童謡「赤とんぼ」の歌詞です。
夕焼け小焼けの 赤とんぼ
おわれてみたのは いつの日か山の畑の くわの実を
こかごにつんだは まぼろしか十五でねえやは よめに行き
お里のたよりも たえはてた夕焼け小焼けの 赤とんぼ
とまっているよ 竿のさき
スマホを見ていたら、赤とんぼの唄がでてきました。懐かしく思いアップしてみました。
コロナ禍、不安で過去よりこの先のことを考えることが多くなり、あまり過去をゆっくりと振り返ることさえ忘れてしまう毎日を送っています。
そんな中、赤とんぼの歌詞に触れ、ちょっと懐かしく思ってしまいました。もちろん私は赤とんぼの唄ができた時代は生きていませんけど。でも、ホント最近は童謡を聞く機会もめっきりなくて、デジタル化の波に押されて、いつのまにか大正、明治なんて本当に遠い昔のように感じるようになりました。子供の頃は、近所に明治生まれのおじいちゃんやおばあちゃんがいましたけど、今はもう私の周りには大正生まれの人もいません。まあ、令和3年は、昭和に換算すると、昭和96年ですからね。
この唄詩が発表されたのは大正10年(1921年)、作詞家・三木露風が32歳の時の作品だそうで、作曲は山田耕筰です。
ちょうど100年前の唄詩なんですね。
山田耕筰が作曲したのは、昭和2年だそうです。
私の幼少期の昭和40年代前半(50年前)、妹と一緒に父親が買ってきた動揺のレコードをよく聞いていました。
この「赤とんぼ」もよく聞いたものでした。
子供ながらに「赤とんぼ」を聞いて、その歌詞から想像した情景は今この年齢になっても、幼少時に描いたその情景が浮かんでくるんですよね。人間の記憶ってすごいなと思います。
私は高校まで栃木県東部の田舎で過ごしましたが、昭和40年代前半はやっと道路が舗装されたり、でも田んぼのあぜ道はぺんぺん草が生い茂っていて田んぼが遊び場でしたし、秋には稲刈りの終わった田んぼの藁の上でプロレスごっこで遊んだりして本当に楽しかったものでした。服に藁くずをたくさん着けて帰ってよく母親に怒られたものでした。また、農産物を運ぶ馬も歩いていたりして道路には馬糞が落ちていたんですよね。昭和40年代半ばを過ぎるとさすがに道路に馬はいなくなりましたけどね(笑)
昭和40年代前半は、「赤とんぼ」の歌詞の情景を何となく想像できるぎりぎりの時代だったのかもしれません。
そういえば、最近、本当にきれいな夕焼けを見る機会を失っています。忙しいのもあるんですけどね。
たまに、仕事場のビルから、オレンジ色やピンク色に焼けた夕暮れの西の空に気が付くときもありますが、西側にあるビルが邪魔なんですよね。
ICTなどデジタル化の進展で我々の生活の変化のスピードが激しい時代ですけれど…、
いつの時代も変わらない「夕焼け」の美しさを素直に感じることのできる世であってほしいと思います。
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