いぬくそ看板の向こう側

いぬくそ看板の背景に存在する「人間ドラマ」を紹介するブログです。

実録いぬくそ看板 その1

2020-11-07 16:20:00 | 背景はクルマ


因果応報である。

ここ数ヶ月、困っていた事がある。このブログのテーマである犬糞だ。まさか、いぬくそ看板を追っている自分自身がこの被害に合うことになると思わなかった。過去にも駐車場や実家の玄関などで放置された犬糞を目撃したり、踏んだりする事はあったが、一過性のものだったので、「いぬくそ看板が云々」などとメタ視点でそれらを楽しんでいる自分がいた。しかし今回は長期戦だった。

2020年8月。なかなか梅雨が明けない冷夏かと思いきや、中旬から記録的猛暑。強烈な太陽光線がアスファルトを焦がしていた。そのチンチンに熱せられた地面の上に犬糞が放置されるようになったのだ。熱せられた排泄物は、臭いの成分が揮発して異様なオーラを放ち、近づくものの服や持ち物、そして気分を汚く染め続ける。

私の自宅の近所は野良猫が多く、最初は猫の糞だと思っていた。しかし、砂地ではなく広いアスファルト打ちの駐車場に堂々と放置されている事を考えると、猫は違いそうだ。トイレットペーパーのカスが無いので人間でもない。消去法で考えると犬しかいないのだ。

犬の飼い主がたまたま回収袋を忘れたのだろうと思っていたが、そうではなかった。9月に入って犬糞の目撃頻度が多くなっていった。駐車場の入口ではなく、クルマの前に堂々と放置されることもしばしば。

それにしても因果なものである。ここ数年、いぬくそ看板の撮影でチヤホヤされた私だが、そのバチが当たったのだろうか。まぁ悪いことをしたわけではないが……。

放置目撃から2ヶ月ほど様子を見ても、減ることの無い犬糞に業を煮やし、大家さんに言おうかと考えていた頃に、下のような看板が設置された。

この駐車場は出入口が一箇所だけで、そこからよく見えるように2つ設置してくれていた。その後しばらくは犬糞の放置が収まらなかったが、ここ数日くらいで地雷の被害に合うことは無くなった。

ここ数年は犬糞問題について色眼鏡を掛けて見ていたところがあった。久しぶりに犬糞被害に合い、犬糞問題の啓発の意味でも改めていぬくそ看板を撮り続けようと心に誓った。

(つづく……のは嫌だなぁ)

いつかは乗りたい高級セダン

2020-08-27 20:30:00 | 背景はクルマ
いぬくそ看板とは、ドラマである。

いぬくそ看板観察を長く続けていると、そこに繰り広げられるドラマを勝手に見出してしまう。それは私の妄想で、たぶん実際とは違うと思う。でも、これだけ「怒り」を公にされてしまうと、何かを思わざるを得ない。

その「思わざるを得ない」ものを自分の中に留めておくのは辛いものがある。人の怒りを受け流すほどのヒューマンスキルは持ち合わせていない。だからその妄想を物語にして自分の心から成仏させようと思う。


多奈崎いぬくそ事案 ケース1:康夫の場合

「やはり片付けていない」
康夫は今朝もひとりごちた。

田畑がまだ残る住宅街。朝のさわやかな空気に相応しくない茶色いペースト -いぬくそ- が、車庫の前に落ちていた。これで何度目だろう。飼い主が持って帰れば済む事なのに、なぜ自分の手を汚さなければならないのか。康夫は納得しない気持ちを押し殺して糞を片付けた。

※写真はイメージです

いぬくそを片付けなければ、クルマを車庫から出した際に踏んでしまう。踏んだ糞はタイヤハウスに飛び散りひどい臭いを放つ。

康夫の愛車は国産トップメーカーの高級セダンで、最新式のひとつ前のものだ。5年前、長く勤めた職場の定年を記念して購入したものである。その前も同じブランドのクルマだったが、リニューアル前だった。エンジンが高級車然とした直列6気筒からコンパクトに収められるV型6気筒になったが、乗り味にこだわらない康夫にとっては問題ではなかった。


代々受け継いだ赤津町の農地を好景気の時代に宅地化した。そのおかげで、地方公務員としての給料の他に不動産の副収入があった。自分の身分より良い家、良いクルマ、良い生活を享受していると康夫は思っている。いぬくそはそのバチが当たったのだろうか。

多奈崎市役所に相談したところ、担当の部署から「動物のフンの片付けを啓蒙する看板」がもらえる事がわかった。取り寄せたところ、ファンシーな絵柄でメッセージもそれほどきつくない。飼い主の反感を買うことは無さそうだ。とりあえず、ガレージの前に設置しておこう。康夫は看板を門扉に括り付けるための針金をおもむろに探し始めるのであった。

(おわり)
※多奈崎市を舞台にするにあたり、空想地図タナザキテさんからご指導いただいております。

フィアットプント その2

2020-08-25 21:30:28 | 背景はクルマ
いぬくそ看板ものがたり(最終回)

今、ぼくはフィアットプントに乗っている。乗って狭さを感じないし、荷物はそこそこ入るし、その割に小回りもきく。運転しやすいエンジン特性やワイドなギア比も自分にあっている気がする。

このクルマは母親の形見だと思っている。

母親はぼくが東京方面に移住して3年後に死んだ。胃がんを克服した後、別の場所にがんができていたのだ。亡くなる半年前まで、その事は知らなかった。母親の事を何も考えていなかった。

母が健在だった頃は、母親がいる事が普通だったので何も考えていなかったけど、いなくなってから印象が強くなる。特に印象的だった2つのエピソードがある。

ひとつは、明るい色のクルマが好きだったこと。我が家の自家用車は代々ホワイトだった。母が明るい色が好きだったからだ。一方で父親はシルバー系が好きだったため、父が母の意見をあまり聞き入れずにガンメタを選んでしまった時は少し残念そうであった。その印象が強かったため、母の死後に今のプントと出会った時に購入をすぐ決意した。明るいクルマなら母親を忘れないと思ったからだ。


もうひとつは、いぬくそ看板を最初に認めてくれたことだ。母は生前、趣味でブログを書いていた。そこで、この写真を紹介してくれたのだ。普段はぼくの愚行(街角観察)について「もっと将来の役に立つことをやりなさい」といった意見しかくれなかったが、いぬくそ看板については地元の看板の写真を撮るなど、理解をしてくれていた。

クルマも、いぬくそ看板も、母親との繋がりを感じずにはいられない。いぬくそ看板とその背景を追い続けることは、ぼくにとって母親の供養なのである。

(おわり)

フィアットプント その1

2020-08-15 18:30:00 | 背景はクルマ

■諸元
車名:フィアット・プント
駆動方式:FF
エンジン:直列4気筒DOHC16バルブ1.8L 130PS
変速機:5速MT
大きさ:長3820×幅1660×高1480(単位mm)
ホイールベース:2460mm
車重:1100kg

■どんなクルマ?
イタリアの大衆車メーカーが販売していたBセグメントコンパクトカー。フィアットの代名詞とも言える500やパンダの1ランク大きいクルマである。パンダや500よりも大きいため、2人以上の乗車に耐えて荷物もそれなりに積める。イタリア車でありながら使い勝手も優秀だ。

2018年8月に欧州の車体安全性テスト(ユーロNCAP)に最低点数である0点をだしてしまったために販売が継続されなくなった。


■おら東京さ行ぐだ、のはずが……
静岡で未来を描けなくなった私は、とりあえず職を探すべく東京に出ることにした。静岡から東京方面に頑張って通った甲斐があり、都内で就職先が決まった。

めでたいのだが、問題は住まいだ。当時の低所得では貯蓄などしておらず、職場近くに住むことが叶わない。都内には住めない悔しさは感じつつも、すぐに都外へ住居を求めた。

■東京近郊のいぬくそ看板との邂逅
結局職場からの距離と家賃相場のバランスを見て、住まいは千葉県松戸市に決めた。松戸なら家賃の割に都内に近い。地価が安いからクルマも持ってこれる。幸い、契約した部屋には駐車場がついており、一緒に契約できた。これで引き続き145と生活を共にできる。

とはいえ、クルマでの営業活動が無くなり、電車通勤となったのだから、クルマに乗る機会は一気に減った。まぁ、それを望んでいたからそれで良いんだけど、正直寂しかった。

クルマに乗る機会が減った一方で、徒歩移動が多くなった。寂しさはあったが、今思えば、静岡では気が付かなかった看板の奥深さにも触れることができたので、結果オーライである。

■ある別れ
ひとり暮らしを始めると考えることが多くなる。家族と喋る機会が減るわけなので、当然のことだ。その中でも考えることが多かったのが母親のことだ。

ぼくの母親は当時、がんを患っていた。胃がん、ステージ2。外科手術を受けて無事寛解に向かっていた。しかし、闘病の心労は並大抵のものではなかったようで、落ち込む事が多かったように思う。

ひとりで気楽にドライブや散歩を楽しんでいたのだが、いつも心のどこかに母親を思う気持ちがあったのかもしれない。この気持が最終的に145を手放し、今のフィアットプントに繋がっていくのである。


(つづく)


アルファロメオ145 その4

2020-06-07 16:00:00 | 背景はクルマ
いぬくそ看板物語(6)

事故直前に撮ったいぬくそ看板

2014年春。地元静岡でのダブルワークもだいぶ板についた頃の話だ。2周間に一度しか休暇が無い事と、お金が無さ過ぎてファストフード店で夜勤をしていた事には慣れなかったが、それ以外はリズムが出来上がっていた。

その日は確か、前日深夜からの夜勤上がりにラジオ局で働き、そのまま午後にクルマでパソコンの出張サポートに行くようなスケジュールだったと思う。花粉の季節で薬を飲んでいたが、お金が無かったので手頃な第1世代薬に頼っていた。①寝不足、②多忙による疲れ、③薬による眠気。魔の三要素が私を襲った。

全立体交差で信号が無いタイプのバイパスを走っていた時、図らずもボーッとした瞬間があった。その瞬間、目の前にクルマが止まっていた。渋滞の末端に遭遇しただけだったのだが、完全にボーッとしていた私はブレーキを踏む余裕すらなく、そのまま停車中のクルマに追突してしまった。その瞬間、今まで積み重ねてきたものが全て消えた。


事故後しばらく経ってから撮ったいぬくそ看板

幸い物損事故だったし、任意の自動車保険には入っていたので、人生まで終わることは無かった。だがそれ以降、クルマに乗る仕事は極力避けるようになった。生活が苦しいせいで仕事を詰め込んでいたのに、そのせいで事故を起こしてしまったのだから。

もう静岡では生きていけない。そう思った私は、仕事のたくさんありそうな都市部への転職・移住を思い立った。静岡にも移住先にも愛着が何もなかったので、無感動のうちに事が進んだ。静岡での失敗で、今後失うことはあっても得るものはなにもないだろうと思っていたが、意外と得るものがあった。新たないぬくそ看板との付き合い方である。

(つづく)