四、日々の十字架
イエズスはただ
「人若し我に従わんと欲さば己を棄つべし。」とのたまうたのではなかった。彼はその後に、「日々己が十字架を取りて擔え(になえ)。」と付け加え給うた。己を棄てるとは自愛心より分かれる事で、十字架を擔うとはそれ以上の事である。苦業を抱擁し、贖罪のために苦しみを愛し、十字架に釘付けられ給いしイエズスに一致して、己の愛を証し、我等の過失を償う事である。神子の苦難の玄義の中に導かれる霊魂でなければ、誠に聖なる者とは言われない。この点についても、アンヌはイエズスに、特に寵愛されたわけである。彼女の十字架への愛は、との年齢に比して驚くほど強かった。内心に懐くばかりでなく、外にもそれが表われた。家庭教師は「アンヌは簡単な十字架のしるしをするにしても、その様子は決して忘れられない。簡単な中にも深い確信を持っているので、それに依って彼女の信仰と愛が真実に現れるのであった。」と言っている。
散歩の折々、路傍に築かれたカルワリオを見付けると、即座に敬意を表(ひょう)そうとした。そして、連れの人々がこの敬意を表する仕草を忘れたり、丁寧にせぬのを見ると、非常に苦痛を感じるのであった。また、歴史の時、十字軍の者は、互いに十字のしるしを切る事に依って、仲間を認めたことろ教えられると、あたかも新しい喜びの泉が湧き出たような歓喜に満ちたのであった。何処にあっても、救い主の御苦難の思い出が彼女に付きまとっていた。ある時、イラクサに刺されたことがあった。「可愛そうにネネット、痛いでしょう。」というと、「いいえ何ともありません、イエズス様はもっともっと苦しまれました。」と言って、奉仕的精神に燃えているアンヌは、同じようにイラクサに刺されて苦しんでいる弟のところに飛んで行って、自分の痛みは忘れたように労わるのであった。
未だほんの幼い頃、誰かが苦しみをイエズスに捧げる事を教えた。四才になるかならぬ時分であったが、流行性感冒の予防に、芥子泥のハップを貼らなければならなかった。幼い子供には随分辛いことで、「ああ、これはとても焼けます。」と思わず涙をこぼして言ったが、また「愛する、イエズス様、これをあなたに捧げます」と言い直した。そしてまた泣き出したがすぐ繰り返し、「幼きイエズス様、ずいぶん焼けて痛いのですが、でもあなたに捧げて我慢いたします。」といって、我慢するのであった。
またもっと小さいとき、リウマチにかかり、床に就ききりとなった事があった。「可哀想に、ネネット、苦しいでしょう。」と一人の友達が言うと、「いいえ、苦しむことを習っているのです。」と平気で答えた。
アンヌは神の栄光のために、カルメル会に入ろうと決心して、厳格な生活に耐えられるように修練を始めた。そしてこの召命の分担者である妹のマリネットに、「ね、カルメリット、さあこれからカルメル会に入る訓練をしなければなりません。」と言って、数知れぬ犠牲を捧げる事を、自分の義務と愛の賦課するままに励ましあうのであった。ある時は言葉巧みに妹を製酪場に誘って、あまり気持ちの良いものでないチーズの臭気を、わざと胸いっぱい吸い込ませたりした。また、寒中アンヌは、よく霜焼けに悩まされた。ひび割れにグリセリンを塗るのは大変沁みるのに、長い間、自分の手をゆっくりと摩擦しているのを見て、一人の妹がその理由を尋ねると、単純に「こうするほうが余計痛いから」と答えた。彼女はまだ厳格な苦業に身を懲らす事は出来なかったが、イエズス・キリストへの愛ゆえに、何か苦しむ機会がありさえすれば、決して逃した事はなかった。時にはわざとイラクサで突き刺したり、またロザリオを唱え終わるまで、寄りかかるものなしに跪いて祈ったりした。家の人は健康を損なうような事は許さなかったが、もし禁じられれば、苦しみに飢え渇く彼女は、どんな事もやりかねなかったであろう。服従によって苦業を調節したところは、また、真の徳が潜むゆえんであった。
一九一六年の春、病後のアンヌは、特別の食事療法を命ぜられ、すべて美味しいものは禁ぜられたばかりか、無味か粥のような出汁糟を飲まねばならなかった。彼女はそれを文句なしに飲み乾すのみか、周囲の弟妹らが子供の食事をそそる様なものを、美味しそうに食べているのを見ても、羨ましがらず、他人の喜びを我が事のように嬉しそうに眺めているのは、感服せずにおられなかった。「ネネットは、ただ欲しがらぬのみか、他人が美味しい物を食べられるのを見て喜んでいた。」と家庭教師も語っている。他人の不幸悲しみを同情するのは、むしろ優しいけれど、人情として自分が不幸、不測の中に在りながら、他人の幸福満足を共に喜ぶのは困難なことで、よほど徳を積まねば出来がたい。
遊び半ばに会っても、苦業に渇き、犠牲心に駆られると、遊び相手のマデレンに「ね、レレーン、今から二人で大きくなった心算(つもり)で苦業しましょう、好きなものを食べっこなしにしましょうね。」等と言って、遊ぶ間にも苦業の秘訣を、妹に伝授するのであった。
精霊がこの霊魂を導き、霊感を与え給うた事は、鏡に掛けて見るごとく明らかである。全くこの年頃の子供には珍しく、間断なく、克己に、あまた神をより以上に愛し、よりよく仕え奉らんため、苦業を重ねようと心掛けていた。このように彼女は功を積み、苦難の玄義に対する了解を深めて行くのであった。年こそ幼かったが、救い主の御苦難に一致し奉る事によって、驚くべき高い、強い、観想力を養ったのであった。
ある時は、家庭教師が何か悲しんでいる様子に、彼女は真心を紙に託して慰めた。「私どものために、主があのようにお苦しみになった事を想えば、そのイエズス・キリストの為に私どもは与えられた苦しみを拒めませんね。」と。
またある時は、「この世にはたくさんの喜びがある。しかし皆儚いものばかりで、永続的で消滅せぬ物は、ただ犠牲を捧げた事だけである」と言っている。儚い快楽、名誉財産を得るために、幾万の人が日々、大切な機会である一生を終わって、永遠の幸福を失い、今更ながら歯噛みし、嘆いているのである。人生の誠の意義、目的を、この子供はよく悟っていた。九才に足りぬ頃、彼女は確信をもって言っている。
「長い生涯は惠である。それはイエズス・キリストの為に苦しめるからである」と。( 四、日々の十字架 終わり)
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三、戦いと勝利
何事も努力なしに、なし得る事はないが、この感ずべき子供の、絶えざる内的奮闘に、並ぶ物はちょっと見当たらない。凡庸の霊魂ならば負けてしまうところの小さな戦いに、彼女が打ち勝つ有様は実によい教訓、模範である。或る日アンヌは家族と一緒に知り合いの家に遊びに行く事になっていた。そこには沢山子供達が集まっていて、彼女等が加わるのを待ち受けているのであった。万時不足なく整って、子供等はどんなに面白い事があるかと胸を高鳴らして楽しんでいた。申し分ない日和、そのうえ稀有なご馳走が快楽の一日の終りを結ぶ筈であった。ところが生憎な事には、ジャックが具合悪くなり、一室の中に閉じ込められねばならず、この辛い失望を慰め、留守の間の相手として情け深い看護人が必要であった。アンヌの一人の友達がそれを申し出たが、アンヌはその子供に辛い犠牲を捧げさせ、この務めを任せて置く事は出来なかった。彼女は戸口に立ち止まった。外の面白そうな笑い聲や集まりが誘(いざな)う。行っても別段差し支えはないのであるが、後ろでは義務が呼んでいる。戸口の境で躊躇していたが、軽い溜息を吐くのが洩れ聞こえた。忽ち彼女は愛の呼び聲に答えた。目前に心を引く快楽を投げ打って、背後に残る献身的の役目を果たす為に、ついに居残ったのであった。また或る時、妹達のために、一生懸命に厚紙を切り抜き、人形を作ってやっていた。ちょうど部分品を集めて繋ぎ合わせかけて、今一息で難しい肝心なところを取り付け終わるというところで呼ばれた。「ああ、ママ、これを今離すと又繋ぎ合わせるのは大変です」と情けなげに言ったが、「しかし、そのほうがもっと完全な事です。」と言って全てを投げ出して走っていった。何かしている時に呼ばれることの辛さは、誰も経験するところであるが、殊に仕事に集中している場合は、うまく行かない場合よりも困難である。そのような時に、徳を求めるというのは、よほど最善を目標にする心が強くなくては出来ない。それは彼女の最後の夏であった。ある日ジャックが来て言った。「僕は馬が入用なんだ。」この遊技は弟には楽で面白かろうが、馬になるアンヌには非常に疲れることで、一通りならぬ苦痛である。それでちょっと躊躇した。「いやよ、私は馬になんかならない。」と口走ったが、すぐさま思い返したと見え、弟を喜ばせるため、病身のアンヌは飛び跳ねているのであった。「私は犠牲を捧げた方が、どんな楽をするより善いと思いましたから。」と家庭教師の傍に来て耳打ちした。アンヌが神に拒んだのを見たことは決してない。ただこの時だけ躊躇(ためらった)のを見たのである。
まだごく幼いころから克己を行うたびに「犠牲を捧げたのだ」と母に話していたが、完徳に進むにつれ、絶え間ない苦業を他人に認められぬよう注意していた。「苦業断食を行うには身を整わせ、顔を洗い、祈るには部屋の戸を閉めよ・」と宣うた、イエズスの御言葉を知っていたかどうか。ともかくもし誰かに気づかれたと見ると、少し顔を赤らめて何も言わなかったが、だんだん慣れてくると遂に生涯の末期に至っては、それを誠に上手に易々とやれる様になり、他人には、アンヌが犠牲を捧げていることが気づかれぬ様になった。まことに彼女の生涯は完全な克己、苦業に貫徹し、特にそれが色彩を放つようになった。少し虚弱な子供には起床時がなかなか辛いもので、起こされると同時に躊躇せず、いつも一息(ひといき)に起きる事は、どんな人にもまた何時まで経ってもなかなか苦しいものである。心理学の初歩の本にもこれを証明して、この一事のみはどんな教育訓練でも、人間の本能に打ち勝ち得ない肉体的弱点だと言っている。
この聖なる幼児は決して自然の懶惰(らんだ)心に自らを譲らなかった。一度起こされればいかに眠くとも耐えられぬほどに感じる時でも、勇敢にすぐさま跳ね起き、その瞬間から犠牲の一日に取り掛かるのであった。時には非常な努力が要るのであった。ミサ聖祭に与るため彼女らは普通より遥かに早く起きねばならないので、起床の辛さもひとしおであった。 子供等の間にはある日次のような会話が交わされていた。「今朝はいつもより殊に起きるのが辛かった。先生が私達をたびたび呼び起こしてくださってもまだ起きず、床から引き出して貰わねば起きれなかった。ネネットの他にはすぐ一聲で自分から起きた者は一人もなかった」と。これは一度ならず常にそうであった。
往々ある種の勉強や宿題が、どんなに子供に辛い思いをさせるかは、誰でもよく知っているところである。そして大抵の場合は数学と綴りが、幼い子供らの難関で、彼らの心をうんざりさせるのである。アンヌにも人並み以上この二ツの科目が特別苦しかったから、他の学科を措いてもこの二ツも殊に努力した。嫌な難しい科目を後回しにし、出来るだけ避けるのが普通であるが、他のものより苦しく難しかったから、なおさら心を向けようと考えた。この心掛けが聖になる道の分岐点とも言えよう。イエズスに一致し、面倒なことを捧げんが為に、それが難しければ難しいほど、ことさら意志を強固にした。遂には何者も、この熱心な霊魂の努力を止(とど)めることは出来なかった。終わりには全く不変不動なものになった彼女の柔和、それを勝ち得るために多くの戦いを経なければならなかったのであるが、いつもその面(おもて)には微笑みが明るく輝き、その霊魂の平和が見透されるのであった。しかし、この柔和を勝ち得る迄には短気な癇癖(かんぺき=怒りっぽい)な性質といつも戦わねばならなかった。そして絶えず快活に装うようにしていた。子供等の間で起こる軋轢の煩わしさや、無遠慮な仲間同士の言行が、激しい怒りを嵐のように猛らせる時、どうして次第に和らげ、角を磨いて行くか、誰もよく知っているであろう。遊ぶ時にも、務めを果たす時にも、たびたび弟や妹がアンヌの心に叛くのであった。何事も非常に熱中してやる彼女には、その反対の生ぬるさは特に辛抱できなかった。そのような時アンヌは、家庭教師の方に向かって、援助を求めるような表情をするのであった。「何といってもこれはあんまりである。―私は怒らずにはおられぬ。」と心は猛るのであるが、すぐその激情を抑えて、愛の考えが彼女の心と本能を静めるのであった。
善のため彼女の熱心は時に度を超すほどであった。聖パウロのチモテオ書「汝御言を宣傳へて、時なるも時ならざるも、切に勧め、忍耐を盡し、教理を盡して、且戒め且希ひ且威せ。」(注:チモテオ後書第4章2)との言葉をアンヌは悟るであろう。
子供付きの年取った女中は「私はアンヌ様が妹や弟をあまり訓戒したり、矯正したりして悩ますのを咎め立てて、幾度アンヌ様を泣かせたか知れない。」と述懐し、後悔している。彼女は並外れて熱心であったが、それをそのまま表してはいけないと言われてからは、全力を以って燃え立つ熱心を抑えた。彼女の完全な愛が心に感じさせる小さい意見を、感ずるままに人に言わないという事は、彼女にとって確かに大きな苦業であって、また食事の時には行儀よくしようする努力が、端(はた)で見る目にもはっきり分かった。子供等は返事の他に口を出す事は許されていなかったが、大勢の子供が集まっているところで、それはなかなか難しい規則であった。けれどアンヌは言いつけられた事なので、難しいのではあるが、いよいよ注意して守ろうとした。彼女は他の子供らに対して、小さい使徒であった。食卓につく前、弟妹を周りに寄せ集めて言い聞かすのであった。「さあ今日こそは皆善い子になりましょう。お食事の間、誰も口を利きっこなしよ。よろしいか。」と堅く言い含めた。そして子供等は皆その言いつけを守るつもりになるのであった。「それは本当にママや、祖父様をびっくりさせますよ。」と小さい使徒は一同を勇気づける為に、付け加えるのであった。しかし大抵はただ服従しようと思うアンヌだけが沈黙を守り、他の者の始めの決心も食事の中に、どこかへ消失(きえう)せてしまう。そして話が始まる。弟妹の会話に沈黙を守るより応えてやったほうが良いと見ると、アンヌは低い声で何かちょっと答えてやってから、静めるのであった。
一体子供等の中で幾人が食欲の誘惑を免れるであろうか、おいしい食物に対する情欲を抑える事は、いつでも困難である。全くこの欲に打ち勝つには味覚に対してよほど戦わねばならない。アンヌはよく戦って完全に勝利を得た。彼女はたびたび食卓に会って、献立の中で子供らがまず喜ぶおかずを残し、不味い、嫌う物を取るのであった。そして決して食物の好き嫌いを見せなかった。いかにも上手に我欲を制する方法を見つけ、いつも巧みに人目につかぬよう行っていた。他人がそれを見抜いて、我慢して食べないものをわざと取るように勧めると、ただ完全に服従するために、言われるままに取って食べた。ここにまた実に可愛らしい話がある。
ある時家族一同は、よそに招かれてブレタニユ式のホットケーキ(注:ブルターニュ式のホットケーキ)を御馳走になった。このおいしい菓子を、生まれてから一度も口にした床のない彼女には、否、意地汚く生まれついている子供には、どんなにそれが誘惑であったか想像に難くない。子供等の為には、庭に食卓が用意され、お菓子が台所から直ぐに、順々に運ばれてくるのであるが、待ちかねている多くの口を、一度に満足させるわけには行かない。焼きたてのホヤホヤ、黄金色したのが一ツ運ばれて来ると、待ち侘びている子供等は、もう食欲をそそられずにはいられなかった。しかし、出来立ての温かいうちに食べなければ、美味しくないから、一度にやっと一ツか二ツしか運ばれて来ないので、一人に一ツずつ行き渡るまではなかなかで、半分に切っても二ツの口にしか入らず、来るたびに子供等は、我勝ちに貪(むさぼ)るのであった。女中が持ってきて「まだの方は誰ですか?」と訊くと、待ちあぐんだ口が、此処彼処から、「私に、」「私に、」と一斉に叫ぶ。しかしアンヌは、自分の番がとうに過ぎても、自分に貰う事は忘れたように装っていた。ただ彼女の心は、その犠牲を捧げられる嬉しさで一杯になり、人に気づかれぬように、小さい子の世話をして、何か入用な物はないかと気を配ったり、マリネットの前掛けを直したり、まだ自分出来る事が出来ないレレンの為に、お菓子を切ってやったりしていた。女中が、アンヌが忘れられて世話役をしているのを目ざとく見つけ「今度こそは、あなた様の番でございますよ、ネネット様。」と言って持ち来ると、悟られたことに非常に当惑した様子であったが、かえって自分の克己を秘す(かくす)ため、微笑して黄金色の美味しそうなお菓子を、嬉しそうに受けたのであった。
己を忘れる事は習慣となったが、この同じ子供が、始めには戸棚の上に載せているチョコレートを盗もうと、足場によじ登ったりしたとは信じられぬ程である。それが克己するようになってからは、美味しい物を一ツも食べぬほどに変わったのである。砂糖漬けの菓子やボンボンを、他の人に持ち廻っても、自分の事は忘れているが、母にちょっと目で許されると、単純に喜んで自分も取るのであった。またある時、結婚披露の宴に子供等も連れられて行った。その時は氷菓子が出たので、子供等はもう胸を躍らせて待っていたが、母は許さなかった。子供達はすっかり失望して、悲しそうに心残りで溜まらぬ様子であった。それは子供の常であるが、アンヌだけは愉快そうに、他の子供をとりなして、きっぱりと諦めよく、この難しい小さな犠牲を喜んで捧げさせた。
克己の精神から彼女は、遊ぶ時にも決して自分の望みを主張せず、いつも他人の言い出す遊びに加わっていた。ある時、年上の従姉が親切気から、「今日こそはネネット、あなたが遊び方を定めなくてはいけない。」と迫った。すると彼女は、犠牲の機会を失うと思って、当惑さそうな様子で友達の方を見上げた。それがあまり悲しそうな表情なので、その従姉は大いに感動して、以後アンヌには思いのまま、自由に克己させておこうと心に決めた。
次の平凡な例に依っても、他人のために己を捨てる術(すべ)を悟る事が出来る。ある時、子供達は三枚の寝巻きを貰った。子供等はそれを奪い合って、新しい遊びを発明した。丈より長い管のような着物を被って、カンガルーの真似をしてふざける事を考えついた。その飛び踊る有様、また、躓いたり、転げ廻ったりしてキャッキャッ騒ぐのが、子供等にはいかにも面白いのであった。しかし悲しい事には、三人しかこの舶来の動物に化ける事が出来ない。一人は皆の面白そうな遊びを見ていなければならない。それは実に辛い心残りなことであったが、ネネットは直ぐその楽しみを棄権した。姉とはいえ、この時ただの五ツにもなっていなかったのである。
求めるに熱心なアンヌは、どんな場合にも己を捨てる機会を見つけた。例えば母が子供等と散歩に行く時にも、母親の傍を歩きたいのが子供として当然なのであるが、アンヌはいつでもみんなに母の手を取らせ、自分は優しく家庭教師の手を取って歩いた。それは先生に淋しく感じさせぬという、彼女の可愛らしい心遣いからであった。アンヌが並外れて母を愛していた事を考えれば、それがどんなに辛かったか、容易に察せられるのであるが、犠牲を愛する心、他人に満足を得させる心、他人に悲しい気持ちを起こさせぬ心等が、他の全ての感情に打ち勝ったのである。
ある美しい秋の日、ジュネーブの街道の方面に遠足に行く事になっていた。一同の喜びはまた非常なものであった。サボアの夕べは誠に美しく荘厳である。彼等の心は限りなくそれに惹かれていた。峯の姿、谷の影、森に暗く覆われた様、樹々の金色に、また、血のように紅葉している有様、それに対照して高い岩が紫色を呈している―等と思い巡らすのであった。空気は清く、柔らかく、新鮮に澄み渡り、水は穏やかに無言に照り映えて草原をくまどっている。この自然の美しい画幅(がふく:掛け軸の絵)を前にして、超自然の思想に依って、霊魂を向上させるのは容易である。子供等はこの遠足を待ち侘びていた。ところがマリネットが病気になって行かれなくなった。アンヌは即座に自ら進んでその相手をしてやろうと、留守番を申し出た。
自分を捧げる事を知っていた彼女は、どんなに強く望んでいる時でも、それを喜んで捧げた。他人の為に面白い散歩を中止したり、神に捧げる事は幾度となくあった。彼女の生涯を充たしていた犠牲は、全く自発的で、決して圧制的に強いられたのではなかった。彼女は強く、同時に優しく、親切に教育されていて、克己の機会を求めるも拒むも全く自由であった。それにも拘らず、進んで犠牲の実行を徳に依って迎えた事は感心せずにはいられない。
もしも彼女が自覚して奮い立たなかったならば、聖テレジアのいわゆる「イエズスも手を束ね給う外ない、いかなる善をも引き出し得ない、常に快楽にのみ浸っている霊魂。」に安々と成り終わるところであったのである。(三、戦いと勝利終わり)
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二、克己の道
己に克とう(かとう)という熱烈な決意が、彼女の内的生命に新しい奮発心を起こし、普通聖徳に進む道に塞ぐ障害を越えさせた。絶えず進歩したいと願う者は、いつも己を捨てねばならぬ。アンヌはこの真理を悟り、それに依って生き、神の為に己を捨てる機会を一度として捕り逃した事がない。しかし今ここで法外な償い、または激しい過度の苦業を想像してはいけない。このようなものには多くの場合注意を怠ると、傲慢が姿をやつしているのである。また、自分の身に我意によって害を加える事は、第五戒によって禁じられている。最初完徳に志す者は、熱誠のあまり、この誤りに陥りがちで、大満足のうちに底知れぬ淵に深く落ち込んでしまうのである。或る修道者が指導者の許可に満足せず、気ままに身を打擲(ちょうちゃく)した。許可の度数を超過すると、不思議な聲があって、一ツ二ツとその数を数え、数え終わるや悪魔は姿を現して嘲笑しつつ「超過の数は我が物なり」と言った話しがある。アンヌは従順の徳と聖霊の光に忠実であった。この道に於いて踏み迷いはなかった。いつもしっかりした精力をもって、変わらず穏当な判断によって平和の中に成長していった。調和した秩序だった均衡は特長であった。奮発心が起こるときにも、勘定に走らず、惰力に任せず、均衡を取った事に私どもは気づくのである。この霊魂の活動性は、ただ神に向かってのみ働いた。しかもいたって簡単な平凡な方法によってであった。アンヌは聖フランシスコ、サレジオの名著の霊的教義に基づいて努力実行し、またリジューの聖テレジアの、到るところで人気を獲得したと同じ方法によったのである。ジュネーブの名司教聖フランシスコの書物にあるように、「我等の完徳に到るは行為の数を重ねるばかりではない。完全を獲得するのでもない。ただそれを行うにあたっても完全清廉なる目的の趣旨の如何(いかん)に依るのである。いざ我等は行為の目的の趣旨を清めようではないか。そして全てを神の為、その栄誉の為になし、受くべき報いは神に於いてのみ予期しよう。」リジューの童貞は記している。「私のする事は偉大な霊魂たちが、幼時からありとあらゆる難行苦行に身を任せたのとは遥かに遠く、単に自分の意思を曲げ口答えを差し控え、差し出がましい事なしに周囲の人の為、人助けとなり、また人を慰め喜ばす事であるから、それがどんなに小さくとも全力を尽くし、数多く行うだけである。この小事を行うによって、私はイエズスの浄配(清らかな配偶者)となる用意をするのである」と。アンヌも同じ道を取った。彼女も我意を砕く事(特に彼女のは強いのであったが)、また万人の為に己を犠牲として捧げる愛を絶えず努める事、もっともささやかな義務をも完全に果たす事を習った。ここに彼女の全ての償いはなされた。しかしこれは激しい苦業の生涯を送ったと同様である。外見上は少しも大した事をしたとも見えぬ所に価値があり報いが多く、人々から賞賛され偉大な生涯を送り、苦業に名を挙げた者でも実質に於いては竜頭蛇尾に終わる事もある。勿論それは行いの動機、またそれに伴う愛の有無、多少に応じて実際の価値が定められるので、神の御目にはいかなる愛によってなされたかが価値あるものとなるのである。この子供がこのような年少からこの道に入ったのは、神の霊感によるのは明らかで、ただ示し給うところに導かれたのであった。あるとき小さい犠牲の数を買い留める方法を教えられた。それは葉のついていない木の絵に、犠牲を捧げる度、その枝に一枚ずつ葉をつけるので、特別の努力を以って克己するのに非常に善い方法であった。しかし普通子供には微妙な聖寵のご要求はなかなか了解出来ない。特別な光明の援助がなくては、彼女と言えどもささやかな事柄が自然の生命を助け、あるいは神の愛の御働きを妨害する事を知る事は出来なかったろう。何事も人一倍の忠節によって行うこの霊魂に、智識の賜物の感化は著しかった。彼女の生涯を特に飾ったこの絶え間ない克己も、また神の援助なくては達せられない。「克己の機会を一度も逃さぬ事。」剛毅の賜物の感化を置いて、他に幼い子供の徳を解釈する事は出来ない。またここにアンヌの賞賛すべき完成の原因が潜んでいるのであった。アンヌのやまざる克己について、全ての証言は一致している。アンヌが己を忘れる事は特別で、どんなにそれが苦しくとも、他人の為だけを考えて生き、他人への奉仕に身を委ねたのである。ごく幼時から己を捨てる事の最も優れた事を理解していた。彼女はいつも、より易しい事を選ぶ誘惑に、また全ての肉感的誘惑に反抗する事を知っていた。「それはどちらでもよい。皆善い事だもの」と言って、弟や妹の望みを満足させる為に、自分の好みを捨てる事は幾たびとなくあった。彼女の家庭教師もまた彼女に就いて「どんな小事でも犠牲を拒む彼女を見た事はない」と言っている。
アンヌの生涯に深い関係を持っていた或る証人は、「彼女の苦業に身を懲らす事は一時として止む事なく、その理由は犠牲の捧げられる機会を決して取り逃した事が無かったからである。」と証している。その生涯は犠牲によって織られているともいわれるであろう。「初聖体後彼女の書いた手帳を見ても、犠牲の数は数え切れぬ程である。」と補助会の修院長は記している。(二、克己の道 終わり)
読んでくださってありがとうございます。 yui
けれど、どんなに義務的観念が強かろうとも、意思が定まらぬうちは結果はない。最善を悟るまでは行いは見合わせた。この子供の生涯を知れば知るほど、私どもはアンヌの意思の強硬な事と、実行に不屈な事を感じる。一九二一年の四月の黙想の時、アンヌは「私は幼いイエズスに倣いたい」と書いている。彼女はしなければならないとか、望むと言ったのではない。堅い決心を示したのである。「幼きイエズスの範(てほん)に倣うために、一日の終りに勝利の数を勘定する決心を立てる。もし時が長すぎると思われたら(それを我慢する)努力を神に捧げる」と。意味が良く言い表せていないが想像に難くはない。―このような手段で義務を果たす努力をしよう。弛まず飽きる事なく続ける事はなかなか難しい。その時間がいかにも長く感じられる。他の子供達に交じって何もかも忘れ、笑ったり遊んだりしたいと思うと、二つの願いの間にあって苦しいが、その気持ちに打ち勝つ努力を、幼きイエズスに捧げようという意味であろう。「より善き道に我が霊魂を導かねばならぬ」と力を込めて完徳の道、イエズスキリストが聖人達に示された天国への道を歩もうと決心している。「私の霊魂は天国に行くように運命づけられている。人は身をやつすためには惜しまず無駄遣いをするけれど、自分の霊魂の為には少しも心配しない。私の霊魂は永遠の生命の為に造られている。無限の幸福を勝ち得るか、または無限の不幸、苦痛を招くか、全善の天主はかたじけなくも幸福を人間に与えようと思し召されるが、幸、不幸いずれを味わうかは、自分の肩に掛かっている。自分の責任である。「ママが私を天国に行かす事は出来ぬ。」とこれも一九二一年の黙想の時認めた考えである。アンヌはこの実行に全力を尽くした。
九才の頃、アンヌは何事も救い主に倣わんものと決心してこう書いている。「どういう手段を取ったら良いであろうか。我が中にあるイエズスを成長させ奉るための、種々の妨害と戦う事、自分の欠点、傲慢や怠惰の傾向と戦うためには、「日々の戦い」が必要である。肉体が滋養を要する如く、霊魂を保つにも、霊的滋養を与える必要が大いにあるのである。その滋養とは何であるか?全ての真理、全善、美等言われるべきものがそれである。また、母の膝の上で学んだ事、皆それである。」私どもは彼女が厳格に守って確固たる決意によって、この聖なる子供が、決して単なる抽象的の愛でなく、付帯的の実行的行為によって、愛を証明した事を見る。(一 戦闘準備 終わり)
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霊的生活において、意思は大なる力である。もし聖寵が忠実なる意思と合わされたならば、それはそこに愛がある故で、神に向かって私どもの奮発心の梃(てこ)となるのである。しかし意思は盲目的な力である。故に愛が意思を活動させるには、真理がそれを照らさねばならぬ。愛の最初の望みは見るという事である。また最も熱心な霊魂は、みな自分の義務の何たる家を悟る事を、第一の関心事とするのである。店主の最も聖き聖旨を知る事は、アンヌの何よりの懸念であった。然り(しかり)彼女はキリスト教的の完全な教育を受けた。人の言葉を聞き分けるようになると、直ちに母は、彼女に神の言葉を教えたのである。母は毎日子供等に福音の一節、聖人伝中の寓話を読み聞かせ、年齢相当の短い教訓を与え、それからどうしてその模範に倣うべきかを指し示し導いた。このように生きた信仰、空想ならざる、私どもにも考え得られる種類の信仰の光が。これらの幼き霊魂を徳の道へと導いた。
この光は子供等に平等に分配されたにも拘らず、受ける方は平均しなかった。私どもも自分の地位境遇に、充分な光と援助が与えられるが、同一にそれを利用しないから話しに聞く聖人等の潔い功績に驚き、別な世界の人の如き感を持つのである。私どもも忠実に従い、一つも取り逃がさず利用すれば、自分に許された聖徳の域に達し得るのである。子供等の観想生活とはいかなるものか。アンヌはどんな熱誠をもって、超性的な物事を観察したか、神秘に浸って神の中に忘我の状態に入ったか、ここに描写しよう。この観想精神の恵みは初めから彼女に与えられていた訳ではない。ただ誠に簡単な「教訓に従う」忠実に対する報酬であった。すべての努力の出発点は、キリスト教徒としては到って平凡な理屈に基づいたのであるが、彼女はそれを真面目に考え、霊的な事柄を書き付けておく手帳に注意深く記していた。「私どもは自分の霊魂を救わねばならぬ。霊魂は被造物である。天主に帰るのである。私どもの肉体は土より出来たものであるが、霊魂は天主から来たのである。」アンヌはいつもこの終極の目的を明瞭と眼前に備えていた。また「良心の声は神御自身の御声である。全力をもってそれに注意し、従わねばならぬ」という確心を深く心に留め、自分の進む道の目標としていた。義務に対する忠実と心の用心、終極の目的に達する事に、最も必要有効な方法を堅く持していた。この霊魂の覚書によってアンヌの霊魂に行われた変遷をはっきり掴む事が出来る。
一九一二年の四月、黙想の始めにアンヌはイエズスの事を考えて、「私が申しあげれば申しあげる程、彼は答え給う。彼は司祭を通して、またその訓戒によって語り給う。特にいずこにおいて私に語り給うか?それは聖寵によって、霊魂の奥深い底に於いてである。神は私に『我は汝に最も従順になる事、また虚栄を捨てる事を望む、もしも汝の年頃からそのような悪い点を持っていたら、後にはどうなるであろうか。』とのたまう。」と書いている。
他の場所に「神の存在に対して特別の尊敬を持たねばならぬ。神と両親を敬わねばならぬ。出来うる限り彼等の心にかなうように勤めねばならぬ。心から彼等を愛さなければならぬ。力の限り彼等のために尽くさねばならぬ。親を敬うとは仕えること、従うこと、その言いつけを全てなす事である」と書いている。この思想が彼女の筆になったものに度々繰り返されている。「両親や先生の言いつけに従わぬ者、片意地な者、嫉妬心の強い者、怠惰な者、全てこれらの者は神に悪く仕え奉る。そしてその思し召しに従わぬ者である。」彼女の霊的生活のプログラム、受けた教訓の反響は、このように明瞭に小さな霊魂の中に現れた。いたずらに空虚な感情的な思想に走ったところは少しもなく、誠に実践的な見識は、飾り気ない淡白の中に、堅く根を張り、厳格な義務的観念がよく認められる。彼女はまたこう書いている。「第一、霊魂の清浄潔白、即ち罪を避ける事。第二、その適当なる着物、即ち我等の義務を果たす事。第三、その装飾、即ち自発的にする善業。」一語一語危うげな子供らしい綴りと、この覚書の注意の真面目な、当を得た思想との対照が面白い。もしこんな言葉が実行されず、実を結ばないのなら、私どもの興味を引く価値はないが、この平凡な道徳律が、この子供の霊的練兵場なのであった。何人(なにびと)にも容易に、架空実に実を結び得る、この凡庸な手段を、アンヌのように屈せず忠実に実行さえすれば誰でも彼女に倣う事が出来るのである。彼女の成功はただ万事忠実に行った事によるのであった。霊魂の中に在します神への尊敬から、アンヌは心にささやく聲を聞き、注意深く従い、最も些細な務めも逃さぬように、いつも全力を尽くした。どんなに苦しく困難であっても、「イエズスの聖心を喜ばせ奉るために」最善の策を見出そうと腐心し、どうしたら一番完全であろうか、自分で分からなくなると、いつも人に質問するので、人々は彼女の心の不安を宥める(なだめる)ために即答を促された。そして行くべき道が開かれれば直ちに実行に移るのであった。これが最善の道であると教えられると、嬉しさのあまり、まるで烈しい苦しみから逃れたかの様であった。はっきり説明するために、適当な例でも与えされようものなら、大喜びで大発見でもしたように、「ああ、ママわかりました」と母のところへ駆けつけて来て告げるのであった。(つづく)