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小さき花-第1章~3

2019-11-28 14:53:16 | 小さき花
 最早、私の霊魂は今日までいろいろと内外の苦しみ艱みに遭って強く鍛錬されて居りますから、過ぎ去った事を追憶する為に、まことに適当な時期であります。ただいまちょうど暴風に遭った跡の花のように、私はおのずと頭をもたげようとして聖書の言葉は、私の身の上に成就するのを見ます。すなわち、詩編(二十二)に「主は私の案内者であるから、私は何にも足らぬ所がありません、主は私を緑の楽園に休ませ、清く穏やかな渚に憩わせて下さいます、また私の疲れぬよう主の聖名を以って、正しき道に導かれ、いつも側に居って下さいますから、よし私は恐ろしい死の谷陰を歩みましても、害に罹る恐れはありません」とあります。
 ああ、主はいつも私に対して、いかに慈しみ深くいかに大いなる慰めを与えられましたか、私の罪科を罰する為にいかに寛大でありましたか、母様!私は今この言うに言われぬ厚き恩寵を打ち明け、これを書き綴ってあなたの前で謳歌するというのは、真にこの上もない喜ばしい事で、また何という幸福な事でありましょうか、慈しみ深き聖主に摘み取られた此の「小さき花」なる私が今あなただけの前でその経歴を歌い述べるのでありますから、文章についても順序についても心配せず、ありのまま、ただ心の想うまま、筆の運ぶままに託せましょう。世間の母親は明瞭と物言えない様な乳児の心情をも悟る事が出来るのですから、あなたが、つまり私の心を養成してイエズス様に捧げられた所のあなたは、必ず私の此の拙き筆の跡をよく察して頂ける事と思います。
 或る小さき草花が語る事が出来るならば、謙遜にかこつけて我が花は不体裁であるとか、香りがないとか、太陽が私のツヤを醒まし、嵐が葉を枯らしたとか言う事を申しませず天主様から受けた惠を洩れなく正直に言い表すでしょう、それ故、この小さき花も、少しも飾らず偽らず、喜んでありのままを申し上げましょう。
 私の履歴を語らんとする「小さき花」は、別に自分が美しいとか、優れた善業の為に多大の恩寵を受けたというのではなく、全く前に申した如く、天主様の好み給える者となって、その憐れみに由ったのであります。私は現世なる試みの地に芽生えする以前は、八つの百合の花(兄弟)が白く清く咲きました。そして後、私は花弁を開くようになると、慈しみ深き聖主によって此の世間の悪しき風に当たって汚さぬよう、試みの地から「カルメル山」(修道院)即ち聖母マリアに選ばれた清き花壇の中に移植されたのであります。
 母様!これが此の「小さき花」の大体の履歴であります、が、これから小さいつぼみの間のお話しに移りましょう、斯様な時代のお話しは他の者にとっては五月蠅い事であるかもしれませんが、母親の心持として或る一層の興味があろうと思いまして……。そして私が今書き記そうして思い出しますことに就いては、あなたの思い出もある事と存じます、それは私が幼年時代、あなたの側に共に暮らした。二人は同じ親を持っていた、その親たちが、私たち二人を同じ愛を以って育てて下さったことも思い出さずにいられないでしょう。
 ああ、その親たちは今天国にて自分の子である此の小さき花を祝して、私がイエズス様の慈しみ深き事を十分語る事が出来る様に、天主様のご援助を祈って下さる事を願います。
 それで私は此の「カルメル会」に入るまでの間を三つに区別して、第一の時代、即ち私が物心ついた時から、愛する生みの親が天国へ出発なさった時……満四年八ケ月の時までのお話しから始めましょう。
 此の第一の時代は真に短い間でしたが、しかしその割合に種々に多くの感想が遺って居ります、天主様は早くから私の智恵を開かれ、又この時代の事柄を深く記憶する惠みをお与え下されましたので、この時代の事はまだ昨日のように明らかに記憶しております、これは正しく聖主が私に与えて下さった母親の事を識(し)らせたり、又この母の価値を訓えて下さるという、深き聖慮であったのでしょう、天主様は愛の御手を以って私の一生涯を守って下さいました。この時代には父や母や姉達側に居る者が、皆私に対して親切、丁寧、自愛を以って迎えてくれました。私の小さい心の中にも愛という美しい感情が養われました。それ故、私は此の時いかほど深く父母を愛し慕っていたか、この愛を表す為にいかなる方法を用いたか、恐らく誰も思い及ぶことが出来ますまい、殊に私は至ってよく心を打ち明ける性質でありましたから、なおさら、いろいろと愛を表そうとしたのですが、今日でもその方法を想起し、独りで微笑する事が折々あります。(続く)

読んでくださってありがとうございます。yui
いろいろな事情で更新がなかなか出来ませんが、終わりまで、書き続けます。


小さき花-第1章~2

2019-11-24 18:46:45 | 小さき花
 ただし聖主は私の眼前に此の世界……自然界の活きた書物を展開して、この深き摂理の玄義を説き諭して下さりましたので、私の不審は少しの曇りもなくすっぱりと晴れましたのであります。まことに天主様が此の世界にお作りになった花は、凡て皆美しく作られ、ことにかの艶やかな薔薇の花や神々しい白百合の花があっても、之が為に小さく愛らしい菫の花の匂いが無くなる事もなく、雛菊の気品も奪われるような事もなく皆それぞれに大きく小さく美しく可愛らしく咲き乱れて、人の目を喜ばし野山を飾って居ります。もし此のすべての花が皆薔薇の花や百合の花ばかりになりたいならばどうでしょうか、此の世の春は決して麗しいものではありますまい。
 霊魂上の世界……即ち活きている、主の庭園ともいうべき現世の人々の霊魂も、ちょうど春の花の如くとりどりに咲いて天主様の庭園を飾っているのであります、そして天主様は薔薇や百合の花として大聖人をお作りになり、
菫の如く雛菊の如き小さき可愛らしい花として、いろいろの霊魂を好まれるのであります。されば誰も彼もみな薔薇や百合の花となる事が出来ないのでありますから、すべて天主様の聖慮に従い、或る者は雛菊、或る者は菫として各自その本分を守り、以って天主様の御心を喜ばしめる事を、楽しみにして満足するほど、それほど完全で美しくあります。
 なお、また御主の愛は、キリストの恩惠に背かない所の最も小さい霊魂にも、高尚な霊魂にも同じ程度に現れ、少しの変わりもありません、愛の性質は下々までも行き渡るもので、もし凡ての霊魂が、公教会を照らしている彼の聖人や博士達に似るならば、天主の恩寵は充分低い所まで降って来ないような心地が致します。しかし天主様は何にも知らぬ乳飲み子や水草を逐うて生活をする可哀想な未開人をもお造りになり、彼等を野原の花としてその質朴を嘉され、高尚な霊魂と同じく彼等の心に降って愛撫せられるのであります。彼の太陽が森の松や杉を照らすと同時に谷間の草花をも照らすと同じく、天主様は限りなき全能の御手を以って大小の霊魂を照らし護って下さるのであります、そして又此の自然界の四季が一本の草、一種の花を咲かせる為に供えられてある如く、天主様は上宮殿の王侯より下伏屋の賤しい女に至る迄、あまねく万人の霊魂の為に、それぞれの恩寵を行き渡らせて下さるのであるという事をも悟りました。
 母様!私は自分の経歴を書かずに斯様な事を申し上げるのは、定めて御不審で御座いましょう、しかし私はあなたから、遠慮なく思うままに書き綴れよ、との仰せを受けましたので、私の伝を書くのではなく、ただ外部に表われた経歴ばかりではなく、聖主が私にお与えくださった内部の恩寵に就いて、私の観念を著すつもりであります。(続く)

読んでくださってありがとうございます。yui

小さき花-第1章~1

2019-11-23 21:46:15 | 小さき花
 
 小さきテレジアの記念日
  誕  生            千八百七十三年  一月  二日
  洗  礼            同        一月  四日
  着 衣 式            千八百八十九年  一月  十日
  カルメル会修道女院に入る     千八百八十九年  四月  九日
  福者の位に列せらる       千九百二十三年  四月二十九日
  初 聖 体            千八百八十四年  五月  四日
  聖母の微笑           千八百八十三年  五月 十三日
  聖者の列に加えらる       千九百二十五年  五月 十七日
  天主の恵みに我が身を捧げる記念 千八百九十五年  六月  九日
  堅  信            千八百八十四年  六月 十四日
  誓 願 式            千八百九十年   九月  八日
  被 覆 式            同        九月二十四日
  死  去            千八百九十七年  九月 三十日
  教皇レオ十三世陛下謁見     千八百八十七年 十一月 二十日
  ご誕生の恵み          千八百八十六年 十二月二十五日
  
  -----------目次---------(略)
  
  我が世にあらん限りは必ず恩寵と憐憫とわれにそい来たらん(詩編二十三章)
  
  春の小さき花の履歴
  (一章から八章までの文章は、テレジアが、修道女院長であった自分の姉上ポリナに宛てて書いたものであります)
  
 敬愛する母様、あなたの仰せに従って、私の霊魂上の履歴を打ち明けましょう、実に最初に仰せを承った時、こういう事は種々の心配に逢って、心が乱れはすまいかと案じましたが、しかしあなたの仰せを柔和に従うのは即ち聖主キリストの聖旨のかなう事である、と悟りましたので、今ここに私は永遠に於いて再び繰り返さねばならぬ私の霊魂上の経歴……主の御憐れみの仕業を歌い始めましょう。
 私は筆を執る前、母や姉や私が度々慰めを受け恩寵を受けた聖母マリアの御像の前に跪き、しばらく祈って後、「天の元后のお気に召さぬような事は一句でも書かぬよう、私の筆を導いてください」とお願いしました、そして傍に有った聖福音書を開いてみますと「聖主が山に登られ、好み給える人々を召し給いしに……」(マルコ三の十三)という句が目につきました。ああ此の
 好み給えるという言葉の深き意味-聖主が値打ちある人を召し給うのではなく、ご自分の好み給う人々を召し給うたという事は、まことに味わうべき言葉、私の一生涯に於ける神秘もそこにあり、また私の霊魂をお与えくださった多くの恩寵のわけもこれが為であります。さればかの聖パウロも「天主は憐れむべき人を憐れみ、慈悲を施すべき人に慈悲を施されるので、敢えて之を望む人にも走る人にもよらず、ただ天主の聖慮のみによるのである」(ロマ書九の十五、十六)と申されてのであります。
 私はこういう事を考えました、「天主様はどういう理由ですべての人々に対して同じ様に恩寵を与えなさらず、ある人々には特別贔屓されるように多大な恩寵をお与えなさるのであろうか、かの聖パウロとか聖アウグスチノ、聖マリア・マグダレナのように大いなる罪人に対して特に不思議なほど豊饒な恩寵を、強いてお与えなさったように見え、また聖人伝を読みましても産声を上げてから墓地に葬られるまで、特に恩寵を以って洗礼の際の白い衣服を罪悪で汚されないようにお護りになり、何時も何時もご自分にお近づけなされてこれに妨げになるようなものを取り除かれ、一生涯に恩寵の中に過ごさせた方々が多数あります、そうかと思うと一方哀れな未開人には、一度も主の聖名を聞かずにして死ぬという不幸な者もありますが何故このように恩寵を蒙る事の厚い薄いの区別があるのであろうか、と不審に思いました。(続く)

読んでくださってありがとうございます。yui

小さき花-略伝~5

2019-11-23 20:49:55 | 小さき花
 千八百九十六年の聖金曜日に、テレジアは肺病であって喀血しましたが、彼女は常に「イエズス・キリストの如く死するまで苦難を嘗めたい」と申しました。その当時より、暫時体力が弱り、永く肉身の苦を受けましたが、能く耐え忍び、如何なる苦痛の最中でも、絶えず微笑んで居りました。
 翌千八百九十七年九月十三日梧桐一葉秋の寂しさを報ずるとき、彼女は二十四歳の未だ花の盛り香ばしき時「主を愛し奉る」といいつつ、安らかに此の世を去り、永遠限りなき、天の福楽を享くる身をなりました。
  パリ大学学士院の博士達テレジアを讃頌していわく、現代の事く利己的のことに奔走し、天主に悖り(もとり)抵抗する時に当たりて、能く天主の聖慮に託す聖女を与え、無情残酷の多き世に於いて、能く愛情に富む聖女を与え、高慢不遜の世の中に、能く謙遜を守る聖女を与え給うた。と、言辞簡なりといえどもテレジアの信仰性格を言い表して、余蘊なしと云うべきであります。(略伝 終わり)

読んでくださってありがとうございます。yui

小さき花-略伝~4

2019-11-22 21:38:45 | 小さき花
 空気の新鮮な、広々とした田園でしばらく転地療養をさせる方がよかろうという医師の勧めでしたので、近在に知れる乳母あることを思い出して乳育児として、其処に預けられ養生せしむこととなりました、健全に成長します、花の蕾は、日々美しくなって、漸々と丈夫になり、アランソン市の慈愛に富める両親の膝下に帰ることとなりました。香木風多く、高き山の頂には早く雪に被われます。小さき香りの花の蕾は四歳六ヶ月の指を数えるとき、即ち
千八百七十七年不幸にも慈母のゲレンは病気のため齢四十六歳で逝去されました。
 それで父は子供等の躾方、教養のこともありますから、マリア、ポリナ、レオニア、セリナと此の小さき女王のテレジア姉妹五人を連れ、住み慣れしアランソン市を去りて、リジュー市に引き移ることになりました。
 何故リジュー市に移転しましたか、そこには、ゲレンんも姉妹が嫁付いて居ます。つまりマルテンの義兄弟が居ますから、子供等の教養法を相談すべk、う、また此の義兄弟に頼りて子女の躾方を為そうとしての、父の心遣いであります。
 テレジアはふさふさとしたる、赤色の垂れ髪、清らかに流れる水の透き通るような涼しき眼つき、優美の風相に天来の微笑みを湛えて、叔父母の家に嬉々として戯れますが、父マルテンの心裏如何子を持つ親の情愛や推し量るに難からず。
 テレジア九歳八ケ月の時、即ち千八百八十二年十月第二の母姉ポリナはカルメル会修院に入りましたとき、彼女は孤児となったように感じ、後再び病気に罹りましたが、幸いにも聖母の御助けにより全快しました。
 千八百八十三年五月八日初聖体を受け、間もなく堅信の秘蹟を受けました。
 千八百八十六年十月テレジアの十三歳八ケ月の時、マリアも同じくカルメル会修院に入りました。
 十五歳の時、彼女は自分の転職が、修道女になる事であることを悟り、カルメル会修院に入らんと決心し、父や姉達の同意を得、なお叔父は最初反対の意見もありましたが、此の時はこれを是認することになりました。その規則では、十五歳で入ることが出来ない事を知り、一時大いに悲しみましたが、司教に嘆願し、尚も父のローマ巡遊に同行して、直接教皇陛下に願わんものと、千八百八十七年十一月ローマに向って出発しました。彼女はその途次地方自然の大風光に接し、古人の傑作を見、多くの聖地を巡拝し、以って天主の全能偉大なる事を益々感じました。
 同年十一月二十日教皇レオ十三世陛下に謁見し、その時テレジアは妙齢の少女であったにも拘わらず、思い切って陛下に入院の事を願いましたが、陛下は「時機を待て」と仰せられ、テレジアは陛下の御言葉を預言の如く思い、その時節を待って居りました。
 同年十二月二十八日司教より入院許可の通知が着きましたが、修院長は、四旬節が終わりて後に入院せよとの事で、それより三ケ月待っていました。
 翌千八百八十八年四月九日、漸く本懐に達し、修院に入ることが出来ました。
 カルメル会修院とは、如何なるものでありますか。
 カルメル会は古来より存在している、その修道女は孤独の生活を守り、よく克己心を養い黙想と祈祷を専らとし、愛徳を以ってこれを繋ぎ、従順と謙遜を以って私欲を制し、欠点を矯正し、苦業を為し大斎を守る、この目的は、むかしユダヤ人が戦いつつある間に、モーゼは絶えず山上に於いて、戦う者の為に祈って居ました通り、彼等も身を修め、徳を励みつつ、世の罪人の為に代わり償い特に布教を従事する司祭、宣教師の為に祈るのであります。
 修道女は午前五時に起き、午後十一時に就寝規定です。毎日ミサに預かり朝夕一時間ずつ聖堂に於いて黙想を為し、なお約四時間の祈禱を捧げ、その他読書手仕事等を為し、年中小斎を守りて、鳥獣の肉と卵を食せず、毎年九月四日より、翌年の御復活祭日までは日曜日を除く外大斎を為し、無論修院外には一歩も出ること能わず(あたわず)、訪問者に対しては、稀に唯わずかに談話するのみで、兄弟両親の他、顔を見ることを許されず、しかも堅く沈黙を守り、互いに愛徳を行うを以ってす。昼夕の食事後の一時間を限り、特に互いに談話を許さるるのみ。全て入院当時は修練女となり、着衣式、誓願式、被覆式を了し後、修道女となる、最も修院長は時々交替せらる。
 テレジアは修院に入って後「幼きイエズスの聖き面影のテレジア」と名付けられました。長上の者は、妙齢なる彼女を、我儘ならしむるようなことをせず、いとも厳格に取り扱いました。これは善徳を磨かす為であったのです。
 千八百九十九年一月十日着衣式、翌千八百九十年九月八日誓願式、次いで二十四日被覆式を受け、一身を全く天主に捧げ、忍耐克己は勿論、凡てに犠牲的献身的の行いを致しました純潔なる小さき花の霊魂は、天主を熱愛し奉りました。未だ年若きにも拘わらず、特に選ばれて修練長となり、修練女達に「子供の道」を教え、彼等の善徳に進むことに専ら努めて居りました。
 千八百九十四年七月永い中風であった父は亡くなりました。テレジアは未だ世間に残っているセリナの事について心配していましたが、父の死後二ヶ月にセリナも終にカルメル会修院に入りました。(続く)

読んでくださってありがとうございます。yui