西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

コルビュジェの「メッセージ」(BS・TBS)見る-3ユニテ・ダビタシオンなど

2012-01-09 | 住まい・建築と庭
1931年のサヴォア邸は、理論が実践を支えた見事な例で、1930年代以降、世界に大きな影響を徐々に与えることになった。

1932年にパリの「大学都市」に出来上がった「スイス学生会館」は、確かにピロティに支えられているのだが、「サヴォア邸」のようなエレガントなピロティではなく、巨木の幹を思わせるもので、RCの打ちっ放しだった。

これは、テレビ番組にはなかった事項だが、1933年(この年にはヒットラーのナチスがドイツで政権についた)に、アテネで開かれたCIAM(現代建築家国際会議)においてコルは指導的な役割を演じ、 「都市のあり方」に関する「アテネ憲章」をまとめ発表した。

そこでは、都市は、住む、働く、楽しむ(レクレーション)の主な機能に別れ、それらが交通で緊密に結ばれているもの(以上、四つの主な都市機能)、とした。そして、その上に先進的にも、歴史的遺産は保存すべし、としたのである。

それまで、コルはパリを事例に大胆な高層都市計画を提案していたことが背景にある。


次に、第二次世界大戦後のコルの活動について、いくつか影響を与えた主なものをあげてみたい。今回は「ユニテ・ダビタシオン」だ。

コルが初めて取り組んだ公共事業は、1945年から1952年まで7年間も要した地中海に面するマルセイユの「ユニテ・ダビダシオン(「住居の単位」という意味)」である。

18階建て337世帯が住める高層集合住宅、長さは165メートル、高さ8メートルのピロティが全体を支えている。このピロティも打ちっ放しコンクリートのごついものだった。

この「ユニテ・ダビダシオン」は、怜悧な合理性と温かい人間性を結合した建物と言われる。その一つが、コル自身が提案した”モデュロール(黄金の寸法単位)”を適用したものだったことである。

183cmの人体高、腕を上げると226cmといった人体寸法とそれらの黄金比を基準に細かくも大きくも空間の寸法を決めていった。

他に、太陽光を満遍なく内部空間に浸透させ、またシステム・キッチンの先駆けも提案し導入した。半世紀以上経った現在、なお1600人が暮らしている「生きた住まい」である。

コルの元助手の建築家・ロジェ・オジャムさんは、ある時(when?)ジャーナリストがコルに「これまでのすべての作品で最も重要なものは?」と質問したのに対して「ユニテ・ダビダシオンである」と即答した、という現場に立ち会ったようだ。

コルは、これを「垂直田園都市」とも、「地中海をゆく船のイメージ」とも言い、さらに「建築は、人に感動を与えるもの!」とも言っていたようだ。(続く)

写真は、「ユニテ・ダビダシオン」(1945年~1952年)



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