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小さき花-第2章~7

2021-08-31 12:23:13 | 小さき花
 8時頃になると父は迎えに来ておりました。その途中私は天空を仰いで星を見る事が無上の楽しみでした。空は清く澄み渡って、真砂のように沢山の星がキラキラと、小さな光を輝かしております。時折T字形の星座が見えると「お父さん御覧なさい、私の名が天に書いてあります」(テレジアをローマ字で書くと、初めの字はTの字)と歓び、儚きこの世の事を打ち忘れ、ただ天上ばかりを仰ぎ見つつ、父に手を引かれて家へ帰るのでした。
 
 冬の夕べについてお話しすれば、姉達がしばらく遊んでのち、代わる代わる「聖年紀要」とか「聖人伝」等をみんなに読み聞かせた後、また面白くて為になるお話しを聞かせてくれました。その間、私は父の膝の上にいますが、講和が終ると、父は私は眠らせるためのように、美しい声でメロディー面白く歌ってくださるので、私は小さな頭を父の胸のあたりに当てて、父が私が揺すっていました。終いに、私たちは、夕べの祈りをするため、膝をゆすりゆすり2階の部屋に入れられるのですが、そこに私の席が父の側に有って、私はこの熱心な父の祈りの態度をみて、彼の聖人たちがどういう態度をして祈りをせられるかという事を知るのに充分であると思います。
 
 あとで私の身体がポリナに運ばれて、寝台の上に置かれます。その時、私は「今日はおとなしかったか、天主さまの気に入ったでしょう。いま私の側で天使達が飛び回って、私を護ってくださるのでしょうか」と訊ね、いつも「そうです」という答えでした。もし何の返事もなかったなら、私は夜通し泣いていたでしょう。そして、この問答が終ると、姉達は私を抱いてキスをして、あとで、灯りを消して部屋を出たので、小さきテレジアは、ただ一人闇の中に取り残されたのでした。
 
 私は、幼い時から非常に臆病者でしたので、ポリナはこの悪い癖を矯正するために、いろいろと力を尽くし、良い習慣を養うようにしてくれました。ときどきわざと何かの用事にかこつけて、私一人を離れた寂しい部屋に行きなさいと命じますので、私は嫌といっても許してくれない事を知っていますから、恐る恐る行っていましたが、こういう習慣が私のために大変有益になり、今日では私を怖じ気、恐れさせる事が難しいようになりました。これは全くの御恵みであろうと思います。あなたがどうして私を少しも甘やかさずに、こういう本当の愛や親切をもって私を育てることが出来ましたか。実際、あなたは私に対して僅かの欠点をも容赦せず、同時にまた決して理由なしに咎めたりもしません。また一度命じたことは、決して中途で変えるような事をしませんという事を、私はよく知っていました。
 
 親愛なる姉に対して、私は何事も打ち明けて赦しを乞いていました。ある日、私は天国にいる聖人たちは、どういう訳で同じ程度の光栄を受けないのでしょうか、という事について不審に思いました。それで、もし同じ光栄を受けないのなら、みんな充分に幸福を受けておられないであろうと心配し、早速この事を姉に尋ねました。ポリナはこれを説明する為、父の大きなコップと私の小さい底のある指貫とを取り寄せて、この2つの品物を前に置いて、水を満たして「どちらが一番いっぱになっていますか」と私に訊ねました。それで私は「どちらも同じようにいっぱいになっています」と答えると、「それならこの2つの中、どちらかにもう少し水を入れる事が出来ますか」と重ねて訊ねますので「いいえ」と答えました。するとポリナは、ちょうど天国に居られる聖人たちの光栄もこれと同じようで、いずれもめいめいその器だけ充分に光栄を受けていますから、みんな満足しているのです。だから、この世の人々が思うように、最も下の聖人が最も上の聖人の幸福を羨むような事がありません……」と説いて、聞かせてくれました。
 
 そのようにして、私の全ての疑いはもちろん、教理の玄義が神秘的な事なども、みんな私の能力で悟ることが出来るように、容易な比喩で説いて聞かせて、私の霊魂に必要な糧を多く与えてくれておりました。

読んでくださってありがとうございます。yui

小さき花-第2章~6

2021-08-29 15:45:36 | 小さき花
 大祝日、この唯一の言葉の中にはどれだけ良い感じがし、また、姉達からも大祝日ごとにその祝う理由を聞いておりましたので、実際この大祝日はこの世の日でありますが私にとっては天国の日に代わってしまったような気がしておりました。殊に聖体の大祝日に私は行列に加わって、聖体の中に在すイエズス様の前に花を撒くのはいかにも楽しく、高く投げた花びらが顕示台に当たった時には、実に何とも云われないほど愉快でした。
 
大祝日は数が少ないのではなはだ待ち遠しく感じました。毎週、私の愛する祝日が毎日曜日に来ます。それは何ですか?日曜日のことです。いかにも美しい楽しい日でありました。即ち天主さまの祝日で私らの休みの祝日であります。この日、家族一同は聖堂に詣ってミサ聖祭にあずかります。私は父と共にいつもは児の方でミサにあずかり、説教が始まると演壇の下に近寄るのでありました。ときどき信者が大勢で近寄りがたい時もありますが、この小さきテレジアが手を引かれて通る際には、人々は快く皆席を譲ってくれました。叔父もまた二人の通るのを持て喜び、私を指して「この児は父を照らす太陽の一光線である」と云い、尊敬すべき老人が小さき女の子の手を取る姿を見ると何とも言え良い感じを与えると申しておりました。
 
 私は人々から顔を覗かれても頓着せず、落ち着いてよく説教を聴いておりました。最初に解って深い感動を受けた説教は「聖主の御苦難について」のお話しでありまして、その時は5歳6ヶ月でした。そしてそれから後の説教は、あらましの意味が分かり、これを味わうことも出来ました。聖女テレジアのことについて話が出ますと、父は私の方に首を傾け、低い声で「我が小さき女王よ、よく聞きなさい。いま、お前の保護の聖女のお話しであるから……」と申されましたので、私は喜んで耳を傾けましたが、しかし有り体に申しますと、私はいつも説教をされた神父様のお顔よりも、父の立派な顔つきが私に多く語るようでありました」父はときどき説教に感じて涙が流れようとするとき、強いてこれを流すまいとしようとする風や、また未来永遠の真理についてのお話を聞いて、自分はこの世界に住んでいるという事を忘れ、もはや未来に行ったように見えておりましたが、慈しみ深き聖主は、その全能の御手をもって、この忠実なる僕の苦しい涙をぬぐい、美しき楽しき天国に遣わされるまでに、なおも辛く永い月日を送らねばならぬようにお計らいくださったのです。
 
 日曜日の話しに立ち戻りましょう。私はこの愉快な主日が、至って早く過ぎ去るような心地が致しました。この日は午後の聖体降福祭の時までは、まことに愉快でありますが、それから後は少し憂いの思いが起こるのであります。なぜならば、翌日からは又普通の日で、日々宿題とか復習とか、その他いろいろと世間的な務めを始めなければなりませんでしたからです。それゆえ、私はこの世間におるのが、ちょうど島流しに合うようなものであるという事を深く感じ、早くこの世を去って天国に行き、終わりのない、真の本国の楽しい主日を望むようになりました。
 
 ブイソネに帰るまえに、私の叔母が日曜日の夜は私らを代わる代わる招いていたので、私の順番が来るのを非常に喜んでおりました。私は叔父の話されるすべての事はいかに真面目な事であっても、たいへん愉快に聞いておりました。その会話は私にとっては非常に趣味がありました。恐らくそれほど注意して聞いていたという事を叔父が思わなかった。ときどき私の喜びに恐れが交じりました。叔父は私の小さな身体を片膝の上に乗せて何とかという歌を歌われる時は、私を乗せたまま、膝で強く調子を取りながら、大きな声を出されるので、私はその度に、ひやひやと心配したのです。
 

小さき花-第2章~5

2021-08-25 12:53:59 | 小さき花
そのとき父は私の為に菓子を買っていたときでしたから、その人は金銭を受けるのを好まないが、さぞ御菓子なら喜んで受けるであろうと心の中に思い、すぐにその人のもとに駆けて行こうとしましたが、そのうちに何か遠慮したのか、気恥ずかしかったのか、ついに機会を失って御菓子を持って行く勇気が出ませんでしたから、胸がいっぱいになって涙を流すほどでした私は「初聖体を受ける時には、天主様にいかなる恵みを願っても聴き入れてくださる」という事を、かねて聞いていた事を思い出し、すぐにその時私は六歳であるに拘わらず初聖体の時にはきっとこの老人のために祈祷を捧げましょうと決心して慰めを得ました。五年後、初聖体を受けました時、私はこの事を忘れずに祈り、その後この老人のために祈ったことは必ず聖主が聴き入れてくださったばかりでなく、私個人のためにも良い報いを与えてくださったという事を深く信じております。
 私は成長するにしたがい、ますます天主様を愛するようになり、母に教えられた祈りを唱えて、度々私の心を捧げました。そして何事を為すにもイエズス様の聖心にかなうようにと努め、これに背いた罪を犯すようなことは、決してしないと注意しておりましたが、次に記すところの一つの過ちを致しました。これを思いますと、私はへりくだり完全に痛悔しました。これは私の六歳の年の五月(聖母の月)で、姉達は祈りのために毎夜近くの聖堂に行かれ、私と乳母のヴィクトリアとが家に残っていた時の事です。いつも二人で皆出た後で、私の作った小さな祭壇を飾り、その前で乳母と祈りをするのです。そして花も燭台も小さく、ろう燐寸(まっち)の火で充分明るいくらいですが、乳母は燐寸を残すため、ときどきロウソクの燃え残りを与えていました。

一晩、いつもの通り二人は祭壇の前に跪きました。その時、私は乳母に「いま火をともすから、その間もあなたは「慈悲深き童貞マリア(聖ベルナルド 聖母に祈る文)の祈りをしなさい」と申して燐寸をともしましたが、乳母は始めようとする真似をして、後から私の方を向いて大笑いしました。私は手にしている燐寸の日が燃え尽くそうとしていているので「早く唱えなさい」と申しましたが、乳母はなおも大声で笑っておりますので、平素おとなしい私も腹が立ち、強く床板を踏みながら大きな声で「ヴィクトリア、けしからぬものだ」と怒りました。すると乳母は私の勢いをみて、笑う事を止め少し心配する態度をしながら、前掛けの下に隠し持っていた短いロウソクの燃え残しを二つ見せましたが、もはや怒りの涙を流した後で、熱い痛悔の涙へと変わりました。そして私はこの時になんとなく面目を失ったような気がして、また再び怒らないと堅い決心を致しました。
 
 その後まもなく私は告解に行きました。誠に喜ばしい記念です。親愛なる母様、あなたからたびたび「テレジア、告解の時には人に向かって罪を白状するのではなく、天主様に向かって白状するのである」と言い聞かされておりました。私はこれを少しも疑いませんでしたから、私は天主様にむかって話しするのに、あれはその代理である司祭に向かって「私は心の底からあなたを愛します」と言わなければなりませんか」と真面目に訊ねました後、告解の順序がよく分かりましたので、告解場に入り司祭(ドゥセリエ師、1917年リジュー市聖ペテロ大天主堂の受持神父)を眺めつつ、罪を告白し、司祭から贖宥される時から、かねて、あなたから「その時には、幼きイエズスの涙から私の霊魂を清めてくださるのである」と教えられた事を思い出し、熱き信仰をもって心の底から痛悔しました。
 
このとき、神父さまから、聖母マリアに対して信心の務めをすべき、良いお勧めを受けました。私はこれを忘れず今までよりも、なお一層聖母を熱く厚く愛し敬うようになりました、告解が済みますと、前に頂いていた、ちいさなコンタツに贖宥をつけて貰い、告解場から出ました。その時から身体が何となく軽くなったように覚え、今までになかった私の喜びを感じました。そして私はガス灯の下に佇んで、贖宥を受けた小さなコンタツを袂から出して見ておりますと、ポリナは肩越しに覗いて「何を見ているの?_」と尋ねましたので「贖宥の附いているコンタツとはどんなものであるかを見ているのです」と答えましたが、この無邪気なことを聞いていた姉達は、みんな面白がりました。私はこの日に受けた御恵みを永く忘れず、そのときから大祝日には必ず告解しましょう、という望みが起こり、告解するごとに愉快な気が増してくるよう覚えました。

読んでくださってありがとうございます。yui