ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

【遙か6感想】精鋭分隊隊長有馬のストイシズム(※ネタバレ有)

2015年04月09日 | ネオロマンスゲーム
精鋭分隊隊長をクリア。
花冷え&やや散りかけの桜を見ながらの攻略となりました。

最近は、「遙か」も国際的というか、海外の方もけっこうプレイされていらっしゃるようで、フェイスブックなどで知りました。
言葉の壁なんて確かに萌えには無関係です。
というわけで、有馬隊長について、そんな海外の方らに言いたい事がございます。

「海外のみなさーん! これが日本男児ですよ~っ!」

めんどくさいですよ、わかりにくいですよ、しまいにゃ黒龍の神子とてブチ切れる。
相手の事を思うあまりに自分の事は二の次三の次にしてしまい、どこまでも欲望は押さえ封殺するので
いったいどうやってコレ、近づいたらいいのか…上級者すぎませんか、海外の方。
そうそう、わかりにくくややこしく、本当に好きなの?ってすら思っちゃうのが日本男児かもしれないぞ。

梓と有馬、互いに相手を「バカだ」と言い合うも、これも本当に見下してバカにしてるとかではなく
なんでわからないんですか、私以上にあなたの事が大事なのにという
ここが、桜の国のわかりにくさ、桜の国の美学かもしれんのよ。わかるかな…。
よって、有馬は

「恋」の段階をすっとばして「愛」に行っちゃうのではないでしょうか。

それにしても、公の為、正義の為、それ以上のものはないという真面目公僕タイプ
これは、ダリウスが気に入るのもムリはないです。組織を動かす者にとって
「全てをこの任務に捧げる。自分は二の次」という人と
「全ては自分で決めるので仕事はまあそこそこ」では、都合のいいのはどちらか明白。
ゆえに、これを使役する方が邪だったり悪だったりしたら逸材でも台無し。
というか、そんなところでは鬱になってしまいますよ、有馬さん!

梓と有馬がどう距離を縮めていくのかは見所でした。

ごく最近、「ALL YOU NEED IS KILL」というSF映画を観ました。
主人公が起こされる。戦地に行き、宇宙人と戦うが、主人公はそこで女性兵士を助けようとして死ぬ。
死ぬとまた起こされる場面から始まり、周囲は同じ事を言う。
記憶だけは引き継いで、時間がループしている中、なんとかして女性兵士を助けようとするというストーリーでした。
ループ物というジャンルのようです。そういや「遙か3」でリズ先生が何度も望美の死を見てたっけ。
その映画の中で、「運命を変えるのはヒューマニズム」と言ってて、半ば「わークサい」と思いつつも
そうかなと、思いましたよ。
誰かの為になんとかしようとしない世界は、何も変わらないし、それはそれでいいのかもしれない。
人を救いたい人だけが、それはよくないと考え、違う道を必死で模索するんでしょう。
…地味ですね。ダリウスのように派手な構えはしないけれど、ある意味これも革命なのです。
だからこそ、公の為に上が間違ってるのなら、自分の肩書きなんぞも捨ててしまえる。
日々、保身に生きる者にはほど遠い高潔さです。

この小さな革命への「覚悟」がもしあったなら
私達はきっと「自己責任」というキツい言葉で、救わねばならない人達を見捨てたりしなくてもよかろうに
なかなかできんね。非力だから、ではないのよね。


中盤からもちっともデレない。むしろツンのみで進行。
…プレイ前に彼ならではの個性を期待と書きましたけど、いやはや
バッサバサ斬られまくりです。
「高塚、俺はダリウスにはなれん」みたいな…。
でも、甘い言葉の世界ではないのに、なんでか後半セーブし忘れてんだよ。
自分でもびっくりしたわ。


「遙か6」少し、1~3に雰囲気戻りましたね。嬉しいです。
私はネオロマンスに「自己責任論」は望んでない。
アンタはアンタ、自分は自分、何があっても自己責任であったら
梓も有馬も、嫌誰も絶対に救われない。
現実はそうはいかなくても、いいじゃないですか。これはゲーム。ファンタジーを扱ったゲーム。

有馬隊長とストイシズム。
一見、関係の成り立ちにくそうな、我欲を抑えまくったその向こうにあるものは何か。
西洋近代の思想に、日々マスコミによって慣らされていく私達が、
もはや遠い世界のものとしたり、逆に資本主義にとっては悪とさえみなされかねない「我欲を抑える」行為、
ストイシズムですけれど、これって「禅」に通じるものがあるんでは。

単に己を封殺して公僕になればよいのではなく、
有馬隊長のように、その変化なさげな日々の中で、人を想い、人に身を捧げ
そして救うという、小さき革命を成せたなら
それは商業的な文脈を持たされてしまった「恋」なんかよりはきっとずっと、尊いでしょう。

それがわかる女性であれよ、淑女よ、大和撫子よ、というかんじですか。

ネクスト秋兵。
3章で失敗しちゃってやり直し中。3章スケジュール厳しかったわ…。
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【遙か6感想】虎攻略。ヒーローと弱き者、汝の名は(※ネタバレ有)

2015年04月06日 | ネオロマンスゲーム
やっと本条政虎をクリア…。
うーん、さてこの虎をどう料理して食ってやろうか、非常にまた書く事は山のようにありながら
「書きづらい」と感じております。

スリリングで野獣系の政虎、虎ですけど
このルート、一部のフェミニズム団体さんにはギャアギャア抗議されかねんな~
「女性の敵よッ、こんなの女性差別だーッ!」なんてな…と思ってました。
というわけで、その道の、眉毛つり上がった方らのスピリッツを逆撫でする記事を書きかねないというか。
すでに書いてたりするのか。(ごめんな、地球上全ての生命体が満足する記事は書けねぇよ)

おそらく秋兵とかダリウスあたりの「紳士」だとか、九段のような男を性的に感じないタイプが好きな方
草食系男子が好きだという方
…ぶっちゃけ「男の匂いが嫌い」な人は、虎が嫌いだろうし、理解できないはず。
そのくらい、虎は男としてセクシーで、スリルの連続コンボでありました。
そして、「オタク」という種族はどう見ても、そういうのにちょっと慣れない資質を持っているものです。
EXILEファンと二次元キャラが好きな人は一致しづらいのではないですかね。どうなんだ。


さて、私くらいの世代というのは、上がウーマン・リブの活動した世代であり
上が男女差別を無くそう、女にも平等な権利を、男も女も平等、と叫ばれた中にいまして
ある意味、そういったフェミニズムには逆らえませんでした。反論する必要も無くて。
そりゃそうですよ、女性解放の為に活動してくれてるのになんで反対する必要があるものか、という。
それは「正論」でした。正論というのは権力を持つものです。反対するのは男かもしくは
「男にあざとく媚を売っているようなバカでズルくて卑怯な女」で、これが「ぶりっ子」として嫌われたかなと思います。


まあそういう政治のうんたらは、やりたい方だけでどうぞ…というか
虎なら「ゴチャゴチャうるせえぞ」と言いかねないですな。

私個人の考えを言うと、やっぱり「男と女は違う」です。
社会的な権利の問題であれば、社会が片付けていけばいい事。
ですが、男と同じ存在になれ、とはムリでございます。
男に男を捨てさせ、女に女を捨てさせる。それってつまんない事この上ないなと思います。
「正論」では通らない。正論ばかりでは動かない、それこそがこの世の半分の大きな謎なんですよ。
「男と女」という。

虎のルートでは、同時に、あらすじが1つでありながら、その選んだルートによって辿る話という
シミュレーションの醍醐味のようなものを見せていただきましたが
中でも特筆すべきは、物語のクライマックス、梓と虎が共に黄泉の暗い道を迷いながら歩き続けるというものでした。
男女を通した「人生」の象徴イメージとしては、とても文学的だなと思います。
黄泉のように、異性関係という謎は深くて暗くて、きっと正論の世界で生きる方達から見たら仄暗く罪深い。

「おれの物になれ」と男が言う時。女は「物」です。全てをただ受け入れる、受け身としての「物」です。
けれどそうだからこそ、1人の男は「他の誰にも渡さない」って言うのですよ。
そこに目覚めるのが多分、女性の本能かとも思います。M的ですけどね。
男性化したい女性というのは、それ、つまり黄泉に落ちるのが怖いんではとも思います。
女の恋愛とはつまり、「死」です。セクシーですな。



虎のルートは
「ヒーロー」が1つのテーマでもありました。
ヒーローというのは、弱者を守る強い者です。
あの強さが「頼もしさ」になるのは、そこに弱い者がいるからです。
その「弱い者」が、女性であったらいけないの? 虎を頼るのは「甘え」なの?と。

梓は最初から頼りっきりなんかじゃないです。銃を持って戦い、傷つき、ヤケに無鉄砲。
でも女の子としての限界とでもいうか、やっぱり「泣いちゃう」し、虎に「助けて」と思っちゃう。
いいじゃないか梓。そこを最初からアテにしているのでなくて、ついヒーローの名を呼ぶのなら。
弱いからダメ、無力なんではなく、自分にとって虎が必要なんだと思うからこそなのですよ。

途中、ちょっと秋兵のイベントに立寄りまして、そこで帝劇を見るというのがあったのですが
劇の演目が「ハムレット」なんですよ。
そうそう、ハムレットというと有名なフレーズがありますね。
「弱き者、汝の名は女なり」
愛とか寂しさとか、そういうものが「信念」「正論」に勝ってしまう場合がある
賢いばかりでは生きれない、そういう部分あるよねっていうか、
シェイクスピアはそんな、女の頭の不思議さに気付いていた人だと思います。
文学や…。


それと、虎のお父さんと火事の話。
これはかなり心に残りました。
確かにダリウスのように大義を持つものではないですが
虎には、小さな個人の中にある正義、人の中、「地」にある確かな正義がそこにあります。
「人類の為に国の為にオレは頑張る」的大義名分があると、人はとても理解しやすいのですが
不言実行で確実に守ってくれる頼もしい存在なんて、なかなか気付けないのでは。
それどころか、そういう事実は日々、情報に埋もれたり、間違って伝えられたりもするのでしょうね。
言うだけで実は動かない人間がいて、言わずに動いている人達がいる。
正義が通らない、なんて気がするのは、言うだけのただ目立つ人達にヒーローを求めすぎているからかもしれない。


食う側でなくて食われる側の女を楽しむってダメなんですかね。
あと、虎は竹本英史さんのボイス抜きでは、魅力は1/3以下になってしまうかと。
ビーストヴォイス、素晴らしかったです。
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【遙か6感想】九段はロマンティストか?(※ネタバレしまくり注意)

2015年04月01日 | ネオロマンスゲーム
「なんだ、この不思議な生物は…!」
と、村雨なら九段に対し、初見でそう言いかねないですね^^

村雨が社会派のリアリストなら、九段はファンタジーならではのロマンティスト
と、一見そう思います。
考えてみれば、知へのアクセスなんてこの対立に集約されるのかもしれませんね。
リアルか、ロマンか。
文学だと自然主義と高踏派とかね
美術だとロマン主義対写実主義、なんてのあります。だいたいガチバトルだもんね。

本当に今回、対照的な天地玄武です。おっさんと童貞とか…(←オイ)


村雨のルートで気付いたのですが、社会派でリアリストかと思いきや、
物語は異世界というファンタジーの器の中にあるわけですから、
大正デモクラシーも関東大震災もファンタジーの中にある。
だからそれらの事象を起こしたり阻止したり、更にはあのオチ、
小説という虚構の中で真実の愛を語るなんて事をしやがる村雨は、
実はロマンティストなのではないか?という事でした。すまんねややこしくて。

交錯する異世界と現実、それは
交錯するロマンティシズムとリアリズムという事でもあるのかもしれません。


九段のシナリオは非常に面白かったです。特に後半、力強いです。

彼が担う力は、予言、占い、結界の術、など全くの非科学的な「力」ですが
自らの使命を知り、引き受け、ストイックに実務をこなし、努力の積み重ねをしてきた。
そしてその積み重ねも使命も、なすべき目的にはポンと差し出す。

そんな九段は、実はロマンティストなどではないのではないか?
と、思ったのですよ。
未来が定まっているかは知り得ない。ならば、良き未来に向かって努力するのみ

というこの姿勢は
もうむしろプラグマティスト(実利主義者)にすら近いのではないかと思いました。

彼はかなわないふわふわしたスイートな夢の世界に生きているのではないです。
村雨はジャーナリストの性質から、真実を見極めようとする。地を這いずり、民衆の中にいて正義に生きる。
しかし、天の玄武、九段からの問いは、
「その真実とやらを追うせいで人が争う事になるのなら、そもそもその真実というのは何の為にあるのか」
という事ではないでしょうか。
村雨は概念ではない「人」を経験している。九段にとっての「人」は
おおかたは概念でしょうが、それが善きものでいられるのは
根本的に人を憎まない、疑わない、そんな性質のおかげなんでしょう。


しかし九段のイベントの数々、とにかく笑える。意表をつくキャラすぎて。
「ど、どうしたんすか!?」の連続でした。

そして白龍の神子が…。今回の白龍の神子の秘密が明らかに。
「チクショーなんだよ、逆らえないじゃないかよ」てかんじですよ、千代ちゃん。
あわわわ。




さんざんネオロマに対して、最近ちっともロマンじゃないと言ってましたがごめんなさい、撤回します。
これはファンタジーを扱ったゲームなんですから、別に「女子が賢く生き延びるサバイバル方法」方法なんかでなくていいと
言いたかったわけです。わかってくれてありがとう!

「何の能力も地位も財産も無くし、身一つで全く知らない天地で、ただ前だけを見て誠実に一緒に生きる事を誓う」

という相手をあなた、信じれますか。愛せますか。

それとも、スペックがどうの将来がどうのと、自分の為に彼を利用しようと値踏みしますか。
ロマンスとは、常にリアルとファンタジーの間で、こういう問いを投げかけてくるものだし、投げかけて良いものだと思います。
それでこそロマンス物だろうが!



昨日ポストモダン系の作家の本を読んでて、(私も相当にそこにハマってはいたのですが…)
ちょっとなんかイラッとしてしまいました。
玄武二人の風に当てられた後だからでは…と思います。
届く範囲では自由なんだから、諦めたらそこそこ幸せだの
この世は変えられないし、人同士繋がりなんか求めなくても、どうせ心底理解なんかし合えないだの
夢なんて見てもかなわないし、かなわないと焦るのは身の程知らない夢を追ってるからだのと

あー 鬱陶しいわー!と。

そうなんだけど、
オマエ、何不自由ない長椅子からそれを言うかね?
「男を見せろよ!」

と思うとつい。

キレイゴトではなくて正真正銘に「美しいこと」でいられるのは
九段が本当に優しく、純粋であるからでしょう。
こんな風に存在していたら確かに非現実的ではありますが
こんな風に生きる事ができたら現実はどんなにステキだろうなと。

少なくとも玄武の二人と出会った事で、パワーはもらいました。
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【遙か6感想】村雨~デモクラシーとヒューマニズム~(※ネタバレ有)

2015年03月30日 | ネオロマンスゲーム
里谷村雨クリアしました。

丁度、「ペンは剣よりも強し」という使い古された言い回しも
昨今叫ばれる、SNS等における表現の自由は、いささかこの文句の真意を風化させてしまうのではないか
等と、思ってた所であります。

私個人の記憶で申し訳ない。かつて異世界ではなく、こちらの世界で
1人の文士、それも昭和初期をガチで生きてきた作家という先生に教えを賜りました。
「盲目になりたくなければ、どの団体にも所属するな。新聞は2社以上読んで自分で確かめろ、
鵜呑みにするな、本当の敵とは何かをしっかりと自分の頭で考えろ、騙されるな、真実を見つめよ」と。

でも大人になり、やがてもういつの間にか、そんな事はどうでもいいといいますか、一体何になるんだと。
最近特にこの「言論の自由」の中で、虚無的になっていたのは事実です。
その、もう諦め、「捨てようとしていたもの」に、「待て、捨てるな!」と
がっちり、手首を掴んで引き止められたような気持ちになりました。
いろいろ思い出してしまいました。大事なもの。大事だったはずのもの。



とにかく、里谷村雨はズルい。
全く騙されてしまいましたね。

村雨、最初は謎多き小説家。それも幻想小説というから
情報活動をしながら幻想、なんてこの人よっぽどぶっ壊れてるか現実逃避甚だしいほどの厭世家かと思いましたが
なるほど、でございました。

フリーで中立に見えて実はダリウス以上に周到に世を密かに動かすアジテーター、
…なんてイジワルな見方はやめてあげましょう。
ペンが剣よりも強い、強くなくてはならないのは、そこに真実と正義と愛があるからこそ。
それを見失った時、封じられた時、小さく非力な我々は、その切れない剣で、弱いお互いを傷つけ合うだけになってしまう。

本来、我々が見失うべきではないものは何なのか、何を守り、何を愛するべきなのか。

守るべきものは強大で人を道具として使役するだけの権力なのか。
それとも、日々を必死に生きている、小さい、普通の庶民なのか。

見失ってはいけないものがあるのでしょう。
大事なはずのものを、諦めたり捨てたりせずにいるのもまた、勇気なのでしょう。

小説は、「概念」のみでは書けません。
こういう○○という人種は悪である、とかこういうグループの奴らはクズだよな、という偏見のみでは書けません。
個を見つめ、何であるのか、何故であるのか
それを追わずしてでは…優しさなくしては…と思うのですが、
昨今はもう、正義を置いてけぼりにしても自由が権利を持ち過ぎる。
「何でもあり」「表現は自由」と主張されてしまうと難しい所です。
極限まで形を失ってしまっても、許さねばならないのかと。


村雨の演説は心を打ちました。
人というものにまだ希望を持つ事ができたのは
いろんなものにがんじがらめになっていない、率直で裏表のない黒龍の神子のおかげなのでしょう。
「情が無いわけじゃない、大人ってのは面倒くさいんだ」
本当に…その通りですよ。面倒です。素直に好きとか嬉しいとか嫌だとか言えない世界に
いつ入っちゃったんだろうなあと…思いますよ。

お祭りにいたあの、萌えキャラとしての「美少年」でなく「そこらにいるクソガキ」
全く、素晴らしいクソガキでした。
この「ガキ」を含めた人々が、単なる救うべき遠い人としての「概念」になれば
村雨はきっと梓とは遠いままだったでしょう。

自由とは、小さな己に何ができるのか、真実を抱いて戦う力の事であり
ヒューマニズム無き上での表現の自由なんて村雨にとっては無意味なもの。
クールで熱い正義に支えられてこそ、ペンは剣より強くなるのですね。


九段とのボケツッコミも、それからラストまで「高塚」で名を呼ぶ所も
村雨さん恰好良いです。ストイックすぎ?辛党向けルートすぎです?


それにしても
デモクラシーとヒューマニズム
それが許されるのが、ゲームという虚構、ファンタジーにおいてのみ可能なのだとしたらなんて皮肉な。
1人1人は小さいけれど、諦めてはいけないのだと
ポップ(大衆)カルチャー側から言うのであれば、なんとも頼もしいものではないですか。

はい、本当に剣より強いものを見せていただきました。
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【遙か6感想】ルードの視野と成長の物語(※ネタバレ有)

2015年03月25日 | ネオロマンスゲーム
ダリウスを書こうと思ったのですが、先にルードを書きます。
前回、コハクの所でちょっと触れましたので。
コハクは、自由であっても孤立化しない関係性を持つ自由のあり方ってのを書きまして
それに対比しますと、ルードはデフォルトで隷属と言っていい関係の中にある。
今度は、その関係性を持ってもけして窒息死しないあり方といっていいかもしれません。

いや、ルードの物語はそういうものを純粋さで超えてしまうかもしれない。
理屈ではないんだよなあ。だから心に響くし、残る。



奴隷とは何か。
別に無一文だからとか、仕事をしているから奴隷なんではないのです。
おそらく奴隷というのは、ある考え方または人に対しては、自分の全てをいつでも喜んで差し出せる、
自分なんか生きて考えたりしなくても、いっそ、その為に死んだ方がいいような状態。
喜んでその考えをまんま受け入れて己を封殺する状態。
それを真の奴隷というのだと思います。
厳しい自己否定から逃避する方法としていちばん楽なのは、自分を捨てる事です。
そうして「楽」になる事が幸せだと思って、いったいどれだけの人が、カルトや変な思想に染まっていく事か。
自分の儲けやの為にウソの幸せを与えたい人達は、いつも「自分で考えろ」とは言わない。
「この考えが正しい、絶対だ、他は全て否定しろ、そうすれば幸せになれる」と言うでしょう。


ルードハーネのルートは、その困難さと向き合い、成長していくドラマでした。
殻を破り、巣立ち、可能性の扉を開く物語。


鬼の術として、結界は張れるけれど瞬間移動はできない。想像力を使うから。
ここ重要ポイントですね…。

結界を張って、認められたい自分を守る…という事は、知らず外の世界を知ったり、その違うものを受け入れる事で生じるリスクを避けているのでしょう。
なんでも上手に努力してこなす才覚はある…というのは、完璧主義な反面、失敗して否定されるリスクが怖い。
想像力というのは「空想力」「妄想力」ではありません。多くの人が、想像力とは勝手な妄想を具現化する事と勘違いしがちな昨今ですが
想像力とは、違う立場の人であればどう考えるだろうと、そういう事をきちんと想える力です。
「あなたはどう想うのだろう」
その疑問符の先に、マニュアルは無いですよ。誰かの知識を検索して出る答えではないものです。
リスクを恐れて自分だけを守った所で、その答えは手に入らない。
虎穴に入らずばと言いますが、穴から出なくては獲物を取れないの。

この力は理論で習得するのが難しい。
特に、まず誰より先に自分を救わねばならないような自尊感情の低い場合。考えの違うものを受け入れろ、考えろばかりだと
簡単に自己放棄するような、そんな痛ましい状況になりかねない。
そこに必要なのは、しっかりと自分でつかみ取った想いだけなんでしょう。
ゆえに向き合う必要がある。己にも、敵にも。

「好き」は誰かに与えられる命令ではないです。最初から出ている答でもないです。
「この気持は何だろう」「何故そんな気持になるんだろう」
考えてるうち、その考えてる事自体が恋だと気付く。がむしゃらになっている自分は否定できない。
そうそう、天の白虎ってそこにひっかかる、そういう八葉なんだよな…とも。
歴代最年少なだけに、このもどかしさが! もー…似合いすぎてて、たまらなく良いなあ。


でも、好きな人を救いたい、守りたいだけで取ったルードの行為と、示した小さな反逆には
もうリスクなんて考えはどこにも無かったでしょう。

おずおずと近づいて、信念であると想っていたものに揺れ惑って
それから大きく飛躍する、少年から大人へこんなにもする姿に感動しました。
とにかく、かわいいです。ルード可愛いよ!

そして、それを見守るダリウスが良いね。
隷属させているように見えて、自分の意思を見せてほしいと常に想ってる。
素質や魅力を引き出すにはされるがままではいけない事を知っている。
いやあ…この人マジで鬼だわ…。(間違いなく夜はどSなタイプですよダリウス)
おっととやべえ。



それから、「共闘」。
違う立場でも考え方を認める、というのは、こういう時代には絶望的になる事がままあります。
なんでこの人達は言ってもわからないんだろう、にはじまって
「理解しよう」「仲良くしよう」という態度も懐疑的に取られ、ぬるいとかお花畑とか、雑言にまみれていきます。

しかし「遙かなる時空の中で」は1作目から、神子が2つの勢力をかけずりまわって、仲良くさせてきたじゃないの。
そんなゲームなんですよこれ。


その大事な、ネオロマンス的「結界」はけして崩さない。
私にはそれが嬉しいというか。まずは
ルビーパーティーを抱きしめたいです。

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遙か6感想をコハクから。

2015年03月24日 | ネオロマンスゲーム
またちょっち忙しかったりするのですよ。うーん。
私が進めてないわけではないのよ! 上の方で行くのか戻るのか?というところでして
サッカーで言ったらパスをキープし続けてるかんじすか。
しかもまだ前の分きちんと処理されてないのですわ。( ´,_ゝ`)クックック・・・( ´∀`)フハハハハ・・・(  ゜∀゜)ハァーハッハッハッハ!!

なかなか進まないですが。
ぼちぼちと、コハクとダリウスだけは攻略しました。


で、このお話、もう少しイデオロギーの話かとおもいきや
あくまでファンタジー。
厳密に言うと、スターリンレーニンも八紘一宇も(笑)触れそうで触れないのね。

ファンタジーである以上は、軍配を司る事はできない。非現実だもの。まあ考えたわな。
最終的には、ドラクエと同じで邪神のせいにして、それを倒して解決するという類いのものですけど
それこそ娯楽性の高いファンタジーの醍醐味とするのか、
それとも別に哲学的テーマか何かを求めるのか、
おそらくここが人によって違っていれば、評価は割れるのかなと思います。

が、やはりそこは「ゲーム」という1つの娯楽作品です。
私はこれはこれで楽しみたいと思います。
イデオロギーを絡めると、何も語れなくなるんで。
現実逃避っていいですわ、本当に。


キャラクターについて。
語れるのか…難しいところです。


まずコハク。
なんやかや言いつつ、ハーバート・リードの「アナキズムの哲学」とか
エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」とかを
ひっぱり出してきまして、ちょっと考える所ある、コハクのルートでありました。
いいの。誰も理解してくれなくていいの。独り遊びは上手い方です。

ちょっとラストが舌足らずな部分は否めないんですが、コハクの存在というのはかなり興味深いです。
小道具に使われたコマ、「独楽」と書いてコマ。

コマがどうして倒れないか、それは動いているからです。
自立して動いているから重力の影響を受けない。

しかし、独楽は大変ですよ…。倒れないためには回り続けなくてはいけないよと。
もしかしたら、独りでも楽というのは、国家や政府なんて無い原始的な時代はそれができたのかもしれません。
でも経済というものが世を覆っているわけだから、完全に「自己責任」は無責任となり、無関係は孤立になる。
そんな事を考えてしまうので、リバタリアニズムというのはイヤがられるんではないか、と思います。

ところが、別にサバイバルで独りまわり続けるだけが自由ではないのではないでしょうかね。
リードはこんな事を書いています。砂漠の真中で自由だーと叫んだとところで、それってありがたいのか?と。
独りぼっちで先の保証も何も無く、他の独楽を蹴落としてでもタフにまわり続けるゼってな、まあ見た所カッコいいんですけど
それはちっともありがたくはないですわな。

別に孤立しなくても精神的自由は得られる。
その糸口をチラっと見せてくれるのがコハクでした。


誰かと一緒にいて楽しいと思うこと、誰かを楽しませようとすること
笑うこと、美味しいものを食べること、そういうのは小さくてつまらない事なんでしょうかね?
それは、「独り」ではできません。
コハクは記憶を失って、ダリウスの家で世話になりますが
グースカ寝てる誰かとは違って、そして命令で動くのでもなくて、主体的に彼等の輪に入り、手伝っている。
そのポジティブさに、自己啓発のような「ボジティブであるべき」という思想ではなくて
心から、そうしなくてはならないからそうしているのでしょう。
誰かが、もちん小動物あたりも含めて、困ったらそれを助ける。側にいる。
このヒューマニズムを失った所で自由だ、自由だと叫ぶのなら
それははただ、草も生えない砂漠で身勝手さを肯定していくだけのものでしかないのでしょうね。


もしかしたら、人類の幸福がどうのというような大上段な構えの人達からは、「その程度の事」に見えるのかもしれませんが
実質、幸せってその程度の事なのかもしれません。


大金が欲しいとか、襲いかかる敵を殲滅したいとか、あるいは永遠に近く生きたいとかいうような事は、全て恐怖からの逃避にすぎないのではとも。

生きていくって、常に豊かで安定してるわけではないですから
小さな個人では抗えないものはあります。そんな所に生まれてしまったとか、病が流行ったとか。災害とか。
その時何かのせいにしようと、犯人探しをすれば、何かを敵として誰かを憎む世界に入り込んでしまうかもしれない。

理想郷という世界は目指す所やその理屈は美しくても、人が個人的である事をだんだんと奪い
そのうち、「最初に従うべき疑いのない意見があって、考えずにまんまそれを受け入れた者が、真面目で強い」となりがち。
奴隷だというと…
ルード君の件があるので、それはルード君の回でやります。


コハクはただのヒューマニストであり、弱さに憑かれがちな小さな「個人」です。
けれども、人はそこまでバカで弱く儚いザコでもありませんよと。
この視点ってちょっと司馬遼太郎サンに似てるかも。

一匹狼では生きづらく、でも同調圧力はイヤだ
ヘイトは嫌だけど何かをヘイトできたらスッキリするんだろうか
そんな生きづらい時代において、人間関係の砂漠で独り吠える必要は無い、とさりげなく示してくれる
コハクのように生きれたらさぞ楽しいだろうになあと思います。

で、これはやっぱり、本当はダリウスから攻略したがよかったのね!
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遙か6ルート分岐前でセーブ、決めた人は?

2015年03月15日 | ネオロマンスゲーム
分岐前まで進めました。

本日の前フリ。だってまだネタバレあんまり書けないんだもの。

ネオロマンスでずーっと同人誌をやって、本出してイベント参加をしてきたのですが
けっこう同人誌は、長く続けていこうとすると、最初は単に好きでやっていても
そのうち「場」を優先してしまうようになったりして悩む事があります。
それは、同人誌が一応まがいなりにも「集客」をする市場であり、金銭的やりとりや部数という
サービス、資本の世界だからです。

昔の小さなコミュニティとコピーや回覧、コミケ創始者の米沢さんの理想だったような非商業的な世界ならばいざしらず、
今の同人誌はもう構造が違ってるし。
商業コンテンツの二次創作、受け皿がメインだと思って育った世代が、最初からサービスを求めるのはムリがない事です。
ですから、全読者が仮に「だれもお前をカリスマ的作家とか思ってないから、さっさと萌え本を生産してよこせ」
になってしまった場合、作家側、サークル側というのは、もはや初期の、好きでだけの同人誌とはほど遠いものになりかねない。
「顧客ニーズをリサーチして」「マーケティングに添った企画を出して」「自分のやりたい事や好きは二の次で」
などと、真面目にやればやるほど、ビジネスライクなものになりがちだと思われます。
そんな中でどう自分はやっていくかは、自分で決めていいし、当然決めなくてはならないのですが…
全ての人が強い意志を貫いてやってくわけではなく、もちろん多少は惰性で…というのも、またありがちな事だと思います。

同人誌一本でやっている場合も、そうでなくて仕事と掛け持ちでやっている場合も、長くや続けるというのは精神的にも経済的にもけっこう大変です。
もちろん楽しい事も多いのですが。

最初は自分の「好き」「愛」ではじめても、「場」「つながり」を重んじる過程で
「皆と同じものを均一に好きにならなくては」「皆がトレンドを支持するのなら、それについていかねばサービス提供者として失格」
という事になっていきます。
そうすると、同人誌という場所にどっぷりいる限り、やっぱりそこにはそこの市場競争もシガラミも出てきますし、
もし同人誌活動を続けたい売れたい、あるいは売名やって大手になって声かけられてデビューしたいとか(笑)の志向だと
スペース申し込むならビーズログに特集されてるあたりが賢い、後はクズなんてのを業者目線で語るようになる。

でもって、私の場合はなんだかもうそういう時代を過ぎてしまったというか、なんだか疲れたなという感はありました。
それは悪い事であるのかは、私にはわかりません。
事情でやりたくても離れざるを得なかったせいもあったのですが、逆に少し落ち着いて、自分のペースで、
本当に自分の好きなものを、楽しみだけで純粋に選びたいという、そんな状態でしたでしょうか。

そういうのもあって「遙か6」は、私の場合は余計
純粋に楽しめているのかもしれません。
ファンであるのが第一である、というのは本当に余裕のある、幸せな事だなと想います。

そういうのを、あえて「遙か6」に絡めて思いますと
これは、ぶつかり合う「理想郷」の話でもある、と思うのです。
こうであった方が幸せだ、こうした方が自分にとっては良いという世界があるのに
対峙している世界というのは、なぜこうも理解し合える事がないのか。
右翼左翼のイデオロギーの戦い、日常に入り込んでくる人権否定、ヘイトな考え、
日々なすべき事、とりあえずなすべきと信じて行っていても、その根本が間違いなのか正しいのかがわからない。
考えるべきなのか、考えてもどうにもならないのか、その不安定さと、大正をモデルにした背景は良くマッチしています。
報道規制、言論の自由、女性の地位、そういうものに対して、逃げずに語ろうと。
和の為に怯えて逃走するのではなく、まずは語ろうとする黒龍の神子、梓。
それは、どんな批判が来てもまずは物語を、という意図かもしれません。
ファンにとって、その態度はとても心強いです。「遙からしい」と言った所以はそこにもあります。

++++++


さて、ゲームの方進めまして
迷いに迷って

コハク。

ルードくんが思った以上に良いというのと
ダリウスどうすんの?と思ったんだけど
ここはもう コハクの色気にもっていかれた感じです。

ネタバレなんで書けんのが辛いんですが
リベラル度でいうと実は、村雨より上なのではないかとも…
それでいて芯は強いのがなんとも色っぽい。


村雨先生はなんか後半以降にイベントある人らしいので
先にスチル出まくったコハクとルードとダリウスをっていうところ?
一応ダリウスが本筋を引っ張っているんだろうなあ。
選択肢は並び上から順にクリアしてほしいっぽいんだけど
いや…コハクが気になります。逝ってきます。


村雨先生は思ったより真面目に仕事しているのでツライ…
ゲームの中でまで締切とか聞きたくないよ!ネームできんのよ。

もうこれ
ルードが女装して、村雨が耽美小説書いて、九段が挿絵描いて、コハクが売る(コミケェにて)とか。
そして秋兵が消費するのね。


黒龍の神子の戦闘、良いね。
なんせ黒龍の力で怨霊にこっちにおいでしといて全員でフルボッコだという
浄化はムリ(ドヤ)ってのが。
私に向いてるのか…。黒いわ。


歴代の黒龍の神子もこんな気持でいたのか…
都はどうなんだろうね。
白龍の神子を守らねば、という気持とか今さらわかったかも。
いい集大成ですね。遙かは1日にして成らずというかんじです。
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「遙か6」その「らしさ」と底力。

2015年03月12日 | ネオロマンスゲーム

1章終わって

「これは…久しぶりに面白い」と思っています。
4と5にあった、あのぼんやり感、何をどうしたいのか霧の中を彷徨っている鬱感が無いです。


明確な敵と味方。
それに加えて、作り込まれた世界観の設定、
今回、これを外してません。

「作り込まれた世界設定」というのは、シリーズでやってるファンにとってはもはや聖書に値します。
適当に変えても良いものではないのです。少なくとも、新作作ったら前作の設定は
シリーズだけど全部捨ててね、というのをやると、必ず新旧ファンでもめる。
ユダヤ教徒とイスラム教徒みたいになる。
その点で言うと、全く外していないわ。

他メディアも、新しいものを作るに当たり、新規ユーザーをといっても
少子化の中でリアル10代~20代前半をリサーチして、そのニーズだけに合わせるのか
新鮮さを話題にするため全く見た事もないものを出していくのか…
てのやってきたと思います。リーマン・ショックからこっち不景気も手伝って。
でも、ヤマトやマクロス、ドラクエ、ポケモンあたり、古くから続くタイトルも、定番として続けていけるビジネスモデル
というのが最近ようやく、輪郭を表し始めたかなと。ビジネスライク、ちょっと大人発言でもうし分けない。
あんまり言うと幻滅するのでもう、やめましょう。

そういうのをゼロにするくらいの虚構を、どこかで望んでいた自分がいました。
「なんてったって、これはビジネスだもんね」とゲームの中で思ってしまう事は、ファンタジーの敗北です。
「これは役者がやってる」と思うヒーローショー、ピアノ線が見えたピーターパン、
そして、金の為に合わせてるだけだよねと思われるホストクラブのホスト。
本当のファンタジー好きは幻滅を嫌いますよ。

で、そういうのを差し引いて仮に思いっきり「釣り警戒」をしてみても、ですね

今回のシナリオ、実によく出来ております。
いや、これ「よく出来たシナリオ」と言ってはならないゾーンに達していると言っていいです。
「本当に、彼等が動いて話をしている」
いわゆるテーマの為に作られたお人形でも、釣りエサでもない、という意味です。
ユーザではない。シンクロ黒龍の神子。そして作られたホストキャラではない。
異世界で、出会うべくして出会う人。


て、まだ冒頭ですが、冒頭でここまで練り込まれているというのは
これはかなり「来た」感あります。



さて、ダリウス。いやはや。
鬼だなあ。鬼のアジトにいる人らが色々と鬼すぎる。


-----------------------
「ダリウスさんって…」  
-----------------------
・ゲイなの?
・バイなのね…
・私が腐ってるんだ

↑頭の中にこういう選択肢が出てたわ!

いいな~鬼ハーレム。
全くもっていわゆる「腐女子向け消費物」では無いにも関わらず、ダリウスで腐スイッチ入りそうになるというか
 こんだけでもう超傑作!(さあ殴りたまへ)



今、ドラクエ10の方もアストルティア・ナイトの総選挙で
イケメン揃えて(一部そうでないのも混じってるがそれはそれで)人気投票、
甘いセリフを囁いてはくれますが
やっぱりネオロマンスは「ダテに20年もイケメン恋愛ゲームをやってきたわけではないんだな」と思わせてくれまして。
イケメンであればいいというわけではないし、紳士であればいいというものでもない。ツンデレであればいいってものではない。
いかにもそれっぽい事を言ってキャーキャー言わせたい目的乙女ゲームなんて
巷にはもうわんさかありますが。


とにかく、私は1章やってみた時点では
ああ、「遙か」が戻ってきたな、これがネオロマンスだよな、とちょっと
いや、手応えしっかり、心拍数上昇中。

ネームが手につかないや。困ったな。
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鬼が誘うデカダンな帝都へGO

2015年03月10日 | ネオロマンスゲーム
昨晩からずっと偏頭痛の中、更に頭痛に輪をかける確定申告。
やっと終わりました。

そして、次回分の案件の資料を解凍すると
これまた山のような…ウワ。
またネームだ。
で、丁度その時、発売は明日なんですけど
ゲームシティで予約した分の「遥か6」
届きましたよ。

おおお。
さっそくやってみました。

今日は、とりあえず攻略対象キャラ全部出すとこまでプレイ。
明日からしばらくこのブログはゲームレポになりますです。

本日はまずプレイしてみて初印象から。

☆舞台

前回「遥か5」は、幕末でした。この幕末というのはちとクセモンでしてな。
多分私らの世代ってそーなんだろうけど、けっこ自分で調べて各自萌えてたりです。
水野先生もコミックスのコメントで、マニアックな人が多いから自分で描くなら避けてる、とありました。
新選組の史実ファンは乙女ゲームの新選組が苦手、というのも聞いた話で、おそらく「マイ幕末」があるのですよね。
大正時代の方がその点史実に縛られないかもなあ。NHK朝ドラではよく出て来る世界。

私も大正から昭和初期大好きですけど、文人以外さほど目立って歴史上の外せない誰かさんってないし
その点からいくと「遥か」1作目くらいのノリで入ったらよいのかなと。
あくまで、こっちの世界の時空に似ている異世界ファンタジー、
蘊蓄に縛られるよりは、ゲームとして楽しめるものがいいかもと思っていたので
いいかんじです。


☆主人公

初の黒龍の神子!

黒龍の神子には八葉はいないんではなかったっけ。
という事は、そこはストーリーでなんとかしてくるのか?
怨霊はなんだ、やっぱり退治するのかちょっととホッ。
あ、でも今までこのシリーズでさんざん
アクラム様大好きとかリズ先生大好き~とかもちろん桜智ファンなわけでしたが
どこか日陰者でしたよね、鬼は鬼だもの。

なんと! はなっから堂々と鬼登場!
あっ、コレなんか嬉しい。


☆システム

戦闘がなんかチェスっぽくなっている。
別にドラクエじゃないから戦闘に凝らんでもいいしな。
これはこれでけっこう楽しいです。オートにしてはいません。
その他は今の所あんまり変わってないかな。




☆キャラ

はい、一人一人デフォルトで印象を。


・ダリウス
「多くのお嬢さんが本命にしてもいい位のキャラはこのまま終わらないのではないか」
という期待感を持たせてくれる方です。
当然好きなタイプであるので通常キープ。


・ルードくん
今回の家事キャラ。ツッコミ所が多いツッコミ役。
誰か本出すだろうと…。 
ネタバレですのであまり言えないのがもどかしい位。


・政虎
ワイルドだけど昼寝キャラってこれツンデレ並に定番なのかね。
うお、「レディ」とか「お嬢ちゃん」とかでなく「女」と呼ばれたりで
ちょっと新鮮。なんかちょいと韓流ぽい。2PMとかあたりの。


・はじめ
軍人かっこいいですな。秋兵とCP用っすかねこれ。←乙女ゲームでBLやると一部にすっごい叩かれるようにすらなった昨今ですが。
これもスタンダード。定番なだけに、彼ならではの個性に期待。


・秋兵
もう、この手の君子を見て「何か裏にある」と思うのやめたげようよ~
と自分に言ったという。キシリクリスタルなかんじ。
紳士すぎるのでストーリーに期待。


・九段
…これは…。こらもう、来んさった感じ。いいね、なんやコイツ感が…。
みつまめに入ってる半透明の寒天のような、どこかゆるふわ漂うクリオネのような。
私は「画伯」と呼ぶわ。
いろんな意味でのヤバさを感じてしまうという。とにかく「これは…」感がネオロマだなあ。


・コハク
かっる~い!あ、でも好きかもしれない…かなり。
記憶が無い人は、やはりいなくてはならない気がしてきた。
あと、ロン毛もいなくてはならない。なぜならこれはファンタジーだから。
謎めくあっぱらぱーさが新鮮。「むしろ記憶いらない」とか言っちゃったし。オイコラ。



・村雨
いかん、この人は私とほぼ、思想的立ち位置が同じだわ。あんさん全く同類ですわな…
中立リベラルややダダ寄り。
同じすぎるというのは、同調しすぎるので「めちゃくちゃ惚れまくる千載一遇」か
「同じすぎるゆえにわかりすぎてしまい、むしろイヤ」かどちらか。
もちろんライクはディスライクにはなりませんけど。

「原稿があるからこれで」と言われると「私も原稿あるんでそろそろ」
になってしまったわ。乙。



おまけでプロローグ小説冊子いただきました。
村雨さん、小説の主人公「みつこ」、おもいきり「まんこ」って読んじまったゴメン。→「満子」

ジブリの「風立ちぬ」でも出て来たシベリア登場。
だけど私食べた事ないのよね。関西では見ないよ!
カステラに羊羹は、ロールケーキで「タルト」ってのがよく盆とか法事とかで出て来るぞ。ここらへんだけだったりして。
その泉州には「村雨」というお菓子がありますよ…。あれ美味です。


とまあ、ぼちぼちと進めて行く予定です。

しばらくネオロマやってなかったからか
嬉しい。ニヤニヤ。
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回帰か蘇生か

2014年11月19日 | ネオロマンスゲーム
アンジェリーク・ルトゥール。
フランス語を外さない所がアンジェだなあと。
Retour  回帰、転生、蘇生。

20年って、もし子供なら生まれてから成人して、選挙権もらうまでです。
それってなんかスゴいね。
実際に結婚生活だともう、いいかげん腐れ縁だの倦怠期だも通り越してしまうような時間を
未だに特別な期待感で見れるというのは、コンテンツというのはなんて夢があるんだろう。

年に何度かアンジェがリメイクされる夢というのを見まして
「今度のアンジェは全員ハゲだよ!」とか
「今度のアンジェは全員モビルスーツに乗るよ!」とか
まさに悪夢…と思って目が覚めるという。
そんなわけですので(?)
シミュレーションと心構えはバッチリです。
むしろ「おおー、普通だ。よかったこれ現実だ」とか思ってます。

アンジェのキャラのアトリビュートってある。
アトリビュートというのは、美術用語で、宗教画なんかで
「これがあるからあの人とわかる」「そうそう、これがないとあの人ではない」みたいなシンボルや特徴を示すもの。
ヘルメスは羽のついたサンダルはいてるとか、持ち物の時もあるかも。
ジュリアスのアトリビュートは金髪ロン毛~オリヴィエは前髪染めてるとか

で、美術は常に、進化するためにこのアトリビュートと戦ってきました。
新しい偶像を作る、マンネリ打破、自分らしい表現の追求その他
ゴリアテの首を添えないダヴィデが、ダヴィデだと一目で理解されるかどうか
ミケランジェロは戦ったのです。
マリア様らしくないマリア、イエスらしからぬイエス
それは制作者と、信者との闘いでもありますと。

でも、その「進化」そのものについて、私は最近疑問なんですよ。
難しい事はここで書いても仕方無いんですけど
わかりやすい事、どこかで納得していただく事
アトリビュートの全てを排しても革新してしまう事は、つまり「会話」を拒む裏切り行為ではないかとも。

いろんな人が描くアンジェリークがあっていいと私は思います。

この世には2つのタイプの創作があるのです。
1つは、絶対無比なカリスマが己自身を神として表したそれ
もう1つは、皆が共通概念として抱いた神を、それぞれの方法で示したそれ。
シミュラークル、シミュレーション、そういうものとゲームは相性がいいね。

ただしジュリアス様ならジュリアス様は、「万人の頭の中にこういう人物」という
揺らがない存在イメージがあってこそ、それが可能なんではないかと思います。
最初から実在の人物として存在したわけではない人物像を
徹底的にアトリビュートとか、らしさを追求して1つの個性として作り上げた時
それは単なる「キャラクター」を超えて、1つの確かな魂として
時代も、世界も超えて存在できるのだと思います。

…なんてね。
まあ、あまりにもロマン派的、ロマンチックな考えではありますが。
「ネオロマンス」って銘があるからいいでしょ。


オリヴィエ様の衣装が

1→グラムロック系 クイーンとかTレックスとか

2→ジャパメタ系 X JAPANとか

3→ヴィジュアル系 あのハイブーツはLAREINE

エトワール→これどっから来たんだろう(;・∀・)謎。

ルトゥール→金爆  エアはやめて下さい!アナタちゃんと弾けるんだから!


そして
キャラデザ出る度に女子力上がったと言われるリュミエール
出る度に何ソレとツッコミ入れられるゼフェル

それは明らかに「失望」ではないですよね。
いいかんじじゃないですか。
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アンジェ20周年、「ライバルの少女」は何故消えたのか

2013年09月12日 | ネオロマンスゲーム
アンジェが来年、20周年ということで
何かやっていきたいとは思っています。
でも反面、やったところでなあ…というネガさも多少あるのは事実ですが。

なんかもう何も書きたくねーと病んでる日は多々です。

繊細チンピラの話が出てましたけど

 ネットの進化とともに増加する”繊細チンピラ”とは?

「幸せです」と書いた日にゃ、羨ましい、なによ、自分だけ幸せそーにしやがって、死ねよ、でしょうし
逆に、いえ私はこんなに悩んでいます、不幸ですと書いたら書いたで「不幸自慢かよ」「自分語りきめえ」
でしょうし。

まあとにかく、この記事にもある「繊細」というか、劣等感。これはどこから来るかというと、「自尊感情の低さ」です。

景気がいい時は、「君たちは腐ったミカンではない」とも言えたものが、長い不景気で誰もが保身がメインになり、
より安全より安心を求めるようになりました。
そうすると、ミカンなんか腐ってんだから、排除すれば簡単です。「頭おかしい」「キモい」「ウザい」で排除すればよし、という。
保身のためにも視界からはできるだけ、イヤな存在がいなくなってほしいわけです。
ところが、見たくもないのに情報は向こうからやってくる、こちらの気持も考えず…というわけでしょう。

腐ったミカンはというと、腐った同士集えば、そこが居場所になるわけで、
こうして、自尊感情と認められなさ感から、居場所を求めてさまよい、「より自分を安心して受入れる所」
敵が不在の楽園を求めることになるのです。まるでゴシック時代の教会のよう。



「アンジェリーク」は発売当初から2まで、ライバルがいました。
ところが、「トロワ」からいなくなる。
自分と反対の価値観を持つ者は、あくまで敵であって味方ではない…。理解なんかできない。
そうなると、お互い性格も出身も違っているけれど、共に努力したり、切磋琢磨することで成長するというライバルではなくなります。


つまり、今の時代にもし、ライバルとしてロザリアが登場するなら
リモージュはやりきれないのです。生きていけない。

「自分より美人。自分より頭がいい。自分よりお金持ち、羨ましい。
自分なんか好かれるわけないし、あの人にはどんなに頑張っても勝てない、こんなの最初から出来レース。
この試験て意味なくないですか? 
私、学園に帰ります。だってどうせ最初から女王はロザリアって決まってるじゃないですか」


しかし、そうならないために主人公のリモージュは、明るくて元気で、素朴で、庶民的、親しみやすいキャラであった
…はずでした。

でも、時代が違ってくる。
1994年発売の段階で、まだバブル以前の「少女」に理解された世界観は
オウムと震災、そしてインターネット言論の登場を経て
男女共同参画を経て(笑)
予定調和と、約束と、協調と、切磋琢磨しない世界へ。


ネオアンのアンジェは、両親をタナトスに殺されて…という影のあるキャラクターになりました。
アルカディアは楽園ですから、自分を脅かすライバル女は、いてはならないのです。
財団にチラッと出てきましたが、「あーあ」とため息ついていなきゃいけないんです、彼女は。
けして財団で生き生き努力して頑張って、「一緒に頑張りましょう」だの上から言ってはいけない。
自分の好きな人を取っていくかもしれない。

レインとの恋愛イベント(が、本筋で王道だと思うのですが)で、
二人は「当然、普通の人であれば、普通に得られていただろう、側に必ず誰かがいて守ってくれる状態」
つまり、本来なら子供時代から普通に受けられたのだろう愛というものを、築き直し、やりなおすのだと思います。

それは、悪いことではありません。あしからず。愛の多くはそうして育てられるのも事実なのです。
寂しさが無ければ恋愛なんて生まれないので。
そしてどんな状態であろうが時代がどう変わろうが
人は愛を求めるものだとも思います。
口に出すと嘘くさいですけど。



だから、比較して「優劣」ではなく、主人公の立つ舞台の違い、時代の違い
「違い」! あくまで「違い」は何かというと


基盤となるはずの自尊感情、主体性
これが、ルビーパーティーがターゲットとしてきた世代から、どんどん失われてしまっていった20年だったのではないか、ということなのです。

そして、「アンジェリーク」が発売されて20年のうちに経験した、
「つながる主体の時代」から「孤独な協調」の世代への変化だったのではと思うのです。
難しいか。
言いたいこといっても親友、である時代から、
言いたいこと言いにくいけど、とりあえずつながらないと怖い時代。


ロザリアもある意味、「優等生」なのですが、彼女はカタルヘナ家があります。
だからその背負っているプレッシャーというものとは別です。



いわゆる、今出ている「乙女ゲーム」と「アンジェリーク」は違うものだと思います。

理想と逃避の楽園でまで、ライバルというウザい存在とぶつかりたくない。
目指す相手一直線だけど、自分と仲良くなって理解してくれる「親友」ならばいてほしい。

でも、その関係は違う立場と築いていく親友でなく、最初から
「コンプレックスを抱く必要のない存在」になったのではないでしょうか。

遥か3の朔は、恋人を失っていた。4はお姫様とその周辺。5の都は保護者。
エトワールの女性キャラは協力者。ネオアンのは遠くにいて、
コルダは冬海はライバルといっても可愛い後輩。天羽さんもお友達。
コルダ3 ニア?(;・∀・) 他覚えてないわ。


そこで、あらためて20周年に「アンジェリーク」を発売…することがあるとなると、
今の時代のユーザに絞った場合、ロザリアは完全に消えてしまうのではないかと思うんです。

「アンジェリーク」において、
飛空都市に、「なんで私が」「なんでこの子が」というのは
不条理という必然であったと思うんです。
世の中なんて、本当はいつも予想外です。

でもありえないことにも、何か意味があるのではと探した。
その意味は自分で行動することで証明できた。

過渡期の20年。
今後も出しづらいまま、時代の作品としてお蔵入りするのか
それとも、人が主体を取り戻し、また少し別の顔をしたロザリアと会えるのか…。


20年の歩み、長いですね~。

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在庫が…ううっ

2012年11月21日 | ネオロマンスゲーム
月末までのやつと掛け持ち中なのでなかなか…
私のアタマは一極集中タイプなので、「ながら」ができないのです。
ネームをやりつつ音楽を聴くとか無理です。
音楽をかけててもできるのは、トーンとかそういうのくらいかも。

まだ今担当とクライアントさんが戻ってきてないので今のうちブログ更新。

今回、11/25のオンリー
どうも、アンジェの在庫がございません。
あっても2冊とかなのです。

仕方無い。他の本で席をうめよう
ごめん高天原さん…メインはアンジェのカレンダーって事です。
.0

で、「ただいぬ3」はまだあると思っていたのですが、こちらの、ミニ本とのセットは
残り3セット、見本入れて4セットになります。
この機会にぜひ。平泉の天才犬をどうぞ。知盛に「くだらぬ」と言われそうなギャグでもよろしければでかまいませんので


セットでなくて本体の方は残りちょっとだけあるんですが

「ただいぬ3」はサイトのショップの方のは「セット」ではありませんので。ごめんなさい…安くしておきます。


自分としては早く全面的に電子書籍に移りたいんですよ。
在庫を置く場所が無いから。あと、通販だと郵便事故とかもあったりするし。
大雨、突然の雨の多い昨今。きちんと包装してるとはいえ、やっぱり水ぬれはイヤなものですし。

しかし著作権の問題があるので、なかなか。
二次だとそれっぽいダウンロードサイトにお任せしていたりしますが
しかも、あれはあれで著者は馬車馬で。ランキングで競われたら、ランキングで競えないものは作れない。
市場原理、というやつですね。
競うの苦手だからキツいです。流行と同じものを好きになれない人は上に行けない鉄則。
何かと天の邪鬼的だからね。困った。


でもやっぱり「アンジェリーク」ってのは地味に続けたいのです。自分の息抜き同人誌っていったら
なんとも、自己満足で申し訳ないですが

今後に向けて企画している事もあるんで、またサイトの方にもぜひお立ちより下さい^^
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戦国ネオロマ「下天」

2012年09月16日 | ネオロマンスゲーム
上手くいってれば何も問題は無いんですけど
まあ、今のところは作業が止まったまま、
仕事はオファーが来ては消えるばかり、
電子書籍の契約はなんだかなになったまま、
おまけにスランプらしく、全然動きません。
こりゃ、八方ふさがり雪隠詰めってやつですな。
だからどうしたってんだよ。

動いてればここのブログでももっとマシにできるんでしょうが
MPは常に残り2くらいのままです。
頑張っているのは私でなくて担当さんの方かと思うんですが
中国で不買運動とかやってるみたいだし
まあそういう時は、自分がジタバタしてもしょうがないです。

上手くやっていける人が羨ましくてしょうがないぜ(・д・)チッ、という黒いものを多少抱えつつ
下手でもダメでも情けなくても
生きていかなきゃなあ…とぼんやり思いつつ
やっぱりドラクエやってます。はっはっは。


ところでネオロマンス、「下天の華」
これがね、戦国物でネオロマでと言ったら某編集の人が
「じゃあもう、腐女子大喜びの作品ですよね。良かったですね」


んー?
ビミョウにちがくね? 勘違いされてると思う。
いやまて、その前に自分は腐女子に属するのか? 否定はしないぞというかできまい。
しかし
オタク女=腐女子じゃあないし、特に乙女系はBL嫌いな人も多いし
そもそも「ネオロマンス」作品であるからには、BLではないと思うんだけど?

はちまあたりのログが一人歩きして「信長×光秀」になっとるw

いや、それともやっぱりこれは最初からBL好き戦国バ●ラ腐女子歴女層をターゲットにしているのか?
どうだろう。
キャラ次第かも…

んでも「遙か」とは別シリーズにしたのは正解かも。
キャラは見てみないとわかりませんが。
ネオロマンスで出すのなら、ネオロマらしさが見たいかな。

そんなわけで、「今更期待するのか」という声もある中
ちょっとだけ期待してます。

が、ほぼ毎日がドラクエだーい!
レベル42、そろそろみんなレベル上限50ですよね…
いろいろやってたから遅い。
MMOは強くなるとか目的に向かってひたすら進むもんじゃないね、これは。
ひたすら、フレンドと話してマッタリですわ…

ジュレットの町でさそう踊り大会が開催されていたので参加して撮影したの図
中央に立っている人は、参加せずにずーっと「何だこれは」とか「お前ら何なんだ」とつぶやきつづけていましたが。
こんなもの踊る阿呆に見る阿呆ですよ。

この「輪」は完全に円になったところで「お開き」となりました。



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ネオロマ新作ですか…

2012年08月01日 | ネオロマンスゲーム
フェスタで発表があったようですね。
忍者? ハットリなのか

まだよくわかんないですが。歴史モノなのかなあ。
歴史はともかく、ネオロマは「おひめさまごっこ」が出来るから好きってとこあったんだけどなあ。
時代が変ったんだから、と言われたらハイ、そ、そうですよね(;・∀・)
なんか自分の趣味ではないなら、文句を言わずに静かに関与しないか立ち去るかが正しいよね。
そっと見守っております。


ぬああ…暇なら「ネオアン2」を出してほしかった…。
ネオアンの何がいけないのかがわからない。
声優さんらもあんなに頑張ってたのにさ。


ネオアン2に期待する事はいっぱいあったんだよ。

まず、キャラはメルローズの3人から選べるようになってるとか
夕食会にオーブハンター以外を呼べるか、または財団/教団の夕食会に呼ばれるとか。

あと、親密度上げだけど
他のキャラの話をするにプラスして
他のキャラに「これを届けて下さい」とかパシリに使えるようにしてほしい。
それとなく三角関係っぽいネタは好き。「あいつの所には行くな」ネタ欲しい。
(白鳥願望なのかなあ…)

あと、警察?とか「公安」と政治機関と裁判所が欲しいです。

A財団がナバルの漁村に「新しいエネルギーシステム」とか作らないですかね?
タナトスの力を利用して作り出す、絶対安全で事故なんか起こさないというシステムで。
そういや昔、アルカディアには「霊震」てあったような。「トロワ」の時に。

ダメだ、ネタ書き出すと止まらないからやめとくわ。
こういうファンがいるから作れなくなるんですよ、なんて言われそうだもん。
やめようと思ったんだけどつい。


ヘルニア、マッサージに行ったら余計ひどくなって
のたうちまわって今日やっと落ち着いたです。
ナメクジの呪いがかけられてるので色々と作業が滞り気味です。

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夏休みスペシャル企画ミニゲー復活

2012年07月14日 | ネオロマンスゲーム
もうずいぶん前、ネオアンでリニューアルする以前にサイトでややっていました、
フラッシュによる自作ゲーム

「やすつぐきせかえ」
「夢様ハウス」
「エトワールでも滝に祈れ」

本サイト「WORKS」
オリヴィエ様のバナークリックでどうぞ。

フラッシュMXは、なんか導入とスクリプトを覚えるのが大変だった割に
気力が尽きてそんなに作れず
うだうだやっているうちに、どんどんソフトは進化し、
漫画と並行してはとてもできなくなってしまいました。

しょーもな~って思いますけどもw

でも、今むしろこういうしょーもない事は必要かもしれませんよ?

というわけで、和んで下さい。
NEWSも更新。
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