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今日もいろんな人とお話をさせてもらって
どうしよう どうかなあとか不安になったり
泣いてしまったり でも歩きながら
ポジティブシンキングをがんばって
自分にポジティブな言葉を発し続けてみたり
ちょっと前向きな気持を信じてみたり するわけだけど
いろんな人と話をしていて
だいたいの人に共通している点というのは
私は根がネガティブだ ということで
そうなんだよね そうなんですよ
そして彼らに言わせると たまに
「で?何が問題なの?」と思うらしい
私はああ 苦しい、、、と思ってしまうけど
今日お風呂あがりに気がついた。
その苦しさを作っているのは自分なのかもしれないと。
自分が苦しいと思っているから苦しいように思えるだけで
じゃあ本当に苦しいのかと問うてみると もしかして
視点をちょっと変えてみるだけで 違うようになるのかも。
「美樹の問題はそうたいそうな問題に思えへんけどな」と
今日会った友達は言っていた。たまに他の人にも
「で?何が不安なの??」と言われたりする
こうやって 私は一人ではメタ認知なんてできないけれど
みなさんにご意見を伺ってると 新たな可能性がぽっと見えたり
自分の置かれている状況が そんなに悪いわけではないと
思えてきたり まさに沢山の人のお力を借りてメタ認知、、、
(本当にみなさん心からありがとう!!)
「人生苦しい時が上り坂」と言ってくれていた人がいた。
苦しい時を越えてみたら 素敵な地平が開けてて
素晴らしい景色がみえてくるのかもしれない
開けることを信じて前に進むこと も きっと
大切なのだろう。それだけじゃなく 苦しい、怖い
不安だ、と思ってしまう自分の視点を 無理矢理じゃなく
でもちょっとどこかに向けられたなら 何かは変わってゆくのだろうか。
昔誰かが言ってたな 同じ椅子を見るにしても
一人は上から 一人は横から 一人は工芸的な観点から
一人は数学的な観点から椅子を眺めることができるらしい。
私は一人でそんな能力はなかったけれど「吐き出すのも
能力のうち」と言ってくれた友達がいた。そうして
話をきいて お茶をしてくれる友達や先輩がいて
彼らのおかげで ようやく私も複眼的な視点を少し
手にしたような そう 上田先生が『プレイフルシンキング』で
言っていた。「あなたのものの見方だけがものの見方ではないということ」
ものの本には書かれていても ようやくそれが 実感として
なんだかちょっとわかった気がした。
だからこそ メタ認知とか 複眼的な視点が大事だということか
もしかしたら 同じ1つの物であっても 裏から
それを眺めてみたら 全く別の見え方をしているかもしれない
問題に焦点をあててしまうと 世界がそればっかりになってしまうけど
博士課程に進まなくっても私の人生が終わりにはならなかったように
違う視点から 複眼的や 客観的に 眺めてみると
ものごとの他の側面がよく見えるようになるのだろう
私はそれを ようやく学びつつあるのだろうか
それも1つは カフェでの出会いのおかげかもしれない。
ものごとには色んな見方があること
それを自分の中に身につけて 違う捉え方を
やってみること 私はそんな 人間としての
成長のレッスンを 今課されているのかもしれない。