ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

薩摩私学校の暴動を止めようとした記者

2021年03月12日 | 文学・歴史・美術および書評
薩摩私学校生の蜂起に同調して、
記者を辞めて戦争に行ったのは
評論新聞の宮崎八郎ですが

同じ評論新聞の記者で、川路利良からの話を聞いて、薩摩私学校生を止めようとしていた人がいて
実に興味深い民権運動家なのです。

名を、田中直哉といって
薩摩の郷士。西郷の御親兵に入った後に
警視庁、巡査を経て、慶應義塾に入り
福沢諭吉の教えを受け、評論新聞のジャーナリストになった様子。
鹿児島の出版社から資料本を買いました。


同郷の私学校生に、暴力より言論をと説得しに行ったけれど、西郷を暗殺しようと企てる密偵だとして捕まる…。

密偵については、先日のドラマの「明治開花 新十郎探偵帖」の最終回にも出てきましたが、有名な中原尚雄以外にもかなりの人数、密偵が来ていたようです。
(どうりで辺見とかが、記者や探偵の類にイライラするわけだなあ)

田中は大久保の指令ではなくて、同郷薩摩の川路利良/警視総監から自宅に招かれ、
私学校生に蜂起はやめた方がいいと説得してくれないか」と言われます。

しかし、スパイ容疑で私学校生らに捕まる。

田中直哉は元巡査。
福沢諭吉から学んでいるわけです。
何よりも血を見るのを嫌いな福沢諭吉の、剣よりペンで戦えという教えを受けたなら
西郷を暗殺なんて考えてもいなかったんではと思います。


田中直哉、薩摩では禁止されていた
浄土真宗の解禁に奔走したり。

西南戦争後には政治家になったのですが
政治家の汚職、政党の派閥争いで敗れ
自分が立ち上げた政党が解散すると、
絶望からか、精神を病んでしまいます。

そして僅か半年後の、内閣誕生を見ることなく、地元の川に入水して自殺してしまいました。

田中直哉とは同郷で親友だったらしい
柏田盛文。
この方、後に日本の貴重な哲学者となる
西田幾太郎の先生なんですが。
柏田も一緒に西郷暗殺疑惑で捕まってる。

この二人でシナリオできたんで
次、描きます。



あと、幕末〜明治の地方って
宇和島やら中津やら…あと、土佐も宮崎も
思っていたよりずっと先進的な考えの人らがいたのに驚かされます。

長崎に出島があったり、参勤交代で江戸に行ってたりはしたわけだし。
むしろ東京一極集中の今の方が地方は地方然としているのではとすら…。

いきなり自由民権運動がブームになったわけではなく、明治6年あたりから次第にジワジワというかんじかもしれない。
この国のこの先どうしたらよいかについて、
上に任せておけばいいとか、行動してもムダなんて誰も考えてなかったんだなと思います。

サムライの美学は残したままだから
さぞや田中にも柏田にも、ジレンマあったと思いますが。


あまり知られてない人なんですが
今知られてほしい…
てわけで
次回A5本で。

(それより、イベントあるんかのう)
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書評「クララとお日さま」/カズオ・イシグロ を読んで

2021年03月06日 | 文学・歴史・美術および書評
久しぶりに明治から一気に未来へタイムトリップ、
ノーベル文学賞、カズオ・イシグロの最新作、3月2日、世界同時発売となりました。
「クララとお日さま」
(表紙、アマゾンからお借りいたします)

読了いたしました!

お話は、1つ前の最終モデルであるロボット、
作中では「AF」と呼ばれる人工知能搭載アンドロイドの少女のクララと
病弱で両親は離婚、姉を病で失った少女、ジョジー
そして、大草原の2軒家のお隣に住む男の子リック
子供達を取り巻く世界と、「心」とは、関係性とは、命とは
といった内容です。

語りの目線は一人称、普通なら少女ジョジー目線…のところを
なんとクララ。ロボット目線です。
つまり、読者は自分がアンドロイド、例えばiphoneのSiriとかは
こんな風に見えてるのかなという疑似体験ができます。

私の率直な、感覚だけで申し訳無いですが。小説なので、直感だけで書かせてください。

「それは親のエゴだろ!」
と思う箇所でも、でもやっぱり親は子を愛している、されど完璧ではなく
過去の「記憶」があるから先に不安も抱く
人間というのは、不安定で不完全で、合理と非合理の共存した存在なのだと思います。


最初、もしかしてもっと、科学的というか合理主義的というか
クララは人類の幸せの理想を目指すための教育ロボットなのかと思ってました。
そして、我々は「そんな風に」未来を「迎えねばならない」「進歩とはそういうものだと思うべきかも」
って思ってました。

しかし、おそらくですがイシグロさんは
そういう考えをする、この作中に出てくるアーティストのヘンリー・カパルディのような考えには賛同してはいないと思います。

例えば、「人間なんか全部情報に置き換えられる。
魂だの心だのは勘違いであり、記憶も、肉体も、全部データにすぎない。最優良な状態を目指し、さらにそれを継続させていくのがエリジウム」
とは思っておられないと思います。

逆です。

もし、システム的にそれが人の為に完璧で合理的なものであったとしても
「人から希望や可能性を奪うものに従うべきではない」

「人は関係性の中で、2度とは無い掛け替えの無い人生を送っているんだ」

これではないかと思うのです。

不安や絶望の取り巻く中で
「いやちょっと待って、良い結果になるかもしれないってことはないの?」
そう考えることはできないだろうか。

ひなたぼっこしないか。

ここに描かれる「お日さま」って
いろんな受け取り方があるだろうけど
私はちょっとした希望や可能性、信じ続けるもの
そんな気がしました。

クララといたら、絶望感は減るだろうな。
いい未来のために、今生きなきゃな。

ところでこんなAF欲しいんですが。売ってくれないかな〜
その時は、旧型でいいよ^^

 
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作画のお悩み中。肥後の「土蔵」がわからない

2021年01月20日 | 文学・歴史・美術および書評
腕の痺れ、取れました!
でも怖いからボチボチです。
ああ、新型コロナもそうだが全て「徐行」な今日この頃。

さて来月のレキソウ冬祭まで1ヶ月切ってしまいました。
頑張っております!
サイトのトップ画像も変えときました。今年はこれでいきましょう。



ところで、今回「其の五」

作画で土蔵が出てくるんですが

玉名の土蔵の下の部分がわからん!



熊本の土蔵で有名なのが八代の方の八角なまこ壁
松合地区とか、保存してあります。
しかし、南部の方と玉名の方では距離があるし。

どうなんだ、北限。

西南戦争の資料館で現在は日赤資料館になっている土蔵は


八角だね;

という事は、菊池川の向こうも八角?

と思ったけど
再建された高瀬蔵は格子
(すいません画像借りパクになるのでリンクします)


どっちなんだよ…

まだ調べてます;
いやもうどっちでもいいんではってなってるけど。

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犬養毅と「新聞記者」のエピソード

2021年01月06日 | 文学・歴史・美術および書評
次回の新刊「雲よ、伝へて!〜明治報道奮戦記〜 其の五」

表紙は福地さんと犬養さん


今年の見出し画像の真ん中にも描いた。


なので今日はちょっと犬養毅の話をしておきます。


ご存知?犬養毅と言えば
5.15事件で暗殺された日本の首相。

犬養毅に「木堂」というペンネームを与えたのは
郵便報知新聞、主筆の栗本鋤雲で、
論語の「剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)仁に近し」
から取ったらしいです。
史実では、戦地に行ったちょっと後からこの筆名になります。

明治14年、(西南戦争の4年後)の犬養毅が古い雑誌にあるんでちょっとお借りします。


こんな感じ。

犬養毅のいくつかのエピソードからキャラクターをイメージしたわけですが
参考にしたのは以下、あたりです。

・気取ってる金持ちエリートにバカにされ学食で喧嘩

・トップだったのにずっと2位だった人にたった1点負けて慶應を中退(プライド高…)

・困っている画家などには気前よく金を貸した

・西南戦争の時は「俺にはなぜか弾丸は当たらない」と発言(謎の自信)

・「英語を始めるのは幼児教育が大事だからお前はもう遅い」と言われたので
本当にそうなのか確かめに聞いて回った(遅すぎるなんてことは無いと言われた)

・政治的思惑のある人から金を借りたりは絶対しなかった

・服装がわりと無頓着(ダサいいうな…)

・お手伝いさんが愛用の硯の脚を壊したが怒りもせず「実用的ならそれでいい」

・バカ正直すぎるので逆に友人が少なかった


西郷隆盛に関しては、最初はあんまり興味なかったようですが
弟である西郷従道と知り合い、
「世間ですごいすごいと言われているが、やっぱりすごいと言わざるをえない」
という結論に至ったようです。

最初、「雲よ、伝へて!」企画案をぼんやりとやっていた頃
犬養を主人公で従軍記者モノ(実際ライバルは福地だよなあ)
とも思いましたが
より「中間」を意識して生まれたのが主人公の飛高です。
史実で語るのが難しいのも「中間」だと思うのです。


最後の言葉は有名な「話せばわかる」
(実は「話しておきたいことがある」だったそうですが)
でも相手は「問答無用」
5.15事件の前にも前蔵相暗殺、三井社長暗殺などテロが相次いだのですが
政治評論家の岩渕辰雄さんの見解に私も同意見で
犬養毅暗殺をもって、日本はファシズムになだれ込んだと思います。
これの問題って、なぜ暗殺されたかよりも
「なぜ誰もが黙ってしまったのか」なんでしょうね。


犬養は自ら新聞記者だった事もあってか
政治家になった時も、やってくる若い記者達には優しかったそうです。
面倒見が良かったり、会話を楽しんでいたり。

そういう所もイメージしつつ、描いてます。

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成島柳北の意外な一面!

2020年12月11日 | 文学・歴史・美術および書評
「田原坂46」の既刊「ペンけん」にも少し書いた成島柳北…
明治のジャーナリスト、「朝野新聞」の主筆。
「遊び人」「パロディスト」
諧謔と狂歌と芸者遊びの人だというイメージ
じゃないです?
私もパロディ出身だし、パロディの大先輩だと思ってたわ。
(そこは揺るぎなくそうだと思いますw)

でも、ちょっとハードな一面があるのですよ。


幕末に、奥儒者の家に生まれ、若くして将軍家茂の侍読(教育係)なども勤めていながら政府を批判する狂歌を読んで
免職の上謹慎くらったのでしたが。

それからしばらくして(しばらくヒキコモリでした…)


洋学をお勉強してたのよ。


慶應元年、
そうそう、赤松小三郎が「英国歩兵練法」を出したその年
柳北は徳川慶喜に抜擢され、騎兵頭になっています。
そこで幕府に「今時はもう西洋を取り入れざるを得ない」と提言、
フランス式練兵法を彼に監督させたと
佐々木秀二郎「新聞記者列伝」にあります。


成島柳北というと
銀座に本社のある「朝野新聞」
成島柳北は着流しに扇子なイメージあるんですが
軍服も着てたんですね…



今日からBSプレミアムで
もはじまりましたね。

(仮面ライダーフォーゼ、如月弦太郎の福士蒼汰くんと
仮面ライダードライブの霧子、内田理央さんが出てます!)
原作は坂口安吾。
全部は読んでないけどチラッと読んだ限りだと
すごい見やすく脚色されてありました。素敵〜!

明治は面白いぞ。
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スカートの長さとロマンの関係

2020年10月23日 | 文学・歴史・美術および書評
80年代、学校に「不良少女」が出現したころ
スカートは長かったの何の。
教師から「スカートを切れ!!」「うっせえー!」のバトルが繰り返された。
今時は更に合理的解決を知っているので、教師がパワハラすれば訴え
そもそもそんなバトルは厄介なので学校行かないし
不良同士の、学校ルールと併走する別枠のお約束すらも
それはそれで同調圧と感じるのでは。

でもだ、スカートの長さって…
19世紀半ばまで女性のスカートは長かったんでは。



産業革命が起きても、19世紀末まではスカートは長い。

20世紀に入ると




時代で言うと第一次世界大戦、大正時代くらいにならないと
女性の膝丈は出てこない。

クリノリンスカートは当時はやたら巨大化し、横幅を取りすぎて迷惑がられたりした。
なぜスカートが短くなったのか、そうしなければならなかったのか
「動きやすさ」
というかつまり
現実的なんだろうよ。
現実=経済ではないかと思う。
短い方がお金かからないし、逆に動けるとは「働くことができる」
ってことで。
短い=アクティブ=経済的=現実的


ということは、スカートの長さ大きさは「ロマン」
なのでは…
そうか。現実的ルール、進路、受験
現実を押しつける教師に対して
不良少女は「体制反逆的なロマン」を示していたのじゃな?
とすると
さして反逆しないロマンは「コスプレ」だわな〜


ディズニープリンセスのドレスが長いのは
ムーンプリンセスのドレスが長いのは
プリキュアの最終形態ドレスが長いのは…
そういうことだったのか!

で、2020年のトレンドはというと
スカート丈が長い。

そうだ、新型コロナで「おうち時間」が増えてしまったこととか

2010年代半ばに叫ばれた「ウーマノミクス」
はなんやかんやでIT の発達によりテレワークになり
そうこうするうち総理も変わってしまい…

「より現実的な体制でのロマン」を求めているのかね??


て…

どうせユニクロに行くんだけどねw



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芥川の「河童」とオンラインゲーム世界

2020年09月24日 | 文学・歴史・美術および書評
プチ文学特集、そろそろ芥川龍之介行っときます。
「地獄変」と「河童」どっちでやろうかなと思ったんですが、今の自分に芸術至上主義はうしろめたいので…
「河童」にします。

高校の時に、現国の教師が「河童」は特に難解で、自殺直前だからもうおかしかったんではないか、とか発言していたのを思いだします。

この世界がわかっちゃう人は
どっちかといえば現実嫌いで、幻想世界に暮らしたがる人で
ゲームでいうと、オンラインゲームのファンタジー世界で、別に冒険やら剣をもってラスボスと戦わなくていいからダラダラ暮らしたいやつ。
ドラクエ10だの、あつ森だの…

わからない側の人間ではないわ!
なんせオタクだもの!

東方同人やってる人なら幻想郷とか言うやつ?


穴に落ちて河童の世界に来た主人公と
河童の世界で実に普通に暮らしてる河童たち。
ちょっとムーミンにも似てる。
まるで外国人のような視点で、生活を眺める。シュールなファンタジー。

散々、異世界に遊ぶ我々には、すごく読みやすく面白いです。

河童語というのが出てくるけど、ファンタジー世界はファンタジー語で話してるのも今時はよくあるやつかもしれない。
(仮面ライダークウガのグロンギ語とかそうだし)



私は最近まで芥川龍之介の個人的な生立ちを知りませんでした。
なんか、知ってはいけない気がしてました。

でもそれとなく理解してほしいんではなかろうかと。

幻想世界、現実逃避だけでなく
幻想を通して現実を描写したがる芸術家は、だいたい一度は
なんで自分、生まれてきたんだろう
生まれてこなきゃよかった
なんで生んだんですかという悩みを抱えたりして
やっと生きるのを許された場所として
芸術だの書く事…だったりする事があります。

それがストイックすぎて努力家だから
芥川龍之介は芸術至上主義であったんでしょう。

物語はちょっとした河童世界での哀しい「事件」もあって
主人公は一旦河童の世界から出て、
仕事に失敗してまた河童世界に「帰る」
のですが。

芥川、孤独にアナザーワールドにいたのかなとも思います。

我々はネットを使って、確実に河童世界を構築しつつあるかもしれない。
「現実と非現実は違うんだ」という1つのはっきりした意識が通用するのは
現実世界を全て疑問無く受け入れることができる人で
眠れないほどに何故かばかり考える、哲学傾向にある人には
現実と非現実の境界は曖昧になっていくのかもしれない。


河童の世界にも弁護士がいる、警察がいる、資本家が、哲学者や音楽家がいる
まあ、そこはそこでただの1つの社会なんですが

もしどこかになんとかやって行けそうな空間を創れるなら、
排除されることなく帰る場所になったりするなら
それをけしからぬ非現実と言えるのか?
と、思います。


物語では哀しい事件が起きてしまい
結局は逃避先も1つの現実に他ならない、となってしまうんですが…

それが河童世界であれゲーム世界であれ
心がけ1つで、何かは変えて行ける気はします。

関係性の問題は難しいのだけれど
別世界で普通に暮らす事ができるなら
悩む人には精神的な受け皿にならないかと。

自殺前の作品だからと、暗いものを想像してしまうのだけど
作品自体はとてもお茶目なノリのファンタジーで、作家根性だなあと思います。
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「城の崎にて」の読書感想文の課題に言いたい事

2020年09月13日 | 文学・歴史・美術および書評
今年の夏休みの終わり頃に志賀直哉の「城の崎にて」を読んで読書感想文を800字で書けと言われて
全然書けないと泣いてる学生をTLで見かけたもので、とっくに夏休み終わった今頃書きますよ。(いやあ、意地が悪い)

まず、課題の出し方が間違ってるんではと思います。出した先生がヒドイよ〜。

だってあれ、私小説ならぬ
「死小説」ですよ…。

これから人生を探りながら生きて行く10代は、不安だけど冒険心もあるはずで。
どっちかというと、自分は成功するとか思っちゃっててほしいです。

あれのイミがすごくわかる学生さんて
既に何回か、死にかけるような目にあってるんでは。

あの作品はどうやって生きるかでなくて
どんな風に死ぬのかな、生きるって何だったのかな、
生死って何なんだ、いつかはみんな死ぬし、ゴールでなくて
曖昧な境界を持って並走していて、
実はたまたま今、生という、こっちの世界にいるだけなんではないか…

というようなかんじなんで…
学生さんは人生一周して
アラフィフくらいになった時位に読むのでいいかと思います。

瓦屋根の上のハチはもう、死んでしまってるから
それ以上でも以下でもなくただ厳かだと
それを見つめている。

イモリはつまり、生きるって自分でどうにもならない偶然や運命に取り巻かれ晒され
溺れかかるヒドイ状況のネズミはまさに生きる我々はあんな風…。ジタバタして、ひたすら必死な事を生きると呼んでいる。

でもさ。
これから生きる人に
先に言う?それ。

これから海外旅行だー楽しいぞ!
て人に
財布盗まれるかもよ〜
ヘイトされるかもよ?
散々な目にあうけどそれがまた旅行
とか

言ってもなあ(汗)


まあそれでも学生さんに覚えといて欲しいものがあるとしたら、

例えば、人生
辛い目にあってしまって
必死にもがく場合もある。

それが当面の自分ではなく、
たまたま自分は安全な場所にいたとして
何故か知らないけど自分は、とりあえず大丈夫で
死ぬような目にあってる誰かを見たような場合に

その必死な誰かに対して
蔑んだり嘲笑ったり、みっともないと言って、そこから石を投げたりは…しなくていい。

逃げずに生死を考える。
答えは出なくても、そういうものをふっと、認識する事は
生きる事に優しさ、憐憫を添えてくれるんではないか

とは思うよ。

そして、そういうのは書けば書いたでウソくさいから
書かなくていいんだよ!
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田山花袋「蒲団」を女学生視点で書き直してくれ

2020年08月29日 | 文学・歴史・美術および書評
現在、勝手に明治〜昭和初期の文学特集、という感じで行ってます!
(といってダラダラしてるだけなんで
既読のものでやるけどね。
暑いからそんなとこです、ハイ)

田山花袋の「蒲団」行っとこう。

田山花袋のお父さんは彼が子供の時に、西南戦争、飯田山、御船あたりで亡くなったようです。びっくり。これ知らんかったわ。


それはそうと彼の代表作
「蒲団」
有名すぎて面白いので漫画にもなってる作品。

絶対に教科書には載らんだろうなこれ!
女子高生相手に男性国語教師とかだと、どんな顔でこれの授業したらいいかよ!?

この作品は女性からしたら、ひたすらキモいです。

人生に退屈してる中年妻子持ちの同人作家、文学を志す神戸女学院の女学生に、弟子にして下さいと頼まれた。
どうしても作家になりたい女子に
先生ヅラする主人公、近代的女性のなんたらを説いたり、保護者としての態度を繕うも、内心はムラムラ…。
しかし女学生には同志社に通う彼氏がいて、この男も女学生との恋愛の為に上京してくる。

で、なぜタイトルが蒲団かって、
女学生が寝てた蒲団のニオイ嗅いでムハァてやるから。

タイトルこれ
「女子学生のオフトゥン」とかにすると
爆売れんじゃないの?

全編にわたり、ロリコンおっさんの嫉妬。
キモすぎて笑えます。
これ、誰か女性視点で書かないかな。
原作のままだと、ノリは内村光良さんのコント「LIFE」かな。
奥さんや女学生の視点で描くと朝ドラにできるかも。

「不如帰」はさすがに、旧い時代の女性の悲哀が強いんですが、こちらは時代がすっかり変わって丸髷から束髪に、どんどんハイカラになってく女性の図。
夜遅くまで遊び歩いたり、男友達とスイーツ食べてたり…自由を感じます。

だからこそ、そういうのけしからんとか言いながら、処女でないとゴミ扱いするオッサンがな…ヒドイわな。
女学生が古い女性像に負けたんではなく、男が性癖から女性に理想を求める結果でしょう。

家庭がありながら子供の面倒もろくにみないで、男のロマンだかを求めてるのは
今も男あるある話。
彼氏の方もなあ…自然主義だな、これがな。あまりにもカッコいいイケメンというわけではないあたり
キャラクターメイキングが上手いなあと思います。

文体としてはすごい読みやすいです。
ツッコミが上手くて笑えます。

これはギャグ漫画ですな。
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新型コロナだし、徳冨蘆花の「不如帰」読もうぜ

2020年08月28日 | 文学・歴史・美術および書評
「不如帰」ほととぎすって読むのが普通になってますが
小説の中に鳥は出てきませんぜ。

新型コロナで、コロナ差別という言葉も生まれてたりする…
カミュの「ペスト」も売れてるそうですが
ネオロマとか好きな人は、「不如帰」読んでみませんか?
夫婦愛だけどピュアな純愛もの。
熊本が誇る文学者、徳冨蘆花が書いた小説です。(なんと私の小学校の先輩っす!)


主人公、浪子は華族。でもお母様は継母…
嫁いだ先の夫は超爽やか好青年の海軍男子
ラブラブです。二人を妬む同窓ライバル、ちょっと癖ある姑…
そんな浪子を結核という病が襲う!
その時姑がでた信じられない行動とは!みたいな。

「国民新聞」に連載されて人気があったとあって、グイグイ続きを読ませちゃいます。
まあ、明治時代の話だから
今はちょっと違うてとこもあるだろうし
フラグ回収して無いよねって部分もややあるんですが

でも、ここに描かれている
「息子と母親」「毒親エゴイズム」
「保身」
「自分は何のために生まれたんだろう」
あるわ。今も。
浪子の自殺未遂のとことか切羽詰り感が綺麗。

実在の人物をモデルにしたため、不都合が起きたり
政治的な批判とみられて削除され、もう書かないと言ったり
蘆花も苦労はしていたようです。

徳富蘆花はキリスト教の洗礼受けて、でも兄の蘇峰は思いっきり右なので
思想的なもので兄弟は分断されてしまったのですが
二人の文章を読み比べると、はっきりわかる。
鋭い観察眼、批評眼で理論的な兄と
優しくて詩的で情と平和を重んじる弟。

二人ともやっぱり文豪だなあ、と思います。



昨日報道ステーションで新型コロナ後を小川洋子さんとか語ってたんだけど
最近て、啓蒙主義が妙な方向で先行煽動していて本当うんざりです。

「役に立たないとダメみたいになってんですよね…」って仰ってましたね。
自分も創作してて最近はなんか
「ハッピーエンドでないとダメかも」とか批判やニーズってものを先に考えちゃうようになって、臆病になったもんだ。
昔はそんな事なかったんですが。
誰かが叩かれてると、自分が叩かれてるように思ってしまう癖あるからつらい。

共感はしても
他者に運命を委ねるのはやめようと思いますよ、
なあ浪子。
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堀辰雄の書いたBL小説「燃ゆる頬」感想

2020年08月21日 | 文学・歴史・美術および書評
「エモい」という言葉のシニフィエ(言葉のもと概念)がよくわからんのですが
多分、情動的なもんだろうな〜と思ってます。
使えるのかこの言葉は。

最近買った川端康成の「文芸時評」
この中で、堀辰雄の「燃ゆる頬」、
川端康成がテンション高めに推していたので、
「青空文庫」で読んでみました。(探したらあった…)

あ、
ちなみに「文豪とアルケミスト」のアニメはまだ全部見てないです。今5話まで。
堀辰雄もイメージキャラ出てくるみたいですね。

いや、これはジブリのこれ↓より


作品からのイメージに関しては「文アル」の方がジブリの100倍くらいバッチリ掴んでるよ!という気がしますが。

堀辰雄はその「風立ちぬ」のイメージが強かったです。
少年愛モノやってたのですね。知らなんだ。


タイトル「燃ゆる頬」

寄宿舎、男子校もの。
登場人物メインはわずか3人。
森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」思い出すけど、アレは悪文の代表みたいなもんだからな。こちらの方が読みやすいです。


そして…感想が…すいません;


「これはエモい!」
使っちゃいますよ「エモい」。(ええねんシニフィエとかもう!!)
これしか出ないです。

「エモい」使うと、その闇の中の揺らめく炎みたいなものを
どう表現するかをマネージすることなく済むからね…
使うと一言で終わってしまう、便利かつ危険な単語だな。


ストーリーとしては、先日たまたま見た映画の
「イミテーション・ゲーム」を思い出してしまいました。
しかし、GAGA制作のあの映画と決定的に違うのは
自分はゲイです異常です、とかそういう細々した「世間のルール」との板挟みで悩み悩むというものが無くてですね…
ひたすらそういうのと無縁。

川端康成がこれを
「作者の感性が少年のような清潔な裸でいることは、全く驚くべきである」
とさすがの名文で書いてました。
その通りです。

少女らを前にした時のちょっとしたすれ違いとか
自然に二人が近づいて触れて
その距離感が上手い…
堀辰雄らしく「病魔」は出てくるけども。

この作家の「美」というのは、幽玄ではないけど
生死の境だったり、エロと健全の境だったり
緊張感のある繊細なボーダーライン上にあるのかもしれない。
あやふやで曖昧で霞んでて、よくわからない所から
何か魔物っぽいものをを引き摺り出してくるんだけど
それがちっともおどろおどろせず、キラキラ綺麗に描くのですよ

堀辰雄は怖い…ほんとに怖い作家だなあ。

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戦後教育と消された谷村計介のこと

2020年08月20日 | 文学・歴史・美術および書評
熊本には銅像もあり、戦前には忠君愛国のモデルヒーローとして讃えられた
谷村計介という軍人がいます。

教科書にも載っていて、文部省唱歌もあり
戦前生まれは知ってて当然な人のようです。

田原坂に解説板と碑もあります。二の坂付近かな。

が!
板の錆れ具合からわかるだろう…


今は誰も知らん?!

試しにグーグルに名前とヒット数を求めると
4380件。
同じく、西南戦争に官軍から参戦した有名人として
「斎藤一」を入れると、5000万件ヒットしますから(汗;)
う〜んと少ないです。もはや現代では無名と言って過言ではないです。

私も戦後教育で育ちました。
だから全然知らないというか、
たどり着けなかった人。

とにかく、戦後教育というのは、戦争アレルギーというか
いや、確かに戦争はやっちゃいかんことですが
「忠君愛国」を恐れすぎて、極端な右翼教育から
今度は極端に左翼教育してしまったんだろうなと思います。
(その間にGHQの指導が入るけどね)
教育勅語が出たのが明治23年(1890)だから
戦前も戦後も、戦争を挟んでの前と後の約50年、
右が隠し、左が隠した「知ってはいけないこと」だらけの教科書で大きくなったわけですよ。
(でも生活指導の教師は軍国主義的に竹刀持ってたよね。矛盾ときたらないわ〜)


谷村計介というのは、西南戦争の時は官軍のスパイでして
熊本城を脱出、途中、薩摩軍(熊本隊の佐々友房ら)に捕まったものの脱出。
官軍本営に到達。熊本城の様子を述べ、任務遂行。
熊本城の谷干城のところへ戻るというのを、野津静雄が引き留め
そのまま官軍本営にいたけど、田原坂の戦いに自ら身を投じて戦死。

という、そんな人です。


で、実は前回
「雲よ、伝へて!」其の四で削ったページに出てましたが;
この人を描くには別に1つのテーマを設けてみたいなあと。

「スパイ」と「記者」
面白いかもしれんで…と思ったわけです。
結局、どうしようかなと考え中ですが。


とにかく、西南戦争というのは最初、私が思っていたより
「情報戦」
でした…。かなり。
電信のみならず、情報撹乱とかある。
情報を制する者が勝つという近代戦争がおっぱじまっていたのですな。


そんな中で

戦前に生まれていたら、もしかしたら
谷村計介を「軍人さんの鏡」として描いていたのかもしれません。
そして戦後は「谷村って誰?何の人?」くらいに消されてて知り得なかった。
どっちも正しい知だと思えない。
何かに隠され脅され、消されるのはおかしな話です。

もしかしたら令和、21世紀の今だからこそ描けることがあるかもしれない。

ですが。

讃えられ、消された部分というのは扱いがすごくデリケートでもあります。
戦後教育が必死で平和を教えてきたことは大事にしたいです、一応。
もう歴史をそんなふうな物に利用しないで欲しいし。

けれど一方で、正しく知っておく必要もある。
国の為に命を賭けるファシズム愛国心でなくて、海外の人に堂々と
「日本史」を語れる日本人が令和以降に必要なんではないでしょうか。



そこで谷村くん
谷村くんはもう、戦前のようにカリスマヒーローとしては扱わないよ。
けれど、消したくもない。
あくまで、一人の20代前半の、ただの若者の一人として捉えていきたいなとか。


戦後75年、戦争の記憶が風化するとか…
しかし、教えないことで強制的に消された物もある。
それを復活させることが悪魔の復活にならないようにするにはどうしよう。


個人は誰もがその人生において常に1ヒーローだが
それ以上のカリスマとして祀られたり
あるいは全くの諸悪の根源にされて嫌悪され消されるものでもない

そういう方向で…やっていきたいかも。
私これを「令和リアリズム」と呼ぶことにしてます。


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読書感想文が書けないタイプへ

2020年08月18日 | 文学・歴史・美術および書評
苦手でしたね〜!読書感想文。
なんせ読みたく無い本を読めって言われるのが苦痛で。
自分の読みたい興味あるタイトルなんか1つも無かったもんね。
有島武郎の「一房の葡萄」とか、模試の時出たやつ
未だに納得できないですよ。
どうしろというんだよあれを。合わない作家とは合わんよ。

え〜世の中には科学と申しましても
「自然科学」「社会科学」「人文科学」とございます。
最近はこれに「システム科学」なんてのも入るようですが。

「本はたくさん読んでるよ」
なのに「読書感想文」になると「ハテ?」となる
そういう方は多分ですが
「人文科学」が苦手なのではと思います。

本はそりゃあたくさんありますよ、全ての世界に、
言葉で伝えるべきものがある限り、本はあります。

ところが「読書感想文」、「感想」を求められるのは
主に「人文」のジャンルです。
(最近はそこに配慮もされていて、いろんなジャンルの本が課題図書になってるようですが)
「感じる」という部分は圧倒的に人文系の方が多いかと思います。

でもこれが…

常に感じ方が受け身であると
「主人公はこう思ったので自分もそう思いました」
だと思うし
逆にちょっと捻くれたガキ…あ、いやお子様だとすると
自分の意見をしっかり持つが故に、学校や社会が優等生的な回答を求めるや
「書きたくない」「書かされる感が嫌」
と、思うかもしれません。

先生は「なんでもいいから本を読んで」と言っても
「テロリストが書いた本を読んだので明日から自分も大量殺戮」
などとは書いて欲しくないだろうし、逆に
「こういう生き方は絶対間違いなので、正しく生きようと思った」
だと先生は絶賛拍手なのではないの?
とか疑ってしまうわけですよね。

もしそうであれば、まずここで一旦
「文学とは素晴らしいもので、学校が道徳教育で使う」
ような文学への誤解は捨てませんか。
世の中には「悪魔文学」というものすら存在します。
堕胎にカニバリズムに連続猟奇殺人に薬物…タブーの連続のもある。

それから
「恋愛」苦手、もしくは人とそんなに関わりたくない
基本的に人間が嫌いだし、感情がどうこういうものは理解できない
という人もいると思います。
しかし、世の中は圧倒的多数で
「人の気持ちが理解できないのは異常」だの
「恋愛しなければいけない」だの、人に感情がある状態を正常としてきます。
怒ったり泣いたりキレたりイライラしたりでも十分なのに
そこに「人と一緒にいる多幸感」なんていう理想を押し付ける…。
そんなキャパ無い時だってあるんですよ、なんせ現代は多忙だから。


実は文学って案外
そんなに高尚なものでなくて、
そういう微妙〜にクールな部分をも書いてあったりするんですけど
文学アレルギーというのは、とにかく全く読みもしないで
「どうせ解らないのに、感情のもつれがどうこうを書いてあるんだろ?」
または
「どうせ、文学苦手な自分は人としてダメとか言うんだろ?」
ってなってんじゃないかと思います。
そしてまた「読みもしないで」と言われるのも苦手だ。
「読書家」は「読まない」人にマウントをとる。
学校であるいはマスコミが、本をたくさん読むのは偉いとか教えるからでしょうが。


私は書店の娘に生まれましたが、実は
「全然、文学作品を読めない、読まない子」でした。
そりゃそうだ、漫画の方が数倍面白かったんだもの。
親は頑張って文学全集を色々投下してきましたが、むしろ与えられた本は読めなかったです。随分大人になってから読み直したものは多いです。

文学が急に必要になったのは
「働きたくない」「受験なんか嫌だ」あたりからですw
世間一般と同様に働きたくないし、受験は嫌だし、人間なんか大嫌いだとか
大人社会ってクソすぎるとか、
世の中がぶっ壊れてくれないか、とか
そういう「闇落ち」状態にあった時です。
そんな人間に誰が寄ってくるわけでもなく、当然孤独になります。

そんな状態で初めて、まるで無言で隣に座ったかのように
スッと入ってきたのがヘルマン・ヘッセだとか
そんな感じです。
もしかして、一度泣き疲れて寝なければ文学なんかは要らないのかもしれません。


読書というのは、「誰かの話、誰かの声を聞く状態」で始まるので
自分の叫びを聞いてくれ!ばかりだと、読めないのかもしれない。

もしかしたら、読んでも同調はできず「はあ?」ってなるかもしれない。
納得いかないものもあれば、世間一般の解釈や感じ方、モラルと違ってしまうこともあるかもしれません。
「イマイチ解らん」もあるかも。
でも、それもやっぱり「感想」だと思うのです。

犯罪者である主人公に全く同意したり、逆にモラリストである主人公に殺意が湧いたり、するもんです。
そういうことは当然、大っぴらに言うと許されないのかもしれませんが、
文学というのは一旦、それも受け入れてしまうもんだと思います。

で、そこから「じゃあなぜ?」に発展するわけです。
ここからがきっと、「人文科学」なのだと、私は勝手にそう思っています。


「読書感想文と言っても難しく考えないで」とか言われるかもしれませんが
実は、人との距離が苦手だったり、自分自身に迷う時代は
案外書けないと思うのですが。
自分の場所がわからないでしょうが、そこは「私」「死」「思」「刺」「詩」
そういう場所であって、感覚的で文脈自体がうまれてこないかもしれない。
生まれてもそれは他人の言葉など必要としない、激烈なものかもしれないし。

だから無理して文学作品を読まなくても、漫画なり映画なりゲームシナリオなり、何らか心に響くものがあればそれでいいと思います。

ただ、心のどっかで
「文学はダメ人間の巣窟であり、ダメ人間でも一旦チャラにしてくれる場」
だと思っておいて欲しいかも…文学好きになった今としては。

テレビが、学歴の無い人や貧しい人をバカにして嘲笑しても
そのテレビに毒された「一般」が真似して叩いても
違う意味や美を見出しては、人が生きるってどういうことかを
逆に叩きつける人らがいたんだなって知って欲しい。

近代文学の限りにおいては
まあそういう物だと思ったらいいんではと
個人的に、そう思っています。


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まだ日本に「選挙」とか「国会」が無かった頃…

2020年07月30日 | 文学・歴史・美術および書評
西南戦争には、反政府側で参戦した人らにジャーナリスト、あるいはジャーナリストになった人が多いんですが

かの最後の内戦は、今の「反政府」=「テロ」とはちょっと様子が違っています。

例えば、オウム真理教事件というのが思い出されますが
「新興宗教」はまだそれほど無くて、神格化されてるのはとにかく「天皇」です。

天皇について言えば、西郷側だろうが官軍側だろうがオール信者と言って良く、
中江兆民は確かに左翼と言えますが、天皇制に反対なんて考えもつかない。
福地桜痴は幕臣でしたが、それでも明治天皇に謁見!となると
彼、緊張して前日眠れず、肝心の汽車に乗り遅れるという…ちょっと可愛いミスをやらかしてるくらいです。
天皇は別格。


昔、小説投稿してサブカル雑誌に拾っていただいていた頃は
私は大正デモクラシー以降〜昭和初期とかでやっていました。
でも、やっぱりもうその時代になると
プロレタリア(ナップ)文学あたりは随分とコミュニズムが入って
それゆえに、逆にまずイデオロギーの仕分けがあって
自分でもどこかにアレルギー反応みたいなのが出ちゃう…。
宗教(特にキリスト教)と左翼(特に共産党)

 というのは、私は戦前教育を受けた世代の、右翼系の家庭で育ちましたので
そこは把握しとかないと、偏見刷り込みはあると思いました。

そこいくと明治10年
マルクスどころかまだルソーすら無い。

まだ議会なんてものすら無く
ゆえに現代人だと最初のフィルターになる、右翼だ左翼だの識別も無く
「選挙」ですら憧れだった時代という事で、明治の自由民権運動に至るまでは興味があります。

地理的に見ながら、福澤諭吉先生の話も一緒に見ていきますと
東北の方は一揆が頻繁に起きています。
百姓一揆から自由民権運動につながったのに「ワッパ騒動」なんてのがありました。

一方で「薩長土肥」周辺の地域、西はいち早く「選挙」「自由民権」に目を向け
議会っぽい事をあちこちでやってたようです。
土佐では板垣退助らが「立志社」を作る。弾圧されましたが。
活版印刷も普及して、電報もできて
情報のスピードが上がると、人々の声も熱を帯びてくる。

当時、20代の若者が集まって、自分らで「選挙」をやってみよう!
という感じのが熊本の民権党でして。
ブツクサ時代を嘆いてるよりは建設的だったか、と思うのです。

その民権党にいた宮崎八郎。
西郷を勝たせて最後には自分が分捕るみたいな事を言ったというので
本によると容赦なく悪者にされているんですが

中江さんの部下であり、ルソーと詩を愛してやまなかった彼
文学の側から読み解くと
そんな悪者というよりは、ただの野心家でないのかと思います。
当時まだ28ですか、連帯旗を奪われてガックリ落ち込む乃木希典とあんまり歳変わらんのよ。
ただ、若さゆえに焦ってしまったのかも。

まだ選挙が無かった頃の選挙は、「絶対チャンスある、しかも平和的」なものであり
投票できる権利あるのに行かないなんて、あり得なかったろうし
国会なんてまだ無かった頃は
きちんと話を聞いてもらう事すらできず、服従するか暴れるかしか無かった。

「萩に続いて今年もまた九州で乱が起きたけれど、ああ暴動が起きた、ヤバイ、
よし鎮圧だ、鎮圧したやれやれというのは、熱が出たから解熱剤を飲むようなもので
根本的治療にはなっていない」
と明治10年の福澤諭吉。



でも、最近不思議に
国会では話が決まらない、もしくは一方的なのに
やたらTwitterの「大多数」の意見に反応して
方針が変わったりしてる…

ならもういっそ全部Twitterでやれば?
とか思うの私だけですかね。

何という時代に生きてんだ、みんな…w



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文春新書「コロナ後の世界」を読みました。

2020年07月23日 | 文学・歴史・美術および書評
久しぶりに書店へ行ってきましたが
感染者増えてるって聞くから、欲しい本ぱっぱと買って猛ダッシュ帰宅です。

レビュー書いてここのブログと連携してるフリマに出品するとアマゾンで100円もらえる
らしいんだけど、それだと良いレビューしか書けないから、
もうしばらく出品しないでおこう、と思った本のレビューです。



「コロナ後の世界」文春新書

世界の知性6人に緊急インタビュー
「このパンデミックで人類の未来はどう変わるのか?」
という本なんですが
率直に感想言います。

西洋人エリートの上から目線は
なぜこのパンデミックでも変わらないのか?

て、思いましたね。逆に。


「聞き飽きた」意見が並んでて、私はもうそれ自体がコロナ後ではないと思いました。

聞き飽きたって例えば

「世界は1つだ、独裁政権は許してはならない。日本は移民を受け入れて」
「AIは最先端で便利で人類にとって変わり得る脅威でもある」
「女も高齢者もうんと外で働きましょう、働き続けるのは輝く生き方」
「低俗なジャーナリズムがひどい」
「GAFA儲けすぎ」

こんな感じでしょうか。これとグレタさん万歳は聞き飽きた。

って、西洋の安全安心な部屋の机の前から言われてもな…
ふざけんなよとしか。

日本は全然、違うのよ…もう根本的に。
地震台風洪水低賃金、やたら多い世間の暗黙のルール
規則とマニュアル。

「あんたらの国のコンビニとルールを比べてみてください」
というほどには世間知らずだな、この人ら…と思ってしまいましたゴメン。
ロンドンのグロッサリー店員の就労態度だと日本は即日クビっす。


「新型コロナ後」の世界なんてまだ答えは出て無いし
「変わってしまった」事は後々、気づくとして
この人らが
「新型コロナは自分らの理想社会に変化させるには好都合だ」
と思うのはちょっと違うよ。

まあそういった
西洋人エリート臭を置いといて
改めて私はどう言うアイデアを持つか、この本を読んでどう思ったか書くとすると

「バーチャル世界とリアルで2重体制でいけば?」

て思いましたね。
ゲームで主人公キャラを自作しますけど、ああいう
どこでもアバターで通用する未来なら来て欲しいかも。
お店なんかもう「どうぶつの森」でやってるじゃないですか。


岩波の方で日本人識者が書いてるので
そっちも読んでみましょう。


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