気まぐれ日記

その時々に、心ひかれるものや気になる事、読んだ本や見たDVDの事を書き留めてます。

「イチョウの絵本」

2024-09-18 16:33:25 | 日記
うちのベランダには、実(ぎんなん)から育てたいちょうの木が鉢に植えてある
あたり前に身近にある木で、あんまり調べようと思ったこともないけど、この本読んだら知らないことだらけ。



「イチョウは、恐竜たちが主役だった時代にもっとも栄えた植物で、『生きた化石』ともよばれる木。
氷河期の絶滅の危機をのりこえて、人とともにくらすことで、現代まで生きのびてきた」らしい。
へえ~。

「今から2億5000万年ほど前、この地球に恐竜が登場しはじめた時代のことです。わたしたちイチョウの仲間は、進化をしながら種類をふやし、広い地域に繁栄していました。

恐竜のかげにかくれて、小さなほ乳類も登場しはじめますが、主役は恐竜や昆虫たちでした。植物ではシダ植物のほか、ソテツやイチョウ、そしてスギやマツなどの木の祖先が栄えていました。

恐竜が地球の主役だった1億数千万年もの長い年月を、わたしたちイチョウの仲間もまた森の主役のひとつとして、いまとはくらべものにならないくらいに栄えていたのです。

そんなわたしたちも、気候の寒冷化など地球の環境が変化する中で、恐竜たちが姿を消してゆくのと歩調をあわせるようにしだいに仲間の数を減らしていきます。
同時に花びらをもつ新しい植物がしだいにふえていきました。

恐竜にかわってほ乳類の種類がふえ、最古の人類が登場する400~ 300万年前になると、わたしたちイチョウは、絶滅の一歩手前にまで追いやられてしまいます。

そして人類が文明を築きはじめるころには、それまで多くいた仲間のうちただ1種だけが、アジアの山奥にひっそりとくらすようになったのです。」

すごー。人間が登場するずっとずっと前から、イチョウはこの地球上に存在していたんだ。


その後、イチョウは中国のあたりで実を食べたり幹を木材として利用したりできることに気付き、中国から日本に伝わったらしい。
「14世紀に中国から日本へ向った沈没船からギンナンがみつかっていることや、各地のお寺や神社にイチョウの古い木が多いことから、薬としてギンナンがお坊さんによって日本にもたらされ、お寺などにまかれたたねが育って日本に広まったのではないか、と考えられています。」

なるほど。

その他にも、イチョウの葉には植物の成長をおさえる成分が含まれている(つまり畑にまけば雑草の成長を抑えられる?)とか、虫よけの効果がある(さっと洗ってから乾燥させて布の袋につめてタンスに入れておくと虫がつかない。)とか。

イチョウの幹はまっすぐで、木材の質もきめ細かく密なので、特にまな板としてプロの料理人から好まれているほか、将棋盤や駒、碁盤としても利用されているとか。

知らないことばかりだった。
おもしろい本だった。





戸隠行きその2

2024-09-17 09:23:49 | 日記
朝から頭痛....。
少々気持ち悪い.....。
なんてこったい。
奥社まで歩こうという日に。

せっかく雨も止んだのに。

朝食もほとんど食べれず。
全部残すのも悪いので、みそ汁をいただき、ごはんはお茶碗に半分にしてもらい、そば茶で流し込んだ。

そば茶がすごく美味しくて。5杯湯のみにおかわりして飲んだら、少し気分が良くなり、温玉もいただいた。

9時に出発。戸隠キャンプ場行きのバス時間まで少し時間があるので、再度宝光社へお参り。
雨は止んでいたけど少々肌寒く、雨具を着た
バスで奥社入り口まで行き、そこから奥社までは徒歩。地図で見ると40分の道のり。

気持ち悪くならないように、少々ゆっくりペースで歩いた。
写真を撮るほど気持ちに余裕もなく、ただひたすら歩く。
30分ほどで奥社に。
お参りして、写真も撮って、おみくじひいて、来た道を戻った。
奥社

九頭龍社


階段奥に見えるのが奥社






すごい杉林。
歩いていてとても気持ちいい。

帰りは少し気持ちの余裕もできて、写真も撮った。

奥社入口まで戻り、そこからバスで長野駅前まで。

高速バスの時間まで少し待ち時間があるので、駅前の竹風堂さんでしばしの休憩。
お昼ごはん食べてないけど、食欲はなかったので、栗あんみつを注文。

うまかった。





戸隠行きその1

2024-09-16 14:12:40 | 日記
きのうは私の誕生日。
還暦になった。

欲しいものは特にないので、戸隠に行くことに。
数年前に一度行ったのだが、今度は戸隠の宿坊に泊ってみたかった。


長野に着いて、まずは喜光寺さんにお参り。
お礼参り。


それから大勧進で愛用のお香を買って。
そしたら、
大勧進にカフェがオープンしたようなので、引き寄せられてそこでお昼。

胃にやさしいお粥のお膳。


窓のこの景色を眺めながら。

食べてから、戸隠行きのバスに乗り込んだ。
戸隠まではけっこう距離あるなぁ~。バスで1時間。

3時前に宿に着いたので、しばし宿の軒先で雨やどり。3時にチェックインして、荷物を置いてから、まずは宝光社へ。
階段が200段ぐらいあるらしい。
最近、少し運動不足だからちょうどいい。
お参りしてから宿に戻りお風呂に入ってからお食事。どれもおいしい。

つきだし。というのか?前菜?
ローストビーフ、夕顔の煮たの、酢のもの、山いもの干切り、糸うりのピリカラ煮。あとひとつは何か不明。

お酒は遠藤酒造の「渓流」。純米酒を選んだ。うまかった。
写真、全部は撮らなかったのだけど、このあとサーモンの刺身が出てきて、豚肉の鍋があって.....。


あゆの塩焼。これ、むちゃくちゃうまかった。内蔵の部分が酒のつまみにピッタリ。



そば粉の茶碗蒸し。
これもとっても美味だった。

このあと天ぷらがあって、おそばが出て、デザート。

満腹!

夕飯は6時からだったので、夜の長いこと。
特にやることもなく、
翌日は奥社にお参りの予定なので、
9時前に就床。

いい1日でした。









最近の記録

2024-08-11 08:52:42 | 日記
兄が6月7日に入院。
私は試験前だったので、何もしなかった。必要な荷物を届けたぐらい。

私は試験が終わってから、愛知へ。
孫の顔を見に行ってきた。

愛知から帰ってきてすぐに、兄が転院。
退院後の方向としては、特養探すことになるとの病院のお話しだった。


兄のアパートは、最初の入院時に急救車で運ばれたままになっていた。
特養に入るなら、もうこのアパートに戻ってくることもないだろう。

兄のアパートは汚れもにおいもひどいので、私は片付けたくない。
ー切合財業者さんにお願いするつもりでいたら、私の息子が兄のアパートのお片付けに来てくれ、だいぶゴミをまとめてくれた。
感謝。


昨日は、業者さんが来て、特養で使うと思われる荷物を残して、残り全部片づけてもらった。

あー、スッキリ。

イロイロ支払いもあったけど、今入院している病院の支払いは銀行引き落としにしてもらったし、もうしばらく借りてるつもり(住民票を移せないので住所が必要)のアパート家賃を除けば、それ以外は支払いの手間は無くなると思う。

やっとひと息ついたな。



もう一つ、冬頃に兄の生活保護の申請して適用されれば、私の仕事は完了だろうか。

この他にも、こまごまと助成制度の申請とか健康保険の支払いの相談とかはしなければならないが、それは大したことではない。



しかし、兄妹だから仕方ないと思いつつ、自分の後始末ぐらい自分でしてくれよ!と思う。

兄は結婚しないで、ひとりで生きてきた。兄が結婚しなかったことのツケを何故私が払わなければいけないんだろう?

病院からの連絡の対応やら、支払いやら、アパートの片付けの算段やら、今後の生活費の算段まで、本来は自分ですべき事を妹の私に丸投げしたのだ。

腹立つ!