散歩が終わって家に帰りますと、直ぐに宿題や復習をして、後で庭園に行って良き父の側で遊ぶのです。しかし私はまだ人形で玩ぶ事を知りませんので、いろいろの種子や樹の皮で薬のようなものを作るのが楽しい遊びでありました。そしてその薬がもし好きな色でも出ると早速立派な茶碗の中に入れて父に差し上げるのですが、父は薬によりも茶碗の美しいために仕事を止めて、微笑みつつ之を呑むまねをしておられました。また私は花を栽培する事が好きでした。私の庭の壁の中に少しでも窪んだところでもあると、そこに小さい祭壇を造り、いろいろの草花でこれを飾るのです。そして祭壇も飾りも出来上がりますと、直ぐに父に知らせますと、父は私の気に入るため、わざと感服するようにして、その手際を褒めておられました。こういうことはまだ沢山記憶に残っておりますが、とても一々書き尽くす事が出来ません。もしまたこれを書くにしても、この小さき女王に対する父の愛は、いかに深かったかを十分の一も表わす事が出来ません。
私は父を呼んで「私の愛する王様」と申しておりました。私は父と共に魚釣りに行きました。むろん小さな魚を釣る事が面白く楽しい事でありましたが、折々この魚釣りを止めて、青々とした草の上や、咲き乱れた花の傍に座り、ざまざまの深い瞑想に耽る事がなおさら好きでした。またそのとき私は黙想というものはどんなものであるかと言う事を一向に知りませんでしたが、知らず知らず正当の黙想をしておりました。私は小さき身体を草の上に寄せてじっと無心になりますと、そよそよと吹く風あたたかく、緩やかに流れる風の音や、町で囃す軍楽隊の響きが時々かすかに耳に入ります。が、それも暫くの間で、やがて蒼々とした天空や、広々とした野原を見て、精神が次第に恍惚となり、地上は島流しの所と思わせ唯もう楽しい天国の事ばかり思っていました。午後は時間の経つのも知らないくらいでした。そのうちに太陽がだんだんと西に傾いてくると、そろそろと遊び道具を片付け、お弁当の包みを開くのですが、パンに塗ってあるジャムの鮮やかな色がいつも少し変色していますので、折角他の死んで居たお弁当にも満足する事が出来ません。この世は益々悲しきように見え、私は少しの雲もなく苦痛も悲哀もない真の歓楽は、天国のみに於いてあると一層深く悟っていました。
雲のことについて次の事柄を思い出します。私はある日青々と晴れ渡った大空が急に曇ってきて、一団の黒雲が野原の上の方に現われると同時に烈しい夕立がして、続いて物凄く稲妻、轟々と雷の音、天地も砕けんばかりの恐ろしい光景となり、付近の牧場には火柱が起こって雷が落ちました。私はその凄まじい光景を観て、左右に身を向けていましたが、少しの恐れず、却って恍惚として、天主様が私の傍にいて護ってくださるように感じておりました。そのうちに少し離れていた父は、私を案じ、自分の女王ほど満足せず急いで側に来てくれましたが、いままで荒れすさんだ天候も、急に雨が止み雲が散って跡形もなくなり、ただ私より背の高い花菊の上には夕立の露が宿り、これが夕陽に照り輝いてちょうど金剛石のように美しく光っておりました。そして大通りに出るまで牧場を通らねばなりませんが、父はいろいろの持ち物があるにも関らず私を抱いて帰ってくれました。途々、私は草や花が宿している、その美しいダイヤモンドの露の玉が私の全体を覆われないのを残念に思いました。
まだ申し上げないと思います。アランソンもリジューにいる時のように散歩の時にはいつも私は貧しい人に施しを持ってゆく役目をしていました。ある日、撞木杖に身体を支えながら辛うじて歩いている貧しい老人に出会いました。そこで私はちいさい銅貨を施そうとその人の側に近づきますと、彼は永く悲しそうに私を見つめ、頭を横に振って私の施しを断りますので、私は心の内になんとも言えない辛い感じがしました。私はこれは大方施しを受けるのを恥ずかしく思うのか、また幾分か卑下されたとでも思ったのではなかろうか、と大いに心配しました。するとその老人も私の心配を察したのか、暫くのち振り返り遠くから笑顔で私を見ました。
そのとき父は私の為に菓子を買っていたときでしたから、その人は金銭を受けるのを好まないが、さぞ御菓子なら喜んで受けるであろうと心の中に思い、すぐにその人のもとに駆けて行こうとしましたが、そのうちに何か遠慮したのか、気恥ずかしかったのか、ついに機会を失って御菓子を持って行く勇気が出ませんでしたから、胸がいっぱいになって涙を流すほどでした。
読んでくださってありがとうございます。yui
私は父を呼んで「私の愛する王様」と申しておりました。私は父と共に魚釣りに行きました。むろん小さな魚を釣る事が面白く楽しい事でありましたが、折々この魚釣りを止めて、青々とした草の上や、咲き乱れた花の傍に座り、ざまざまの深い瞑想に耽る事がなおさら好きでした。またそのとき私は黙想というものはどんなものであるかと言う事を一向に知りませんでしたが、知らず知らず正当の黙想をしておりました。私は小さき身体を草の上に寄せてじっと無心になりますと、そよそよと吹く風あたたかく、緩やかに流れる風の音や、町で囃す軍楽隊の響きが時々かすかに耳に入ります。が、それも暫くの間で、やがて蒼々とした天空や、広々とした野原を見て、精神が次第に恍惚となり、地上は島流しの所と思わせ唯もう楽しい天国の事ばかり思っていました。午後は時間の経つのも知らないくらいでした。そのうちに太陽がだんだんと西に傾いてくると、そろそろと遊び道具を片付け、お弁当の包みを開くのですが、パンに塗ってあるジャムの鮮やかな色がいつも少し変色していますので、折角他の死んで居たお弁当にも満足する事が出来ません。この世は益々悲しきように見え、私は少しの雲もなく苦痛も悲哀もない真の歓楽は、天国のみに於いてあると一層深く悟っていました。
雲のことについて次の事柄を思い出します。私はある日青々と晴れ渡った大空が急に曇ってきて、一団の黒雲が野原の上の方に現われると同時に烈しい夕立がして、続いて物凄く稲妻、轟々と雷の音、天地も砕けんばかりの恐ろしい光景となり、付近の牧場には火柱が起こって雷が落ちました。私はその凄まじい光景を観て、左右に身を向けていましたが、少しの恐れず、却って恍惚として、天主様が私の傍にいて護ってくださるように感じておりました。そのうちに少し離れていた父は、私を案じ、自分の女王ほど満足せず急いで側に来てくれましたが、いままで荒れすさんだ天候も、急に雨が止み雲が散って跡形もなくなり、ただ私より背の高い花菊の上には夕立の露が宿り、これが夕陽に照り輝いてちょうど金剛石のように美しく光っておりました。そして大通りに出るまで牧場を通らねばなりませんが、父はいろいろの持ち物があるにも関らず私を抱いて帰ってくれました。途々、私は草や花が宿している、その美しいダイヤモンドの露の玉が私の全体を覆われないのを残念に思いました。
まだ申し上げないと思います。アランソンもリジューにいる時のように散歩の時にはいつも私は貧しい人に施しを持ってゆく役目をしていました。ある日、撞木杖に身体を支えながら辛うじて歩いている貧しい老人に出会いました。そこで私はちいさい銅貨を施そうとその人の側に近づきますと、彼は永く悲しそうに私を見つめ、頭を横に振って私の施しを断りますので、私は心の内になんとも言えない辛い感じがしました。私はこれは大方施しを受けるのを恥ずかしく思うのか、また幾分か卑下されたとでも思ったのではなかろうか、と大いに心配しました。するとその老人も私の心配を察したのか、暫くのち振り返り遠くから笑顔で私を見ました。
そのとき父は私の為に菓子を買っていたときでしたから、その人は金銭を受けるのを好まないが、さぞ御菓子なら喜んで受けるであろうと心の中に思い、すぐにその人のもとに駆けて行こうとしましたが、そのうちに何か遠慮したのか、気恥ずかしかったのか、ついに機会を失って御菓子を持って行く勇気が出ませんでしたから、胸がいっぱいになって涙を流すほどでした。
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