建築家・菊竹清訓さんが年末に亡くなっていたことが分かった。享年83歳だった。
若い頃から有名だったので、私が学生時代から名前は良く知っていた。いくつかの「思い出」がある。まず実際に建築設計された「作品」に関してだ。
一つは、自邸の「スカイハウス」である。名前の通り大空に向かって立ち上がった鉄筋コンクリートの住宅だ。まあ壁的な「ピロティ」で住む空間を高く持ち上げたシンプルな設計、後で述べる「メタボリズム(生物・新陳代謝)」理論に基づき、住む過程で子供部屋を床に穴を開けて「ピロティ」部分に吊下げたことに注目した。丹下健三氏など自邸設計で「有名」になるも「住みにくい」ので住み続けることを放棄した人が目立った中で、住み続けることに固執したことが印象に残った。(その後の最終状況は知らないのだが・・・)
第二に、出雲大社庁の舎である。1963年竣工で、1968年、私は新婚旅行途上で見に行った。妻も建築に関心を持っていたからだ。その「形」をどのようにして発想したのか、菊竹さん自身は「設計構想」の打ち合わせに何度も出雲大社に通ったとき、田圃に見られた稲の「はさ(いね)掛け」にヒントを得た、と語っていたのを覚えている。建築家は、環境からもヒントを得るのだな、と思った。
第三は、両国の江戸東京博物館である。建築と言うより、まあ巨大な構築物だ。これは、何度か内部の展示を見に行ったが、建物自体には余り共感を覚えない。
次に「理論活動」についてである。故・黒川紀章さんらと「メタボリズム(生物・新陳代謝)」を唱えられた。そして自ら「建築造形は、か・かた・かたちと三段階で進む」と唱えられたのである。「か」が本質的、「かた」が実体的、「かたち」が現象的なものとして命名された。この三段階論は、物理学者の武谷三男さんが、「素粒子論は、現象的段階、実体的段階そして本質的段階の三段階で前進する」としたことからヒントを得ている、と私は思う。
まあ、かたとかたちは分かる気がするが、かとはなにかよく分からなかったのを覚えている。
しかし、建築家の中では「理論派だな」(コルと似ているな)と思ったことを覚えている。
じっくり足跡をたどってみたい。ご冥福をお祈りしたい。
若い頃から有名だったので、私が学生時代から名前は良く知っていた。いくつかの「思い出」がある。まず実際に建築設計された「作品」に関してだ。
一つは、自邸の「スカイハウス」である。名前の通り大空に向かって立ち上がった鉄筋コンクリートの住宅だ。まあ壁的な「ピロティ」で住む空間を高く持ち上げたシンプルな設計、後で述べる「メタボリズム(生物・新陳代謝)」理論に基づき、住む過程で子供部屋を床に穴を開けて「ピロティ」部分に吊下げたことに注目した。丹下健三氏など自邸設計で「有名」になるも「住みにくい」ので住み続けることを放棄した人が目立った中で、住み続けることに固執したことが印象に残った。(その後の最終状況は知らないのだが・・・)
第二に、出雲大社庁の舎である。1963年竣工で、1968年、私は新婚旅行途上で見に行った。妻も建築に関心を持っていたからだ。その「形」をどのようにして発想したのか、菊竹さん自身は「設計構想」の打ち合わせに何度も出雲大社に通ったとき、田圃に見られた稲の「はさ(いね)掛け」にヒントを得た、と語っていたのを覚えている。建築家は、環境からもヒントを得るのだな、と思った。
第三は、両国の江戸東京博物館である。建築と言うより、まあ巨大な構築物だ。これは、何度か内部の展示を見に行ったが、建物自体には余り共感を覚えない。
次に「理論活動」についてである。故・黒川紀章さんらと「メタボリズム(生物・新陳代謝)」を唱えられた。そして自ら「建築造形は、か・かた・かたちと三段階で進む」と唱えられたのである。「か」が本質的、「かた」が実体的、「かたち」が現象的なものとして命名された。この三段階論は、物理学者の武谷三男さんが、「素粒子論は、現象的段階、実体的段階そして本質的段階の三段階で前進する」としたことからヒントを得ている、と私は思う。
まあ、かたとかたちは分かる気がするが、かとはなにかよく分からなかったのを覚えている。
しかし、建築家の中では「理論派だな」(コルと似ているな)と思ったことを覚えている。
じっくり足跡をたどってみたい。ご冥福をお祈りしたい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます