ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

【賊軍★上等!】 西南戦争の諸隊②奔走の王子様と戦苦手の佐土原隊

2020年07月13日 | 文学・歴史・美術および書評
冬コミ無しか〜。なんかどんどんハードな局面になっていますが…
ちょっと甘いものでも挟もうか^^

じゃあ、「王子様」なんてどうです?
西南戦争に参戦した知られざる「諸隊」をめぐる話、第2回です。

*******************************


西南戦争というと、だいたいどの本も官軍メインもしくは
薩摩の猛者というかんじありかと思いますが
「馬上豊かな美少年」は決して裏切らない(何をやww)
知られてないのがもったいないと思います。

本日は「佐土原隊」です。
佐土原というのは宮崎市の少し上の方のごく小さい藩です。
(今、洪水大丈夫ですかね…?ちょっと心配)
ここが佐土原。


この佐土原藩の藩主の息子、島津啓次郎をリーダーとするのが佐土原隊です。
佐土原隊も、熊本協同隊のように私学校を作っておりました。

島津啓次郎、12歳で勝海舟に入門
留学生としてアメリカに渡り、7年ほど英語フランス語と数学を学びます。
アメリカで学んだのは、自由と民主主義。
そんなわけで、新政府に対してはモヤっとする。
きっと、新しい日本はアメリカのような制度であることを望んだんでしょう。

一部の藩閥エリートだけが実権を握って政治を行うのが許せない。
そこで西南戦争に参戦、となったわけですが

まず家の人が止める!(当たり前のような気がする;)

次に、西郷隆盛本人が止める!

「貴方は勉強とかしてた方がいいですよ」…と(わかる気がする;)

佐土原隊は200名ほど
でもとにかくお金が無い。
しかも弱い…

宮崎の事情ってあって、鹿児島の県令(県知事)大山綱良が旧宮崎県を仕切っていて
薩摩軍に参加しよう?ね?参加しよう?としきりに促すのだけど
宮崎士族は、どうも熊本士族あたりとは空気が違ってて
「戦いたくない!戦わせないで!できればお家でダラダラしていたい!」
そんなとこがあったそうです。
とりあえず、理想なんかは遠くても平和だったんではと思います。


啓次郎はおじさんにあたる島津久光にお金を頼みに行くも
断られてしまいます。
久光の性格わかってないな。性格こじれおじさんだぞあの人。

薩摩からアメリカ留学というと、村田新八の息子岩熊もそうですが
英国に渡った薩摩スチューデント(五代友厚とかいる)の華々しさと比べると
ちょっと気の毒というか。
でもまだ日本の未来が未確定であっただろう明治の初年に
アメリカのような制度に憧れたり、可能性について思ってても全然おかしくないと思う。

特に、有司専制への批判というのを
自ら王子様である彼がやるのってすごくないですか?

華族会館から学習院のポジションをもらうはずだったのに、理想に反するとして断ったり
自ら作った私塾では決して高飛車態度でなく、一緒に炊事とかしてたり

西南戦争で薩摩の敗戦が色濃くなる中、単身東京に行き
西郷を助けてやってくれと嘆願したり
もうホントやばい貴公子キャラだよ!


というわけで!
ネオロマなら八葉にポジション取るだろう(笑)
啓次郎王子を描いてみました^^




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賊軍★上等! 西南戦争の諸隊①炊き出し隊?〜龍口隊〜

2020年07月06日 | 文学・歴史・美術および書評
熊本〜鹿児島の豪雨ニュース見てます。
自然災害に新型コロナに。
被災された方、なんと言ったらいいかわからない。
これ以上ひどくならない事を祈ります。

ーーーーーーー
西南戦争で薩摩軍の援軍をしたのは
…って、当初は私も、西南戦争は官軍と薩摩、西郷軍の戦いであって
そんなに九州各地からいろんな部隊が参加していたとは知りませんでした。

しかも、最初のイメージとしては薩摩は「賊軍」でちょっと暴力的、粗野で…というのはありました。

でも、調べていくうちに
「賊軍」とされた側には、政府を批判していたジャーナリストがやたら多いことに気がつきました。

そしてもう1つ
西郷とその側近らのように
「武士として志に対し、命掛けで戦って、志のため、国のために死んだ人」
はやたら絶賛されて、敵ながら天晴とされて残っているのに
「平和的解決」を望んだ者、死ぬことより生きることを選んだ者らはあまり記録が無いのに
気付きました。
戦前などは特に、国のため戦のために命をかけるのは素晴らしいが
逃げ出すのはみっともない、ダメとされたのでしょう。

中央主権も近代合理システムも「完璧」では無いし。
21世紀にEUやアメリカが傾きかけてる今だからこそ
幕末〜明治に「武力で抑圧した」側を再考するのは重要だと思います。


ーー龍口隊とはーー

熊本から西郷軍の味方に加わった部隊は
ここでも、ウチの本にもすでに登場していますが
「熊本隊」と「熊本協同隊」があります。
熊本隊が1500人、協同隊は最多 500位ですかね。


それとは別に、
九品寺から旗揚げしたという200人位(人数は資料によってまちまちです)の、
龍口隊
というのがあります。

これがあんまり、入手しやすい本にはあんまり出てこないです;

熊本隊が国学、協同隊がルソーという思想的バックボーンで動いていたのに比べると
龍口隊、今の所あんまりそういう強い思想は見えて来ません。
調査中です。
が、西郷に加勢するんだからそれなりに維新政府に不服はあったとは思います。

熊本城が炎上したのにショックを受けた、とはありました。
(そうするとまたまた濃くなるのが官軍による放火説だったりするのですが)
決起の時
「諸人の 嘆きの声を聞きかねて」と歌を詠んでいるので
やっぱり、武士として人々を救いたい、守りたい、そういう部分あったかと。

維新政府、人々にとってどうであったかは
「生きづらい明治社会 不安と競争の時代」松沢裕作著 (岩波ジュニア新書)
あたりを読まれたし。
まあいつの時代もそんなユートピアなんて無いんだろうけどね。


ーー中津大四郎ーー

龍口隊のリーダーは中津大四郎。
熊本城下生まれの士族で、馬医で画家の福田太華の弟らしい。
(ヤフオクで出されてた…;)
ちょっと画像借りて来た。

鑑定団in熊本で出そうですね…オークションてことはだいぶ個人所有なのか。



その龍口隊が主にやっていたのは
主に「後方支援」で
食料調達、ご飯の炊き出しなど。

大事ですよ。腹が減ってはなんとやら〜。
中津らは、官軍の食料庫に凸して米などをかっぱらって来たのだそうです。


そんな中津大四郎、いよいよ負けが濃厚になると
みんなを集めて「生きる意義」を聞いたのだそう。

何のために死ぬべきかではなく何のために生きるのか、なのですね。

そして、自分一人が残って責任をとると言い
隊を解散させて、逃げるよう勧めた。
「生きろ」
そして投降して捕まり、裁判になるようなことがあったら、堂々と挙兵の理由を言えと。
こういう所は、後の自由民権運動のジャーナリストに通じるなと思います。

この時代に部下を死なせて隊長までニコニコ帰って来てたらどうなるか…
というわけで、宮崎県山中で自刃しましたが
辞世の句が
「義を立てし 身はこの山に捨てて名を 末の世にまで遺す嬉しさ」
てあるんですけど

このままでは遺せるのか不安なのでキャラ起こしました。
誰か見てやって下さい。

義も勇もある撤退もアリだと言ってくれると
新型コロナで申し込んだイベント、行かぬは恥では無いわ。
もし状況があまりにも懸念されるならその時は
堂々と不参加もありで。
大事なことは何かをよく考えようと思います。


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GoogleMapに無い推しの戦没地を訪ねた(バーチャルで)

2020年07月03日 | 文学・歴史・美術および書評
去年、こちらの本の幕末〜明治部分の4コマ描かせていただきました時に
ちょっと思ってたのですが

(西東社より発売中)

漫画で覚えるシリーズは各社出してたりします。
そして、もし商業で歴史のエンタメの何かを出すとしたら、
「歴史的有名人であるのは必須」
なのですよね…;
売れなきゃいけない。手取り早く稼ぐには
「坂本龍馬」「新選組」「織田信長」あたりで出しときゃいいよね
とかさ!やっぱりネームバリューには敵わねえんだよチクショウ

実は同人誌の歴史創作に来ると
「推しがマイナー」
あるある。歴史の教科書には載らないとかね。
でも、それをやれるのが同人誌です!
赤字切腹は覚悟の上で士道貫くのだね…


でも、ちょっとこのままでいいのかという気がしてきました。

西南戦争で熊本協同隊の隊長だった平川、
田原坂46発行「雲よ、伝へて! 明治報道奮戦記」其の三冒頭で描きましたが



その平川の戦死の地がGoogleMapに載ってないんですよ…
マップに無いとこなんて方向音痴の私が行けるわけなかろう!


熊本協同隊は、西南戦争初戦では桐野利秋と行動を共にし、山鹿方面に行ってます。

その山鹿、鍋田の戦の「車坂」というところで流れ弾に当たって隊長の平川惟一が亡くなるのですが

GoogleMapに「車坂」が無い…

…そんなとこないw
山鹿にある歴史解説看板を駆使したけど…わかりにくい〜;



でも、観光案内には載っているのです。地味だけど。
住所「山鹿市鍋田」としか無い;

だいぶクローズアップしてみたけどわからなかったです。


まとめてあったらしいサイトはジオシティーズで
「こちらをご参照ください」のリンク先が消えています。
ああ…道がない。



それが、しつこくウロウロと検索していたら
に行き当たり、なんと!
あったわ!
マップを自作されていました。

そこで、その地図を頼りにGoogleEarthで歩いてみる。

自作地図に載っていたところは、道路から少し奥まった細い道?なので
Webでは歩けないか? と思ったその瞬間


発見!!

だがしかし! 隊長! 肝心の名前が隠れているんだがw
おま…w シャイすぎだろ…





そんな平川は
大久保に会った事もあり、官吏スカウトされかかったらしい。
でも、維新政府に疑問を持っていたもので
丸め込まれるもんか、と断ったそうです。
漢気〜なとこもあるんだよ。


本編で3/4〜吉次峠いく前に、ちょっと山鹿の方描こうかなあ。
主人公は高田さんあたりで番外編で。

イベントは…コロナ次第でわからんけどの。
その時はまたブログでやるよ;


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新型コロナで歴史がターニングポイントを迎える時

2020年06月22日 | 文学・歴史・美術および書評
やばいよやばいよー^^
仕事が来ねえwww 全く来ねえしw あっはっはヽ(´▽`)/
どないせう。

Twitterとかやっても自分、全然サッパリなんでここは開き直って!

読書じゃあ〜!!(「カブト狩りじゃあ〜」な勢いで)

と言うわけでね、マスコミはやたら新しい生活どーたら言うけど
私はそんなに急に時代ってクイックターンするとか思わないです。
ただ、地味〜に10年20年の単位で、アハ!体験のように
「あれ?変わった?」だと思うのです。

でも一応気になるので(なるんかい…)

これ、読みました。

「資本主義の終焉と歴史の危機」 水野和夫著 集英社新書

経済の難しい話はわかりませんがヨーロッパ文明てどう言う価値観であったか
ここら辺はわかる。
ああ、福沢諭吉から140年くらい経過…
あの時、文明開花しなかったら今日本じゃないかもしれないんだけど
まんま受け入れた「欧州」価値観ってそれ全部が正論だったのか?
思いますよ。
ヨーロッパって好きなとこは好きだが
日本人の私のどこかに眠る攘夷が悲哀だな^^;

この本では、ヨーロッパの文明は「コレクションである」と語っています。
マジでそうだわ。

土地、民族、金、集めた方が勝ち。
中世は信者コレクション。
そして「周辺部」をつくることで「中央」を作ってきた。
けれどもう、資本主義は先進国の過剰マネーと新興国の過剰設備
グローバル資本主義はもう限界のようです。

しかし、この本ではまだ今後についてはわからない、保留と言う感じだったので

思想の爆裂拳かましてくるようなものを探しておりました。

そんで今日買ったのが
「世界史の針が巻き戻るとき」  マルクス・ガブリエル PHP新書



キタコレ…何これ!!!

スゴイ面白いぞ!!! 

今年の2月末に出た本。
やっぱり第5章で「資本主義の危機」に触れています。
NHK Eテレでやってたみたいなのだけど、見てなかったです。
オンデマあるでしょうかね;

「人間はこうあるべきだ」というモデルを、社会システムにいる
全ての人間に押し付けるべきではありません

てあるよ!
ほんまそうよ!!
これよ。


私もう、理想家とか完璧主義やめたんで。
なんとかなる!で生きるよ。

あと、5万のフォロワーとか要らねえ
今日ここを熱心に見てくれた人を愛するわ。

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植木枝盛と「常識が変わる時」

2020年04月09日 | 文学・歴史・美術および書評
昨日からちょこちょこ、植木枝盛について概略から読んだりしてます。
(ちゃんと原稿はやってるYO;)

明治初年から中期のジャーナリストで、「民権自由論」を書いた人。
明治10年3月には、板垣退助の「立志社」に入っています。

うちの本だと其の三のラストで名前だけ…ここね。
多量の投書を送りつける(今ならクソリプ魔だったりして…)
はい、枝盛は実際、新聞社に投稿しまくっていたようです。

いずれ出したいな枝盛。


幕末から明治というのは、新しいシステムになって
西洋からいろんな考えが導入され
それまでの常識が変わっていった時代です。
旦那様がチョンマゲを切ったので、幻滅すぎて離婚する人が続出した
という史実がある位には、激変を迎える。

植木枝盛は土佐出身です。
土佐藩は下の身分には厳しかったらしくて、自由民権運動については熱いです。
そんな背景の中。
身分や性別に関係なく、自分らで国を動かそうと呼び掛けた。

植木枝盛って実は私はちと苦手な面もあったんですが;
「ちょ、待てよ」というか…結構過激なのですよ。
政府が気に入らないならクーデター起こしてもよいような法律作ろうぜ!とか
いっそ「国」の枠を取り払って世界政府作っちゃおうぜ!とか、暴走していく;

今、新型コロナの騒ぎで
英国で世界政府の案が出たり
スペインでベーシックインカム論が出たりを見てると
植木枝盛、ちょっと早すぎたんだろうな〜という感じはします。
走りすぎだぞ枝盛!;

それに、その考え
明治10年当時、福沢福地ですら苦労していたというのに
アンタそれどっから仕入れた?
…と、思っていたら、
彼、実はほとんど洋書を読んでないのだそう!えええ。
洋行したような記録もないし?
って事はそれは…
何気にすごいんじゃないのか。

注目すべきなのは、植木枝盛の時代、これ宮崎八郎なんかもそうなのですが
非常に若い、20代の若者が、そんなに西洋から学んでいないうちに
日本から自然発生的?に自由民権の考え方をしていったというところ
(宮崎八郎は中江兆民から学んだけど、そんな今みたいにデータ量多くない。
翻訳だって追いついてない)
真似じゃない、本気の理想。

それと彼らの時代、
私たちにはとっくにアレルギーになってしまったカール・マルクスがまだ普及していない。
共産主義のアカンところまでたどり着いていないわけです。
ていうか資本主義の限界にもたどり着いてないか…
ただ、変な先入観無しに、陰謀論もなしに
純粋に自由で、人々が国政に参加することを考えていたというところです。


我々には生きる上で避けがたい「運」があり、天災厄災があり
不条理っていうけど、
最初から人生ゲームはデタラメで不条理だと思います。
でも
それでもなんとか、うまく生きるために人は時代時代で、システムを作ってきたんでしょう。

ならば、システムが人間にとって合わない部分が出てきたら変えていけるはず。
時代の常識はある時から脱皮を計らねば
合わないものをキープしたら不幸な人を産むばかりかもしれない。
その不具合に気付く事ができるのは、古い常識の中にいる人ではないから。


植木枝盛、残念な事に36歳で若くして亡くなってるけど

常識が変わるタイミングって今の時期がそうだと思う。

維新〜明治中期に、洋書の啓蒙主義に学んだ結果でなく
「自分の考え」で発言していた人達からは
日本人に合ったシステムのヒントが掘り出せるかもしれません。

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諭吉暗殺未遂事件と宋太郎の武士道

2020年03月14日 | 文学・歴史・美術および書評
人の考え方というのは何かにつけて2択。
Twitterなんかだと、何か言えば誰かの逆鱗に触れてブロックされたなんてありますが

幕末はブロックどころか命が無いです。斬られます!


大分の中津という所から、西南戦争の薩摩援軍として参加したグループに
「中津隊」というのがあります。
ここのリーダーの増田宋太郎。
ちょっと気になるので書いておきます。

九州では熊本協同隊以外は、やっぱり右翼というか
藤田東湖、水戸国学派が多いです。
増田も国学をやってました。



大分中津というと福沢諭吉。
増田宋太郎は、その福沢の「またいとこ」に当たります。

が…諭吉はああも目一杯に西洋派です。
今ならグローバルITの人だろうなあ。
またいとこである宋太郎は、そんな諭吉が許せない。
当たり前だ、攘夷派だもの。
まあ、成功してる諭吉への嫉妬も無くは無いのかもだけど。

そこで増田宋太郎は友人と福沢を暗殺しに行ったんですが
いざ、斬ろうとしたら寄席の太鼓がドン、と鳴って、
なんかタイミング逃しちゃってやる気失せたのだそう。


さて、自分が親戚に命を狙われてると知って諭吉は宋太郎に…
ではなく、宋太郎の妻宛に
「文明論之概略」という自分の著書を送ります。
でも、妻のシカさんが読むにはちょっと難しい。

プライド高い宋太郎、渋々「貸してみろ」
って、奥さんの為に諭吉の本を読んで解説してあげた。
すると、読んでるうちにこれは正しいのではないかと考えが変わりました。

宋太郎は慶應義塾に入り学び
一時は民権派として認められ、大分で「田舎新聞」の主筆を務めます。


が…
その宋太郎、政府の弾圧で自由な発言が規制され逮捕者が出たり
各地で萩の乱など乱が起きると、それに触発されてしまいました。

いや、人の考えって結構揺れ動くものです。

そしてムリして改めたり受け入れようと努めても、どっか何かきっかけがあると戻ってしまうのかもしれない。

結局、増田宋太郎にとって
その行き着く先になったのが西南戦争への参戦でした。



宋太郎の最期はというとあまりはっきりしてなくて
戦死したという説と「逮捕されて処刑」という説もあったんですが
当時の官軍のスタンスを見ると、やっぱり戦死じゃないかと思います。


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歴史と感染症の話

2020年02月26日 | 文学・歴史・美術および書評
新型コロナでいろんなイベントが中止になってます。
準備したのにひどいあんまりだ!
って気持ちすごくわかります。
本当ひどい。

が、こんな時なんで手持ち無沙汰なら
ちょっと落ち着いてもう少し
見るとこ大きく見てみるのもいいかもしれない。

感染症が蔓延するのは、なぜか歴史の節目で起きていて
感染症が無かったらその人は生きていて
歴史は少し変わったかもしれない…
ってのもあります。
幕末だと結核とか。

あと幕末にはコレラも流行った。
西南戦争の時は
不衛生な状態からコレラ、
それ以外に何かわかってない胃病と
天然痘もあったり
もちろんまだ結核もありました。

そういえば、平清盛は
東南アジアと貿易したせいで
マラリアに罹って死んだそう。

まず感染症はグローバル化で持ち込まれ
人の集まる所で感染し、
更にその感染した人が家に持ち帰って
場所を広げていく。
戦争という集まる場所で感染し、
家に帰り広める…
西南戦争も終わって2年後にコレラが蔓延して大流行してたりします。


高度に発達した情報網と冷静な科学で
乗り越えて封じ込める努力をするのか
それともやっぱり
そんな努力やってもムダだと、刹那な今日を楽しみと共に生きてみるのか

それは人類に突きつけられた
「黒死病」との闘いの後の、再質問。
人類の叡智とヒューマニズムを信じるのか、諦めるのか。

一旦蔓延してしまうと、撲滅するまでそんなにかかるんだ…と思うんで
ここは封じ込めに最大限協力したいです。

異常気象、災害、疫病、恐慌、戦争…
生きるってしんどいねー。
しんどい積み重ねが歴史かも。
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乃木希典とやせ我慢

2020年02月12日 | 文学・歴史・美術および書評
乃木希典は、明治生まれにはドラゴンボールの孫悟空や仮面ライダー以上のヒーローだったのは確か。

戦前教育と戦前パラダイムの中で、乃木希典に否定的な態度は取れない。
日本代表を勝利に導いたエースストライカーを叩けない以上のものだったはずだ。


私の祖母がそうだったけど、戦前生まれは男の子の躾にも厳しかった。
まず泣くことは絶対に許されない。
「不安がったらハグ」なんてまずあり得ない。ハグどころか「根性叩きなおす」と打ち叩かれるだろうし。
抱き癖を付けると甘えたダメ人間になるとも言われていた。
子供はまず厳しく躾、からだから。
学校の教師にもこういう人は多かった。
最近なら「暴力」「虐待」で逮捕だろうけれど。

乃木希典は戦前教育の
「忍耐」のシンボルでもあった。戦前教育下に日本人はずっとそれを讃えてきた。


乃木の辛抱を示すエピソードは幾つもある。
まず、息子2人を戦争で失ったが平然としていた、立派であったというもの。
国民に日露戦争で子供を失った人は多かったが、
「一人息子と泣いては済まぬ。二人亡くした方もいる」
という歌が流行した。
二人亡くした、乃木の事だ。

西南戦争では左足に銃弾を受けている。
歩行するにも痛かったはずだが、悟られないようにしていた。

悟られないようにといえば、乃木は小さい頃、母親が躾で畳みかけた蚊帳で叩いたら、たまたま目に当たったらしく
左目の視力をほぼ失っている。

歯が痛くなった時は
「痛みなどというのは己の勝手」として、医者が止めるのもきかず、全部の歯を抜歯している。

おまけに重度の「痔」で靴まで流血して乗馬していたとか

ガマンに枚挙暇ないんだ、この人。

このため、まだ明治生まれが健在だった努力と根性の昭和の時は「ガマン強さ」のシンボルとして
あるいは「二面性のある」
などと書かれてるが

令和の今、数々の精神病理の本や社会学の本読んでるうち

「乃木希典は単に壊れていたのではないか?」

と思うようになった。


つまり、それは忍耐ではない。
美学じゃない。
国に利用された「やせ我慢」にすぎない。

第二次大戦ドイツ空軍のエースパイロット、ルーデルあたりも
話聞いてると頭おかしいんではないかというエピソード多いんだけど
まだルーデルの方が軍人に向いてた気がする。

乃木希典

日露戦争、旅順攻撃
真っ先に203高地でなく塹壕掘って行った本当の理由は?
西南戦争、初戦で退却を選んだのは何故だ。
明治天皇の為に殉死した本当の理由は何だ。

彼は本当の所
戦争なんかやってなければ
そういう家に生まれてなければ
軍人ではなかったかもしれない。
もしも、アドラー心理学が流行る戦争の無い平成末なら、
「泣き虫のなきとくん」あっても全然構わなかったんではないのか。

二面性なんか最初からどこにも無いのでは。


我慢を美化させるのは
その嘆きを聞き入れるのが面倒だという者のエゴなんだ。
「わがままをやめなさい」という者は言う。つまり
「私のわがままは許しなさい」。


本当に賢いなら、まず先に
ガマンではなく、解決方法を考えるんではなかろうか。


とはいえ
「なんのこれしき」を思う時
耐えねば進めない時
あの乃木のやせ我慢、よい子は真似しちゃいけないんだけど
少し頑張ってみようってなる事は…
確かに、あるかなー。

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史実と歴史創作と人間

2020年02月08日 | 文学・歴史・美術および書評
ヒロアカでちょっとトラブルあったの見てましたが

史実、ことに
近代史って、日本人はなかなか授業でやらないですよね…。

3学期に駆け足。幕末過ぎたらそこそこです。
私もあんまり詳しくない。
オタクだから興味持ったとこを掘るだけだし、
しかも日本人である限りある程度
「日本人に都合いい」歴史認識に溢れて生活している。
おそらくそれが日本人の都合かどうかすら、普通に生きてる限り「知らない」ですよ。
普通は教えられるから知るんですもの。
吉田茂を描いたけど
そもそもどこらへんからが歴史??
オウム真理教事件ってもう歴史…だよな?
なんてのもあります。
しかし自分はあれが起きた時代を通ってきていながら、全て真実を知り得てはいません。興味無いし。


こんな本を読んでます。一昨年前に発行された本。


もしも歴史「史実」に
完全なエンターテイメントだけを望むなら、
荒唐無稽で構わないかも。
現実逃避なのだから。

でも
フランス革命や源平は華やかな合戦で
第二次世界大戦は悲惨?
そんなこたありません。
戦のリアルなんて狂気の沙汰でしかないのよ。

この本には当時の「民衆」といいますか
人間そのものが載ってます。
官軍に死体損壊、カニバリズムがあったり
薩摩も脅して従軍させたり
レイプも横行する一方で
戦場で上手くお金儲けする人もいたり…
コロナウィルス問題になってるけど
明治10年はコレラが流行ったりしてた。
戦争の大きな流れでなく
同時多発的に発現する個人的なあれやこれや
これを踏まえて時代は動いている
という考え方をする事は今後大事なのではと思っています。


歴史「創作」に対して
完全にリアルを再現し体感させろと望むなら、それは世間知らずのサドマゾ趣味にすぎないと思うのです。

完全体感したいなら、今すぐシリアに行ってみたら?なんて意地悪は言いませんが

歴史創作はいくら史実をないがしろにしたくないと思っても
創作したりはしない人からの、まるで歴史のテストでも受けるような形の不満を聞き入れる事はないのだと思います。

なぜなら目的が違いすぎるからです。

大河ドラマや漫画に対して
創作そのものの意義を否定する人もいますが
「フィクションです」と注意書きをするのは、作者の逃げではなく
むしろ創作に対しての真摯さである
となんでわからないのやら。


創作は何が正しく何が間違いかをチェックするところではなく

それこそ、大きな歴史の流れの中で
右往左往したであろう、
非力であり、まんざら非力でもない人々の
人としてのあり方に思いを馳せる
人に対しての想像力なんではないかと思います。

何も知らない、知り得ない
自分の事すらよくわからない
でも、きっとそれを知ったり考えたり思ってみたり
どうしようもなくウロウロするのが
AIでなく人間なんだろうな。

それを楽しめたらなと思います。
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永遠の未完成の完成

2020年01月26日 | 文学・歴史・美術および書評
完全にデジタルで描くようになって15年位になりますかね。

最初からデジタルだったという今時の世代が本当に羨ましいです。
アラフィフはというと、おそらくイラストとか描き始めた頃は水彩か色鉛筆程度しかなく、それから時代と共に
カラーインク、貼り直しきかないカラートーン、コピックと
ずいぶん変わってきて、
30も過ぎたカチカチ頭に「ついていかねば」の努力と根性で、デジタルを叩き込んだのでは。

また1からのツールスキル習得。
いつまで続くんだ、賽の河原か。
別にずっとアナログでも良かったんではと思う一方、それだと仕事にはならない昨今、なのですよね…。

そんなツールの変遷と果てしない努力もさることながら

「完成」ていつ完成するんだろう?
と思った事ありませんか。

例えば、完成の理想が高過ぎる場合の絵画。
小説なんかを「続く」で続けていく場合。
「ネバーエンディング」ですよ。

また、近代芸術には「未完成」こそが連続性という考えもあって、
描かれない部分から受け手が想像する事によって、作品世界をシェアしながら大きな完成を目指すものもある。

「完成」って何なんだろう;

締切があると、とりあえず納期守らないといけないわけで
まーこんなものか、とケリをつけますが。

後で反省会やって
「あーやっぱりこうすれば良かったかも」と思う事は多いです。
もう丸ごと描きなおしたい時もある。
鬱っぽい時なんかは、常に自分の方法に自信が持てずに
「これでいいのか」
「自分は良くてもこれではダメなんだろうな」
と迷ったりするので余計です。

理想が大きいと完成までの道程が長くなる。
のです。その分、苦労も努力も長くなる…;


19世紀末、フランスの画家ボナールは
すでに展覧会に展示された後、
会場に夜中に忍び込んで作品に加筆したそうです。


もしかしたら作品「完成」ってのは
1つの諦めかもしれない。

「もーこれはこれでもいい」
と、どこかで諦める事で完成するのかも。

いや、それは悪い「諦め」ではなくて
外に出すための勇気のGOサインでは。

いいかげんで終わるという事でなく
作品を一旦、そこで手放して鑑賞する側に預ける。

「完成」というのは、自分で決めるもの。
締切でももちろんOKで
「近場の理想」の遂行なのではと思います。




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保守とプライドのバリアー

2020年01月25日 | 文学・歴史・美術および書評
幕末に開国して持ち込まれたのは、便利な文明や思想だけじゃない。

海外から病気が持ち込まれると
外国人出て行け来るな!というのは
何も今のコロナウィルスに始まったわけじゃなくて…

幕末には「コレラ菌」が持ち込まれた。
これに攘夷派が焚き付けられた。
今のような医療技術も上水道もWHOも情報システムもろくに無い時代。
恐怖でしかない。
だから、ヘイトは今みたいにぬるいもんじゃなく、
「外国人見たら斬れ斬れ」位の人はかなり数いたらしい。

一方で美術史の記録を見ると、
当時から外国人の消費目当ての商人も多く、横浜、神戸、長崎は外国人の好みをいち早くマーケティングリサーチして品揃えしたり、
写真館を作って「和装で記念写真どうですか」もやっている。
ぬかりない。
港町ではあんまり外国人に抵抗感がない…


熊本はやっぱり「田舎」ではあったと思う。
九州は、鍋島と薩摩の殿様は新しいモノ好きだから、海外の科学を見たらすぐさま作れと命じたりしたが

肥後は、割と先進的なものをわかってくれそうな
横井小楠は追い出されて滋賀の方に行っちゃってたりする。
「保守とされたものを保守る」ような気はする;


熊本には「わさもん」という言葉がある。
これ、あんまりいい意味ではないのよね。どっちかというと
「すぐ新しいモノに飛びつきやがって、このミーハーめ」
みたいなやや軽蔑めいたニュアンス含んでて。

でもそういう言葉があるという事は
つまり一定数常に、熊本には
「わさもん」
新しいもの好きな気質もいるというわけだろう。
ただ、地方独特の
「地元民プライド」
はある。

地元民プライドを持って当然という位
とにかく勤勉だなとは思う。
勤勉でよく論ずる。


西南戦争で生き残った熊本隊が
後の熊本の保守基盤を作ったとは
よく言われるけど。

保守的であるって、つまり
「プライド」なのではと思う。
地方では「時代錯誤」アナクロニズムは一定の評価を得がちだ。

新しいものを次々に取り入れるより
「あんなものはダメですよ」と
新しいものを否定したり、
「私なんかあんなものはサッパリわかりませんよ」と言っておいた方が、コミュニケーションにおいて安心感を与えられたり…。

マルクスがまだ無い明治10年は
ルソーとか一般意思とか
そのあたりが左になるのか。

そもそも日本での革新的考えって
オリジナルじゃない。
よその国のパクリだから、
災害もやたら多い国の日本に合わない場合も出てくると思う。


水戸国学もルソーも
どっちも理想として悪いものでなく
おそらく人道を忘れないなら、それぞれに素晴らしいんだと思う。

正義を唱え、自分こそ正義である人が
悪をこらしめる為にひきおこす悲劇的事件って結構あると思うのだけど

私あれの原因ね、
「人てたまにくだらないプライドにしがみつくよね」
って思ったりする。

今まで努力で培ってきたもの、
信じてきた価値観
そういうのを否定されたくない
むしろ認められたい
かけた時間も金もムダだったと思いたくない

心の家宝を大事にするもので
まず先に、そういうものを否定されたくないゆえに

「保守バリアー」が出来ちゃうだろうな。

プライドと伝統なんかドブに捨てたら
進歩はするけど、自分の正体も根拠も無くしてしまう。

ならば、プライドを持ったまま
うまく進む方法は無いもんかね。







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現代でも赤松小三郎は斬られるのか

2020年01月15日 | 文学・歴史・美術および書評
久々、猛烈に面白い本に出会いました。

「赤松小三郎ともう一つの明治維新」
著者 関良基


今日も今日とてTwitterのトレンドに
「反日」って上がっていましたが
いったいこの現代に何をもって愛国者というのか。
靖国神社に祀られていない人らで、この国を作ってきた人をどれだけ知っているのか?

この国が好きだが、全体主義は嫌だという場合は?


この本は
幕末に、坂本龍馬よりも早く、立憲民主主義を提唱した上田藩の学者、赤松小三郎の生涯と思想について書かれたものです。

赤松は日本で誰より早く議会政治と民主主義の思想を示した。
教育、人民平等、必要最小限の軍備、官僚でなく「民」の政治を目指していた。
英国陸軍「英国歩兵練法」を完全翻訳。
(体育の時の号令「右ならえ」とかは、この人のおかげです)

その兵学を学ぼうと薩摩に呼んだのが
野津道貫でした。後に日露戦争では陸軍元帥になります。

しかし、赤松は上田藩に戻れと言われた時、
薩摩の機密を握っていたかどで中村半次郎らに斬られました。

この実行犯、中村半次郎と
赤松を尊敬していた野津道貫
二人とも同じ薩摩藩で赤松の塾の門下です。

かたや、死の直前まで一緒に飲み
かたや、上から師匠を斬れという命令を受けた。

そしてさらに、西南戦争では
「菊池川」を挟んで北に官軍、第二旅団陸軍大佐となった野津道貫
南に、西郷軍四番大隊長、桐野利秋と名前を変えた中村半次郎…

相対するわけです。

ドラマかよ;

中村半次郎はずっと赤松を斬った事で悪夢に悩み、山縣有朋にも「斬る必要無かった」と話していたそうです。
桐野さんも大久保か西郷の命令だろうからさあ…
斬るの大好きサイコパスじゃねえのよ!


この本では後半から、現代日本、安倍政権と長州レジームに話を進めておられます。

うちのサークル田原坂46の「雲よ、伝へて!」其の三の巻末でもちょっと書きましたが、
マルクス以降って、とにかくすぐに
左右のイデオロギーで考えてしまいがちで面倒くさい。
時に反射的に右か左か認定したりされたりするんですが。

今、実際にもはや共産主義というのは
無くなりつつあるわけで、経済でいえば
いかなる国であっても経済活動をする限り、完全閉鎖的な共産主義はもう無理なのかも。理想自体まで否定しませんが。実践するには厳しい。

だからシステムとして、極右も極左もそうである「統制」という部分に目が行かざるを得ない。
誰でも意見を言える民主主義をやるか、中央政府がコントロールしていくか。

世襲化していて一党独裁、ほぼ君主制に近い「名義上」の民主主義をする場合
それで大丈夫なのは
まず、その仮の君主が、疑わしい事が一切無い人で
正直で絶大な信頼を寄せて良い場合と
その仮君主が「身勝手に憲法を変える」ような事をしない場合だと思いますが。
どうだろう。

一方で完全に民主主義をやる事のデメリットって、方向性が見えないと
どうしていいかわからず、右往左往しながら衰退するんじゃないかという
どうだろう。


この本で赤松と対比されていた
福沢諭吉らと「明六雑誌」を創刊した
西周(にし あまね)の見解。
「日本人全てが政治に詳しいわけではない」
という意味で、人々を「衆愚」と言うなら私はこれもあながち否定できないよなと思います。残念ながらそうです、バカです。
(経済や地域からくる格差を考慮し、その教育改革から入らないといけないという事です)
実際に今、投票率が高ければ話は別ですが。

赤松は身分制度などなく平等であって欲しい
平等だからこそ人は努力すると信じた。


じゃあもしも、人がその努力をあきらめる時があるとしたら。

私はそれは
「個人では何を言ってもムリ、届かない、庶民にそんな力などない」という諦観が蔓延した時だと思います。
それは絶望に包まれた安泰です。
あきらめて今に満足し、どんなひどい状況でも「良かった」「私たちはこんなに幸せ」と笑って生きるような状態。
または不満を訴えれば全員で叩き潰してしまうような。


日本で香港のようなデモが起きないのは
「どうせ何やってもムダ」
「やっても逮捕されるがオチだし、自分の得になるような事は何もない」

そう考えているからかもしれない。


現在、日本にはもう人斬りはいません。
ネットのアカウントが消される位でござる。
赤松が夢見ていた選挙もあって
女性にも参政権がある。
一応人に人権あって、法の下では平等であり、「上級国民」なんかいません。

彼の夢は時を超えておおかた、かなってはいます。そのはずです。

全体主義を愛国と呼ぶのなら
それが個々に与えるメリットを示して欲しい。
まさか全体の為に死ねるという個人的美学を押し売りはしないよね。

大声に怯えず、感情的にならず
学ぶものは学び考えていく
それが出来る自由はまだ持っているはずと思います。

赤松は2度は斬られない。
そんな悪夢は要らないだろうな。
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冬コミ新刊「ペンけん」の電子書籍版あります

2020年01月09日 | 文学・歴史・美術および書評
通販開始しました、冬コミ新刊

「ペンけん」
電子書籍版をBOOTHで販売開始しました。



です。

紙よりお得です。

できることはできる限り;

今年も頑張ろうと思います。

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西南戦争時の電報と風説

2020年01月07日 | 文学・歴史・美術および書評
西南戦争時に新聞記者が現地取材をしたのは史実ですが、
実際は福地桜痴も犬養毅も、私が今描いてる漫画よりは20日ほど遅れて現地に入っています。

これについてもうちょっと解説。


もしも「とある」人物、(身元の怪しいひとでもOKという意味)が
現地に入れるとしたら…

2月の熊本城炎上前位かと思います。
この時期、熊本には探偵だのなんだのの
怪しい情報屋が多く入り込んでいたようです。
勝手に戦況を電報で送っていた。

が、このせいで
全国的に私信での電報は禁止になりました。



電報は早くからあったけど、使えなくなったようです。
熊本は新町に電信局があったけど、火事で焼失、熊本城本営の中に電報局を移動。
以後「軍電」として、戦況報告は軍が一元化します。


新聞各社は電報での情報に不足。
裁判所から呼び出しくらって
勝手なデマを流さないよう言われたんで
ネタがないし。
「どうせえちゅうんじゃ…見てきたらいいのか」
となったようです。

3月初旬以降は新聞記者は
征討総督府の印、許可証持ってないと戦地を歩けなくなります。
つまり、官軍の許可が無いとダメ。
電報は3月8日に伊藤博文が
「電信検査例」を出して私信を取締ります。

福地桜痴は熊本に入るとそのまま官軍のお世話になり、本営に寝泊まり。
(犬養は谷干城と仲良くなるまでは、それなりに取材は難しかったようです)

まあつまり、政府側としては
「ジャーナル」が公正な立場で
民衆の意見も、違った考えも聞くという姿勢とは真逆で
日本中で起きていた明治維新に対する不満については
「一切聞かない」「反対派は徹底的に弾圧」
という姿勢だったのは確かなわけです。

で、これをもし
福地か犬養を主人公にして描くと
官軍視点にならざるを得ない。
そもそも新聞は条例で言論規制されていたんで
「官軍バンザイ」以外言ってはならない。


漫画って何で
どこにルーツあるんだとか
調べてたらですね…
新刊「ペンけん」でも描いてますが
ポンチ絵、英仏の政治批判パロディ漫画だったりします。

それで、私もともとパロディ漫画出身でしてね…

あまり「良い子」の側でないんですね。
いわゆる「お馬鹿さん」なわけです。
賢い人なら権力に従うはずです。

わかっているからきっと
従わない方の、反逆の「夢」があったりして。

反逆の夢、なんですよ。

だから、せめてあえてごく少部数の同人誌でやるわけ。
同人誌なら許してくれるからです。
ありがとう同人誌
ブラボー自由な世界

うちの元気な主人公は
当時なら絶対に出来なかったであろう
アナザー日本を見るため、走ってってしまいました。

別に政治的意図はそう無いのです。
あえてどちらか選べというなら

「自由に考えてみる事を許してくれる」方です。

まあきっとたとえ漫画ですウソです言うた所で
「ウソを書いて広めるな」
と、明治十年の政府側のような人はいるだろうなとは思いますが;

私あと何年描けるのかなとか
つい思っちゃって…
今しか出来ないなら、今やっときたいだけです。

ウソデタラメを描けてしまう;
同人誌ってものが自由に出来る世界に生きれて
本当に良かったなとは思います。

もちろん史実ガン無視は
そこに生きていた人への尊敬の念もあるんでムリなんですがね。

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「田原坂46」サイト大幅リニューアルのお知らせ

2019年12月19日 | 文学・歴史・美術および書評
冬コミに向けてサイトリニューアルしました。


トップが動画になりました。
動画作るの面白いな;



夏コミのときのPRて忙しくて全然できてないので

夏の本も合わせてPR中。

「萌え」とか「推し」とかがメインになってしまった昨今
あえて推しと言われると難しい。
この時代を箱推しするからここにいるんだよ。

「メロンブックス」とか委託先へのリンクもようやく貼れたです。

よろしくお願いします。

ここのブログは動画貼れないのか。
(試しにアップしたらダメでしたw)
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