと作家である平野啓一郎さんの対談を本にしたもの。平野さんの代表作は芥川賞の「日蝕」、「顔のない裸体たち」など。

Web×Technologyと文学という違った世界に生きる二人ならではの視点から「人間」がどのようにこれから変化していくのかに論点をおいた対談です。

気になったところ

○Webの世界では発信され取引される情報の量や質によって存在価値が決定されている。検索エンジンはそんな世界をつなぐ結び目を自動生成する役割を果たしている。

○Blogは知の創出だけでなく自分を成長させることが出来る。それは双方向的に自分より上のレベルの人間と関わる機会が作れるから。自分をアイデンティファイさせることが求められるからこそ自分を見つめなおすきっかけになる。

…自分のBlogも書いたことに関して細々とWeb上の知らない方から反応をいただくこともあり勉強になることも多いです。また検索ワードを見るとどんな内容で訪問者が来ているかいい知見になるし励みにもなります。そこから一歩前に進むということは出来ていませんが。
たしかに自分を見つめなおすきっかけになりました。何が理由で何が好きなのか。


○これからは人脈よりもWebを介していろいろなものと繋がっているという「リンクした脳」も活躍の場が出てくる。

・・・リンクされたものを利用するには自分自身も自分の分野に関してはプロである必要性というのが増すと思います。他の人が自分に繋がっているメリットも示さなくてはいけないわけで。

○ネットの魅力の感じ方というのは実社会での満足度と反比例する。

・・・確かに。地方へ行っても普段会えない友達や同級生と話せたりするのは昔では考えられない。その分、心配することも多いのですが。

○日本はWeb上での匿名の文化が強い。私的なものを公的なものに持ち込まないという日本人の古い美徳は経済活動と思想を分離するための言い訳になっている。Web⇔リアル社会の人格の多様性を許容していないところも問題。

…個人的には匿名でない方が良いですが匿名で無いと本音を書きにくいというのは他者を尊重してしまう日本人の文化なのでしょうか。

○経済的にはリアルの時代が軽視されるということはない、これはWebの世界ではお金の回りというのはリアルの世界に比べて格段と小さくなってしまうから。

…確かに重みの違いというのは感じます。いまだ通信販売に抵抗があるというのも分からなくないです。実際にお金を出して物を買うのと通信販売では使ったという実感があまりにも違いすぎます。

○検索で引っかかりたくない場合「膨大=0」という考え方もある。たとえばありふれた名前にしておけば検索されても本人と特定される可能性が低くなる。

…自分の姓では無理ですが変なことは出来ないというプレッシャーはあります。

○自分のアイデンティファイが固定化されると同じことを考えている人たちとの共振が合って趣味、専門の「島宇宙」化が起こる。そのコミュニティの充足を目指して人間が変容していく。

…恐らく昔には無かった人格形成の手法だと思います。そもそも人格というのは回りの環境に合わせて変容していくものでそれがWeb上で起こることもあってしかるべきこと思います。
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