ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

遙か3Ultimateと銀の寝姿vita届いた

2017年02月23日 | ネオロマンスゲーム
発売から13年、また遙か3をプレイするとは!

そんなわけで、ソニーストアとコーエーテクモのアコギ商売に釣られ

銀キター!!LimitedEdition




おまけで缶バッジついてた。
ソフトはBOXじゃないけど。

去年結局、「喧嘩番長」とvitaを買わなかった…
でも遙か3で買ってしまうというあたり
もしかしたら自分は「萌え」以上の何かを求めているのかもしれません。

今日中に3章までいけるかな?


とりあえず進めてみます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽劇金色のコルダ blue sky♪感想

2017年01月14日 | ネオロマンスゲーム
「遙か3ultimate」と一緒に、キャラ添い寝仕様のVitaが出るそう。
実は去年、ハード買うのを我慢しました。買う気ではいたけど、とにかく出費のかさむ年だったため
欲しくても買うのが怖かったので。
そんなわけで、銀Ver.予約。
ネオロマもアンジェと遙かだけの時は「全部」ってできましたけど
今はコミックスから関連商品にパーティーに舞台に…と広いので
とりあえず自分の好きなものだけになります。

dtvアニメストアの方に「金色のコルダ」の舞台劇が配信されてたので観てみました。

お話は「コルダ3」で、ミュージカルではないです。クラッシックと物語。


なぜ自分の好きに演奏したらいけないんだ?と
できのいい兄と比較されたり、情熱に対してのジレンマを抱く響也
役者さんは「仮面ライダーウィザード」のソラ、前山剛久さん。
(函館天音のフルートと名前まで被った…イケメンにはよくあることです!)

そんな中、公園で道に迷った至誠館高校の八木沢と出会う。
至誠館高校のメンバーもまた、いじめと暴力事件から廃部の危機に追い込まれていた。
それぞれの気持ちを一つに、ハーモニーを奏でることはできるのか?
全国大会は?

てな感じです。
歌ありダンスあり。

で、これ見ててちょっとだけ理解できなかったところが。
ゲームでは、確か至誠館や神南含めて「全国大会」ではなかったっけ?
だって神戸と仙台から来るんですよね?
それが劇中「地区大会」になってて

どこの地区?

最初にちゃんと「横浜」って言ってたからそこは横浜なんですよね?
そしてラストは至誠館とぶつかっていたので全国ですよね?
彼らの地区とはサッカーみたいな「東アジア地区」なんでしょうか。
う〜ん、よくわからん。
昨年末にやっていた舞台が続編?それ見たらわかったのかもね。

天音学園メンバーは出ませんでした。
冥加に関しては、あいつ一人で全ストーリーパートを破壊していくほど
ややこしくかつ深く暗いので、
確かに問題多い如月兄弟と並べて描くと、どこに視点置いたらいいかわからんね。


「俺と付き合ってくれ」観客キャー!

いやそこは!みんな期待してるところです、多分。
でも、かといって、主人公とキャラクターのラブラブ部分を増やして
小日向の顔アップ的な、小日向さんが主人公!でやればやったで
感情移入できなければ、こりゃあ嫉妬と憤怒の嵐になりかねない…。
なんて難しい脚本なんだ!と思いながら見てしまいました(笑)。


完璧ハマりだと思ったのは
神南の土岐、至誠館のメガネ狩野くんと火積かな。
feat.を結局やってないので、江波くん保留。


自分のことより皆のこと
責任感の強い努力家の律は美しいけれど
才能ゆえ、自身の中で咆哮を燻らせる響也、好きですよ。


[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

音楽劇「金色のコルダ Blue ♪ Sky First Stage」 [ 前山剛久 ]
価格:7703円(税込、送料無料) (2018/10/19時点)

楽天で購入




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネオアン新情報あるんすか??

2016年06月30日 | ネオロマンスゲーム
聞いたわよ
小耳に挟んだよ〜

まだわかんないし
もしかして2はキャラ全員とっかえとか(ガクブル)
怖さ半分〜
怖いもの見たさ半分

アンジェをリメイクされるまでは
寝てて悪夢にうなされさえしたけど
悪夢のように、全員リーゼントでもハゲでもなく
つつがなくルトゥールしたですね。

でも実はあんまり自分は
食らいついてない?
というのは、聖獣の方が好きってのもあるかも…? いやわからん。
作業ゲーにはなってなかったけどな。

元教官や協力者
エトワールキャラとか好きだからかね。
フランシスのとこ行くのは楽しいもんですよ? 

全然古くないし、それなりに楽しんだんですけど
それでもなぜと言われたら、それはきっとゲームが悪いんではないです。
ただ、そういうもんなんでしょう。
ランディとゼフェルは前のデザインの方が好きだったかな。
マルセルとオリヴィエ、ジュリクラは今の方が好き。

「世界街歩き」みたいなんで3Dにならんかね?
グーグルのストリートビューでファリアンとか歩きたいんだが
路地入ったら財布すられてイベント発生でロシュ登場とかさ


またあまりにも期待すると
期待滑った時が怖いから封印しとく…
続報を待ちます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【遙か6】黒龍の神子が破壊したものと天地の青龍

2016年03月09日 | ネオロマンスゲーム
どSファンのマゾの神子様たちこんにちは。
本日は天地、どちらを選んでもスーパー「どS」だったよ、という青龍でございます。


無口で一人呟く系の武人有馬と、「一人宝塚歌劇」とでも言っていい革命の徒ダリウス。
ワイン対玄米茶!ミュージカル対民話 サーロインステーキ対冷や奴!
青龍の二人というのは、パッケージでも大きく目立つわけで
ある意味遙か6とは何かを象徴するものでもありますね。
ゆえに難しい。


しかし、黒龍の神子らしい力が一番発揮されたのが、青龍の2人のルートかもしれませんね。


革命行為は常に正しいのか?

まずダリウス。英語読みですか。ダライアスと読むならロシア人か。←そういうゲームがあるんです(;´∀`)
年齢からすると5歳の時に日露戦争。ロシア革命は18歳の時になる?
史実だとルードハーネはイラン立憲革命のまっただ中でお生まれになっているのでは
て、色々としょーもない所に行ってしまうので、もうやめときましょう。
あくまでファンタジー。せっかくなので…



革命というのは、強烈な理想と意思によってなされ
被差別的なものを撤廃し、既存の体制を打ち崩し、平和、平等や自由を求め
新しい世の中を作ろうとするものです。
鬼の仮面をつけてでも、事はなされなくてはならない。
その使命感たるや。革命というのはけっこうどこの国でも強烈なものだと思います。
黒龍の神子は、その破壊の力を使ってダリウスの仮面を壊しますが、ダリウスを撃つ形になる。

破壊の力で止めたものは、得体の知れない化け物にとってかわる理想、理念の暴走ではなかったかと思います。
自分でなくなっちゃあな。



もしも仮に、永遠に「革命」の起きない世界があるとしたらそれは正しいか?


何も変わらない。
有馬のルートは時間がループします。翌日をまたいで「明日」を迎える事ができない世界。
そこには、上っつらだけの、ありえない激甘の有馬隊長がいました。

それは、梓個人にとっては都合のよい世界でも、全くの「虚」であって、現実ではありません。
そんな非現実の中で、盲目で、本当は改善されなくてはならない問題が、山のように転がってても
はたまた、得体の知れないものが地下でうごめいていたとしても
「私には無関係です」として過ごしていけるのか?

そんな事を許す有馬なら、どんなにスイートなセリフ言っても好きにはなれないですよ。
(て、乙女ゲームなら当然スイートに「永遠にハッピー」を願う所にボディーブローかましてくる有馬一)

有馬は、本当の意味で社会にいる人。人に頼られ、人の為に仕事する人。
目を閉じずに現実を見つめて「前進できない時間」を壊す。
一見して平和である、何も変化の無い世界は、もしかしたらただ事実、現実から目をそらしているだけ…
なのかもしれません。



ダリウスのルートは
鬼だからという理由で押しつけられる不条理や、人から個人の意思を奪うようなあり方に対して
人としての権利を問い、その理想を求める革命でした。

一方、有馬における革命はストイックに現実を見つめ
けして身勝手で盲目である事ではなく
存在の意義を知り、人の為に行動する事によって得られる尊厳があるとするもの。

青龍のルートで大事なのは、それらの理想の受け売りではなくて
黒龍の神子自身が、何が真実で何が大事でと
「世」を前にして自分で意思決定して行動する事なんでしょう。
時に、「疑ってしまう」わけですが。それも必要なことかもしれない。


それらが、いわゆるあやしいセミナーで行われるような
「自己啓発」である事を私は望みません。
ですが、勇気の全てを否定するものでもないです。



たとえ繰り返される日々であっても、確かに盲目で身勝手であるのが至上ではないです。
美しい理想の上でも何が理想で、何が悲劇かは自分で考え
時にあの勇気を持つ事ができたらなあと思います。

さすがそこは青龍ルートですから…。
何が大事か、勇気と意思で選んで、時に打ち破っていかなくては
結果的にいろんなものを失うのではないか、と思わずにいられません。


我々、日々色々な情報がインプットされていきますが
与えられるまま口に無理矢理詰め込まれるシュークリームはあんまりおいしくはないですよね。


[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

【中古】PSP 遙かなる時空の中で6
価格:3653円(税込、送料無料) (2018/10/19時点)

楽天で購入


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【遙か6】相対性、白龍の神子&黒龍の神子

2016年02月29日 | ネオロマンスゲーム
最近やたらテレビでアインシュタイン見ましたね。重力波とか相対性理論とか。
さて、本日は相対性というか。白龍と黒龍の神子。



まず最初にここで1つ問いを出そうと思います。

「白龍の神子=陽」は「黒龍の神子=陰」より格上なのか? 


おそらく、「遙か」のファンならば「格上、格下は無い」というでしょう。
そう。「対」ってそういうもの。

でもこれ、もしも黒龍と白龍の神子、もし天秤にかけて
「社会にとって有益である事」を物差しに、偏向的に勝ち負けを決めるのであれば、
怨霊を操る、陰の気を持ち不遇である事も多い黒龍の神子的資質というのは、
たちまち不利に、格下になってしまうのではないでしょうか?

「遙か6」の白龍の神子
駒野千代のように、明るくて元気でちっとも嫌みがなくて、すすんで自らを犠牲にできる瞳キラキラ。
そういう存在は理想的です。
責任感もあり、使命に燃えて、夢もあってと本当に愛されキャラの千代ちゃん。
どこまでも白龍の神子らしい、主人公ならこうでなくちゃというかんじですからね。

でも「遙か6」の場合、主人公は黒龍の神子だから。その姿を「相対的」に見る事になる。
これは本当に興味深かったです。ある意味なんてシニカルなんだ、と。
あえて黒龍を主人公にした事は、私はこれで即買いを決めたほどに、注目すべき1つのポイントでした。


 仮に駒野千代が主人公であったら…

そのままでは白龍と黒龍が、大きなものに呑まれるやたちまち「白星・黒星」になってしまうのではないか
勝ち負けができちゃいますよ。千代は帝国側ですからね。
戦っていたのかも。
そんな時代背景だ、と思います。
「遙か6」の舞台背景もそうですし、リアルに私たちを取り巻く背景もそうなのかもしれません。
アクティブに前に進む力が、なくてはならない場合は良いのですが…


「ちょっと待って」と言わねばならない時がある。
留める力、そこでちょっとブレーキかけて、冷静に、考えなくちゃいけない場合があるのではないか?

おそらく、これが「遙か6」、黒龍を主人公にした意味であり、メッセージだと思うのです。


さて、そうして主人公になった黒龍の神子ですが

当然ながら、黒龍の神子が白龍の神子「よりも」活躍することを想像しました。
なんせ、「遙か」の設定では確か、八葉は白龍の神子にしかつかないわけでしたので
たとえば、今までのシリーズの白龍の神子と黒龍の神子の立場が逆転するとでもいうか
「あくまで白龍の神子は活躍せずに、サポートにまわる」とでも言いますか。
何らかの形で「陰」の力、怨霊を味方につけるが故に強い、デビルウーマンみたいな(笑)
そんなダークヒロインも予想してました。


ところが。
黒龍の神子は「白龍の神子を凌いで」なんてことはしない。

死をも恐れぬ千代の行為は、白龍の神子らしい英雄的行為です。使命感と自己犠牲から成る。
だとすると、黒龍の神子は反ヒロイズム、それに対する批判になるかと思われました。
が、
権力構図として立場を逆転させ、白龍の神子を「改心」させるような事は決してしない。

二人は、立場は違うかもしれないけど、大きな目的に向かっていれば
対立はしない。

この考え方は、「遙か6」には一本通った信念として描かれてたと思います。
派閥に分かれていても、結局は皆同じもの、平和を望んでいるのではないかと。


ある狭い価値観の下で
女性同士「格付けし合う」なんていう本も出たりしてます。
あるいは、女性に限らず立場の違う存在に対して平気でヘイトをなげかける。
そんなご時世ではありますが

「違っている」存在の間にいて、中庸の徳を成しながら
ひたすら、己の成さねばならぬ事を自覚する。
今、何をすればいいか、何をし、何のためにあるのか。
大きな和の為に天も地もかけずりまわって
対立はすれど競わず…。

そういえば、歴代の神子、そして「遙か」という世界は常にそういうもので
まー半端わかりで難しい事言うと、ヘーゲル弁証法とかそんなかんじですか。


そう、立場的にやる事が「違って」いても
その違ってる相手というものは
もしかしたら自分のどこかでは「知っている」のかもしれません。

梓が、千代をずっと知っていたようにね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【遙か6】虎とルードに見る「曖昧さとロマンス」について

2016年02月23日 | ネオロマンスゲーム
本日は、天地の白虎における「曖昧さ」のお話です。
「遙か6」では、白虎が天地どちらも鬼のグループにいる。

天地の白虎というと、眼鏡対酔狂、体制側対自由業みたいな対立関係を思っちゃう古参ですが、どうでしょう…
スーツ眼鏡 対 野性味ロック

でも「遙か6」はええと?

果たしてゴーグルは眼鏡か?
労働者はロックか?

ううむ。


現代は情報化社会。それこそ合理的である事が求められます。
ビジネスなんて、もう数字出せ数字出せの一点張りです。

この合理主義というのは、どこまでも「曖昧さ」を許しません。
何故かわからないものは、明確にされるべきものであり、
「なんとなく」「それとなく」「だいたいで」「それっぽい」という、
日本人の好む曖昧さを許さないものなのです。



ルードは完璧主義者です。ノウハウを学び取る。努力で、スキルを習得していく。
でも、そんなルードが唯一苦手で、自分は下手だ、ダリウスにかなわないと思う事がある…
それが、空間移動でした。鬼一族が使えるという事になっている瞬間移動の術です。

物語の中で、ルードは梓の為に無理して空間移動の力を使いますが、
この術を使うには、「想像力」が必要なのだそう。


「想像力」って、何ですか?


もしかしたら、ルード君はダリウスから空間移動を教わる時、そう質問したかもしれません。
どこから来て、どうやったらイメージできて、どうしたら身につけられて、どの程度頑張ったら習得できるんですか?と。

「そのノウハウを書いた本があったら読ませてください、手順があったらお願いします。
想像力を手にするにはどうするか、具体的にきっちりと書いた書物は無いですか?」なんてね^^


でも、無いですよね。美術史やってますけど、天才と呼ばれる人たちが
何をどうやってそれをイメージできたのか。フィボナッチ数列だの黄金比率だの、
分析する事は山のようにあるのに、イメージ、想像力はどこから来るのかわからない。

ある時、一人の学者さんがイメージソース、アイデアの源泉となった絵について話をしていた時、
挙手なさった学者さんがいて「その、イメージソースってのは絶対に無いといけないんですか?」
と言われたんです。いったい何から着想したかを、学者は分析したがります。
けれど、本当に全ては「理由があって」描かれたものなのか?という。
全てに計算や、ノウハウや、理由が無いとダメなのは、それが「学問」だからであって
芸術というのは本当は、作っている本人にすらよくわからない「霊感」みたいなのがあるのでは…

その超越的なものがどこから来るのか、本当にあるのか、脳の働きなのか
脳科学や心理学も面白いけれど、まだあんまりわかってない事多いですね。
わからない方が楽しいのかもしれないけど。


ルードはいつも梓の事を思った。今どうしてるだろう、苦しんでないだろうか、何かしてあげる事はないか
そらもう、そればかりだったでしょう。
それ、それこそが「想像力」だよ、とダリウスが言ったか否か。
まさに今その愛おしいものをこの場に引き寄せんとする力。あるいはその場に向かわせる力。

愛とか恋は人の「思う力」でできている。
それはとても「曖昧」なものであり、数字で出ないのです。


結婚後に愚痴ったりすると、周囲は「じゃあなんでその人と結婚したんだよ」と言ってしまいたい所でしょうが、
実は、その結婚にしろ恋愛にしろ、当事者同士は「なんかよくわからない」のではないかと思うのです。
逆に、これこれこういう理由があったからこの人と恋人になりました!って
それが数値で示されるなら、どうよ。
「○○君は偏差値75だったから」とか…
「出会ったらたまたま偏差値75だった」とは違うでしょ、それは。


はっきりとした理由「~だから好きになった」の部分は多分、どこまでいっても自分を納得させる為のあと付けなのでは。
物語の中でルード君は言いました。

「なんであなたみたいな人に惹かれるのか」

ですよね。イライラするでしょうね。いい加減にしろよと。
理屈で言うなら、もっときちんとしてて、もっと尊敬できて、もっと理想的な…ってそのはずですよね。
でも、それを考えて突き詰めた答えが「梓だから」に集約されてしまう。
これって、ルードにしてみたら敗北感あるだろうなあ、と思いますよ。




一方の政虎の方。
二人はそのルートでこの世と、あの世との曖昧な部分を手探りで歩く事になります。
死んでいるのか、生きているのかわからない場所で探し当て「お互いを確かめる」

遠回しですけど、かなりこれエロティックだなあと思いました。いや、ドキドキですよ。
愛っていうのは、おそらく純粋になればなるほど
「生きていく条件」のようなものとは遠くなる。

生きていく、つまり生活の条件です。
年収いくら?稼ぐ宛はあるの?学歴は?出生は?スペックは?それでやっていけんの?
夢や愛という、「曖昧」なものでできている世界は、だいたいこれで壊れます。


合理的な物差しの上での愛の値なんて、ゼロ以外の何でもないんですよ。


けれど、生きていく条件が、「一人で生活していくこと」ではなく
「相手と一緒にいる事」であればどうでしょう。
その為に必要なものは、お金だとかスペックだとかでは無くなる。
一緒にいる事が生きる条件なら、そこに代入されるのは「互いの存在」でしかないのです。



遠くまだ、「社会」なんてものが存在しなかった古代ならいざしらず
文明の中に生きる我々にとって、そういう純粋な愛の世界は、なかなか困難になりつつあります。
生きていく条件は文明が発達して都会的になればなるほど、ハードル高くなるからね。
厳密に言うともはやそれは「生」と「死」の間にしかないかもしれない。



しかし、この世は本当に全て割り切れるゼロと1の世界でしょうか?
そんなわけはない。仮に全てを数値化してみた所で、それって何か意味あるんでしょうか。


恋愛の世界は曖昧です。正解が無い。「なぜ」と「何」が通用しない。
なぜ好きになったか、いつ恋におちたかなんて、本当は誰にもわからないのでは。
私たちは自分が何故生まれたかも曖昧で、どうして死ななきゃいけないのか、なぜやがて死ぬのかも曖昧なんです。



結局のところ、私たちはその一見全て説明がつく世界にいるように見えて、
実は全く曖昧で不可思議な世界にいるのだ、
と気づいた時
それでも確かなものを知りたくて、掴みたくて、
離れていても側に行く事を希うのかもしれない。
あるいは、偶然や運、縁というような、曖昧さの中でこそ出会えるようなものもあるのかもしれない。


その繊細な存在が曖昧さを通して、強い力を手にする様と
その粗野な存在が、曖昧さを通して優しさを手にする様


「白虎」という関数のxに代入されるものが、曖昧から生じるロマンスだというのはこれいかに。

その妙に対して…
「なぜ惹かれるのか?」ってだけは、問うのをやめておきましょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【遙か6】片霧秋兵とコハクから「アダバナ」の寓意を読み解く

2016年02月22日 | ネオロマンスゲーム
引き続き「遙か6」の話です。
(よもやまなかんじで頼みます)


「遙か6」は歴史物ではありながら、ファンタジー。

寓意、暗喩、ファンタジーという闇の中にいる物語の伝えるものは
光の中に連れ出せるのは「私」に連れられた1つでしょう。
だから、人によって答えは違っててもいいとは思います。
あくまで、一考察ですからねと

前置き以上。



で、「遙か6」に出てきた「アダバナ」についてです。

これね、憑闇を作り出すのに使われた原材料で、火山灰の上に咲くとかでした。
本当にあるのかな?と調べましたが、よくわかりません。
火山灰の下から芽を出すのはあったかな。
アダバナは徒花、でしょうか。花だけ咲くなら種は無い?
というわけで、リアルに存在するのかは知らないので、ここは「遙か」の世界、
ファンタジー世界だけに咲く何かの象徴ですかね。


日本は火山国です…。地震国です。
関東大震災を思わせる災害が「遙か6」という、こちらの世界のパラレル世界に出てきます。
1923年、その時代。

ヨーロッパの方では第一次世界大戦で、
それまで経験した事の無い大量殺戮が行われ、「諸行無常」のようなものを知った。
ペストで多くの人が亡くなるのが嫌で発達してきたとも言える科学の力を用いて、
さらに簡単に人が死ぬようになる。
医者は兵士を「再び戦地に送る為に」治療する。て、生かしたいのやら殺したいのやら…。

明治以降、文化の先輩として習い、学んでいた師匠であるヨーロッパ自体が、
こともあろうに未曾有のねじれ、狂気を生じさせたという、異様な時期でありました。



「火山灰」の上に咲く花が「徒花」である、としたら
それは「虚無」のシンボルでしょう。

聖書のある世界にとっては、虚無とは悪です。
ダダはまさに「虚無主義」ですが、日本のダダより過激な言動が目立つのは、
そもそも虚無的、怠惰的である事は、七つの大罪の一つとされるからだと思います。
(余談ですが、メリオダスの出てくる七つの大罪、あの漫画は面白いな!)

西洋は、「人は元からダメな存在であるからこそ、努力しなくてはならないし、生きているうちに活躍するのに意義がある」
と考えます。
意味を見いださないで生きるなんて、それは動物と同じだと見られる。
人は何かの目的を持って、何かの役にたって生きるべきと。
それが、第一次世界大戦で
ありえないほど、あっさりと人は死んでしまうものだという「死」を見た彼ら。
生死を分けるのは個人の努力でも神の罰でもなく、ただの「運」だと悟る。
「西部戦線異常なし」という映画を見ましたが、そんなかんじでした。


この世に無駄なものや、意味の無い人生があるなんて
考え方の基底が「努力して承認されたい」欲求にある人には、とんでもない。
「徒花」という虚しい花は、この不安定な時代において
「人生に不条理はつきものだ」と悟る事ができなければ途端に「焦燥感」を連れてくるのです。

かといって、人はそんなに簡単に悟りを開くことも、生きる意味を手放す事もできない。


第一次世界大戦時のドイツに、何度負傷しても戦地に戻った武勲の作家ユンガーという人がいましたが、
どこかヒットラーと似たものを持ってる。
「戦場でなら認められる」
そりゃ、やっぱり「役立たずのクズ野郎」と言われるよりは
頑張って、努力して、大いなる何かに認められたいと願う。
そのせいで、結局は戦場で死ぬ為にしか生きられなくなるとしても。

でもやがて、それが大きな声になっていった。


意味の為に死ぬのが最大の美徳であるので、他の人もそうすべき


という。
この考え方の大きな間違いは、「そうではない」と思う人も有無を言わさず
美徳の前に殺してしまったところでした。



「遙か6」において、おそらく最も憑闇、強兵になるリスクが高かったのは、
私は片霧秋兵ではなかったのかと思います。

しかし彼はただの人形にならなかった。国の為を切に思った父の清四郎の方は乗っ取られてしまった。
しかも秋兵とはまさに八葉としては対になる、天の朱雀のコハクの方が憑闇、というあたり
秋兵を巡る「朱雀」の物語は、イデオロギーのような大きな力に対抗し、自由になる小さな「和」としての愛の世界を描き出しています。


秋兵と軍は、自分対「自分を認めてくれる理想的社会」ではなくて、「自分対父親」なのです。
亡くなった母親も含めて、家族という小さな和を探している。
許嫁ではなくて、主人公の梓を選びたいのも、1つの理想の為に生きて認められたいのではなくて
「素」のまま、大義名分よりはもっと大事なものがあると知っているからでしょう。


そしてコハクの方。こちらは半分憑闇状態でした。
しかし、それを乗り越えていった力に、やっぱり小さな絆と支えがあると思います。
コハクの場合、花街というどちらかといえば、虚無的である所にいましたから
語られないまでも、大人が何を求めてそこに来たか、自分が何故生まれたかも問いかけたでしょう。
だけど、やはりそこに人を縛る「大きな理想」のようなものはありません。


朱雀の二人から導きだせるキーワードは、「自由」です。
…鳥だものね。
炎のような自由と意思とは、そんな大きな理想の檻に入れられなくてもいいのではないか。
あえて意味は問わず、ただ存在するだけでも生きて、楽しさは見つけられるという事を
コハクはその自由な姿勢によって見いだしていたのではないかと思うのです。

その本質は、どんな絶望的な時代においても「虚無」と対峙する。

朱雀の二人は、家族的基盤が「かなりしっかりしている」とは言いがたい。
そして、家族の問題はダリウスらのようにスルーして描かないのではなく、むしろ提示されている。
もし焦って意味探しをしていたならば、心にアダバナを咲かせてしまい
いらない自分をすっかり捧げる事のできる、大きな力に閉じ込められていたかもしれない。
つまり朱雀は、自分の力で飛ぶしかない。


確かに、閉鎖的だといっていい世界では、空はどこまでも狭く感じられはします。
また、「愛」とか「ロマンス」というものは、合理主義的に世の中からは無意味なものにされてしまうかもしれません。


しかし、大義名分こそ、本当は強兵という皮肉な名前を与えられた利用されるだけの意思のない人形を生む
結実の無い虚しい花ではないのかと思います。

秋兵が欲しかったもの、コハクと一緒にいるだけという過去も未来も問わない世界

その小さくても確実なものがあれば
虚無ではないけれど、「ただそう過ごす」という幸せにたどり着けるのかもしれません。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「遙か6」里谷村雨と1920年代から見る解決の糸口

2016年02月14日 | ネオロマンスゲーム
しばらくぶりに、「遙か6」の話です。
実は、最近テーマとして色々と読みあさってるのが、第一次世界大戦前から、第二次世界大戦前まで。
このブログでもつい、最近書いてしまっています、ダダイズムやシュールレアリスム、
芸術家達がそこに至った経緯や、そこからナチス台頭あたりまでです。

もう発売から時間経過していますので、多少のネタバレはご容赦下さい。
関東大震災の時代をモデルにしてます「遙か6」
リアルに調べていく度に、この作品は今までの「遙か」や、他の歴史ゲームのように
表面的な歴史知識でなくて、もっと深淵とでも言うのか、人々の考え方の根底にあって
時を動かしていった、思想的動力のようなものを、けして表面に出さずに
少女向けのゲームとしてよく仕立てたな、と思いまして。


1916年~1920年、
ヨーロッパでは第一次世界大戦の前線から引き上げた文化人が、
様々な方法で戦争反対や、世界はどうなったら理想的なのかを問いただしはじめました。
中にはもう、絶望してしまって、どうせそもそも生きる意味なんか無いんだから
自分で意味なんて勝手に見いだしていけば…ってのも出て来るわけで、
この考えはやがて、サルトルあたりに引き継がれていきました。

里谷村雨は実は「飛び道具」ではあります。ちよっとズルい。
その後の時代を1つの時空であるとしても知ってしまっているわけですから
軍部が台頭したその後の日本もわかっているはずです。


でも、この時代で…例えば仮に
鬼の一族、というよりは革命分子として描かれたのではないかと思えるダリウス側について
完全にクーデターを起こしてしまったらどうなるか。

「遙か5」の世界は、幕末。維新でした。
幕末というのはまさに、革命期であり、クーデター。
多くの人の血が流れましたが、結局「支配者」が変わっただけで
「勝てば官軍」です。
おそらく、その維新自体正しかったのかと、歴史を学ぶ人なら一度は考えた事があるかもしれない。

フランスの歴史を見てますと、もう絶えず革命、革命、クーデター。
しかし、この革命というのは、別に何も悪い事してない、普通の庶民の血も多く流れるのです。

そういう場合に、主人公の梓や白龍の神子はどうなんでしょう。
シリーズを通して「遥か」の世界に貫かれてきたものはどういうものだったか
それは「遙か」シリーズファンなら知ってる所だと思います。


革命には指導者ってのがいます。けれどそれは本当に人道的である人なのかどうか。
机上の空論や理想論は美しいけれど、実はその理想、側にいる1人の人間をも救えないどころか
むしろ犠牲を差し出させるというならば…
その考えはやがて、大きな戦争を招くのだと、村雨は知っていたのかもしれません。

「遙か6」のダリウスのルート、
あくまで「遙か」は歴史ファンタジーですので、史実ではありませんが
ロマンに語ることができるものは、史実の正誤ではないでしょう。
その大いなる暗喩として、ダリウスを根っから信じてよい存在ではなく
むしろ疑い、一度は離れて、別の立ち場から見る機会を与えた、
そこはかなり、「遙か」シリーズらしい部分ではないか、と思います。

歴史は、誰か偉い人だけがその流れを作っていればよいものではありません。
少なくともドラマの中で私たちは選択をしていかねばならない神子になりますが。
もし、ファンタジーの中から現実に「何か」を持ち帰ることがあるとすれば
それを「内容」と呼ぶのだと思います。

現実の中で、確かに私たちは何もできそうにない小さな存在ではありますが
日々、何を選ぶか。そのうねりの中で全く無意味な存在でも無いのです。
だからこそ、考えなくてはならない。
それは人によっては「つまらない」、素直に恋愛だけさせとけ、というものになるのかもしれませんが…
私は現実にお土産持って帰りたい方です。



さて、丁度私、この遙か6の舞台となった、現実世界の第一次大戦後から1920年代の本を読みあさっていまして
この時代に戦争に向かわせないための考えを当時誰か、何かもっていなかったのだろうか?
という事を探してたんですけど
最近、サンジカリスム、アナルコサンジカリスムというのに行き当たりました。


アナルコサンジカリスム(H・リードの著書に従って「サンジカ」と略します)は、

まず「腐敗した権威、権力」に対して批判の目を持ち、
システムを根こそぎ変えてしまうのではなく、
対立する関係とも規律と「本当に人のためになるのは何か」を持って渡り合い、
そして腐敗した部分をデモクラシーによって変える。


権力とは、どんなものでも時間が経てばたつほど、人を支配して腐敗してくるので
風通しを良くする。


その為になくてはならないものが、ジャーナルであるので
ジャーナリズム自体の腐敗は社会の腐敗、つまり国を腐敗させる
そしてその先にあるのが悲劇である…

無政府主義、アナキズムとは少し違うようですが、おおまかに言えばそこに属しているようです。←アナキズム自体いろいろある。
パソコンのトラブルシューティングで言うと、
全てのシステムをダウンさせてもよい、いやそもそもパソコンいらない…というのではなく
機能拡張でおかしい所を探して、そこを修正していくようなものかもしれない。



でもこんなの、この時代。言ったら言ったで
自由に言ってるうちはいいのですが、どんどん規制されていったのです…。

平和解決と権力者、指導者の腐敗、一部の者だけの富あたりを指摘した彼等は、
派閥の中ではやがてそれぞれ孤立していきます。
日本では共産主義者同様に逮捕されていきました。

そして、サンジカ、アナキズムは共産主義だとか、過激な思想だとか、イメージを植えられ
国を超えて流れの中で、「趣味的なものにすぎない」とされてしまった。
やがて芸術家の中のポリシーとして落ち着いた感あります…。



どっちつかずが中庸なのでなくて、何を選ぶかは個人の意思でちゃんと選んでいい。
ただ、個人主義と民主主義において、
時代や見えにくい圧力には負けてはいけないのではないか
もし、解決の糸口を消してしまうものがあるとしたら、その向こうに何があるのか。

叩きでなくて、冷静でそれでいて熱い、
ジャーナリズムには権力に対するきちんとした批判力が必要なのです。


村雨は、今の時代が「呼んだ」キャラかもしれませんね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【アンジェリーク・ルトゥール】20年前と同じミスする女王候補だった…

2015年12月18日 | ネオロマンスゲーム
「うっわーそういえばそうやった」

アンジェリークって、1作目2作目にはじまり、
トロワにデュエットにエトワールとけっこうシリーズで出ているのですが
作品を重ねるごとに、シミュレーションゲームとしての色合いより「恋愛するゲーム」
になっていった感はあります。
他にも乙女ゲームとして発売され、その恋愛重視の作風で育った方は
おそらく、ネオロマンスゲームにおける育成、戦闘、ミニゲームというものの意味が
よくわからなかったのではないかと思います。
いわゆる、選択肢で選んだ答えでストーリーを追いかけ、恋愛気分を楽しむ
「絵物語」であれば、確かにこういったゲームは合理的とはいえず
逆に「なぜ?面倒」と思われるかもしれません。

しかし、私はネオロマンスがゲーム内容「ついで」にそういうシミュレーションをやってくれるより
ガチでゲームとしたシミュレーションを楽しめる方が面白く感じます。
それは単なる小さな数字の積み上げであったり、突然襲いかかる運命的ランダムだったりします。
その1要素は不安定で、物語のようにしっかりと誰かが定めたものではないので、
自分で意思決定ができないと、全く面白くない。
攻略本を見て、成功パターンを追いかけるだけになりますが
ゲームの面白さは、本来「攻略本を見ない」「失敗したらまたトライ」
の部分にあったのではないかとも思うのです。

まあ、といいつつ攻略本は結局買うんですけどね!



うーん、その何度も出されたタイトルなのに、忘れていたではないか!
という事が。
こりゃ20年経過しても飽きないわけだ。
しかも同じパターンにハマっているわ。
私ゃ成長しとらんのか




案の定オスカーをロザリアに取られてる…
あっはぁん。そんで、これに嫉妬して「略奪愛」
とかやったんだったわ…
てゆーかこれで自分的に「オスロザ」を決めたような気がする…。
なんかお似合いなんだもの。

「よしこうしてみよう」が出来る自由度の高さはいいわ。
あと、守護聖同士で何を会話していたのかはわからないので「と、いう事だそうだ」とかの前部分
想像力膨らむね。

ブライアンには1回会いましたが
執事のイベントもあるのか
9人に3人足して。ロザリアまで入れると
遙かより攻略多いのね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【アンジェリーク・ルトゥール】女王候補はじめました

2015年12月16日 | ネオロマンスゲーム
えー待ちに待ちました「ルトゥール」が本日届きました。
お金無いんで通常版です。
発売延期になった時、キャンセルしたい、やっぱ選びなおしたい、変えてくれるかもしれんとか
問い合わせのメールを出しかけたのですけど、
なんかムリっぽかったので。めんどいからそのまま。





はいもう、明日届くと言う方もいらっしゃると思いますし、
今回が「アンジェリーク」初という方も多いかと思いますので、
出過ぎた事はいたしません。

で、ネタバレなしで感想語らせて下さい。

いやまさか
自分、泣くとはおもわなんだ。っせーなてやんでばーろー!
あの曲なんですね。

そして…シナリオ、システム、ほぼ変わってません。
よくぞ、よくぞいじらずにいてくれた。
そしてよくぞよくぞ、馴染めないお嬢ちゃんにも親切設計にしてくれた
そんなかんじです。

全体的に、シナリオやシステム、世界設定はいじらずに
「エトワール」と「ネオアン」の良い所を積み上げてあるかんじです。

そしてロザリア。
暫くネオロマは、ライバル一切無しに近く、神子もコルダの女性キャラも
常に主人公を支えてくれる親友というかんじでした。
が、私「アンジェリーク」におけるライバルというのは、他のゲームと比べまして
ちょっと特別な存在であるような気がするのです。
もしかしたらロザリア無しだとか、競わないで手伝う存在になってたらつまらんなと思っていたので
いてくれてよかった。
大神官もいてくれてよかった。



さて

「人はうつろいやすいもの」それもまたしかり。
発売された当時と、今では世間も多少変わりました。

当時は、男同士でラブラブフラッシュにひっくりかえったもんです。
…BLなんてまだ言葉もそれほど浸透していなかった頃でしたので、ツッコミまくりでした。
でも、今では同性婚を認めない発言をしたら社会から抹殺の勢いですからね。
「まあ、あたりまえ」になりましたか。そういうゲームではないですが。
「ええっ?」ではないのかもね…。
ただ、本当にあって良かった! なんかやっぱりこれ無いとダメだわアンジェは。
ネオアンにも入れて下さい!とかこっそり思ってしまう…。ムリか。


時代変わって。DVだの、女性蔑視の発言については、やたらめったらフェミおばさんらがやかましいのですよ昨今は。
そう、男女共参基本法は、1作目が作られた時は無かったんですもの。

ゼフェルなんて下手すると「テメー女のくせによー」とか言い出しかねないお子ですし。
「謝罪会見を開く守護聖ゼフェル」とかさ…

まあそこいくとリベラルも納得なのはオリヴィエ様でしょうが
もはや、電通関係はオネエばかりです。むしろオネエでなければ売り出せないほどです。
マツコデラックスからIKKOさんに至るまで、オリヴィエ様はもはや「独特の個性を持った方」ではなく
ひしめくオネエの中で美を極めていかねばならんのですなw

そしてオスカー様も大変です。
今や「イケメン」は文化であり、タラシキャラ、カッコ付けキャラなんざ
おそ松ファミリーにもいる程までに、ジャンル産業として成長いたしました。
それでもやっぱりオスカーはオスカー、健在感ハンパない…。
すごいわ。


そんな中、「龍族」は引退なさっておりました。
龍族は私、個人的には嫌いではないです。
ですが、龍族の村へは、なんと「ドラゴンクエストX」の中で行けて出会えますので
(;^ω^)



えー執事2人。選択悩んだな…
JJはなんかミニオリヴィエっぽいし
でもけっきょく、じぇじぇじぇを選びましたさ。


これ、できたらこのまま
「アンジェリークsp2」まで勢いでルトゥールしてくれませんかね…
ブライアン入れるんだから、勢いで2ルトゥールにアリオス追加してくれても~。

とりあえず
クイックセーブはありがたい!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルトゥール発売前&ネオアン

2015年12月03日 | ネオロマンスゲーム
いよいよ発売前で
ネオアンがオトメイトで、あとコルダ4も出るのかな。

そんな中、おりもおり、締切直前なのに
私はぎっくり腰になってしまったよ。←「ヨシヒコ」のメレブ口調だよ。
ベホマズンは覚えてませんので、こまめにホイミです。痛いですマジで。
座骨神経痛ではないので、イスには座れてます。


来年は、「喧嘩番長乙女」も出るので、とりあえず

ルトゥールをクリアしたらすぐVita本体を買わねばなるまい

というところです!ゲーム発売ラッシュすぎる。

で、オトメイト発売のネオアン。
世界観的にはむしろ合ってるのかも?とも思いましたが
どうなんでしょう、というか何なんでしょう。一瞬の「え」はさ。
例えば、「次回作のゼルダの伝説はスクエニから発売」とか
「次回作のFFはコーエーから発売」とか
「次回作のポケモンはカプコンから発売」
てなったら「え」になるのはあるわけで。

でも、この「えー」の部分をなんでなのか私上手く説明できんわ。
紙芝居というと、スマホゲーのをシナリオチケットでやってたりするし
それはそれで楽しいんで、逆にもうシナリオだけ見たい時は戦闘とかめんどくせえと思う時もあり
絵は難しいね。スチル絵とアニメの絵とゲーム画面とコミックスでは既に違うし。

「えー」とは思うものの。自分的には「これはアウトだろ」というラインは以下。

・基本的に恋愛ゲームではない。殺戮メイン。

・セレスティザムが熱帯雨林に移転、もしくは聖都など無い

まあ大丈夫ではないかと思います。あんまりにも耽美臭の絵は好かんですが。

コルダ4はどうなったのかな。音ゲーは幕末ロックでちっとは上手くなったよ。



アンジェの方は、発売まで画面見ないでおくつもりでいたけど
塩対応ので見てしまったではないですか。
デフォのキャラ絵があれだったので、もうちょっとツンツンしたかんじになったんかと思ったけど
いいかんじ出来てて安心したので、いいかんじ塩対応されまくりたい所存。


ええもうルヴァ様からやるとか忘れました。オリヴィエのとこ猛ダッシュで
塩対応どころか塩すりこんでそのまま塩漬けにしてくれてもかましませんので!


ぜひこれスペシャル2もルトゥールしてほしいです。
セイランあたりは塩でなくて唐辛子なんですが
もうばんばんつけ込んでいただいてよろしいです。



あとはまず今やってる原稿をあげねば。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過去作品のご案内

2015年10月20日 | ネオロマンスゲーム
昔のファイルをCSP編集できるので
ぼちぼちとあげていきます。

遙か3のギャグ
「正しい犬の飼い方しつけ方3」
をピクシブでお読みいただけます。あげときました。


やってみたけど
けっこう編集って疲れるのう。
ファイルによっては読み込めないのとかって
元が壊れてんのか。
アンジェリーク関係もやってみてます。時々出て来るこんなのあったんだという昔のサイトのイラストも
追加しとこうかと。


しょーもないものですが
おヒマならぜひ。


十六夜記発売されてもう10年なんですね。
未だに好きって方いらっしゃるといいな。

趣味の方もちょっとずつなんとか続けていきたいものです。





左バナー、いりゅみなしおんトップからリンクしてます。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しいアンジェリークのキャラクター

2015年05月26日 | ネオロマンスゲーム
大阪では都構想について、老人票のせいで若い未来を潰したとかいう意見も出ている様子。
新しい一歩とはかくも難しい。革新は若い人の仕事!

一方、古い世界をこよく愛する人達にとっては、慣れた世界の持続の上で平和であってほしいのにと、思うでしょうね。
めんどくさいし、今まで大事にしてきたものや合わせてきたものって、今さら捨てられんし。

「アンジェリーク」が新しくなるんですが
とにかく1つ、気をつけようと思っています。
オールドタイプの人間が「同窓会」をやってしまった場合、一番避けなくてはならないのは
多分「昔は良かった」はいいんですけど「今は何だ、最悪だ」という革新への否定や不平不満で連帯してしまうこと。
不満とネガティブさで連帯してみたところで、結局もう昔は「今」にはならんので。
何かを新しく「作る」限りはそうです。それが嫌なら昔の作品を何度もプレイすればいいだけ。
レトロゲーはレトロゲーで良さもあると思います。

新しくなる、革新、維新というのは必ず叩かれる宿命を持つ。
戦いがある。叩かれるどころか歴史的にみた日にゃ「殺される」のですよね。

私の場合はもう同人誌でオリヴィエ様をいじりたおしてしまったので(;^ω^)
あと、他のサークルさんのステキなオリヴィエきせかえもファッションショーのようで楽しく拝見。
自由であらゆることを楽しめたら極楽鳥ステッカーくらいはいただけるかもしれない。
ですので、新しいキャラクターデザインについては
「おおお!ルーズさを多少排除してスパイシーさを加えていこうってとこですな、
おネエ度を低くしていかないと最近オネエタレント多いっすもんね~わかりやした!さすがオリヴィエ様です」
ってかんじですかね。

私の中では、
オリヴィエ様がどんな格好をしようが、それはキャラクターデザイナーがそう描いたのではない。
オリヴィエ様がその服を選んだのである

と、いうことです。
だからオッケー☆⌒d(´∀`)ノ。

でも今回はオリヴィエ様からは攻略しないぞ。お楽しみを後にまわすようになった分成長したよオレ!


新デザインで「これはグッジョブ」と思ったのは、ゼフェルの歯車のモチーフ。
あえてスチームパンク的要素で捉えるのって非常にカッコいいですね~。
スチパン良いよ!
ネジじゃなくて歯車。かみ合って、回して、世界を動かしていく小さな部品。
それがあの性格のゼフェルだというのだから。こういうシンボルは楽しい。


「ラブラブ天使様」「戦国アンジェ」等は本編でなく
それでずっと続けるわけではなくなったので、「スウィートアンジェ」とかと同列でパラレル扱いで
朝食の時にゼフェルが「おれさー、ゆうべヘンな夢見ちゃってよー」
マルセル「えー!僕もだよ」
なかんじでいいかなと思いました。

新キャラはアリオス的補填なのかな…。
根掘り葉掘り聞き出したいキャラも新鮮味があっていいと思います。
ブライについて刑事のように尋問したいけども。
サポートさんかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【遙か6感想】ダリウスの持つ仮面とは何か(※ネタバレ有)

2015年04月14日 | ネオロマンスゲーム
ダリウスは、コハクの次あたりに早々とクリアしていたのですが
あまりにも考える事が多すぎて、まとめづらかったので最後になりました。

おそらくこの作品の看板スターであろうと思われる彼には、すっかり「雰囲気」に騙されてしまいます。
甘い言葉で囁き、とにかく恋愛ゲームならではかと。これでもか、これでもかというくらいに優しい。
レモネードおかわり、くらいの勢いでプロポーズ、銀座でお買い物…
王子様ご登場、貴公子ご登場に加えて、革命とか、テロ?とかちょっとスリリングな香をさせ
かと思うとけっこうお茶目という、「いくらなんでもツボる」ポイントを確実に押さえているんだもの。
ディズニーアニメの王子とか全員クソだなと軽く思える位なんだよ、ホント。

しかし、「この人と恋愛するのってすごく難しいのでは」というのを抱えずにおれない。
なんでしっくりこないんだ、なんかぼんやり午後の紅茶状態、これでいいのか

ダリウスと梓、運命だという。二人は、じゃあもう何もかも忘れて激甘ラブラブか?
と思いきや、そうはいかない。
それどころか、愛宕山の件で仲違いしてしまう。


今回はここから、その蠱惑の森に施された術を解いていきます、という試みですハイ。
なんかしっくりこないまま敵対する、それは何故なのか。
鬼の仮面とは何なのか。

ダリウスは「忙しい」人です。仕事が…も含めて、「忙しい」ってのは
つまり自分の目指す理想だとか、やらねばならない計画準備とかに忙しいのです。
忙しい男はまだしも、忙しすぎる男との恋愛って難易度が高いんです。
なにせ「忙」という字は、「心」を「亡」くすって書くんだもの。

ところで
スタンダールというフランスの小説家が1830年代に書いた「赤と黒」という作品があります。
1789年、革命を起こした後のフランスは激動の時代で、共和政、帝政、王政とめんどくさい事になりました。
「赤と黒」の主人公ジュリアン・ソレルも、ダリウスのように美青年で繊細かつ鋭敏な感受性をしていました。
共和主義の野心に燃える彼は、弾圧される側である事を常に意識していて、己の野心の為に女を誘惑していく…
というかんじのお話です。
ジュリアンは偽善こそ出世の手段とか思っておりますが、ナルシストでもあるのです。偽善は醜いと知ってはいる。
よってそんな汚い自分が許せないという…。(めんどくさいわね~)


しっくりこないのは、「心」「情」の部分は「寂しいから」で側に寄り添っても
忙しく働く「理」の部分が寄り添えないから、ですかね。

敵対するという物事の本質は、「相手を理解するなんてもっての他」というものでしょうね。
敵はうち負かし、間違っていたら少々の犠牲を出してでも革命する
そうしてても、ちっとも世界は全然平和にならないですよね。
今日も今日とて、自分こそが世界を救うような方達が日々頑張っておられますけども…。


どちらの言ってる事も理想的であり、理屈は正しい。
しかしその筈が結果的にダリウスも清四郎も同じように、自分の意思ではなに大きなものに支配されていってしまう。
その力が無ければ成されないと、力を求めて結果、悲劇になってしまう。


ダリウスの持っていた鬼の仮面というのは、あれはいわば
「絶対的に正しいという力を持った理論や思想」なのではないかと思います。
自分の意見は正しい、それを行使する事は多くの人のためになると考えている。
しかし、すぐにそうした「力」で武装するというのは非常に危険です。

その「力」が絶対的に思えるのは、「相手を全く寄せ付けぬほど拒み、否定するから」
なのではないですか?
いつの間にか勧善懲悪と単純な対立関係で裁く事で、「聞く耳など持たぬ」塊であるものだから。
相手を論破し、否定し、もう立ち上がれないまでに屈服させる事ができるから。
仮面はダリウス自身が作ったものではないのです。


鬼の一族が、市井で憎まれる元凶を作った件とか
誤解をなんとかしようにも、人々の中にも信念はあり、正義もあり、ゆえに偏見も生まれる事案とか
エピソードもてんこもりでした。
だから本当に忙しい、彼。
ただし、村雨あたりと比べると、根っこの部分がさびしんぼ、寂しがりやなのです。
側にいてほしい、というのが実は隠せぬ本心なんだろうなと思います。
(なにそれかわいい)

ダリウスを撃ったのではないのよ。
神子が撃ったのは、ダリウスのつけてる仮面、仮面なんだ。



カッコいいぞ梓。ゴーゴー梓。
他人を支配しようとか、屈服させようとか、懐柔しようとかそんな事しなくていいよ。
何があっても側にいるという事です。そんな仮面いらんのよホント。
そんな仮面あっても孤独なだけの日々ならば、正解を得たところで虚しくないですか。

そして眠れる森の王子になった日にゃ…
鬼の仮面など必要としないところを理想郷にできたらいいんですけど
それはそれでやっぱり、ファンタジーならではなのでしょうね。


そうそう、ダリアの花。
丁度、スタンダールの時代に流行っていたのだそう。
21世紀は、女性は運命に翻弄される存在でも、ジュリアン・ソレルの道具でもない
この話は確かにリアリズムではなくファンタジーだけど、
眠れる森の王子を救うのは、案外普通の女子高生なんでは?
なんて事を話したら、スタンダールはどう言いますかね。
ちょっと痛快な乙女的革命ですね。乙女のポリシーね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【遙か6感想】秋兵と「絆の虜囚」(※ネタバレ有)

2015年04月12日 | ネオロマンスゲーム
副隊長秋兵、コハクと前後してやるべきだったなあ…まあいいか。
やっとエンディング見ました。

「絆」という字は糸に半と書くから、心の糸を半分ずつ結んでだな…
というのは残念、もう半分をその他の人と結ぶと、自分の糸が無くなっちゃう。
実は「絆」は手綱であり、家畜をつなぎ止めるためのヒモらしいです。
けれど、最近はマスコミがやたらこの「絆」を強調いたします。
弱かったら群れるしかないし、なにせ絆、絆と言うと単独よりは儲かっちゃうからね。
広告業界にいると「つながろうよ、群れようよ」を主題にさせられるので安易だなと思ってしまう事があります。

なんてちょっとナナメな見方でもうしわけない。
今回の朱雀というのは、非常に難しいです。
軽々しく書けない。
攻略ルートが難しいのではなくて(まあ確かに3章のイベントラッシュで失敗しましたが)、
内容的に「私にとっては」なのかもしれません。

物を書く、という行為はあえて憑闇でありながら平常心を保つというのと似ています。
つまり、コハクも秋兵も、朱雀を語るには今回、「家族の絆」というものに触れねばなりません。
「それでも家族と幸せにやった記憶もあるんでしょ?」
なんて事について、軽く「そうですね」と笑えるならば、別に向き合わねばならない真実も葛藤も
最初っからそこには無いではないですか。

と思う程に、秋兵の父との確執は、機能不全家族でアダルトチルドレンを抱え悩んできた私と似ていました。
大草原の小さな家じゃあるまいし、そんなアメリカ人のパパみたいなのは期待できないよと。
だからこそ難しいです。客観的にでなくなると「お前と秋兵一緒にすんなボケ」なわけですが
そこを見つめて書かないとホントに上っ面だけであるのもまた確かでして。
というわけで、ひとつ理解を深める上で、多少は仕方無いとご理解のほどを。

世の中全てが家族の絆でガッチリで、親子仲良く円満で、ご両親健在で…なんてものならいいですけど。
その暗い部分を自分で知っている。そこに素直に在る事は、「けしからぬ」事であり、教えられる人としての美徳や理想があり
親は、認められる許される「良い子」を理想として、最初から望まれる人物像も決めてある。
それなら、それを演じたらどうだろう。

芝居じみた秋兵の言い方を「本当じゃない」というのは、あまりにも酷ですよ。
何をやってもどうあっても好きという関係に至るまでは、梓側ではなくて
秋兵の方に幾層にも連なる、超えねばならん山があるのですから。


「僕は、父には絶望しているのですよ」
と、いつそんな言葉が出てもおかしくない。
事実をもみ消し、隠蔽し、体裁を保っている軍の上層
そしてそこに秋兵もいるわけです。
知りたくても知らせてはもらえず、無視して盲目でいれば
「それなり」なんでしょう。


秋兵のルートでは、驚くほどに他の八葉と出会わないのです。
コハクに対しては「花びら模様のあった謎の青年」としてしか記憶無いし、話すなら僅かに有馬と、たまに九段ですか。
鬼の人等とは全くですし、村雨に対しては「読者の1人」なかんじ。

安易に読み解くととても危険なんだと思うのは、まさにそこにあるのです。
「コハクの場合は虐待とかされた事もあったかもしれないけど、親との絆が確実だった
だから明るく素直で裏表が無くてポジティブで人付き合いに長ける
秋兵の場合、親に優しくされた事もあったのにそれを忘れているのでうわっつらの人間関係しか築けない」なんて。

しかし! しかしですよ。

それだと「親子関係において絆のようなものを築けなかった人は、本質的にコミュ障だから
皆でワイワイ仲間~やりたい世界には来ないで下さい、本音を語れないなんてうさん臭いヤツは
一回死んで、恵まれた愛情溢れる家に生まれ直してくださいw
皆で絆を築ける人だけが正論・正解、正常、常識なのです」などと。
アホだと、物の見方がそうなってしまうのではないかと。

秋兵は「真実を見ようとしなかった自分にも罪がある」と言いました。
なんとなく誤摩化し誤摩化され、立ち向かえないものには立ち向かわず、なんやかや言いつつも
便利な立場だけは利用してる、そんな自分に気づきつつ。
もしも梓も、社交場にいる「セレブ」だとか「容姿端麗」とかだけで近づいてくるような女性達と同じなら
なんとなく誤摩化し誤摩化され、決められた相手と結婚し…というところで生きていたのかも。


秋兵は「言わぬ」のではなく「言えぬ」のです。
言わぬは意思ですが、言えぬは圧力です。
それを更に「言えぬのはダメ」なんて、仮にもし世間がそうすれば
「世間=自分を理解しようともしない親と同様」になりかねない。
帝都を守るという任務にありながら、実は帝都の人達に対しての「遠さ」「温度差」も抱えているのではないかと思うのです。


秋兵のルートの、そのなかなか難しい問題である家という絆「絆という名の鎖」「絆の虜囚」
なんですが、

今回クリアしてみて、その「言えぬ」彼に1つ、突破口というか、ご提案を示して下さってるなと感じました。
この提案は、秋兵と似た環境で育ち、しかももうどう頑張っても子供じゃあないという…そんな私も大いに
「それがベスト」と賛成できる提案です。
提案にすぎません。「こうしなくてはダメ」という方法論では、決してありません。

それは、梓のおばあちゃんの助言です。
家族とか絆というものは、閉じた円環にあるものではない、というものです。

仮に
「何がなんでも、世間で上手くやっていく為に
最初から親子関係は完全無欠に仲良しこよしで形成されていなくてはいけない」
というものを、世のキレイゴト大好きな人達が大安売りで押し売りしたとしても…

それは確かに理想です。
しかし、親を失った人もいるでしょう。
最初から親いなかった人、親の愛情なんかとはほど遠かった人もいるでしょう。
で、
「その過去のせいで人と上手くやれないんだ」と決めつけたとしてどうなんの?


それは一つの偏見なのです。努力して変えられない過去や環境を捕まえて否定するのは
他人がやれば人権侵害、自分でやれば壮絶な自己否定なのです。
家族は人間形成には「大事」であって「不可欠」ではない。
そのグレーゾーンをなぜ消去するんだろう、息苦しい。

一番「言えぬ」人であったのは、父の清四郎なのでしょう。
父の清四郎がなぜそんな存在だったのかそれとなく理解でき、
その上であえて自分はこうだという言葉を選べたら。
その時自分の道を選ぶのは、親子の縁を切る事とは違うのではと思います。
たとえ清四郎がアメリカ人のパパのようにおおっぴらにハグするタイプにはなれんでも
それはそれで、いいじゃないですかね。


心から落ちついていられる場所を探すのは悪い事ではないし
本来、絆とはそういうもの。与えられるものでなく、作っていくものではないかと思うのです。
そうする限り憑闇にはなりますまいて。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする