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愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)  第五章 天主的愛のほとばしり

2019-11-04 22:26:36 | アンヌ・ド・ギニエ

 第五章 天主的愛のほとばしり
 
 天主の啓示なしには、私どもは聖寵の状態に在るかどうか、確実に知る事は出来ない。なぜならば、いつでも私どもは自分の心の真の状態には到って暗く、確かな事は自分で知っていないからである。しかし身近い者への愛徳の行いは、確かに人を愛することにより、神を愛することになるから、もはや輝かしい真の慰安の酬いを、受けるべき予約の印である。天父がシエナの聖女カタリナに、愛徳について仰せられた美しい御言葉を少し考えてみよう。「我が汝を愛するが如き愛をもて、汝が我を愛することを望む。汝が愛されずして我は汝を愛した。しかし汝は我に対して、このようにはなし得ない。我に対して持つ汝の愛は、全く負債の如きもので、全てを汝は我に負っている。我に捧げなくてはならぬ様に課せられているので、自由の贈り物ではないのである。我は自由に汝を愛し、何ら義務の拘束も受けない。されば我が要求する如き愛を以って、汝は我を愛しえないのである。故に人々の中に汝を置き、我に為し得ぬところを彼らに対して汝にさせるのである。即ち自由に、無制限に、何の報酬をも求めずに、彼らを愛する事である。その時汝が彼らに為したことを、我は我に為したものと看做すであろう。我に対する愛と、隣人に対する愛とは、全く同一で異なるところはない。我を深く愛せば愛するほど、隣人を愛する事が出来るのである。なぜならば、汝が他に対して持つ愛は、全く我自身がその霊魂を汝にもたらしたからである。もし汝が多くの人に慈悲深くあり、我が光栄と救霊を熱望し、心の籠った、愛の深い、尊い祈りを捧げるならば、聖寵による汝の霊魂が、我を所有する証拠になるのである。我が真理を愛好する霊魂は、己が周囲の全てに対して、奉仕の勤めを片時も怠らないのである。」と。
 この可憐な子供には、神の存在の徴しが明らかに現れていた。彼女の内的生命の中には、愛徳のほとばしりが最も明白に見られる。周囲の者に役立つ奉仕を決して怠らなかった事、またこの愛の籠った望み、即ち神の光栄と、人類の救霊を望むというカタリナ聖女の挙げている、聖なる人の徴候を、アンヌは著しく現した。聖主の指導の下に、アンヌは神の定め給いし順序に従って、周囲の人に愛徳を行った。己が愛情と奉仕精神、祝福をもたらす神的智識を周囲に散布したと記すべきであろう。

読んでくださってありがとうございます。 yui


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