忍ぶ世に 夢は鉄路を 駆けめぐり
最長片道切符
テレワークといっても、
世捨て旅人にとっては無縁の世界。
ならば、テレトリップでどうだとばかり、
床一面に道路地図を広げ、これからの股旅の構想が次々に。
しまいには、蔵書の中から鉄書(昔の時刻表やら鉄道紀行書など)
を引っ張り出して来たり。
昭和54年発刊、鉄旅の聖書とまで言われた
宮脇俊三氏の実録書『最長片道切符』の頁をめくりだす。
当時の国鉄路線約2万キロ、北から南まで一度も交わることなく、
一筆書きルートの最長片道切符を発券し実際に乗車敢行するという、
今で言う、路線バス旅や電動バイク充電の旅なんぞの元祖とまで言える教本。
国鉄全盛時の鉄道網は、ある意味ゲーム性満載のネットワークでもあった。
とくに「最長片道ルート」は、鉄界では神童と呼ばれるような達人諸氏や、
鉄道研究同好会などでの趣味の域を越え、
東大などの大学、研究府においての学問領域にまで発展していた。
「最長片道ルート」のアルゴリズムを解析しプログラム化、
コンピュータでの最適解をはじき出すにまで加熱していたのを思い出す。
氏の考案によると、北海道広尾駅始発、鹿児島県枕崎駅終着、
乗車距離 鉄道 13,118.4キロ
連絡船 201.0キロ(青函、宇高、仁方)
計 13,319.4キロ
運賃(乗車券のみ) 65,000円(昭和53.10時点)
氏は、昭和53年10月、実乗車日数34日間にわたって全線を踏破している。
1987年2月廃線前の広尾駅
広尾駅 駅舎解体工事現場 2018年6月23日撮影 訪問時記事より
1984年3月南薩鉄道廃線時の枕崎駅旧駅舎 国鉄枕崎駅と共用していた
JR枕崎駅 現駅舎
しかしながら「最長片道ルート」は、後の新線開業や新幹線の延伸だけでなく、
廃線や、国鉄連絡船(青函、宇高、仁方の3ルート)の廃止など、
時代や社会の変遷とともにネットワークの構成要素が変わるたびに
最適解もその変更を余儀なくされていった。
四国は本四架橋の瀬戸大橋線での接続ルートが1本だけとなったので、
一筆ルートに編入できなくなてしまったのは残念なことである。
とくに、新幹線開業により、ローカル線化し第三セクター鉄道に化した路線など、
JRの最長片道ルートの対象外となった路線(青森―盛岡や金沢―直江津など多数)
によって、「最長片道ルート」そのものの醍醐味やロマン、
商品的価値も低下していったため、近年は鉄旅の同人諸氏の間でも
熱く語られることはほとんどなくなっているようだ。
ならば、せっかくの機会、テレトリップ。
あらためて2020年版「最長片道切符」、どうなんだろう。
誰もいない海
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