斉間さんのご冥福をお祈りします。
『はんげんぱつ新聞』344号(2006年11月)より一部転載。
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コラム「風車」344号(2006.11)
悲しい知らせが続いた。9月26日、敦賀の増田悟さんが心不全で急逝。51歳の若さだった。体調を崩したとは聞いていたものの、まさかと信じられない思いだった。
独特の語り口が聞こえるように、はにかんだ笑顔が目に浮かぶ。
増田さんひとりではなく、仲間たちといっしょの姿だ。もう語り合うこともできなくなったのは口惜しいけれど、増田さんを通じて知りあえた、そうした人たちとともに、遺志を継ぎたいと思う。
10月17日には八幡浜の斉間満さんの訃報が届いた。急性心臓死という。享年63歳。脳梗塞のリハビリ中だったが、南海日日新聞のコラム「海鳴り」で健筆を揮いつづけておられたことから、すっかり安心していた。やはり、まさかとの思いだ。その日の朝にも執筆されていて、21日付けの紙面に掲載された。もっとたくさんのことを
書いていただきたかった。
伊方原発はどのようにして建てられてしまったか、原発が来て町はどう変わったかを詳述した斉間さんの著書『原発の来た町』が在庫切れとなっていて、この本をぜひもっと多くの人に読んでもらいたいと、反原発運動全国連絡会では再刊行の準備をしたが、残念ながら頓挫した。斉間さんを偲んで、ホームページに掲載させていただくことにしたので、ぜひお読みください。(N)
http://www.hangenpatsu.net/modules/news/article.php?storyid=64
『はんげんぱつ新聞』344号(2006年11月)より一部転載。
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コラム「風車」344号(2006.11)
悲しい知らせが続いた。9月26日、敦賀の増田悟さんが心不全で急逝。51歳の若さだった。体調を崩したとは聞いていたものの、まさかと信じられない思いだった。
独特の語り口が聞こえるように、はにかんだ笑顔が目に浮かぶ。
増田さんひとりではなく、仲間たちといっしょの姿だ。もう語り合うこともできなくなったのは口惜しいけれど、増田さんを通じて知りあえた、そうした人たちとともに、遺志を継ぎたいと思う。
10月17日には八幡浜の斉間満さんの訃報が届いた。急性心臓死という。享年63歳。脳梗塞のリハビリ中だったが、南海日日新聞のコラム「海鳴り」で健筆を揮いつづけておられたことから、すっかり安心していた。やはり、まさかとの思いだ。その日の朝にも執筆されていて、21日付けの紙面に掲載された。もっとたくさんのことを
書いていただきたかった。
伊方原発はどのようにして建てられてしまったか、原発が来て町はどう変わったかを詳述した斉間さんの著書『原発の来た町』が在庫切れとなっていて、この本をぜひもっと多くの人に読んでもらいたいと、反原発運動全国連絡会では再刊行の準備をしたが、残念ながら頓挫した。斉間さんを偲んで、ホームページに掲載させていただくことにしたので、ぜひお読みください。(N)
http://www.hangenpatsu.net/modules/news/article.php?storyid=64
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